敗戦から民主主義を育て上げた日独が不安定化する世界に果たす責任を思う
~ドイツ訪問の帰途で~

2017年4月28日

18191548_1295202997215760_2.jpg 言論NPOの工藤です。今ベルリンにいます。昨日、一昨日とこの2日間、私はドイツ在住のシンクタンクの複数のトップや、経済界の人たち、そして政治家、特に外交系の政治家と意見交換を行ってきました。

  今回のドイツ訪問のもう一つの目的は、日本の青年会議所(JCI)が、ドイツの青年会議所と未来対話を行うコーディネートし、そこにパネリストとしても参加するためです。JCIは国際部門の名称を民間外交という名前に変え、民間レベルで、積極的な世界の課題解決に向けての動きをしたいという話だったので、私はまさにそれは言論NPOのミッションそのものであり、全面的に協力しようとしてやってきたわけです。


民主主義の本質的問題を議論

 そこの議論でも、やはり民主主義という問題が出ました。その中で民主主義の形として、国民投票をベースに国民の意見を直接的に反映させるやり方や選挙で代表者を選ぶ代表制民主主義との問題が論じられました。そして、民主主義という仕組みそのものの意思決定のスピードをどう考えていけばよいのか。かなり本質的な議論に入り、私はその中で、そうした意思決定のスピードは民主主義そのものの問題と、ガバナンスの問題を区別して考えるべきだと主張し、「民主主義という仕組みがガバナンス的な機能を発揮し、意思決定のスピードをもっと早めるためには、やはり政党政治や市民の力がより強化される必要がある、まさに民主主義の原点がいま問われている」という話をしました。

 そして、民主主義が「多数の専制」、つまり投票をベースにして多くの人たちの支持が集まった者が単なる勝者ではなく、少数の意見も理解していくということをベースにして、代表制民主主義というものが成立しており、そして三権分立をベースにした権力のチェックアンドバランスがあるということについても、かなり突っ込んで私は問題提起をし、ドイツの青年実業者の間で非常に大きな認識の合意が得られたということは、私にとっても非常に面白い、興味深い経験でした。

 さらに、このドイツと日本の二つの国は、お互いの敗戦の総括が出発点ということで、非常に似たような状況にあるだけではなく、自由と民主主義という規範の問題に関しても、共有した領域を持っており、力を合わせるべきタイミングに来ているということを改めて実感したわけです。


ドイツの大連立政権は異常事態という認識

 シンクタンクの人たちと議論した時にも、やはり同じ問題が出ました。この前のフランス大統領選では、ドイツの知識層もかなりピリピリしていたと感じました。反EUの候補二人(極右のルペン候補と極左のメラション候補)の間で決選投票になってしまったらどうするのかということを心配していた人もいました。結果はそうならなかったということで、一安心なのですが、民主主義の本家ともいえるフランスで民主主義が脆弱になり、政党政治そのものが大きく揺れ始めている。そこでポピュリズムというものの台頭を無視できない状況になっていることは、比較的政治制度が安定化しており、まだ民主主義の基盤が非常に強いものがあるドイツの知識層にも、非常に大きな衝撃となって向かってきているわけです。つまり、ドイツの人も、民主主義の脆弱性が非常に大きなテーマになるということを、多くの人たちが口を揃えていました。

 私はシンクタンクのトップの人たちに、共通した同じような設問をぶつけてみました。それは、二つの質問でした。つまり、知識層というものが、市民の支持を得ているのか、という問題。そして、政党政治そのものが国民の支持を得ているのか。この二つの問いかけでした。

 ドイツでは、「ドイツのための選択肢(AfD)」という政党が、移民問題が深刻化した2015年以降、急速に支持を増やしたと。これはまさに右派ポピュリズム政党と言えるのですが、それがドイツにとって大きな懸念になっていたのです。しかし、その後、移民政策の落ち着き、つまり2015年のように100万人も入って大きなパニックが始まるというような状況が落ち着いている中で、AfDの支持も減ってきている。

 ただ、非常に面白い話を聞いたのです。つまり、今ドイツは、キリスト教民主・社会同盟と中道左派の社会民主党による大連立政権になっている。支持率を見ても、この大連立が続けば、政治はまさに安定していると、外部から見ればそう見える。今度の9月の総選挙でも非常に安定した結果になるではないかと、私は尋ねたのです。それに対してはドイツの政治家は、違う見方をする人が意外に多かったのです。つまり、大連立組むというのはよほど異常事態であり、本来であれば民主主義というものは、与党と野党が適正な緊張関係を持つ、その中でやはり政策やミッションを共有するもの同士が連立を組むというのが本当は正しいのだということです。これからドイツの政治を引っ張っていく人たちの間に、そういう声があることを知りました。

 その認識というのは日本にとっても大きな示唆を与えていると思いました。政党政治そのものが、野合というか権力基盤を拡大するために連立を組むのではなく、政策、課題解決の一つの方向性としてまとまり、国民の支持を得ていくという考え方が、少なくともドイツでは全く歪んでいなかった。だからドイツでは大連立という今の状況は適切ではない状況に映る。適切でないからこそ、その両極で右派や左派的なかなり極端な傾向が出てくるという見方だったわけです。9月の総選挙の結果後も最終的には二つの政党が力を合わせる結果になるかもしれないが、少なくとも政党政治の中では、連立に向けた様々な動きが始まる、ということを聞いて、私は少しほっとした思いもあったわけです。

