【メディア評価】横山禎徳氏 第4話「記者のプロフェショナリズムとは(前編)」

2006年7月04日

0606m_yokoyama.jpg横山禎徳/よこやま・よしのり (社会システムデザイナー、言論NPO理事)

1966年東京大学工学部建築学科卒業。建築設計事務所を経て、72年ハーバード大学大学院にて都市デザイン修士号取得。75年MITにて経営学修士号取得。75年マッキンゼー・アンド・カンパニー入社、87年ディレクター、89年から94年に東京支社長就任。2002年退職。現在は日本とフランスに居住し、社会システムデザインという分野の発展に向けて活動中。言論NPO理事

プロフェショナリズムの定義

学問的体系に基づいた高度技能を依頼人、すなわちクライアントのために活用して、問題解決をし、その対価としての報酬を得る。そのための倫理観を持っている人たち。

前回、私はプロフェショナリズムの定義を説明し、記者も本来プロフェショナルとして行動すべきではないかということを書きました。

ここでは、記者が何故プロフェショナルなのかをもう少し説明したいと思います。何故なら世間ではこの言葉は定義があいまいなまま使われているからです。

まず前回、説明した定義で「学問的体系に基づいた高度技能」であり、単なる「高度技能」ではない理由は再現性が必要だからです。

すなわち、日本では通常同じような意味で使われている「名人」や「匠」と「プロフェショナル」と違うのです。名人は一代限りであり、何人も同じ技能の人を作ることは難しく、再現性がないことが多いのですが、医学という体系があれば医者は何十万人でも養成できるし、法学という体系に基づいて弁護士などを大量に育成できるのです。

日本には弁護士は2万人弱しかいませんが、アメリカには100万人います。当然ピンからキリまでの差はあるでしょうが、認定し登録する以上、一定の水準を超えているのです。

記者で大変優れた人はたくさんいるに違いないと思います。しかし、それは個人の努力の結果、生まれただけで、実は、彼らはジャーナリズムの世界における名人や匠ではないのか、それが私の疑問なわけです。

私が知りたいことはジャーナリズムという世界の企業がある水準以上の「高度技能」を持った記者を多数生み出すような、再現性を確保する仕組みを意識して作り出しているのだろうかということです。そのような水準の人物を何人も再現性を持って生み出していくような育成訓練体系、その存在が気になっているわけです。

記者には学問的体系を伴った人材訓練プログラムがあるのか

では、ジャーナリズム分野における学問的体系とは何なのでしょか。

単一の学問分野ではないことははっきりしています。今の時代、単一の学問体系だけで成り立つプロフェショナルは存在しないからです。弁護士であっても、法学だけでは十分ではなく渉外弁護士であればミクロ経済学や経営学を勉強しないといけないでしょうし、技術係争や特許紛争などに関わる弁護士は工学の勉強も必要でしょう。そして何よりもコミュニケーションや説得の技術の訓練も必要でしょう。医師のコミュニケーション能力がちゃんと訓練されていないことが最近問題になっているのは周知のことです。

そのように考えた場合、記者にもどのような学問体系を勉強し、技能を身につけるべきなのかの認識は社内的にある程度共有され、それに基づいて組織として訓練することが必要となるはずです。そのようなことを日本のメディアは行っているのかです。

私の経験からいうとプロフェショナル人材の育成訓練には年間一人当たり数百万円くらいはかかります。それだけの予算を取っているのでしょうか。

当然、記者は記事の書き方、まとめ方に関しては職人のような技能訓練は受けるはずです。私が言いたいのは、それを超えて世間の水準以上の知識、見識も持たないといけないということです。プロフェショナルはどんな場合もクライエントより一歩先を行っていないといけないからです。

毎日新聞の「縦並び社会」の特集に帰ると、現在の日本の社会において経済的に苦しんでいる人達、成功した人、別の道を見つけた人のそれぞれのケースを具体的に生き生きと報道するだけではなく、その背景にある課題を理解し説明できる高度技能は何なのだろうかということです。

それは「縦並び社会」というラベルを見つけることではないはずです。この特集記事は「縦並び社会」を仕掛けたとこの特集が考えている人の話になると急にとりわけの洞察もなく、平板になるのです。

1967年に社会人類学者の中根千枝が「タテ社会の人間関係」という本を出版したことはご存知だと思います。日本だけではなく世界でも評判になり、現在でも累計100万部以上売れているロングセラーで示された日本社会と「縦並び社会」どう違うのでしょうか。

40年たった今、日本に新たな「縦社会」が出てきているのでしょうか。実はそうなのだと私は思います。中根千江のいう日本の「タテ社会」が変容し、一部崩壊したことが逆説的に毎日新聞のいう「縦並び社会」を作り出しているのかもしれません。その流れが不況と重なった小泉政権の構造改革で加速されたのかもしれません。

そして、伝統的「タテ社会」には縦方向のモビリティがあったが、新しい「縦社会」は社会階層として固定化する可能性があることが最も重要な問題なのかもしれません。

そのようなことまで考察して毎日新聞の記者はあのシリーズを書いたのでしょうか。そうでないのなら、どこかプロフェショナルの基本訓練が十分されていないように思います。新聞社内の人材訓練体系として欠けているものがあるのではないでしょうか。ニュース・ソースを公表しないのはプロフェショナルとして当然だと思いますが、逆に、公共性をいうのであればその責任をプロフェショナルとして果たすための人材育成はどうやっているのかは公開すべきでしょう。

 前回、私はプロフェショナリズムの定義を説明し、記者も本来プロフェショナルとして行動すべきではないかということを書きました。
 ここでは、記者が何故プロフェショナルなのかをもう少し説明したいと思います。何故なら...