【メディア評価】岡本薫氏 第6話: 「営利追求と社会的責任」

2006年6月08日

0605m_okamoto.jpg岡本 薫(政策研究大学院大学教授・前文部科学省課長)
おかもと・かおる
profile
東京大学理学部卒 OECD科学技術政策課研究員、文化庁課長、OECD教育研究革新センター研究員、文科省課長などを経て、2006年1月から現職。専門はコロロジー(地域地理学)で、これまで81か国を歴訪。著書に『日本を滅ぼす教育論議』(講談社現代新書)、『著作権の考え方』(岩波新書)など。

「営利追求と社会的責任」

これまで話した内容をまとめると、私がこのメディア評価を行う際によってたつ立場は以下の点です。

● この「マスコミ評価ブログ」での私の一貫したテーマは、日本のマスコミにおける「ルール感覚の欠如」です。
● ここで言う「ルール」とは、「日本国憲法の基本ルール」であり、具体的には次のものを意味します。
  ・「民主主義」 = 「社会の全員を拘束するルール」は国会での多数決で決定されたもの
  ・「自由」=①「内心」(思想・信条・良心・価値観・倫理観・モラル等)は、常に自由
       ②「行動」は、ルール違反にならない限り、常に自由
● ここで取り上げる「ルール感覚欠如」の報道とは、「ルール上の根拠なく『自分の考え』を絶対視し、他人の自由を無視して押しつけようとする」ものであり、具体的に言えば、次のものです。
  ①「完全に自由」であるべき人の「内心」を非難し、「意識改革」などの美名のもとに
    「内心を変えるべきだ」などと主張する、憲法ルール違反の報道
  ②「ルールに違反しない限り自由」であるべき人の「行動」(作為・不作為)を非難し、
   ルール上の根拠なく、何らかの行為を「すべきだ」「すべきでない」などと主張する、
   憲法ルール違反の報道
●詳細は、第1話第2話のブログを参照してください。


 今回取り上げるのは、毎日新聞5月26日朝刊(14版)2面「発信箱」の、「もうけたいなら」と題した、600字ほどのコラムです。

 これは、「銀行のもうけぶり」に対する批判を述べたものであり、まず、他人の見解の引用という形で、次のような批判が記されています。

 ① もうけさせてやっている側、言ってみれば客が、年始などに銀行支店に足を運んで
  頭を下げるのが、なぜ当たり前になっているのか。おかしい。
 ② 振込手数料をタダにしろとの声があがっている。
 ③ 大手銀行トップは、まだ、もうけ足りない、という認識だ。
これに続いて、記者自身の、次に引用するような見解が述べられています。
 ④ 同じ巨額利益のトヨタと比べ、祝福する気になれない。
 ⑤ トヨタは競争の中で利益をあげているのに、銀行は公的資金の出し手でもある国民
   から、もうけを吸い上げているから(祝福する気になれないの)だ。
 ⑥ 世界を舞台に米シティバンクや英HSBCを負かし、日本にガッポリと利益を持ち
   帰るくらいのプライドはないのか。
 ⑦ 日本のため、国民のために、もっと、もうけてほしい。
 「ルール違反をせずにもうけている企業」に対する批判は、日本のマスコミの「ルール感覚欠如」を最も端的に示す好例です。

 営利企業は、そもそも営利を目的としたものですが、営利とは、収益(収入-支出)をプラスにして出資者等に配分することを意味しています。これは営利企業が課された契約上の義務であり、経営者がこれを怠れば、株主等に対する約束(契約)に違反したことになってしまいます。

 企業にも、憲法が保障する「自由」はありますので、何をどのように行って営利を追求するかは各企業の自由です。しかし、完全に自由にしてしまうと公共の福祉に適合しない場合があるため、憲法ルールに従って国会が法律を定め、企業の行動に関する「ルール」を設けています。

 逆に言えば、「それらのルールに違反しない範囲内」においては、企業の思想・行動は自由であり、それを頭から批判するのは憲法ルール違反でしょう。

 もちろん「他人」にも思想信条の自由はありますので、ある企業を「嫌いだ」と言うのは自由ですが、それならその企業と取引きをしなければいいだけのことです。企業の側も、より多くの人々に好かれたいなら、多くの人々の価値観・倫理観に迎合することが必要になりますが、迎合するかしないかもまた自由です。どちらにしても、結果については自己責任ということになるだけです。

 こうした「中学校の教科書を読めば分かること」についてのルール感覚が欠けているために、日本のマスコミで使われる「企業の社会的責任」という用語についても、混乱が見られます。具体的には、「法律ルールに従うこと」と「(誰かの)倫理観に従うこと」が混同されていることが多いようです。

 営利追求という企業の目的に照らして考えれば、「社会的責任を果たす」ことの目的は、(それが「法律ルールの遵守」であれ「誰かの倫理観への迎合」であれ)「そうしないと営利を追求できないから」ということ以外にはあり得ません。それ以外の目的を持ち込むことは、「株主等との契約への裏切り」以外の何物でもないでしょう。「そうした状況は良くない」と言うのであれば、そう主張する人自身が、憲法ルールの範囲内で新しい法律ルールの構築を実現するしかないのです。

 このコラムを書いた記者の方は、写真を拝見するとまだお若いようですが、上記の⑥・⑦の見解に端的に示されている「ルール感覚欠如」の独善を早く乗り越えて、記者として成長していただきたいものです。

 余談ですが、上記①に引用されているのは、「マスコミの世界から会社経営に転じた人」の言だそうです。ルールの範囲内で自由に活動できるビジネスの世界では、例えば「どちらがあいさつに出向くか」「どちらが頭を下げるか」といったことは、単に「マーケット内での力関係」で決まることです。

 これを言った人は、会社経営をしているのにそんなことも分かっていないのですね。マスコミの世界にいた人が、(ある意味で「お役人」の世界にいた人と同じで)いかに浮世離れしており、傲慢に上からものを見ていたか ―― ということを示す好例です。この部分だけでも、このコラムは、多くの人々にとって読む価値のあるものでした。お書きになった記者さんに感謝します。 


※今回の、岡本薫さんの発言は以上です。

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