パブリック・ディプロマシーと言論外交 Vol.2

2014年3月27日

2014年3月27日(木)
出演者:
川島真(東京大学大学院総合文化研究科准教授)
田中均(日本総研国際戦略研究所理事長)
宮本雄二(宮本アジア研究所代表、元駐中国大使)

司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)

 「世論」を無視した外交ができなくなりつつある現在、世論の中にナショナリズムやポピュリズムの傾向が強く出てきている。浮ついた世論ではなく、健全で課題解決に向かい合う「輿論」に基づいた外交を東アジアで展開していくために民間は何をすべきなのか――


工藤泰志工藤:言論NPO代表の工藤泰志です。さて、言論NPOでは3月29日にアメリカ、韓国、中国、シンガポール、イギリスの識者を集めて「東アジアの紛争を回避し、平和的な環境づくりのために、民間に何ができるか」というテーマで、国際的なシンポジウムを開催します。言論スタジオでもこれまで「民間外交」というテーマで議論を行ってきましたが、シンポジウムに先立ち、今日はこれまでの議論の一つの集大成にしたいと思っています。

 それでは、ゲストをご紹介いたします。まず、宮本アジア研究所代表で中国大使も務められた宮本雄二さんです。続いて、日本総研国際戦略研究所理事長の田中均さんです。最後に、東京大学大学院総合文化研究科准教授の川島真さんです。

 さっそく議論に入ります。現在、ナショナリズムやポピュリズムの風潮が強まる中で、政府間外交が十分に機能しないのではないかといわれています。私たちが以前、有識者アンケートを実施したときに、「政府間外交だけでは、ナショナリズムが過熱する中で、平和的な環境づくりや紛争回避のために取り組みを行うことは非常に難しいのではないか」と質問したところ、「難しい」と答える人がなんと8割もいました。この状況をどのように考えればいいのでしょうか。また、政府間外交そのもののあり方に何か大きな問題が生じているのでしょうか。


「輿論」に支えられた外交の重要性

宮本雄二氏宮本:現在、政府間外交が国民世論の大きな影響を受ける時代に入っていますが、これは日本だけではなくて中国などでも同じ状況です。つまり、国民の支持・サポートがないままに外交を行うということは、非常に難しくなってきているのです。そこに、ポピュリズムやナショナリズムという国民感情に関する問題が絡んでくると、世論を背景にした外交はますますやりにくい状況になってきていると思います。さらに、中国に関していえば、外交上、非公式なかたちで事態を打開していく、という旧来のメカニズムが弱くなってきています。それも政府外交が困難になってきている一因だと思います。

田中均氏田中:おそらく以前よりも現在の方が、外交における民間の役割が大きくなっていると思います。外交そのものは基本的に政府の専権だと思います。政府は十分な情報と、権限を持って行動しますし、国の利益というものがかかっているわけですからそれは当然だと思います。しかし、宮本さんが言われたようにどの国でも状況は同じなのですが、国内世論において、非常にナショナリズムが強く、内向きな傾向が出てきている。なおかつ、政治家の大衆迎合的な意識が非常に強くなっている。以前は、国内に非常にナショナリスティックな感情が生じてきても、政治家や有識者が「いや、そういう方向で考えるべきではない」というある程度理性的な議論をすることによって抑えていた部分がありました。しかし、今はポピュリズムの風潮が高まる社会の中で、それを抑えるどころか迎合し、かつナショナリズムを煽っていくような雰囲気がどの国でも出てきてしまっています。

 ですから、今必要なことは、「民間」、とりわけ有識者の役割は何か、ということを考えなければならないということです。今、求められる一番大きな役割は、理性的な外交を進めていくために必要である健全な基盤をつくる、ということだと思います。一般の国民世論というのは、新聞などから断片的な情報を得て、「嫌いだ」という感情が先立ってしまうわけです。しかし、一定の分野で経験を持った有識者の人たちは、「これはこう考えるべきだ」という議論を国内で行うことによって、冷静な世論を喚起し、民間という基盤をしっかりとした強固なものにするという役割を果たすべきです。外交についての理解を深めたり、あるいは特定の政策についてレコメンデーションができるような強い民間の育成のために、有識者はそれぞれの国内で議論をリードする必要があると思います。

