【座談会】地方の自立を阻害するグランドデザインなき道路改革 page1(会員限定)

2003年1月04日

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masuda_h040729.jpg増田寛也 (岩手県知事)
ますだ・ひろや

1951年生まれ。77年東京大学法学部卒業後、建設省入省。千葉県警察本部交通部交通指導課長、茨城県企画部交通産業立地課長、建設省河川局河川総務課企画官、同省建設経済局建設業課紛争調整官等を経て、95年全国最年少の知事として現職に就く。「公共事業評価制度」の導入や、市町村への「権限、財源、人」の一括移譲による「市町村中心の行政」の推進、北東北三県の連携事業を進めての「地方の自立」、「がんばらない宣言」など、新しい視点に立った地方行政を提唱。

kitagawa_m040616.jpg北川正恭 (三重県知事)
きたがわ・まさやす

1944年生まれ。67年早稲田大学第一商学部卒業。三重県議会議員を経て、83年衆議院議員初当選。90年に文部政務次官を務める。95年より三重県知事。ゼロベースで事業を評価し改善を進める「事務事業評価システム」の導入や、2010年を目標とする総合計画「三重のくにづくり宣言」の策定・推進など、「生活者起点」をキーコンセプト、「情報公開」をキーワードとして積極的に県政改革を推進している。

kimura_y020906.jpg木村良樹 (和歌山県知事)
きむら・よしき

1952年生まれ。74年京都大学法学部卒業後、自治省入省。和歌山県総務部長、自治省財政局指導課長、大阪府副知事等を経て、2002年現職。森林整備による環境保全と雇用維持を目的とした「緑の雇用事業」を提唱。Iターン者が100人を超す等、過疎地の活性化に大きな成果を挙げている。さらに「地球温暖化防止に貢献する森林県連合」の結成や「地方の実情にあった公共事業」の推進等、和歌山モデルを積極的に全国に発信し、地方からの構造改革を推進している。

katayama_y020906.jpg片山善博 (鳥取県知事)
かたやま・よしひろ

1951年生まれ。74年東京大学法学部卒業後、自治省に入省。自治大臣秘書官、自治省国際交流企画官、自治省府県税課長、鳥取県総務部長などを経て、 99年現職。2000年10月の鳥取県西部地震では、全壊した建物を建て替える家庭に一律300万円を補助する制度を、国の反対を押し切って設けた。住民に対する情報公開や透明性の確保、現場主義を徹底し、「ズレのない県政」の実現に取り組んでいる。

hayashi_yo020906.jpg林良嗣 (名古屋大学大学院教授)
はやし・よしつぐ

1951年生まれ。74年東京大学法学部卒業後、自治省に入省。自治大臣秘書官、自治省国際交流企画官、自治省府県税課長、鳥取県総務部長などを経て、 99年現職。2000年10月の鳥取県西部地震では、全壊した建物を建て替える家庭に一律300万円を補助する制度を、国の反対を押し切って設けた。住民に対する情報公開や透明性の確保、現場主義を徹底し、「ズレのない県政」の実現に取り組んでいる。


概要

小泉首相が発足させた道路関係4公団民営化推進委員会の議論は、最終報告に向け白熱しているかに見える。しかし、その議論の観点は、道路公団の組織改革のほかに、高速道の採算性や進捗率という経済的効率しかみていない部分的なものであり、現実的なヴィジョンに対する焦点のズレを感じずにはいられない。4知事と林教授を迎えて、将来設計を踏まえた大きな視点と、今後の議論のあり方を議論してもらった。

要約

小泉首相が発足させた道路関係4公団民営化推進委員会の議論では、民営化議論とは名ばかりに公団の組織改革の議論となり、道路建設の取り扱いをめぐって委員会は最後まで紛糾した。一方、自民党の道路族議員は「計画通り整備するのが国の責任」として真っ向から対立、テレビをはじめとするマスコミは「小泉改革 VS 抵抗勢力」の構図で頻繁に取り上げて、民営化推進委の最終報告に向け道路問題をめぐる議論は白熱しているかに見える。

しかし今、道路公団の組織改革のほかに焦点を当てられているのは高速道の採算性や進捗率という経済的効率の観点にすぎず、「公団が手がけている高速道路には、他の事業に比して優先度合いの極めて高いところがあるのに、狭い視点による議論で切り捨てられようとしている」(片山)といった懸念がある。高速道路を国の「骨格」、一番大事な公共財であるととらえるならば、その整備は「国土全体のグランドデザインをにらんで取り組むべき」(増田)ものであって、「本来は建設国債によって世代間に負担を分けながらやっていくべき」(木村)ものである。地域を良くしていこうと考えている知事であればあるほど、今の議論は隔靴掻痒、どこか焦点がずれているように見えるのだ。

「高速道路建設を待ち続けた地域に対して、非難が起きたり費用負担を課したりするのは不公正」(片山)との視点も議論は見落としている。地域の現実の対応をしていない民営化推進委には政治の公正という視点に頓着がなく、本来なら国家構造の中における高速道路の必要性と体系を考えるべき政府には健全なリーダーシップがない。

