対談:民主主義と言論NPO~吉田徹(同志社大学教授)×工藤泰志(言論NPO)~

2021年12月16日

市民が当事者意識を持ち、日本や世界が直面している課題に向き合い自分で考え発言するよう社会をつくりたい

 言論NPOはここ数年、世界やアジアのシンクタンクと連携して、世界の民主主義の動向を議論し、世論調査などの調査を重ねています。そうした調査の中で明らかになったのは、日本を含む世界中で代表制民主主義が市民の信頼を失い、政治から市民が退出しているという構造でした。

 そこで、言論NPOは、代表制民主主義の在り方も含め、今日の日本の民主主義の仕組みを点検し、その仕組みをどのように変えていけばいいのか議論し、改善に向けた提案を行う準備を開始しています。

 今回は、その中心的な活動の一人である同志社大学教授の吉田徹氏と言論NPO代表の工藤が、世界や日本の民主主義の現状や今後、さらに言論NPOが果たすべき今後の役割について対談を行いました。

 なお、今回の対談の司会は、共同通信特別編集委員の杉田弘毅氏が務めました。

参加者:吉田徹(同志社大学政策学部教授)
    工藤泰志(言論NPO代表)
司会者:杉田弘毅(共同通信特別編集委員)


sugita.jpg杉田:言論NPOの20周年、おめでとうございます。これまで言論NPOは日本の民主主義にとって大変大きな役割を果たされてきたと思います。言論NPOが20年を迎えるにあたっていわゆる日本の民主主義が言論NPOの活動の一番大事な柱だと思いますので、これについての議論を進めていきたいと思います。


日本において、客観的な評価軸を作り検証していくことは革新的な取り組みだった

yoshida.jpg吉田:私が最初に言論NPOという組織を知ったのが「エクセレントNPO」大賞を開催・主催されているということでした。日本における優れたNPOの活動を評価するという、NPOがNPOを評価するという新しい試みだったと記憶しています。その後改めて存在感を感じたのがマニフェスト評価です。一時期、マニフェストブームがありましたが、当時、各党のマニフェストを専門家の視点からどのように評価すべきなのか、という取り組みを行っていました。

 日本の政治や経済、あるいは市民社会に欠けていることは、きちんとした評価軸を作って政策を検証するということだと思います。「エクセレントNPO」大賞にしても1998年にNPO法ができて、タケノコのようにたくさんNPOができました。この中で、どういうNPOで、何をしているのかということをちゃんと精査する。それから最初にマニフェスト選挙があったのが2003年ですが、その後マニフェストがどのような内容を含んでいて、どのように評価すべきなのか。きちんと自己的に検証するということが言論NPOのDNAになっていると思います。やはり日本社会において、より客観的な分析的な評価軸を作っていくのは極めて新しい革新的な取り組みをやられてきたのではないかと思っています。

090_037A0117.jpg工藤:実を言うと僕たちには「市民が強くならないと日本の民主主義は強くならない」という変わらない気持ちがあります。この気持ちは20年前と変わりません。ただ選挙を含めて政策を問いながら選挙自体が行われてない現状では、主権者である市民が政治をどう選べばいいのか、という点はなかなか難しいと思います。本来であれば選挙を軸に代表、政党を選んで、その代表が課題解決に向けて取り組み、それに対して次の選挙で有権者である市民がそれを選ぶという、民主主義のサイクルが回っていく必要があるのですが、そのサイクルが回っていないわけです。そうした時に、有識者・知識層は何をすべきなのか、ずっと考えました。それまでも議論はしていたのですが、吉田先生がおっしゃったように、政策を実現するためにどうしていくのか、さらに国民に対してアカウンタビリティーを果たしているのか、といった評価軸を作り、そうした評価を多くの知識層を集めて民間側でやってきました。こうした作業が、一つの流れを大きく変えたのだと思います。