 とりわけ中国の場合は共産主義体制ですから、民間レベルの人々が役割を果たすには限界があると思います。しかし、民間というものは国境を越えると思うのです。アメリカやヨーロッパなど色々な国の人々が一定の合理性をもった議論をし、その成果をそれぞれが国に持ち帰り、その国の政策決定のプロセスに影響を及ぼしていく、ということがあります。中国の有識者も同じで、彼らが議論の成果を持ち帰り、中国の国内で一定の役割を果たしてくれるのではないか、という期待を持っています。

 ですから、民間外交の役割は、国内に政府間外交を行っていくための基盤をつくっていくこと、そして、それぞれの国で政策決定プロセスに影響を与えていくこと。この二つが極めて大事だと思います。

川島真氏川島:「民間」と聞くと、何かそこに正しい答えがあるかのようなイメージを持つこともありますが、まず、押さえておかなければならないことが2つあります。一点目は民間そのものがある種の暴走をしてしまうことがあるということ、もう一つは民間という概念が単数ではなく複数で、非常に多様なものだということです。

 一点目について、京都大学の佐藤卓己先生が言っていますが、もともと日本語には「輿論(よろん)」と「世論(せろん)」という二つの言葉が別々に存在していて、「輿論」の方が健全な議論で、「世論」の方は浮ついた感じのものという分類ができます。外交を進めていく上で「国民の声」を重視しなければならないというのであれば、やはり、落ち着いた「輿論」というものをどう育てるのか、日本と海外の「輿論」同士の対話をどうするか、ということが課題になると思います。

 二点目は、日本は民主主義国家ですから、色々な意見があっていい。そして、色々な意見があるということは、外交に色々な意見を反映していくための基盤になるし、多様な対話を行うための道具にもなる。つまり、世論を一つに絞り込むことなくやっていく、ということが大事だと思います。

工藤:これまで外交は、基本的には政府の専権で行われてきましたが、これからはやはり世論に支えられないといけない。しかし、世論はなかなか理解してくれない。しかも、気まぐれだったり感情的であったりする。そのため、今まではおそらく、交渉の過程をなるべく世論に知られないようにしながら、最終的には世論が納得できるようなストーリーをつくり上げていく、というような外交過程だったのではないかと思います。しかし、インターネットや様々なメディアの発達に伴い、その過程がすべて国民にさらされるような状況になってきた。その結果、昔の秘密主義的な外交ができなくなる。そうなってくると、きちんとした議論に基づいた「輿論」に支えられないと、外交そのものがうまく進まなくなるのではないでしょうか。

宮本:「世論」と「輿論」の違いはものすごく大事です。私は、社会の中で輿論を形成する人の割合はそんなに多くないと思います。その人たちがいくつかの極というか柱を立て、そこに考え抜かれた意見のまとまりができてきて、社会に影響を及ぼして「輿論」というかたちになっていく、というプロセスが大事だと思います。ですから、まず、有識者の間の議論を豊かにする。そこで極端な意見を削ぎ落としていくと、徐々に「輿論」に向かう流れができてくる。

 言論NPOの一番大事な役割というのは、そのための場を設定することだと思います。日本社会は、簡単に一つの方向に向かい、その方向と違うことを言いにくい雰囲気をつくり出す同調圧力の強い社会です。しかし、それではいけないので、様々な立場から自由闊達に意見を行える場をつくり上げ、そこでの議論を国民の方々の参考にしていただく。それによって、輿論が強いものになっていくのだと思います。迂遠なようですが、これが王道ではないでしょうか。

工藤:現在、「輿論」がなかなか表に見えてこない、つまり、課題を解決しようという意思に基づく声が聞こえにくくなっているような気がしますが、いかがでしょうか。

田中:工藤さんが言われたように、冷戦時代はそもそも日本にはあまり選択肢はなかったのです。日本の国内でイデオロギーの対立があり、世界でもイデオロギーの対立があった。その中で、日本はアメリカとの関係を最重要視して、それに基づいた行動をとっていけば大きくは間違わなかった。なおかつ、国内では自民党の事実上の一党体制でしたから余計に選択肢はなかったのです。ところが、冷戦が終わり、アメリカの一極支配体制の時代も終わった現在というのは、日本にとってものすごく選択肢が増えた状況だと思います。