むろん地方の側に決して問題がないわけではない。「地域に『通路』をつくるとき、そこに『核』があるか」(林)が重要であり、脆弱な地域政策をどう変えていくか、これは今後の地方の課題だ。地方はその権限と責任を明確にして、中央から自立していかなくてはならないが、そのためにも「道路問題の議論を地方分権のあり方、この国の構想力という視点にまで大きく発展させていく」(北川)ことを重要視すべきである。


記事

道民営化推進委の議論をどう見るか

工藤 小泉首相直属の第三者機関「道路関係四公団民営化推進委員会」(委員長=今井敬新日鉄会長)で、高速道路建設の後始末と民営化を進めるための具体策が最終報告に向けて話し合われますが、ただ、そこでの議論に危惧を感じるのは、それが日本の将来設計を踏まえた形での道路問題という大きな議論へ向かわずに、下手をすると部分的な議論に終始しかねないということです。

言論NPOでは先日この問題について、本日ご出席の林良嗣先生ほか5人の有識者の方々と議論を交わし、3点ほどが共通認識としてまとまりました。1つは、すでに公共投資、道路整備というものが、シビルミニマムという視点から見れば80年代に達成された。従って、今後は公共投資のシステム自体を見直し、ギアチェンジしていく必要があるのではないかという点です。2つ目は、ギアチェンジする場合、低成長や少子高齢化という時代・社会状況の変化から日本の将来のグランドデザインをにらんで、そのうえで道路問題を議論しなければならないという点。さらに3つ目には、道路建設におけるシステムの組み直しが必要であって、その組み直しの役割は地方分権の視点から地元自治体に任せようという点です。

本日ここにご出席くださった4県知事の皆さんは、道路計画を継続して進めたいと考えていると一般には見られています。むろん道路計画に、賛成・反対というような単純な二項対立の議論は避けたいと思います。まずは民営化推進委の議論に対して、あるいは私が今言った3点に対して、どのような見方をしていますか。

北川 地方分権一括法案ができて2年になりますが、これは非常に大きな法律改正だったと思っています。自治体の中に、国に追随するだけという姿勢から、自己決定・自己責任による自主独立の機運が生まれ、私自身、大変喜んでいます。そうした状況の中で、道路公団民営化推進委の皆さんがさまざまな考え方を発言され、政府がそれを最大限尊重してという話が出ていますが、やはり地方の声として、国土形成の一翼を担う責任者として私たちも、積極的に議論し発言をしていかなくてはなりません。そうして、先ほどの工藤さんのお話にあったように、この議論をこの国のグランドデザイン、地方分権のあり方という視点にまで大きく発展させていく。現在はそういう大議論の絶好の機会ではないかと見ています。

片山 先ほどの工藤さんの「シビルミニマムの視点からすれば達成された」というお話を敷延して述べますが、そういった見方には異論があると思うんです。それでは今のわれわれのように高速道路が必要だというところは、どうとらえればいいのか。仮にシビルミニマムが終わったということであれば、今度は地方の判断だという話になるわけですね。国家としては、やるべきことはやったということになる。

たぶん今日ご出席の皆さんの地域でもそうだと思うのですが、今、議論されている高速道路というのは、実は優先順位がきわめて高い。道路公団が手がけて、やり玉に挙げられている高速道路には優先度合いの高いところがあるのに、それが何か一方的に民営化推進委の議論によって進捗率がどうだとか、パーツごとに区切った採算性がこうだなどという視点で切り捨てられようとしている。そこに議論のずれが見られる。仮にシビルミニマムが終わったという議論を是とした場合でも、それならば今までの国土形成のあり方、システムを大きく変えて、国がその優先順位を決めるのではなく、地方が決めるように変わらなければいけないと思うんですね。

「一般県道には何割の補助金があります」とか「農業基盤整備は何%の補助金があります」とか、それぞれ蛇口が国のほうにいっぱいあって、そこをひねると補助金が流れてくるという今のやり方を変えなければならない。つまり地方に一括して財源を渡し、その地方が優先度の高いものから効率的にやっていくというシステムに変えたらどうか。民営化推進委の議論では、今までのシステムは全く変えず、国主導で細かいことまで決めて、しかもそれを国土のグランドデザインとか国家のあり方などから切り離して、単にパーツごとの採算性や進み具合によって決めてしまう非常に子供じみたやり方を考えているように見えます。

増田 結局、何も高速道路の問題に限らず、その他さまざまな問題でも、やる自由もやらない自由も地方にないということですね。今回の議論でも、例えば地元負担論議が本格化すれば、もうやめようという話もどこかの県から出てくるかもしれません。いずれにしても、地方はやる・やらないの自由もなく、それなのに物事が決まっていくことの危うさというか、違和感は強く感じますね。

シビルミニマムが終わったという見方について言うと、高速道路をシビルミニマムの中でとらえるかどうか、そこは大いに議論があると思います。高速道路というのは、諸外国においては軍事的な意味合いからも国家の最も根幹的な構造の中に入れられているものです。わが国においても新幹線や中核的な空港、特定重要港湾と同じクラスでしょう。いわば国の骨格となるもので、その骨格をどういうふうにするかというのは、下水道などの整備とは全く別の観点から決められるものです。やるべき時にはやっていかなくてはなりません。それを単に経済的効率だけの観点から議論している国というのは、日本以外にあまりないのではないか。そういうことから考えると、今の政府のやり方は、総体としての国の強さを議論する方法としてふさわしくないと思うんですね。