 ただ、それから20年経って「良かった」と言い切れないのは、これまで毎回選挙時に評価をやっていたのですが、途中でそれが終わってしまったからなんです。

 評価をやり続けるのが非常に難しくて、なぜそんな厳しいことをやらないといけないのか、数値目標だけあっても何の意味があるのかと言われたこともありました。ただ、私たちは数値目標だけがあればいい、ということを言ったことはありません。国民にしっかりとした説明をしろ、と言っているだけなのですが、そうなってしまったんです。そしてだんだんマニフェストが従来の選挙公約に戻ってしまった。

 だから僕たちは、政策評価という一つの流れを作ったけれど、しかしそれをやりきれなかった。これから、もう一度どうやっていけばいいか悩んでいるところです。


世界中で起こる市民の民主主義への不信。市民が考え、自己決定できるような民主主義社会をつくるために必要なこととは

 言論NPOでは日本の民主主義に関する世論調査を行っていますが、市民が政治・国会・選挙・メディアに対して、だんだん信用を失っていました。その後、民主主義に関する調査をフランスなどのヨーロッパの国々を始め、世界のシンクタンクと連携して行うようになったのですが、民主主義への信頼失墜は、日本だけの問題ではなくて世界でも同じ現象が起こっていることが明らかになりました。つまり、代表制民主主義というものが世界中で信用を失っているという問題が起こっていたのです。そこで、我々は民主主義をちゃんと考えて点検しようよという段階に入っていて、まだその途上の段階です。

 我々の目線は市民がきちんと考え、一つの意思を持って自己決定できるような社会を守り続けないと、どこかで民主主義が無くなってしまうという危機感を持っているのです。だからそういうことを世に伝え続けたということ思い、20年間活動を続けてきました。

杉田:民主主義の現状の話に移っていきたいと思いますが、アメリカ国内の混乱や、東南アジアや東欧など民主化した国々でも民主主義が後退している国が出始めています。世界と日本の民主主義の状況を今工藤さんはどのように考えていらっしゃいますか。

工藤:民主主義はもう多数派ではなくなっていて、少数派と言っていいと思います。それは小さくなったのではなく民主主義の有用性、つまり民主主義が課題解決や、自分たちの生活の不安を解消してくれるとか、将来に対して本当に役に立っているのか、という疑問が湧き、その結果、多くの人たちが民主主義に対する信頼を失い始めているのは間違い無いと思います。

 バイデン米大統領が言っている民主主義と専制国家の対立というのは、中国に対して民主主義国が結束を強めようと言っているのではなく、民主主義そのものの信頼を回復させるために、民主主義国が努力をしなければいけない、という問いかけだと私は受け止めました。

 その中にあるのは、国民の代表を選挙で選ぶという政治と市民との分断が起こっているということ。つまり民意と政治が繋がっていない。直面している課題に対して政党が取り組んでいくという、課題解決メカニズムが回っていない。それは、政党の能力不足だけではなく、世界の様々な課題が大きく変容する中で、政党や課題解決のメカニズムが、課題の大きな変容についていけなくなっている、という問題が一つあると思います。加えて、多くの人たちがインターネット、特にSNSが発達していく中で、人を攻撃するような、ある意味わかりやすく非常にすっきりした発言に追い詰められていくという構造があったと思います。そうした中で今、「言論」というものが非常に動揺しているのだと思います。

 そうした大転換の中で、民主主義が活力を失っている時期に遭遇した。日本はまさに、そういう状況になっていると思います。先日の衆議院選挙でも、4600万の人が投票に行っていないわけです。世界的な分裂状況の中で、日本がどのような生き方をして、今後についてどのように考えようとしているのか、といった今一番考えなければいけないことが、選挙の争点にならないわけです。

 そのため、政治と市民の乖離がさらに広がっていく。これを埋めていくためにも、もう一度市民主体に作り替えるとか、民主主義の仕組みの点検作業を行い、直すべき点は直していくということが今始まらないと、ひょっとしたら手がつけられない状況になるのではないかと危惧しています。
 