 欧州の民主主義の脆弱性はドイツにおいても関心の高いテーマでした。ドイツのシンクタンクのトップが心配していたのはフランスの民主主義の状況でした。フランスの政治というのは、まさにリベラルとそうではない保守の双方において、根幹となる理念、定義というものが揺らいでしまっている。つまり、政党というものが何の理念の下に団結して、どういった政策を打ち出すかということが分かりにくくなってしまった。それがフランスの政党政治の大きな混乱になり、そして多くの人たちが既存の政党ではない、それを壊そうとする人たち、別の意見を持つ人たちに支持が集まってしまう現象がある、という理解でした。ドイツはまだそこまでには陥ってはいないが、その状況が今後も続くのか、ということでは、自信をもってそう言い切れる人は、私が議論した中ではいませんでした。


ポピュリズムに対し力を失う議会とジャーナリズム

  まだ、カリスマ的な個人が登場しドイツの政治を引っ張って、新しい多くの支持を得る局面にはなっていない。しかしそうではありながら、ドイツの社会の中でも社会民主党とキリスト教民主・社会同盟の中で、古参の支持者がだんだん少なくなってきた。つまり、いろんなものが、政党支持から流動化し、支持者が不安定化しているという話をみなさんしていました。

 そこにポピュリズムという問題が出てきている。このポピュリズムについて、かなり突っ込んだ議論になったのですが、社会の不安に迎合する政治家がいる、社会の不安に対してはさまざまに対応が可能なのですが、それを人々のエモーション、感情に働きかけて、扇動して引っ張っていくという現象が、やはり政治形態として存在している。それがヨーロッパ全土で広がっていることが、彼らの懸念なのです。そこを抑える役割を担う議会、そしてジャーナリズムが果たしてそれをクールダウンできるか――ドイツでも同じ状況になっているのですが――について、多くの人たちは非常に懐疑的でした。議会制度、そしてジャーナリズムの役割が、そうしたエモーションに訴えて扇動して形成される世論に対して、十分に説得的な力を発揮できるかどうかについて、自信を持ってイエスと答える人はほとんどいませんでした。むしろ、SNSも含めた多様なメディアが出現し、その中でフェイクニュースが溢れ、それに利用される既存のメディアがいることによって、メディアというものが本当に真実を伝えているのか分かりにくい、ということがその背景にあるわけです。


ドイツのシンクタンクが言論NPOの独自性を評価

 私はこの2日間、朝から晩までこういう議論を、ドイツの政治家やドイツを代表するシンクタンクの代表などと行いましたが、やはりこの国は民主主義という問題をきちんと真剣に考えている、そういう基盤があるのだな、という感じを受けたわけです。そうした人たちが、みな同じように言った言葉があります。それは、言論NPOはドイツにはない大きな魅力を持っているということでした。

 それは何のことなのか、私は逆に質問してみました。単純に誉め言葉ではなく、かなり突っ込んだ議論の中でそういう話があったからです。彼らが注目したのは、言論NPOの動きは、日本の民主主義を強くするために誕生した組織だということです。つまり、そのために政権の政策の実績評価を行ったり、政党の公約の評価を実施している。こうした足元の民主主義をきちんと考えながら、そして世界の外交問題、安全保障や世界の秩序の問題に踏みこんでいる、そうしたシンクタンクは、少なくともドイツには存在しない、と言っていました。あるシンクタンクのトップに冗談的に言われたのですが、「言論NPOがメルケルの評価をし、我々が安倍政権の評価をしたらどうか」。こんな冗談のような提案が2団体からあったのです。即刻私は断りました。我々はあくまでも自分たちの国の民主主義に責任を持つべきで、そのために私たちは、市民の力をより強いものとし、社会の課題解決に取り組みたいというのが、シンクタンクとしての我々の強い思いだからです。そして今は、そうした言論NPOの取り組みが国境を越えて、アジアや世界の課題に向かって広がっているのです。

 そうした動きが世界で始まった時に初めて、そしてそうしたシンクタンク同士が力を合わせたときに、世界が行き過ぎたグローバリゼーションの改善や調整、さらには自由や民主主義を規範とした、新しい世界の秩序形成というものに挑めるのだと、私は信じているのです。

 何団体から、言論NPOの動きに協力したい、という話もありました。そうした話を伺いながら、日本とドイツは共通の問題意識を持っていることに私は気づきました。世界の秩序が不安定化する中で、アメリカだけに頼れない状況が存在し、その不安がより大きくなっている。その中で、日本とドイツの役割が非常に重要だと、改めて思ったのです。

 私は、ドイツに来て、多くの人と議論して良かった、と思っています。気候としては日本の初夏の頃、新緑に恵まれた非常に美しい都市がベルリンでした。そのベルリンは、私の大好きなベアー、熊の都市というだということも聞いて、慌てて百貨店に飛び込み、熊のぬいぐるみを5個も買いました。この写真はその時のものです。これから、日本に帰りますが、こうしたベルリンと様々な形で協力的な関係を作っていければ、と思った次第です。

 報告が一気にまとまってしまいましたが、これから私は飛行場に向かって、そして日本に帰ります。時差があるので明日、日本に着き、そしてすぐインドネシアに行き、東南アジアの民主主義の問題をインドネシア、マレーシア、シンガポール、フィリピン、そして日本との間で協議をし、その足でワシントンに向かいます。

 まさにグローバルな世界の秩序の問題、そして民主主義の問題、北東アジアの平和、緊張している北朝鮮問題、その中で言論NPOは何ができるのか、どのように多くの人たちと力を合わせて、世界やアジアの動きや課題に真剣に取り組むべきなのか。その答えを必ず見つけてきて、皆さんに報告したいと思っております。
以上、ベルリンから工藤が報告しました。

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