本来、高速道路というのは、国が最も英知を尽くして整備を考えるべきものだと思うのですが、今の議論にそういう見方がないということがわかってきました。それならば思い切って全部地方に任せて、高速道路といえども、ある程度ブロック単位というか、そのぐらいで任せる。そして、やる・やらないの自由を地方に与える。われわれの議論がそういう方向へ変わる契機にならないかと、そんなことを思っています。

木村 先ほどの工藤さんの「公共投資を見直し、ギアチェンジしていく必要がある」という点について言えば、これは私もそうだろうと思う。今までの公共事業には、例えば10万円投資したときに7万円ぐらいの成果しか出ないようなこともあった。それを見て国民がイライラしている面もありますね。今みたいな非常に厳しい時代、10万円の投資で15万円の効果が出るような公共事業のあり方を考えていくのも重要な視点だけれども、ではその中において、高速道路がどういう位置付けにあるのかと思うわけです。

私は知事になってから、例えば港湾の埋め立てを中止したり、「ふるさと林道」をやめたり、実際いろいろな形で見直しをしてきました。ただ、高速道路というのは1つの国家の背骨、枠組みみたいなものだと私も思うので、いろいろ議論が分かれるんです。例えば、第2東名や第2名神と和歌山県の高速道路は、一緒の位置付けにあるのかどうか。これは厳密に考えていくと違いがあると思うのですが、しかし現在どんどん高速道路をつくっている中国などと伍してやっていくという視点も他方で必要ですから、ともかくわが国における高速道路の位置付けをどうするかを、まず決めるべきだと思う。

民営化推進委は、公団方式の全国料金プール制では借金が返せそうになく、路線の建設を一時凍結するなどとしている。これは手段が目的を決めている本末転倒の議論であって、むしろ「高速道路をどう位置付けるか」を国家的に議論し直す必要があると思う。10何年か昔に、こういう計画を決めたんだから絶対やらなきゃいかんという硬直的な発想も困るけれども、今のように収支相償わなくなったから凍結、というのもあまりにもプリミティブな議論ではないか。道路というのは一番大事な公共財であって、本来は建設国債によって世代間に負担を分けながらやっていくべきものですよね。それが日本の場合はなかなか苦しいということで、道路特定財源と財投を活用した公団の借金で建設し、あとは利用料金で返していくという制度になったわけですから。それがまずいというなら、世代間負担をしながら効率的にやっていく新たな方法を考えるべきでしょう。


高速道路のプライオリティー

工藤 皆さんの県では今、高速道路の建設は公共事業のプライオリティーとして、高い位置付けになっているのでしょうか。

北川 プライオリティーは確かに高いと言えますが、料金プール制で地元負担もほとんどなしという前提で考えたときに、1ケタ国道と2ケタ国道あるいは3ケタ国道を比べれば1ケタを優先するといった意味合いがあるでしょう。そういうことを、われわれは相談して、地域でも負担してやろうという区分けがしてあるわけです。だから、高速道路を一時凍結して一般財源化したらどうかという議論もありますが、高速道路はプライオリティーがかなり高く、それによって地域計画も立てられています。もしそうなったらどうなるか。三重県の場合、高速道路とともに優先度が高い地方道を含めた直轄道は100億もいかない単位でしか残らないから、できなくなる。そういう現実を、日常の業務を預かっている知事としては考えざるを得ない。「高速道路を凍結する、しかし絶対つくらないとは言ってない」というのは、現実の対応をしているわれわれにしてみれば、それは非常に荒唐無稽というか、現実を無視していると見えますね。

増田 非常に同感するところがありますね。結局、プライオリティーというのは、お互いの中での絶対的なものではなくて相対的なものですから、与えられた高速道路についての整備の条件が大きく変更されれば、それがおそらくプライオリティーにまで影響を及ぼすでしょう。

今の仕組みによる整備では、地元負担は必ずしもゼロではないけれども、かなりゼロに近いところで高速道路をつくることができる。それがもし「地元負担が出てきます」となれば、おそらくそれを与件としてプライオリティーがもう1回考え直され、変わってくるケースも出てくる。そのときは、今、北川さんがおっしゃったように、連動して全部が変わってくるから、いろいろとやらなければいけない。そこで非常に納得がいかないのは、結局、先行した地域――要するに、既に高速道路が整った地域は全くそのままにして、後に残された地域においては与件を変更して高速道路のプライオリティーを考え直せという議論があることです。その残されたグループについても、先行したグループの得たメリットを条件の中に入れて整理しないと、これは解を見出せないと思うんです。

