日本は、米中対立が長期化する中でも、ルールに基づく自由貿易体制に米中を巻き込む努力を続けることが重要
―「地球規模課題10分野の国際協力評価」の一環として、専門家3氏が2019年の動きを総括し、2020年を展望

2020年1月28日

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2020年1月28日(火)
出演者:
河合正弘(東京大学公共政策大学院教授)
中川淳司(中央学院大学現代教養学部教授)
細川昌彦(中部大学特任教授)

司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)


 言論NPOは1月28日、「地球規模課題10分野の国際協力評価」発表に向けた評価のための公開座談会の第3弾を、言論NPOオフィスにて開催しました。今回は「貿易・通商」をテーマに、河合正弘氏(東京大学公共政策大学院教授)、中川淳司氏(中央学院大学現代教養学部教授)、細川昌彦氏(中部大学特任教授)の3氏が参加しました。

kudo.jpg 初めに、司会を務めた言論NPO代表の工藤泰志は、貿易の問題が「世界経済の発展を支えてきた、戦後のルールベースの自由秩序や多国間主義が揺らぐ震源地だった」と切り出しました。そして、米中対立に伴う世界的なサプライチェーンの再編が日本にも急激に影響を及んでいるという認識を示し、こうした中、2019年、貿易・通商の分野における国際協力の進展をどう見るのか、3氏に問いました。


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ルールに基づく秩序の要であるWTOが、
紛争解決とルール形成の両面で機能しない危機的な状況

kawai.jpg 河合氏は、2019年は国際貿易制度にとって、一進一退の「退」の方が大きかった、と評価。「退」の大きな要因として、WTO(世界貿易機関)の紛争解決システムを担う上級委員の補充人事に米国が反対を続けたため、本来は判定を下すのに3人の上級委員が必要なところ、12月には1人になってしまったことを挙げました。河合氏はその意味について、「紛争解決制度は、WTOの制度が現実の中で実効性を持っている数少ない分野だったが、それすらも機能しなくなった」とし、これはWTO、そして国際貿易制度にとって大きなマイナスになる、と語りました。

 一方で河合氏は、米中の貿易合意により、12月に予定されていた米国による第4弾の対中関税引き上げが凍結されたことを「最悪の事態を避けられた」とコメント。また、「進」の部分としては、一昨年12月のTPP11や昨年2月の日EUEPA(経済連携協定)の発効に続き、11月には、RCEP(アジア太平洋包括的地域経済連携)の署名を2020年に目指すことを、インドを除く15の参加国で合意したことなど、日本のリーダーシップにより地域のメガFTA(自由貿易協定)の取り組みが進展していることを挙げました。
 
nakagawa.jpg 中川氏はWTOについて、一昨年12月の閣僚会合での合意を機に、デジタル貿易など経済の実態にルールが追い付いていない分野で約80の有志国による交渉が始まったことを紹介。WTOでは全加盟国によるドーハラウンドの交渉が長く棚上げになっている一方、こうした有志国によるルール形成の動きには「希望を持てる面もある」と語りました。

hosokawa.jpg 細川氏は今の状況を「戦後国際秩序の危機」と表現し、2019年はその危機がより深まったと評価。ルールが支配する世界こそ、日本が国際社会で生きていく唯一の道だが、現実には米中の二大国のパワーゲームが国際秩序を左右する状況になっている、と強く懸念しました。細川氏はWTOについても、ルールによる支配の基本である紛争解決メカニズムは危機に瀕していると指摘。また、中川氏が取り上げた有志国での交渉自体は評価できるものの、それは、WTOが本来果たすべきルール形成の役割が失われていることの証左であり、その背景には、164ヵ国の全会一致でしか物が決まらない旧態依然とした仕組みもある、と指摘しました。そして、有志国の動きをリードできる国が、「今のところは、残念ながら日本しかいない」という見解を示しました。


米中間で進む「分断」と「相互依存深化」の同時進行
―「分断」の面では日本企業も難しい判断を迫られる

 次に工藤は、こうした状況で米中の経済的な分断への懸念が強まっている一方、河合氏が1月20日の「日米対話」に登壇した際、米中の貿易交渉で合意された中国による米産品への輸入量増加は、双方の貿易量を調整するという面でむしろ米中の相互依存関係を強めるものだ、と発言したことを紹介。世界は分断と相互依存深化のどちらに向かっているのか、と各氏に尋ねました。