 例えば、「どういうところに価値を置いて中国との関係をつくっていくか」ということについても、実は色々な考え方がある。以前のように、アメリカと一緒に共産主義国・中国を抑え込んでいく、あるいは、ODAを使いながら友好国・中国との関係を構築していく、という少ない選択肢が存在していた時代ではなく、日本が10年先、中国とどのような付き合いをしていくのかということについて多くの選択肢がある。ところが、この選択肢について、国内で十分議論がなされていない。そういう状況の中で政府が外交をするといっても、果たしてどういう外交を行うのか、はっきり見えてこない。今は非常に、国内の保守的、ナショナリスティックな意識が安倍外交のもとで増幅されており、中国との関係はかなりささくれ立っている。しかし、「それでいいのですか」と問いかけるような議論が、輿論をベースになされていない。その背景には、メディアも色々な意味で政府の行動に影響を受けているということがあるのだと思います。日本がきちんとした外交を進めていくためには、そういう議論が基盤としてないと、きちんとした選択もできないと思います。

 そして、宮本さんが言われたように、一般の国民はメディアから影響を受け、自分の感情に基づく意見をつくっていくので、感情的、情緒的になりやすい。そういう中で、有識者の役割というのは、情報を持ち、考え方の基準などの知見を持ち、どういうことが可能か、何が大事かということを、社会に対して語りかけていくという役割がある。常日頃から諸外国と議論し、なおかつ知識とか情報を持った上で意見を述べるということが、有識者に求められていると思います。

川島:実は今、専門家の地位がどんどん下がっています。その背景には、世の中で「分かりやすいこと」が持て囃され、話が分かりにくい専門家は非常に疎まれてしまうということがあります。特に、今は選択肢が非常に広いので様々なシミュレーションが可能なのですが、それを専門家が言い始めると余計に話が分かりにくくなってしまい、一般の国民から見ると、ますます専門家が遠ざかっているように感じてしまうわけです。

 加えて、専門家自身は社会とあまり対話したがらないという傾向があります。ですから、言論NPOという場に専門家の知見を引っ張り出し、それを分かりやすく解きほぐしながら伝えることができれば良いと思います。


単なる広報宣伝ではなくなったパブリック・ディプロマシー

工藤:色々な選択肢がある中で、民間の力、つまり民主主義の力というものが非常に問われる段階に来ていると感じています。ただ、この世論の問題を考えるとき、外交の分野では「パブリック・ディプロマシー」が話題に上がります。つまり、自国の考え、政策を相手国の世論に訴えていくという政府が行う広報宣伝外交です。この世論対策としての広報宣伝外交は、中国が特に力を入れていますが、日本も行われており、お互いに宣伝し合っているような外交だけが見えているため、世論側から見れば結局何が問題で、どうしたいのかがなかなか見えないという状況が続いています。このパブリック・ディプロマシーとして展開している政府の広報宣伝外交の現状をどう考えればよいのでしょうか。

宮本:先ほどから議論になっているように、外交というものがますます国民の手に移ってきている。古典的な外交は、相手国の外交官に理解してもらえればそれで十分だったのですが、民主主義が進展して外交に参画する人が増えれば増えるほど、その人たちにも分かってもらわなければ自分たちの外交政策の効果はなくなってくるわけです。それが、パブリック・ディプロマシーが重要性を増してきた一因だと思います。

 ところが、政府がやるパブリック・ディプロマシーには限界があります。相手は一般の国民の方々ですので、政府の言葉、手法で色々と伝えようとしても、なかなか伝わらない。そこに大きな限界があるのです。そもそも、区役所の広報などを見ても住民に上手に伝えようという意識はそんなにありませんよね。技術的な問題もあるかもしれませんが、どうしても政府、役所にはそういう意識があり、パブリック・ディプロマシーが成功しない一番大きな理由ではないかと思います。

田中:パブリック・ディプロマシーにはいくつかの側面があると思います。一つには、政府だけを相手にしては効果が薄いので、相手国の国民に対して直接語りかけることが必要ではないか、ということがあります。例えば、「尖閣諸島についての日本政府の立場はこうだ」という説明ができるのは政府しかいない。責任をもって相手国の国民に語りかけることが必要だと思いますし、例えば第三国で中国政府が何かを言ったときに「それは違うよ」と反論できるのはやはり政府だと思うのですね。