木村 北川知事が言われた論点は非常に大事で、今の議論は「公団は民営化、道路建設は一時凍結する。しかし、まだちょっと残っているところは別の新しい枠組みでやっていく」と、ややこしいことになっている。「残っているところは別の枠組みでやるから、文句を言う者はおかしい」といった調子にさえなりつつある。けれども、例えば直轄事業に地方負担も入れてやるということになったら、世代間負担のパイがない中で、道路特定財源とか普通の公共事業の経費とか、そういう中から生み出せという話になるでしょう。そうすると、「あと残っている高速道路は端のほうばかり」とか「第2巡目のものばかりだから」などという理屈で、つくる必要などないじゃないかという議論がきっと出てくる。大きな枠組みの変換が行われようとしているにもかかわらず、「長いスパンでやってあげますよ」というようなまやかしの言葉に、地方がだまされてしまいそうな気もするんです。

むろん、これまで和歌山県に全然問題がなかったかといえば、決してそうではなくて、用地買収に反対があったりしたために建設が遅れ、「そのうち国がやってくれるだろう」と高をくくっていた面もある。それが「ハイ、ここまでよ」ということになりかかっているので大慌てしているという現実もあるわけです。しかし、この問題はもう一度原点に返って、大きな議論をしないといけない。正直、地域エゴ的な問題に矮小化されたりすると、私たちは非常に不愉快だし、そんなつもりで発言しているんじゃないのにと忸怩たる思いもある。

増田 実際、この道路はどうしても必要、というところが岩手県にもありますね。

工藤 しかし高度成長をベースとして  戦後の与件が変わったら、道路網のシステム設計をやり直す用意もあるということですか。

増田 もう用意ができないぐらい追い詰められているケースはありますね。ちょうど今度延ばす高速道路の結節点のところに、地域公団が大規模な流通業務団地をつくる準備を進めているのですが、それは横断道が釜石まで整備されることを前提にしているわけです。与件が変わったら計画は滅茶苦茶になりますし、仮に今の議論の延長で「地元負担で」などとなったら、つくるのはほとんど無理ですね。先ほど木村知事のお話にあった「長いスパンでやる道を残すんだよ」という言葉は、私から見ても、まやかしです。

工藤 片山さん、公共事業というのは完成されるまで長期のものですよね。経済的な状況を考慮しても、懸案の道路はどうしても必要だということなんでしょうか。

片山 例えば鳥取から兵庫の佐用というところまでの道路、これは中国縦貫道に接続するところで、たかだか60キロぐらいの区間を、今、道路公団が手がけているんです。しかし、それをやめられると致命的なわけです。鳥取の農産物や工業生産品は、大半が関西の大市場に送られる。今、ちょうど二十世紀梨の時期ですが、これをいかに新鮮なまま、短時間で送るかが非常に重要なんです。また、魚や、企業立地の条件もそうですね。さらに、地域イメージにもかかわってくる。鳥取にもっと関西圏から観光客を呼びたいのですが、片道4時間もかかる現状では、やはり二の足を踏む人が多い。魅力的な観光地はいっぱいあるのに、どうしても競争力が劣る。どこにも高速道路がなくて、大阪から城崎に行くのも鳥取に行くのも4時間かかるというならかまわないんですけど、ほかのところは高速道路があり、短時間で行ける。結局、鳥取は相対的にすごく劣悪な条件に置かれていて、そういう面を解消するためにも高速道路がないと致命的です。


先行道路との不公平問題

工藤 道路建設では先行したところと、残されたところの不公平の問題もありますが。

片山 これは重要な問題で、どこにも高速道路がなかったら、なくてもいいという側面もあるわけです。しかし周りはみんな高速道路ができていて、取り残されたところだけ相対的に重いハンディキャップを背負っている。その責任はどこにあるか。地元が手がけなかったから悪いんだと思われがちなんですが、それはそうじゃなくて、国土全体の高速道路のネットワークをつくるときに順番を付けた。一挙にはつくれませんから、先にやるところと、待たされたところとあるわけですね。待たされたところが今、少数の地域になって劣悪な条件を背負わされている。

道路公団を使って、わが国が高速道路のネットワークをつくったのは、一種の頼母子講みたいなものです。郵便貯金とかをみんなで持ち寄って、だれかがポンと落として、それで順番につくっていく。そういう方法でやってきて、最後、ようやく鳥取の番だと思ったら、「ハイ、講は破綻しそうだから終わりです」と。なぜ講が破綻したのか。実は先に講を使った人たちが破綻させたのに、ずっとお預けを食っていた、最後まで残った人たちが今、非難されているわけです。実に不公正です。

政治には、公正、信義、信頼というものを絶対欠かしてはいけないと思っています。民営化推進委の人たちは民主主義の産物ではありません。国民の代表ではありませんから、採算性とか進捗度合いとか、そういう数字でもって割り切れる。これは役人がよくやる手なんですけどね。役人とか評論家ならそれで済みますけど、政治家が公正、信義を失えば、国はバラバラになるでしょう。そういう意味でも、講は歯を食いしばってでも最後まで続ける、それが必要と思うんです。でも、そう言うとすぐに「40兆円はどうするのか」と質問されるわけで、ない袖は振れないから「返せない」となるんですけど、その時に私が先ほど言ったプライオリティーの問題が出てくる。私がプライオリティーと言うのは、地方が任されたときにどうするかという問題もありますが、それよりもまず、少なくとも1巡目までは歯を食いしばっても講を貫徹する。それが公正と信義の大本です。その際におカネがないというのであれば、港湾とか、空港とか、農道とか、農業基盤整備とか、いろんなハード事業の中で高速道路はどれぐらいの優先度合いなのかということを国が見極めなくてはならない。