 河合氏は、「その両方の側面が存在する」と回答し、確かに日米の企業が中国から東南アジアなどに生産拠点を移す動きがある一方、米国としても、拡大し続ける中国の国内市場を無視することはできない、と分析。安全保障にかかわる新技術の面では分断(デカップリング)が進み、「日本企業としても、中国企業と連携した技術開発に米政府がどう反応するか、という点には注意が必要である」としつつ、それ以外の部分では逆にリカップリング(再結合)が進んでいく、と展望しました。

 細川氏は、米中対立の本質を見定めるためには、貿易協議の内容を巡るトランプ大統領の表面的な発言に左右されるのではなく、議会や政権幹部、シンクタンクなどワシントンの政策コミュニティの動きにこそ注目すべきと主張しました。そして、河合氏が述べた状況を「Partial Disengagement(部分的分離)」と表現。全面的なデカップリングはもはや不可能であり、今後も米国企業は中国市場への進出を続けていくが、一方で安全保障に関係する機微な技術分野では中国排除を進める、という考え方がワシントンの主流であるとしました。そして、米国では今、「分離」する分野の特定作業が進められているとした上で、その分野には5G(次世代通信規格)、人工知能(AI)、量子コンピューター、そして半導体が含まれるだろうと述べ、こうした分野での投資規制や輸出管理には日本企業も必ず同調を迫られる、と予測。「日本が強みを持つ半導体製造装置で、米国製半導体の対中輸出規制と連動した輸出規制が求められる」「サイバー攻撃に対するセキュリティも、日本企業が米国と同レベルの基準を求められる」といった例を挙げ、日本企業はこうした点で米国の要求を満たせなければ、今後、米国企業のパートナーとして事業を続けていくことが困難になる、という認識を示しました。


米中を巻き込むルール形成に欠かせない日本の努力

 また細川氏は、米国の政策コミュニティが問題視しているのは、国家資本主義という中国の異質な経済体制だと指摘。それに関係する、産業補助金や国によるデータの囲い込みといった分野で中国を孤立させるため、有志国のルール形成の場を利用しようとしている、という解釈を述べました。

 これに対し中川氏は、少なくともトランプ政権はルール形成そのものに消極的で、大国間のディール(取引)による貿易問題の解決を志向していると指摘。こうした中、これまで米国を中心につくってきたGATT・WTOの規則を真面目に守ることで経済発展してきた日本が、今後は新しい時代に合った「ルールの近代化」にリーダーシップを発揮していくべきであるとし、とりわけ、米政権が多国間協力に基づくルール形成に背を向けている状況では、その役割はなおさら大きなものになると主張しました。


 河合氏はこのルール形成について、今の日本政府の姿勢がオーストラリアの専門家から「世界のモデル」と評価されていることを紹介。具体的には、TPPを米国に代わって主導すると同時に、RCEPや、事実上その一部をなす日中韓FTAの交渉を通し、中国を多国間主義に基づく貿易システムに引き込む努力を続けることが重要だと語りました。
 
 中川氏も、WTOから派生した有志国の協議が、本格的な自由化交渉に発展するにはまだ時間がかかるため、当面は地域のメガFTAの輪を広げていく努力が大事になってくると述べ、その意味で、今年後半にも予想される、タイやインドネシアなどのTPP加入交渉に期待を見せました。

 細川氏は、こうした地域メガFTAの動きは、あくまで合意したルールの水準をもって評価すべきであり、その最終目標は中国の国家資本主義的なシステムを徐々に変質させることだと主張。その意味で、現状ではTPPが「1軍」であるのに対し、RCEPは「2軍」であり、今後「1軍」に引き上げていく布石を打っている段階だ、と位置付けました。その上で、日本のスタンスは、米国を多国間交渉につなぎ留めつつ、中国にも「孤立しないためには多国間協議に参加せざるを得ない」と思わせるような環境をつくり出すことだと重ねて強調。一昨年、中国も参加するAPEC(アジア太平洋経済協力)で改定されたインフラ開発指針に、日本が重視する「透明性」「開放性」「経済性」「対象国の財政健全性」の4つの原則が盛り込まれたことを例に、分野ごとに様々な枠組みやアプローチを使いながら中国を巻き込む、丹念な努力が必要になると述べました。

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2020年も、貿易分野での国際協力の進展は難しい

 ここまでの議論を踏まえ、今年2020年における貿易分野の国際協力の進展について、3氏に展望を聞きました。

 細川氏は、米中摩擦の状況は今年さらに悪化していく、と繰り返し、それに加え、米欧の亀裂がかつてなく決定的になっていることをポイントに挙げます。そして、中国の構造転換を促していくためには日米欧という三極の連携が決定的に重要であり、米欧の橋渡しができるのは日本しかない、と強調。1月14日の三極貿易大臣会合では、中国を念頭に、市場をゆがめる産業補助金禁止の対象拡大で一致したことを紹介し、日本が引き続き米欧の間を取り持ちながら、こうした規範を他の自由民主主義諸国にも広げていくべきだ、と訴えました。


