【議事録】2007.3.16開催 アジア戦略会議 / テーマ「日中関係」(会員限定)

2007年3月16日

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福川  おはようございます。時間になりましたので、会議を始めさせていただきます。

前回は白石先生にお話をいただきまして、日本の外交戦略のあり方についてご議論をいただいたわけでございます。今回は少し日中関係に絞って、掘り下げた議論を展開してはいかがかと思っております。

深川先生のご紹介で、中国研究のご専門家でいらっしゃいます早稲田大学の毛里和子先生にお越しをいただきました。きょうは、お忙しいところ、ありがとうございました。先生のご略歴は、プロフィールの方で別途お配りもいたしていただいておりますが、いろいろな研究を続けられ、また数多くの賞も受賞されておられます。著作も数多く残されております。ぜひこれらをご覧いただければと思います。

これから日本が中国とどう向き合うべきかという議論を続けていくわけですが、それについて大変示唆に富むお話が伺えるのではないかと期待をいたしているところでございます。先生には20分ないし30分お話をいただければと思っております。

続きまして、この会議のメンバーとして長い間ご貢献を賜ってまいりました周牧之先生が4月からアメリカの方へ行かれるということでございます。本日をもって一応しばらくお別れという形になりますが、毛里先生の後、コメントがあれば20分程度お話を聞かせていただければと思っております。周先生は、申すまでもなく、アジア戦略会議の議論づくりに大変ご貢献をいただきましたし、また、中国とのパイプ役ということで大きな功績を残していただきました。北京-東京フォーラムの立役者ということでもございます。アメリカに行かれましても、引き続きこのフォーラムやアジア戦略会議、言論NPOに対してご助言、ご指導を賜ればと思いますし、また機会があれば、ぜひ議論にもご参加をいただければと思っております。

その後、工藤さんが先週北京に行ってこられたそうですので、今年の北京-東京フォーラムの準備状況などをご報告いただければと思っております。その後、自由討議ということにさせていただきたいと思います。

私事にわたって恐縮ですが、きょう私はこれからヨーロッパの方へ出張いたしますものですから、10時10分過ぎぐらいに中座させていただきます。後をしかるべく、よろしくお願いをしたいと思います。

それでは、毛里先生、20分か30分お話をお願いします。どうぞよろしく。


毛里  今ご紹介いただきました早稲田大学の毛里と申します。同僚の深川由起子さんからの強い依頼で、朝早い会合は大変苦手なのですが、お引き受けしました。

私自身は、中国の政治、外交、東アジア国際関係などを専門にしています。この5年間は文部科学省のCenter of Excellence「現代アジア学の創生」のリーダーをしておりましたので、中国から少々離れておりました。なんとかこの3月に無事終え、4月からは晴れて中国研究に復帰したいと考えています。

4月11日に温家宝首相が訪日致します。日中関係が、深く静かにいろいろなものを抱えながら、何とか首脳往来だけは正常化させようという努力が中国側の方に強く出ているように思いますが、そんな中で、私の日中関係についての考え方を簡単にお話しいたします。

既に岩波新書で『日中関係』という本を去年の6月に出しておりますので、それをご参照下さい。2005年の反日デモの後、中国を研究する者としてきちんとした発言をしなければと思い、一種の義務感で書きました。

   当日資料「日中関係の再構築のために」(PDF) 

日中関係は、1972年の国交正常化以降、紆余曲折がありました。基本的には4つぐらいの時期に分かれて変化してきたと思います。

70年代というのは、双方とも日中二国間というよりもマルチの戦略関係の中での対中関係あるいは対日関係を互いに考えました。 とくに中国側には戦略的意図が強かったように思います。いわば、アメリカの対中政策などもありまして、あるいはソ連の膨張的な対アジア政策が展開されているなかで、反ソ戦略という面で米中日がうまくかみ合いました。「戦略的友好期」ですね。

それが80年代、特に大平総理ははっきりした対中積極外交政策―あるいは対アジア太平洋政策―を持っておられたようで、それ以降、80年代から90年代半ばまで、中国経済の成長と日本経済の好況という状況も手伝って、日中間はバラ色の―アメリカ・ハーバード大学の有名なエズラ・ボーゲルさんの言い方をかりれば、「ハネムーン」の15年間でした。この時期、アメリカが強くて安定した中国を求めたこと、日本経済がアジアに向かって展開する、そういうものが合致したということでしょうか。もちろん中国自身の改革開放政策が根底にあります。

第3時期、90年代半ばからの10年間というのは、ある意味で日中間の新構造に向けての大きな変容期であります。さまざまな要因が日中関係に新調整を迫りました。二つの「ポスト」、つまり一つはポスト冷戦という状況、もう一つは、日本の内部における、95年の村山談話に示されるような、「戦後は終わった」とする「ポスト戦後」ですね。ところが、中国側、特に世論がそうは考えないということで、両国民の間で非常に大きなパーセプションギャップが生じます。また、中国の経済成長が92年以降すさまじい勢いで展開されます。さらに、台湾海峡の危機ですね。後に日本世論の対中イメージの変化をご紹介いたしますが、特に台湾海峡での軍事演習は日本の対中世論を冷え込ませました。目標のために軍事力を行使する、というのが強い反発を呼んだわけです。