少なくとも私のところの高速道路は、その中でもプライオリティーが非常に高いと思っています。今、国が蛇口から様々な補助金を出してるけど、そういうもの全部を一度、ガラガラポンして、優先度合いの低いものは国の予算を減らす。そして高速道路のほうに財源をシフトさせ、例えば今の道路公団なり道路公団の後継組織へ投入する。そういうことが予算編成の際のプライオリティーの付け方だと思う。それを一切やらないで、従来通りのシェアを守りながら、高速道路だけまな板の上に乗せて「無駄だ」と言っているんですね。「進捗率の悪いやつは切り捨てる」と乱暴なことまで言う。プライオリティーを間違えているんです。進捗率で切られたところでも、実は国土のネットワークから見たら非常に重要な部分もあるわけですし、それならば他の公共事業の分野を削ってでもそちらへ投入する。そういうことを考えるべきだと思う。

それから、公共事業の中だけで考えるのではなくて、予算全体で考えたほうがいいと思います。例えば、国家公務員の給与を5%削ったら4000億円ほど出てきますから、そういう予算を本当に必要なところに投入していく。もちろん高速道路に限らず、文教とか、そういうところへ持っていってもいいわけです。

工藤 それは鳥取の30人学級導入のときの考え方ですね。

片山 ええ。5%カットで30人学級を導入したり、いろいろやっていますが、そのようなことを国もやるべきなんです。国は今、予算編成が硬直化してしまっている。「今年は2割増しまで予算要求を認める」とか自慢げに言っていますが、われわれから見たらおかしな話で、そもそも予算はいつもゼロベースでやるべきですよ。必要でないものは削り、必要なもののところへ重点的にシフトする。国はそれをやらず、高速道路の狭い範囲内だけで、しかも公正とか信頼にあまり頓着のない人たちばかり集めて議論しているから、方向がずれていくんだと思うんです。

北川 公正と信義を守らなければいけないというのは当然なんですが、どうしても守れないという時もありますね。乱暴な話ですが、国が破綻したとか、そういうことが仮に起きたら、意を尽くし、誠を尽くして話をしていかないといけないでしょう。同様に、市町村の皆さんや地権者の方々と県が議論してきた道路を、一方通行でやめることはいかがなものかと思う。もしやめるなら正式な協議の場を設けて真剣に語っていかないといけない。単に高速道路とか公共事業だけの問題にとどまらず、政治行政不信が起きることを私は大変心配しているわけです。われわれは何かを始める勇気とやめる勇気を持ち合わせなくてはいけません。とりわけ、やめる時はすごく勇気がいるんです。私は、原発の白紙撤回をやりましたが、その時は賛成・反対どちらの意見にも37年間の重み、その日まで議論を積み重ねてきた地元の身体に染み付いたような、重みが感じられたものです。

これは国替えだと私は思います。片山さんがおっしゃったように、公共事業の中のアロケーションというか、シェア分けというだけでなしに、国の全体の予算のシェアも変えようということですね。その時に分権であるということです。今、地方にとって、こんないいチャンスはないと思っています。


国土の骨格とシステム設計の変更

 今の議論はドイツと対比するとわかりやすいと思います。ドイツの場合、高速道路を均等に整備してきた。講にたとえたお話がありましたが、ドイツはその講を60%のところでやめても、30%のところでやめても、道路輸送に関する競争条件は均等ということになるわけです。日本は、東京・名古屋・大阪から外に延ばす順序で整備してきました。延伸すると、アクセシビリティの高い地域がさらによくなって、最後に残ったところはいつまでたっても駄目ということになった。

実際、例えばバイエルン州などは、ミュンヘン五輪までは辺境の地でしたが、その後、高速道路によって一挙に伸びましたね。当時のドイツにとっては、入り口の物流を含めた輸送条件というのは非常に重要だった。バイエルン州はミュンヘンの北部にただで土地を提供し、BMWの工場を誘致した。周辺にはハイテク企業が張りついて、その結果南部ドイツは、中部ドイツや北部ドイツの所得を凌ぐようになった。

その意味で、私は地方側に味方をしすぎる可能性もあるのですが、ただ、公正ということを考えるなら、日本の場合、現在の高速道路でストップさせるなら、ストップさせなかった場合に注ぎ込んだであろう予算を、後発の、待たせた地域にあげたらどうなるでしょうか。ただし、今度はその予算で高速道路をつくらなくちゃいけないという縛りはかけない。予算が高速道路のためという縦割りで供給される、そういう形では市民の満足を得られる時代でなくなっています。そんなことをしていたら地域も国も倒れるから、そういう条件を緩めた形でやってみる。一般財源あるいは道路財源でやったらよろしいというんだったら、そこからきちんとこの分だけは道路のために先取りしてもらいたいということを地方が主張しても、これは1つのロジックとしてあり得るのではないでしょうか。