 しかし、それはごく限られた部分の話です。それ以外の日本の色々な考え方を相手国の国民に説明していくことは、政府が政府の言葉、手法でやったとしても上手くいかないと思います。相手国の懐深くに入り込んでいって、色々な議論をしながら、自分たちの考え方を相手国の国民に伝えていく、ということが必要で、これも、パブリック・ディプロマシーの一つの大きな側面だと思いますが、これは民間が主体となってすべきことであって、政府が直接することではないと思います。ここでの政府の役割はファシリテーターであって、知識人なり学者の人たちが相手国に行って議論できる場を提供することを中心とすべきです。

 さらに、パブリック・ディプロマシーというのは、もっと国民の生活に身近なところに関わっていくという要素もあると思います。例えば、私は大学で教鞭を取っていますが、そこには多くの中国人留学生がいる。彼らのほとんどは「日本に来て、本当の日本が分かってよかった」と言う。これはパブリック・ディプロマシーの最たるものです。お互いの国民が行き来し、相手の国で学ぶことによって理解を深めていく。文化交流もその手法の一種だと思いますが、こういうものもパブリック・ディプロマシーだと思います。

 そういう、三つの違うレベルのパブリック・ディプロマシーがあると思うので、十把一絡げに「政府の広報宣伝だけがパブリック・ディプロマシーだ」と言われると、「それは違うのではないか」と思います。

工藤:宮本さん、中国の「パブリック・ディプロマシー」についての考え方は、現在も広報宣伝であって、それは変わってきていないのでしょうか。

宮本:相手側に伝える人間をもう少し多様化していこうというのが、中国のパブリック・ディプロマシーの新しい傾向です。すなわち、それまで単に政府が中心になっていたのを、それ以外の方々にも分担してもらって、それぞれの言葉で伝えてもらう、という意識になってきていると思います。

工藤:川島さん、パブリック・ディプロマシーなり政府の広報宣伝外交というものが、定義も含めて色々と出てきているのですが、そういう「揺らぎ」をどのように考えていけばいいのでしょうか。広報宣伝外交しかないと思われている中国でも、習近平さんが周辺外交についての演説の中で「民間外交」という言葉を新しく入れてきているという状況をどのようにとらえればよいのでしょうか。

川島:中国の言う「民間」は、言葉としては正しいのですが、もともと「公的な民間団体」というものがあって、そこが、外交部ができないような人民、民間の友好交流を担ってきたわけで、それを「民間」と称しています。かつては相手国の友好人同士だけを選んでその民間交流をやっていたのですが、もう少し対象を広範にしていこうというのが最近の方針だと思います。領土問題など色々な問題で、中国に対する誤解や反発があるということは、中国自身も分かっているので、相手国政府に対する外交交渉だけではなく、一種の宣伝をやりながら、実際に一般国民に対する説明を行っていこうとしているのだと思います。

 ただ、これからの新しいパブリック・ディプロマシーは相手に寄り添いながらやっていく必要があります。政府が国内でやっているのと同じ広報宣伝を外国でやっても成功するはずがないのであって、相手の立場、目線に即して何を伝えるか、ということを考える必要があります。それはやはり政府の力だけでは無理なので、民間の働きがポイントになるわけです。特に、先ほどから議論になっているように、国内世論の活性化と相手国世論の活性化、そしてそれを結びつけるということを同時にできるようにすることが重要です。

工藤:つまり、日本国内で社会の課題解決を目指しているきちんとした輿論があり、それが国境を越えて相手国のきちんとした輿論とつながって課題解決に向かっていく、という流れですね。そういう流れを目指して、言論NPOは「言論外交」という言葉を提案しています。

宮本:やはり、「輿論」と「世論」の違いを意識することが大切です。パブリック・ディプロマシーといい言論外交といい、それは輿論同士の外交なのです。日本の輿論と外国の輿論の対話・交流によって物事が出来上がってくる。それを期待して私たちは動こうとしている。国内に課題解決を視野に入れた議論があり、外国にもそういう議論があり、それらが交流することによって本当に物事の解決に向かっていく。そういう前提として、私たちは「輿論」というものをもう一度見直して、これを強くしないと、この「言論外交」の成功も難しいのではないでしょうか。