2005年からが第4の時期です。2005年の反日デモは、恐らく新時代の入り口だろうと思います。中国人のある研究者は、2005年4月のデモを、反日デモではなくて反小泉デモだと言いますが、やはりこれはたんなる小泉純一郎に対する反発ではありません。もっと本質的な問題があるのです。

結局、72年の国交正常化の枠組み(スキーム)がありますが、過渡期、移行期を経て、これがもう効かなくなったというのが2005年以降ですね。その意味では、「脱72年体制期」と言えるかもしれません。

金熙徳さん(社会科学院日本研究所の副所長)が今の中国で日本関係の発言が最も多い人でしょうか。主流の意見ですね。比較的ハードライナーでありますけれども、彼の『中日関係』という本が中国側の公式見解の1つと言えましょう。

金さんは、72年の日中間の合意を神聖視しています。「変えてはならない」、「永遠に変えてはならない」ものだと言います。金熙徳さんによれば、72年体制の核心は、台湾問題(日本が台湾との政治関係を切る)と歴史問題(日本が「反省」する)です。72年国交正常化は、日中戦争に対する日本の反省を前提に、中国は対日友好という点から戦争賠償請求を放棄する、というのが基本的内容だ、とします。言ってみれば、戦争に対する日本の反省を前提に、中国の賠償請求放棄と日本に対台湾断交がディールとして行われた、ということです。そこにあるのは、中国側は日本が反省を絶えず続ける、それを行動において示してほしいというのが大前提になっているのです。

問題は、この基本的なスキームが永遠に続けられるのだろうかという点です。私は、2つの点からこの72年合意だけではいまや不十分になっている、と考えています。理由の1つは、72年の合意そのものがかなり不十分だったという点にあります。つまり、72年当時、日中のリーダーともに、これまでの不正常を正常化することに精一杯で、日中関係を今後どういう関係にしていくか、ということを相談し、決めているわけではないのですね。

もう1つの理由は、72年から30数年たって―今年35周年ですが--、日中をめぐる国際状況及び双方の国内状況が激変したからです。特に重要なのは1つは台湾の問題ですね。72年当時に、台湾において、あのような独立的、自立的傾向が主流を占めるなどと思った人はだれもいません。台湾の民主化というのを考えた人もだれもいない。国民党による一党支配が永続する、つまり72年の合意の前提は、中国も台湾も、「一つの中国」だったのです。ところが台湾に民主制の政治的な実体が成立して、それが国際的な要求(独立)をするという新しい事態が生じました。もう一つは、中国の巨大化です。72年当時、誰が中国のいまの成長は発展を見通すことができたでしょう。この2つの理由によって、72年の合意というのは超えられるべきものとなりました。72年合意そのものを否定するというわけではなくて、これを踏まえた新しい合意が必要になるということを私は申し上げたいのです。

今、72年の国交正常化が不十分なものだったということをお話ししました。もう少し説明しますと、1つは、中国の対日国交正常化の決定というのは、かなりのところバランス・オブ・パワーにのっとった戦略的なものでした。1つは対ソ関係、対米関係ですね。もう1つは台湾問題で、どうしても日本と台湾の関係を切りたかったということです。中国外交が戦略的であるのはいつの時代も変わらないことですが、とりわけこの時期、対米接近、対日国交正常化など強烈な戦略外交が展開されます。恐らく周恩来外交の最後の姿でしょう。

2番目に、72年国交正常化の中国の決定がかなりのところ道徳的だったということです。つまり、日本軍国主義と人民を区別するという50年代初めからのリーダーたちの考え方をそのまま72年の合意に持ち込みます。もちろん日本にとっては大変幸いなことでした。賠償義務を免れ、日本の戦争責任の問題は非常に寛容に処理されましたから。しかし問題を後に残すことになります。最近では「二分論」と言われますが、賠償請求放棄という決定に国民の参加がなかったということも含めて、72年合意に対して、近来、中国の国民の中で否定的な意見が出てくるのです。

3番目は、日本の決定があくまで受動的だったという点です。拙著『日中関係』の中で、この時期の日本外交を批判いたしました。いろいろな意味がありますが、その1つは、日中国交正常化に際して日本は、終始一貫イニシアティブをとることなく、1971年~始まっていた米中和解の副産物をそのまま受け入れる、ということだったことに問題を感じます。なかでも戦争問題の処理です。これについて明確な見通しをもっていない、つまり、72年は歴史問題解決の終点ではなく、むしろ出発なのだという考えがないのです。この点は当時の当時の外交記録から判断できます。これに対しては、当時の条約課長の方から拙著に対する長文の批判的コメントをいただきました。まだ十分お答えしていませんが、日本の対中政策についての当時の決定が状況的で受動的だったことは否定できません。