北川 あり得ると思います。われわれは県民を代表していますから、例えば山陽と山陰の違いはどういうことかというのを、山陰の立場で議論できる。地域のロケーションの問題で、地域エゴじゃなしに、そういったことに対してきちっとした話をどういうふうにするかということがないと、結局は矮小化された議論になってしまうこともあると思うんですよね。

 もう1つ重要なのは、日本は本当にこれができていなくて危ないと思うのですが、「通路は後、核が先」ということです。どういう見方をするかにもよりますが、高速道路をつくってきた日本の歴史の中で、大きいところと結ばれて幸せになった小さなところがあったら挙げてほしいと思えるぐらい、不幸になったところが多いのではと思うんです。

工藤 いわゆるストロー効果の問題ですね。

 ええ。そういう意味で、借金でやるのではない時にどう優先順位をつけるかといったら、地域がその「核」となる固有のもの――「通路」ができた時に、繋がった相手の都市と交換する価値を優先的に準備していて、観光や商取引に来訪する地域に対して通路をつくる。それぐらいしないと、国全体あるいは地域全体がどんどん縮小生産に陥っていくのではないかと思う。

増田 本来なら総理が国土開発幹線自動車道建設会議の会長になっているのだから、今のようなことを計画論できちっと議論して、そのうえで各省が持っている予算を整合をとって配分していくべきでしょう。それが政治力の取り合いみたいな格好で路線を張りつけてきたというか、いびつな部分があったために、結局、日本の高速道路は東京に物が全て集まってくる骨格になっている。ドイツ的な国土の骨格を今のやり方でつくるのは難しいが、そこは本当に何とかしなくちゃいけない。

工藤 その場合は、これまでのシステム設計を全部変えなきゃいけない。

 所得が上がってくると固有のものを求めるようになるんです。今まで日本は発展途上国だったから、大きなものはいいものだとマスにあこがれ、それで満足していた。でも、東京のマスの中に住んでも、人は決して幸せになれない。全国違ったものがあるから幸せなのであって、そういう時代が来ていることに、もっと早く気が付かなければということだと思います。

北川 そういうことが語られずに、採算性、合理性だけで一気に流されるということになったら困ります。私どもは地方を預かる責任者として、政府にもはっきり意見を述べ、さまざまな議論をしていかなくてはならない。そして共通の場で議論して決めていくということは、地方分権を進めていく一括法ができたときに、これは一番譲れない線だと思ってるんです。それが封鎖されるようなことがあったら、それこそますます中央集権です。

木村 1億2500万人がみんなそこそこ楽しく暮らしていこうと思ったら、やはり国家の設計を政治家が真剣に考えて、その中において高速道路は地域の発展にどう資するかを考えないといけないでしょう。

今、地方分権が進んでいこうとしているのは確かだけど、地方に対してみんな勝手に「自立しなさい」と言っているようにも思われる。例えば「交付税は減らします」「補助金も減らします」「財源は国から地方へ移転します」と3点セットのようにして言われるわけですが、実際、和歌山県をみても、大きな税源なんてないんです。交付税が減る、補助金も減る、しかし税源はない。死ねと言うのと一緒じゃないですか。だから、こういうふうな国土の基盤みたいなものぐらいは整えてくれないと困る。

例えば、先ほどの片山知事の話とダブるかもれないけど、大阪から海水浴へ行くというときに、昔は京都の天の橋立の辺りはすごく遠かったんです。その頃は和歌山の白浜へ来ていたわけ。それが今は天の橋立までは高速道路が通り、ひるがえって、白浜は「42号線(シニゴウセン)」と呼ばれるような道路のままというアンバランスが現にある。だから、こちらも同じレベルまで基盤を整えて、競争できるようにしてもらわなければいけない。

100円入ってくるから100円使いましょう、ちょうど収支が償えましたなんていうレベルの低い話じゃなくて、大きな経済のダイナミックスの中で日本をどうしていくのかという議論を、これをきっかけにやればいいんです。公社、公団の見直しだって徹底的にやったらいい。それから、発注の仕方とか、途中で工事変更があって工事費が増大することなど、これらも透明性を高めてやり直したらいいと思うんですよね。

北川 実はその時の変え方も、私は地方分権の絶好のチャンスだと思うんです。地方も反省しなきゃいけないところがありますよ、それは「タダならできるだけください」というようなことですね。だから本当にモラルハザードであって、自己決定、自己責任という国家システムをやらないといけない。知事が何かしたら意地悪の限りを尽くす哀れな中央官僚もいるけれども、そこでわれわれが堂々と発言するということをしなければダメですよ。ここまで言うと、今までの知事なら殺されているかもしれませんが。

例えば構造令の問題でも、補助金で首根っこを押さえられているから、県の土木技術者などは、みんな知事を見てなくて国土交通省を見ているわけです。それで1.5車線で十分なのに補助金交付によって無駄な4車線にしたりする。そうしないと国に意地悪をされるというんですね。こんな情けないことも、われわれは発言していかなくてはならないんです。道路公団の問題だって整備すべきは当たり前。合理化はやらなきゃいけないのに、それより先にわれわれのところへ来てというのは、順序が逆じゃないかと言いたいですね。国土全体のグランドデザインを考えて、ともに変えていくというところまで議論を拡大しないと、今の閉塞感は払えないと思います。