 中川氏は、日米欧の連携も最終的にはWTOのルールへと発展させることを目指したものであるとした上で、WTOを巡っては、有志国によるルール形成、紛争解決手続きの改革ともに今年中の意見集約は難しいと予想。むしろ来年2021年の課題とみるのが現実的だ、と、やや悲観的な観測を示しました。また、1月24日の世界経済フォーラム(ダボス会議)で、EUや中国など17ヵ国・機関が、WTOの上級委員会に代わる暫定的な上訴制度の設置を目指すことで合意したことを紹介。ここに日本が加わっていないことを指摘し、紛争処理制度の面でも、有志国の動きに日本がより積極的に関与すべきだ、と訴えました。

 細川氏は、WTOの紛争解決メカニズムが機能しないことが及ぼす影響について、「WTOでは、協定違反を是正しない国に対して相手国による対抗措置の発動が認められている。しかし、違反の有無を第三者が判断する仕組みが存在しないことで、『対抗措置』を名目にした関税合戦に歯止めがかからなくなる危険がある」と指摘しました。

 河合氏は、この状況を食い止める上で、国際機関の役割という視点から発言。IMF(国際通貨基金)やWTOでは保護主義的な傾向に懸念を持っているものの、それらと並び戦後の国際経済システムの一角をなす世界銀行では、昨年2月、最大出資国である米国の指名により新総裁が就任したことを挙げ、国際機関が一致してトランプ政権の行動を牽制していくことの難しさを指摘しました。


日米欧の連携をリードしつつ、中国をルール形成の場に引き出すことが
日本の基本戦略

 最後に工藤は、こうした厳しい情勢の中で今年、日本が果たすべき役割について、パネリストらに意見を求めました。

 中川氏は改めて、成熟した自由民主主義国であり市場経済国である日米欧の三極連携が鍵になると強調。その理由として、WTO改革はまだ百家争鳴の状態で意見集約の目途が立たないこと、新興国には依然として自由貿易に慎重な姿勢が残っていることを挙げました。そして、日本がリーダーシップをとって日米欧でハイレベルなルールを打ち出し、そこに中国を最終的に巻き込んでいく戦略を貫くべきだ、と主張しました。

 細川氏は、中川氏が掲げた基本戦略をより具体化するという視点で、二つの方向性を提案しました。

まず、日本が米欧を引っ張っていくためにも、それぞれの内部の政治力学をよく見極めて日米欧関係を構築していくべきだと主張。まず「例えば、日本の報道ではトランプ大統領と同様に一国主義的な言動が目立つライトハイザー通商代表だが、日米欧の貿易大臣会合では産業補助金のルールについて自ら提案をまとめるなど、多国間協力を重視する側面もある」と紹介。トランプ大統領自身の思考を変えることは不可能だが、彼の関心は株価に影響を与える関税合戦の行方にしかなく、より本質的なルール形成や新技術の管理で実権を握る政権幹部や政策コミュニティに働きかけていくことがより重要だと語りました。

 細川氏はEUについても、昨年12月に就任したフォンデアライエン欧州委員長のもと、失われた求心力を回復させられるかの岐路に立っているとし、通商政策でEUと連携する上では、EU自体の在り方に日本がコミットするという視点を持つべきだ、と主張しました。

 第二に細川氏は、「日米欧だけではいつまでたっても中国を巻き込めない」とし、オーストラリアやカナダなど他の自由主義諸国に協調の枠組みを広げていくことが、中国にとってもプレッシャーになるとしました。

 
 河合氏は、中国はWTO改革を巡って産業補助金や知的財産権などの改革案を自ら出すに至っていないことを説明し、中国の専門家の間では、今は米国の出方を伺うべきだという見方が強いことを紹介。1月に妥結した第1弾に続く、第2弾の米中協議に対するトランプ大統領の本気度が読めないことを懸念材料に挙げ、大統領選も行われる今年、二国間、多国間を含め様々な協議が停滞すると予測しました。

 
 3氏の見解を受け工藤は、最近、米国の政策コミュニティの中では、米中対立の出口はより高いレベルのルールに基づく米中の共存である、という議論が強まっていることを紹介。そのプロセスはかなり長期化するが、日本としてはその間、ルールベースの多国間主義や自由貿易の旗を掲げ続けなければならないと主張しました。そして、2月29日~3月1日に言論NPOが開催する「東京会議」では、そうしたメッセージを世界とも連携して日本から発信していきたいと決意を語り、議論を締めくくりました。