物事を大局的に見て、別の角度から議論できるのが民間

工藤:東アジアで政府間の外交が停止しているわけですが、危機管理は喫緊の課題となっています。一方で、世論に支えられる外交が求められている中で、世論の中にナショナリズムやポピュリズムという傾向が出てきている。こういう非常に複雑な状況の中で、私たちは民間としてどういうかたちで課題解決を進めていけばいいのでしょうか。

田中:私は、ツールとしての民間外交というものがあると思っています。今の東アジアで最大の問題は、政府間に信頼関係がないということです。尖閣問題、靖国神社参拝問題、経済のルール作りの問題など問題は山積みになっていますが、その根底にあるのは政府間で信頼関係が欠如しているということです。その中で、信頼関係を強くしていくためには、政府の役割よりも民間の役割がものすごく大きくなってくると思います。日中関係、日韓関係においては、これだけ相互依存関係が強くなると、国民一人ひとりがステークホルダーになってきます。そうなると、経済、観光、民間交流などのレベルを上げていくことで、政府の外交政策を変えていくという面が出てきます。ですから、ツールとしての民間外交、地方交流、経済交流というのは、これから東アジアの信頼関係を回復していくためには非常に重要なポイントになってきます。また、まさに言論NPOが「東京-北京フォーラム」などでやっていることですが、相手国の国民との間で相互理解の程度を深めていくということを毎年続けていくことによって、それが、政府が外交を再開するための一つの大きなきっかけになるのではないかと思います。

 さらに、政府の外交を支えていく国内の世論というものは、ともすれば感情的になったりナショナリズムが高揚したりするので、それを一定のより健全な枠の中に抑えるために、民間、とりわけ有識者が果たす役割は大きいと思います。先ほど、川島さんが言われたように、現在、専門家というものの地位が低下している。テレビに出てくるコメンテーターが浮ついたエンターテイナーばかりで、非常に短絡的な言葉で説明や解説をすることが多い。その結果、どんどん国民の世論も粗いものになっていく。ですから、民間の有識者は、きちんとした情報をもって、外交についてどのような選択肢があるのか、ということについて、一般の国内世論がきちんと理解できるように役割を果たすべきです。
 
川島:東アジアの場合には、主権に関わる問題をめぐって、各国の国内世論がかなりヒートアップしています。ですから、課題の解決とはいっても、そもそも何を以てその課題の解決とするのかというセッティングの部分が大変だと思います。その背景には、それぞれの国でつくられているストーリーも、依拠している事実もかなり違うということがあると思います。ですから、まず有識者レベルでいいので、最低限の共有すべき知識なり情報なりをつくっておく。「ここまではお互い同じだ」という共通項をつくるということです。言論NPOはすでに日中間で「不戦の誓い」を発表しましたけれども、国民、あるいは有識者も含めた意思として「これだけはやらないでくれ」という最低のボトムラインというのがあると思うので、そこをきちんと示す。つまり、信頼関係をつくる大前提として、あるファクトを共有し、最低限のラインを確認し合う。私はそれが最初の課題だと思います。

宮本:例えばアメリカでは、国務省の中に、実際の政策を進める部門と、中長期的なポリシー・プランニングの部門があり、その両者は緊張関係にあります。ですから、まずそこで厳しい議論がなされる。そして、国務省から上がってきた政策は、ホワイトハウス、国防総省など色々なところからチャレンジを受けて、それが政府の政策になる。その後、世論、シンクタンク、学術界などからの厳しい挑戦を受けて、アメリカの政策というのが出来上がっていくのです。それに比べると日本の政策立案過程は、とてもシンプルで、ごく少数の人間によって決まっている。私が外務省に勤務していた頃、「これでいいのだろうか」と慄然とした思いになったことがあります。

 ですから、民間外交の役割を考えると、例えば、政府の外交政策以外にも選択肢があるということを、シンクタンクなどの民間側から提示できれば、本来は理想的だと思います。

 また、政府の外交が進まないという状況になったときに、それを進めるための環境整備でも民間は力を発揮できると思います。さらに、領土問題など主権が絡むような問題の解決は非常に難しいといわれていますが、ロシアと中国など、色々なところで領土問題そのものを政治や外交の力で解決した例もあります。視点によっては解決の道筋が出てくることもあるのです。政府とは少し異なる視点を持っているのも民間だと思いますし、そういうことも含めて、民間外交が活躍する余地は大いにあると思います。