道路建設と構想力

工藤 先ほどの片山知事の、先行した地域とそうでない地域の公平にかかわるお話は、ある意味では非常にすっきりしている。残っている道路はつくってもらわなくては、ということだったと思いますが、これは他の知事さんも同じでしょうか。

増田 私も自分のところはやるべきだと思っていますよ。しかし全国であと残っているところをという話になると、すぐに思い浮かぶのは北海道の高速道路だと思います。その議論をやり出すと、結局、全部やるのは無駄ではないかということになるでしょう。私自身、北海道の道路についてどうのこうのと言う立場にないし、詳しくはわかりません。しかし最後までやるべきかどうか、11520キロあるいは9342キロまでやるべきかどうかという議論は、今の段階ではしてもしょうがないのではないかという気がする。少なくとも私は、今の自分の県内の高速道路は最後までやるべきだと思っていますから、他の地域も、そういうものとして全部やるべきだと。その時に、どのようなやり方で整備すべきかという問題を考えるべきだと思っています。

北川 これは、時系列で議論しなければいけないところがあるんですね。先ほど林先生が言われた、通路と地域政策の絡みで、地域政策のほうが弱過ぎるというのは、われわれは本当に議論したほうがいいと思う。しかし今の状況の中では、われわれはつくるべしという話にしておかないと、これが部分的な議論に入るといけない。われわれは対等に議論しようということで通して、経済のことも考え、地域政策も当然考え、真剣な議論をしようと。部分的な経済効率と言いますか、それだけで全部を切って、地方の声を1つも聞かずに決められることがあってはならないから、そこにはどうしても釘を刺しておかないといけない。

 では、1つ質問させてください。今、高速道路をつくるべきおカネがあるとして、それを各県でどうぞ自由に使ってくださいと言われたら、やはり高速道路をつくりますか。それとも、もっと必要な他の施策に回すことを考えられるのかどうか疑問に思うのですが、その辺りはどうでしょう。

片山 例えば道路公団でやっている60キロの鳥取道を、今までのスキームではつくらない、その代わりおカネをあげるから自由にしていいと言われたとしても、その60キロは完成させますね。というのは、60キロ区間のうちの20キロほどは、実はわれわれがやっているからです。60キロ全部を道路公団にプレゼントしてくださいなんて言ってないんですよ。一番時間のかかる難工事のトンネルの部分は、実は県が相当カネを出してやっている。それは完成させるので、その残りの部分を約束通りやってくださいと言っているだけなんです。

増田 そういう形で自由に使えるおカネがきたら、私もたぶん、高速道路をやりますね。他に福祉だとか、教育だとか、30人学級だとかいろいろありますけれども、そっちはそっちで既存の予算がありますから、それはそれとして工夫します。私のところも間に直轄部分がずいぶん長く入っていますけれども、県内の横断道は1本もありません。四国と同じぐらいの面積のところに縦貫道1本しかないので、横軸の高速道路をもう1本通しておいて、それで今の地域計画を実現しようと住民には提案します。それで今度は県民がどう判断するかという問題になりますよね。そういうふうに私が提案して、県民は違う知事を選んで、違うことをやってもらおうというふうに選択が変わるかもしれない。でも私は、今の産業政策などは横断道を前提に組み立てていますから、そう提案はしますね。

北川 私どもは、今、インターチェンジができるからというので、港で700億円ぐらい投資していて、そうしたこともあってやらざるを得ないと言っていることもある。議論と現実の立場が2つあるということをご理解願いたいです。

木村 そういう形でおカネがきたらどうするか、正直、よくわからないところもあります。しかし今、どうすれば和歌山県は発展していけるのかを考えなければならないわけです。例えば「緑の雇用事業」というのを提唱していますが、これからは工業用地を造成して、企業に来てもらってというのはなかなか難しい。そういう状況の中で、どうしていくかと考えたときに、人の移動の中から価値を生み出していくということをモットーにしようと。地域の物産をインターネットで売るにしても、最後は物が動くわけです。となれば、道路が要る。県民の中には道路なんて要らないと言う人もいるけれども、僕の中では、道路は一番とは言わないまでも、非常に高いプライオリティーの事業だということですね。

 勝手な意見かもしれませんが、私だったら市街地を縮小するためにおカネを注ぎ込みます。というのは今、どこも中心市街地がめちゃくちゃになっていて、そのために、地域を維持するおカネがパンクしていると思う。

100年後には人口が半減して昭和5年の規模になると予測されていますから、1人当たりの市街地維持費を抑えておかないと、とんでもないことになるんですね。今、市街地を100年間で半分に撤退させる方策のシミュレーションをやっていて、つまり昭和5年のレベルに収めれば、維持費は2分の1で済むわけです。