 そうした動きが日本の社会にも今後出てこないとダメだと私は思いますし、言論NPOは、そうした役割を果たしたいと思います。

吉田:構図的に見ると、冷戦が崩壊して、リベラルデモクラシーが世界中に広がっていくのだ、という楽観的な時期がありました。ところがそれから30年が経ち、2000年代半ばにピークアウトし、新興民主国であるロシアやトルコ、中東等、一度民主化した国がどんどん権威主義化していっています。一方の古い民主国である日本を含めた西側の自由民主主義国も色々な指標を見ると、自由民主的側面からも少しずつ劣化している。その結果、非民主国だった国は民主的になったけれども、そこから権威主義的になる。それから元々民主主義的だった国もそこから少しずつ後退していっている。つまり権威主義の方にどんどん国が収斂していっているというのが大きな構図です。この点については研究者の中で色々な議論がありますが、民主主義のバックスライディング、後退や反動、危機であるという点については、多くの研究者の間でコンセンサスになっています。そういった状況に言論NPOが果たすべき役割が求められていると思います。

 本来民主主義というのは色々な側面があるわけですが、その最も重要なものは表現の自由がある、ということです。工藤代表がおっしゃったように言葉や議論を通じて何が正しいのか、何が共同体にとって大事なのかということを、平等な立場の人たちが平場で議論する。これが民主主義を実質的に厚いものにしていくわけです。そのためには、表現をする個人に加えて、場所まさにフォーラムを作らないといけない。それが実質的な市民社会の力になっていくと思いますが、そうした場がますます求められている。しかもどこの国の民主主義が良い、悪いという話ではなく、民主主義という理念をまさに鍛え上げ、その中でベストプラクティスを互いに学んでいこうというためのフォーラムがますます求められている状況だと思っています。

杉田:今、民主主義に対する不信、政治不信の中で、政治には具体的な課題解決ができていないのではないかという点が問題になりつつあります。まさに政治の本来の役割が果たせていない。言論NPOが民主主義復権のために果たすべき役割はなんなのでしょうか。


「独立したシンクタンク」という点が、言論NPOの発信力、信用力の下になっている

吉田:民主主義が安定するためにはいくつかの要素があるわけですが一つは正当性です。政治体制が正当なものだと国民に認められていること。もう一つは執行能力です。政府がきちんとその政策を公共政策として民意を転換していく能力。そして三つ目に具体的に実際にその課題を解決できるのかどうか。これが三位一体になっていて、それぞれ連関しているので一つでも傷つくとお互いに悪影響を与えてしまう、という状況になってしまいます。まさにコロナ禍がこうした問題を白日のもとに晒してしまった、というのが現状だと思います。

 こうした中でシンクタンクとして言論NPOを見たときに非常に日本の中でも稀有な存在だと思います。どういう意味かというと、独立したシンクタンクであるということです。独立したシンクタンクというのは、党派性を持たないで、しかも資金的に独立しているという意味で、何らかの組織や団体に依存していないということです。この独立性が信頼の担保になるわけです。例えばセカンドトラックとして他国のシンクタンクとやり取りをする時に、独立をしているからこそ自由にものを言えて、そこで真実を言える。客観的な分析に基づいて物事を主張できる。独立したシンクタンクというものが一つの発信力とか信用の源になっているし、もっと言えばそういうシンクタンクは日本にあるのだということ自体が、日本のソフトパワーの一つになるということが多くの関係者は認識すべきだと思います。


市民が自分で考え発言し、日本や世界が直面している課題に向き合う社会をつくりたい

工藤:私がこだわって譲れないものは、神保先生との対談の時にも触れたのですが、第一次世界大戦後のパリ講和会議の際に、ウッドロウ・ウィルソン大統領が、オープンディプロマシーが大事だと言うわけです。つまりもっと市民に開かれた外交が大事だと言ったのですが、結果としてクローズドディプロマシーなるわけです。