工藤:政府間外交が主権を争っていると、それにメディアが呼応して、さらに国民感情が煽られれば、何か偶発的な事故が起こると紛争にまで発展してしまう危険性もあります。そういう状況の中で、全然違うアジェンダを設定する、例えば、「不戦の誓い」をして、一般の市民が分かるような言葉で「戦争をしない」という世論をつくることができた場合、主権の争いをベースにした緊張関係の中にも冷静な空間をつくることができるのではないか、それこそが民間の役割ではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

田中:領土問題、歴史認識問題など、すぐれて主権的な解釈が必要な問題では、民間ができることは少ないと思います。尖閣の領有権については政府がきちんと主張する。しかし、それは相手国も同じですから、それだけをやっていても解決できるわけがない。ですから、それ以外のところでカウンターバランスできる力とは何だろうか、ということを考える必要があります。

 私の好きな言葉で「大きな絵を描く」というものがあります。領土問題で確かに対立はある、けれどそれ以外のところで一体どういう未来が日中間にあるのだろうか、どういうWin-Win関係があるのだろうか、そのための課題はどういうものだろうか、と大きな絵を描きながらアジェンダセッティングをするのは、民間の役割のような気がします。政府同士が、尖閣で激しく主張の応酬を繰り広げているときに「いや、他にもアジェンダはあるのだ」と言ってもなかなかその方向には動かないので、大きな絵を描くために民間が主導してアジェンダをつくっていく。例えば、2020年というのは中国にとっても日本にとっても非常に重要な年になりますが、2020年において、両国にとって最も良い「絵」は何なのだろうか、ということを民間で議論をする。そのプロセスの中で、例えば経済のルールづくり、エネルギー協力、信頼醸成措置など、様々なアジェンダをぶつけることによって、国民のレベルでも「日中関係には実はとても多くのアジェンダがあるのだ」と思わせる必要があります。領土問題や歴史認識問題になると、双方の国民感情がどんどん加熱し、ナショナリスティックに相手とにらみ合う。そして、週刊誌の中吊り広告の見出しにあるような、聞くに堪えない言葉で相手を罵倒するようになってくる。それに対するカウンターバランスを、ぜひ民間には担っていただきたいと思います。

川島:民間という場で議論すると、色々な側面がある「国益」の中で、一体何が大事なのか、ということが見えてくると思います。もちろん、領土もきちんと守るべきなのでしょうが、例えば、国民全体の富を増やして、豊かになる、ということも国益だと思います。そういう中で、現在の国民にとっての国益はどのようなもので、どういうところに国民は期待をかけているのかということを示していく。そうすると、日中関係の中で、尖閣問題以外の、何か違う「すべきこと」もたくさんあるのではないか、我々が躍起になっている尖閣問題は実はたくさんある課題の中のごく一部にすぎなかった、ということも見えてくるかもしれないわけです。ですから、このようにして民間は民間なりの目線でもって、民間なりの国益観のイメージを提示していくことによって、ある種のプライオリティを示していくことができるのではと思います。

宮本:日本の社会というのは、何事においても細部に入っていってしまい、それだけを取り上げて黒か白かを判断したがります。その個別の局面ではそんなに間違った判断はしていないと思いますが、その局面からすっと引いて全体を眺めてみたときに、また別の視点が見えてくることもあります。そして局部的な判断が間違っていることが分かるのです。田中さんと川島さんがおしゃっているのは、まさにそういうことだと思います。全体の中でもう一度考えてみたらいいのではないでしょうか。


重要なのは多様な議論を担保し、「輿論」が機能するための空間づくり

工藤:北京コンセンサスで「不戦の誓い」を出したときに、戦争への道を開くような行動は絶対にやめようという輿論による合意を、色々なかたちで伝えることだけでも、政府間外交を見直す契機になるかもしれないと思ったのですが、政府間外交と民間外交の連携プレーにはなかなか進みませんでした。

宮本:当然、連携はできる場合とできない場合がありますので、このまま自然体で取り組みを続けていけばいいでしょう。去年の北京コンセンサスと不戦の誓いは、当時の両国社会の世論の状況が、相手国に対する批判一色だった中で、「戦争はやめよう、平和的に物事を解決しようじゃないか。それが日中両国の共通利益だ、我々のやるべきことだ」という日本人のグループ、中国人のグループが合意をして、文書にして発表したこと自体に大変大きな意義があったのです。中国にもそういう人がいるということが日本の人に分かるし、中国人も、そういう日本人がいたということを分かったわけです。そういう意味でも、これ自体が非常にしっかりした民間外交だったと思います。