人口10万人のある都市で、旧建設省のやっている道路があと200~300メーターできれば農道と結ばれて、素晴らしい道路が郊外にさっと延びるところがあるんです。だけどそれをやらないのは、縦割り行政で全然話し合いがつかないからです。しかし完成すればますます中心市街地は崩壊し、商店や人は外へ出るばかり、残るは市街地維持コストばかりでしょう。同様のことが、おそらく皆さんのところでもあるだろうと思います。そういう意味で、地区ごとに将来プランを立てて、100年とか200年、建て替えなくていいような配置を考えた地区計画をつくることが、大事だと思っているんです。

名古屋市でシミュレーションすると、名古屋駅から栄までの中心地域の夜間人口は7万人、全人口215万人の3%しかいない。インフラがしっかりしているのに、非常にもったいない。これをせめて10%にしたらどうなるか。そのシミュレーションをすると、車の総走行台キロが40%減るという結果になる。これは何を意味するか。道路が4割要らなくなるということなんです。都心部だと半分ぐらい要らなくなる。郊外から撤退して不要となるインフラ維持のおカネというのはすごいし、2本に1本は緑道のプロムナードにできるということなんです。今、都市再生やら何やら言って都心に戻りましょうとけしかけたって、住む環境がないわけですからね。これは中小都市にも当てはまる。郊外化を促す道路に投資せずに、中心市街地の街区内の民地を美しく再生するほうに投資すれば、固有文化も復活し、また、郊外への長期的拡大維持投資が防げる。

増田 私は林先生の考えに大賛成で、「撤退のための哲学」というのを整理してみようと思っています。だれもいない山奥まで道路を延ばしたって意味がないし、ある程度集約化したり、あるいは撤退させるところは撤退させたり、その上でつなぐところはつないでいかないと、これからはそれぞれの地域が生きていきません。

先ほど高速道路をやると言いましたが、現道の国道改良とうまくつなぎながらやっていくとか、やり方はいろいろあると思います。岩手は四国ほどの大きさがあって、移動にはものすごい時間がかかりますが、例えば沿岸は沿岸でまとめて、都市のしっかりとしたまとまりをつくった上で、内陸とつなぐようなものを1本持っていないと私は駄目だと思う。高速道路を軸として1本つくっておいて、その上で都市を集約化していこうかと思っています。

 撤退すれば、効果が出るかと思います。

増田 ドイツの都市なんか、まさしくそうでしょう。

北川 構想力の問題ですよね。だから、国家の大構想があり、つくり替えをやって1000年持続する町をつくろうという形になれば、われわれはそれに乗りましょうということなんです。そうして初めて高速道路をどうしようかという議論になるはずなのに、部分だけの議論をしているから、地域を代表する県知事の立場として、そこは議論を広げてという対応が要る。林先生の議論は当然頭にあって、私なども「地域を完全にエクセレントゾーンにして」などと考えている。そういった持続可能な町づくりに切り替えていかないと、もたないと私も思いますよ。

しかし、先ほどの林先生のお話、国土交通省と農林水産省で数100メートルの道路もくっつけられないというのは縦割り行政の本当に哀れなところで、それは政府が先にやるべきなんです。そういうことも全部整理することを、私は提案したい。

工藤 そこまでやるのは民営化推進委では無理ですね。むしろ、ここだけで議論を進めることに限界がある。

片山 民営化推進委は道路公団の組織改革が役目ですからね。それを徹底してやられたらいい。道路公団はいろいろ問題を抱えていますよ。何より透明性がない。あらゆる組織は透明性を持たなきゃいけないし、そこから初めて説明責任が出てくるでしょう。そういうことを徹底的に改革してもらいたい。

けれども民営化推進委の方々は、先ほどの公正さなどについては全く頓着がないし、地域の幅広いさまざまな問題を議論しましょうということにも不向きですよね。だから高速道路の必要性とか体系をどうするかというのは、別の土俵で考えなくてはいけないし、本来なら政府がきちっと健全なリーダーシップを持って考えなきゃいけないと思う。9342キロが本当に正しいかどうか、見識があって説得力のある政府なら、私は見直したらいいと思う。だって計画してから何10年もたっていますから、ひょっとして9342キロの中に要らないものがあるかもしれないし、場合によっては国土構造の変化によって必要なものが新たに出てきているかもしれない。そういう点を考えながら、どこにあとどれぐらい必要なのかを整理する。その上で、スリム化した、立ち直った道路公団がどこまで担えるかということです。担えるところはやるし、担えないとなれば、必要に応じて公的資金を注ぎ込んだらいい。その公的資金は、予算の今のやり方を変え、プライオリティーの低いところから必要なところへシフトさせるという原則の下にやったらいいと思う。

今、私が言ったような議論は、政府の中では一切ありません。それから、先ほど林先生の言われたことは、これからの重要課題だと思うんですよ。それは、その人口10万人のある都市だけではなくて、われわれのところもそうだし、みんな考えなければいけないことです。しかし、そのことと、今つくりかけている高速道路を最後までつくるのかということとは、その優先順位を決めなさいと言っても、ちょっと次元が違います。つくり続けて、あと少し投資しすればできるというところはやったほうがいい。だけど、林先生の言われたことも重要だから、それは別途考えるべきことだろうと思います。

【座談会】地方の自立を阻害するグランドデザインなき道路改革 page2 に続く