 大衆や一般の人たち、何もわからない人たちが色々なことについて議論をしていくと、本当にやらなければいけないことが、うまく進まなくなってしまう。知識層や政策当事者から見ればある程度、そうした認識を持っている人が多いと思うのですが、しかし私はあえてオープンディプロマシーをやりたい。

 僕はきちんと市民がものを考え発言して、様々な課題に向き合う社会を作ってみたいのです。そのために、彼らに議論の土俵を提供して色々な判断材料を提供していく。そこに立ち位置を置くということは、独立性を持たないといけないと思ったわけです。

 ある人から見ればこの運動は青臭いと思うかもしれませんが、そこには譲れない気持ちがあって、誰かが僕たちの活動を見た時に、青臭いけど確かに大事なことをいい続けているな、と思ってくれたらそれでいいと思っています。ただ僕たちは単に議論する舞台ではなく、必ず実現するために努力していきたいと考えています。

 先ほど吉田先生がおっしゃったような執行能力、統治のところに関して色々な問題があります。そういう問題に関して僕たちは多くの人と議論しなければいけない。議論の声を政治にぶつけていくサイクルを作っていかないといけないし、そうしたことに間違いなく僕たちは取り組みます。

 これからの時代、民主主義の将来は私たち自身にかかっているのです。AIの発達や、技術革新があるかもしれませんが、自分たちが自分たちの意思を持って自己決定できる社会をどのように守り抜いていくのか、そういう思いを持っていなければ、どこかでダメになってしまうと思います。青臭いと思うかもしれないけど、私たちは20年経った今でもやり続けたいと思っています。


「信頼」は無からは生まれない。信頼する振りをすることで信頼を生み出していくことが重要に

吉田:認識としても実践としても工藤代表が言っていることは正しいと思います。多くの先進国で民主主義が傷ついているのは、民主主義に対する信用や信頼がどんどんなくなっているからです。議会に対しても中央政府に対しても政党に対しても同じ現象です。自分たちの代表者を信じることができなかったら、そもそも民主主義は機能しなくなります。そうした中で、代表側、政治家側も有権者を必ずしも信用していないという悪循環になっているわけです。

 信用研究という分野がありますが、そこで言われているのは信頼というのは無からはできない、ということです。もともと社会資本と言いますが、地縁や繋がり、あるいは組織や社会の仲介によって、信用とか信頼が出来上がっています。そういうものが今衰退しているために、なかなか社会的信頼を醸成することが難しい状況になっています。そうした中で社会資本を作っていくというのは難しいため、あえて相手を信頼してみる振りをしてみる。つまり、信頼するという決断からしか信頼は生まれてこないということが言われています。そういう意味でも信用に値するかはわからないけれど、あえて信頼をしてみる振りをすることによって信頼を作り出していく。自分は信頼されているんだなと思うと、自分も相手を信頼するようになるわけですね。

 今悪循環に陥っている民主主義のサイクルを好循環に転換するために信頼をしてみる態度とか意識が大事であり、その決意は工藤代表において20年間揺らいでないんだなと感じました。

杉田:ありがとうございます。大変素晴らしい終わり方だなと思います。初めから、どうせ政治家は言ったことを実現していないんだ、自分のことしか考えていないんだ、選挙の時だけ我々の声を聞こうとしている、聞く力を持つだけなんだと思うと、そこは信頼感が生まれない。基本的には人間と人間の信頼が大事だということですね。

吉田:信頼はやはり話し合うところからしかスタートしません。お互いが平等な当事者であるという認識を持って話し合うということからしか人間社会において信頼は生まれません。

工藤:キーワードは「当事者」ですね。

杉田:そういう意味で言論NPOの20年間が提供してきたフォーラムなど、それを続けていくんだという決意は大変大事なものだと思います。