工藤:私たちは「不戦の誓い」という民間から出てきた合意が、もっと多くの人を巻き込みながらきちんとした世論になり、それによって政府間外交の環境づくりに寄与するようにしたいと考えているのですが、どういうふうにこれを進めていったらいいのでしょうか。

田中:私は、「不戦の誓い」というのは非常にシンボリックな言葉だと思います。このように日中が対立し、欧米も含めて多くの国が、「ひょっとしたら日中が軍事衝突するかもしれない」と懸念する中で、「不戦の誓い」という言葉をシンボリックに使うと、「日中関係はものすごく大事で、そのもとで取り組まなければならない課題がたくさんあるのだから、戦争などやっている余裕はない」という世界を安心させるメッセージになっていくと思うのです。

 ですから、これから「不戦の誓い」のもとで何が日中共通の利益になるのか、そのために何をやる必要があるのか、じっくりと議論されていくことになるのではないでしょうか。世論調査で「中国が嫌いだ」という日本人が8割に達してしまうというのは、どう考えても健全な状況ではない。そこで、日中間でこういう世界をつくっていくと双方にとってWin-Winになります、という大きな絵を提示しないと、感情に先走っている国民は納得しないと思います。ですから、民間の有識者の方々が「こういう未来があるよ」と具体化していくということが、大変大事なことだと思います。

川島:言論NPOがこれまで進めてきたことや、昨年の「不戦の誓い」は、それ自体がパブリック・ディプロマシー的効果を持っていると思います。今後の課題としては、そういったものをどのように世界に見せていくのか、また、英語でどのように発信するのかということもあるでしょう。また、ゴルバチョフが「信頼せよ、だが確認を怠るな」と言ったように、不戦の誓い自体も、一回きりにしないで何度も重ねてやっていくということもあり得ると思います。

 また、世論調査では、日中双方が相手を嫌っているという結果が出ていますが、二段構え、三段構えと深堀していくと回答が面白くなると思います。例えば、「嫌い」と回答した人に対して、相手国が「大切だと思いますか」とか「重要だと思いますか」と聞くと、かなり肯定的な答えが返ってきます。つまり、「嫌いだけど重要だ」という、ある種の潜在的なマーケットがあるので、そういう人たちをうまく拾い上げていくことができれば、まだまだいろんなことができるような気がします。

工藤:この危機をきちんと乗り越えて、東アジアに平和で安定的な秩序をつくり上げることを非常に多くの人が期待している。これは国際的な世論になっていく可能性があるわけですよね。

宮本:間違いなくそうですね。そのような秩序をつくることが世界にとっても必要です。今回のシンポジウムでも、それを多くの人に発信してもらう。それも一つの立派なアジェンダ設定です。多くの人たちの声を通じて物事を平和的に解決する方向に国際的な輿論を持っていき、東アジア地域における共通理解にしていくこと自体が、中国との関係でもより積極的な意義を持つと思います。

工藤:外務省など政府だけではなく、国民が当事者として、今ある色々な課題に関してどう考えていくのか、ということにきちんと向かい合い、課題解決の意思を持った建設的な一つの流れが出てくると、本当の意味で日本の外交が強くなると思うのですが、いかがどうでしょうか。

田中:そうだと思います。今は歴史認識問題に直面する中で、海外から見ても、あるいは国内から見てもそうかもしれませんが、保守、ナショナリズム一色だと見られている。日本は多様な意見をもっていて、戦後は平和国家として立派な歴史を持っている、と海外は思っているわけですが、国内ではそういう論陣を張る人があまりいない。多様な意見をきちんと国民の目に触れさせるためにも、言論NPOの役割は大事になってくると思います。

川島:歴史的な反省を踏まえれば、最近の研究では、戦前は陸軍が暴走したということよりも、むしろ世論が戦争へと後押ししていったのではないか、という議論の方が強くなってきています。今の日本がそうなっていかないように多様な議論を担保して、「輿論」というものがきちんと機能するような空間を作っていくことが大事だと思います。

工藤:今日の議論を踏まえて、シンポジウムに臨みたいと思います。皆さん、今日はどうもありがとうございました。