4番目は、賠償請求放棄という非常に大事な決定に対して、中国では国民世論は全く顧みられることはなかったことも指摘しておくべきでしょう。中国ではこのころの外交文書がもちろん出ていませんが、いろんな状況証拠からして、中国のこの決定は毛沢東と周恩来が2人でやり抜いたに違いありません。基本的には周恩来の手でなされたと思います。

35年たって、中国はいま非常に多元的な社会になり、実質的な自由化が始まっていると思います。民主的制度はありませんが、対日言論に限っては非常に自由になってきています。そういう中でさまざまな異論が出てきます。


次は賠償請求放棄のプロセスですが、時間の関係で1つのポイントだけお話します。中国が対日賠償請求を放棄するという決定をしたのは64年1月だと言われています。中国から来ている朱建栄さんの論文で、初めてそれが明らかになりました。外交文書の公開が待たれます。

このとき周恩来・廖承志ラインで決めています。請求放棄の理由として4点を上げています。台湾と米国は請求を放棄したとか、日本人民との友好についての毛沢東指示とか、賠償を請求すると正常化交渉が遅れるだろうとか。非常に現実的判断です。当時の公明党委員長の竹入さんが72年7月中旬に周恩来と会って、その段階で周恩来が中国は賠償請求を放棄する用意があるということを述べたときに、竹入さん「体が震えた」というぐらいの衝撃を受けました。しかしこの決定がリーダー以外に知らされるのは、72年秋の田中訪中が決まってからだということです。

他方、先ほど日中の間でのパーセプションギャップというお話をしましたが、日本側は95年まで、中国の特に戦争の問題について2つの方針でいったと思います。ダブルスタンダードです。1つは、対外的には、戦争の問題について、非常に不十分ではあっても、とにかく反省し、詫びるという基本方針はあったと思います。しかし国内では、戦争責任追求が不十分だったこと、保守政治家に根強い戦前との連続性もあって、基本的には戦争の責任の問題をはっきりさせられないという状況で来たわけですね。非常にあいまいなまま、ここまで来ました。

95年という年は戦後50年です。さすがに50年たてば、もう歴史の一幕はおりると国民は考え出します。私自身も、50年たったのだからという気持ちがありました。すったもんだの末、衆議院の決議が採択され、それが不十分だと考えた社会党の村山富市首相によって8月15日の首相談話が発表されます。これが2005年の小泉総理の対外的な公式スピーチになり、2006年8月15日の演説に引き継がれます。ですから、95年8月15日の村山談話というのは、とりあえず日本政府の基本方針、公式に示された方針と考えることができます。大方の日本人はこれで済んだと思ったのでしょう。

ところが、そうはいきません。中国では90年代に入ると、首相の靖国神社参拝が象徴する日本の反省の「不十分」さへの不満がわき出てきます。またウルトラ民族主義という形での反日機運も高まります。中国で極端な民族主義が表に出てきたのは、「ノーと言える中国」(「中国可以説不」)から始まると思います。王小東さんというのは、かなり人気があるラディカルな民族主義者のようで、背景には、阿片戦争以来ずっと「屈辱の中国」だったことへの被害者意識、それと同時に、こんなに大きくなったんだよという「大国意識」、この2つがない混ざったものが新しいナショナリズムの根底にあると思います。

ある意味では、中国では、改革開放によって世論が自由になった1990年代から「戦後は始まった」のです。全国人民代表大会という中国の国会に対して、対日民間賠償請求を中国政府が取り扱うべきだと議案の提案が何回も出てくるのは90年代に入ってからです。全国人民代表大会の議長団はその訴えをすべて却下してきましたが、国民の中にあるそうした機運を抹殺することはできません。

1980年代は先ほど述べたように、日中関係のハネムーン時期でしたが、それを象徴するのが対中政府借款です。1980年代から90年代の20年間、中国が受領した政府借款の中で、日本からのそれが占める比率は42%に上ります。中国人の研究者で、4月から研究員として早稲田大学に滞在する林暁光さんが書いた本に示されています。大きな声で語られることこそありませんが、中国のいろいろな文献が、日本の政府借款あるいは無償グラントが80年代から90年代にかけての中国の経済発展に非常に大きな貢献をしたと評価しています。

次のグラフが中国の経済成長を示しています。これを見ますと、非常に高率の成長が20数年続いているということと同時に、92年が1つのポイントですね。92年から93年にかけて、外資導入がぐっと増えてきます。これは、92年1月から2月にかけて、鄧小平さんが最後の遺言とばかりに、市場経済をもっと進めよ、資本主義化と変わらない趣旨の「南巡談話」を発表し、外国資本、外国政府が直ちにそれに反応したということでしょう。

次の2つのグラフは、日中経済関係、特に貿易における日本の対中依存の深まりを示しています。中国が日本に対して貿易の面でどの程度依存しているかということもあわせて考えるべきですが、まだ検討していません。日本の輸入から見ますと、現在、1位が中国です。2005年で5分の1強が中国からの輸入で、恐らくこれはもっと増えていると思います。2001年にアメリカを追い抜きました。

その次が日本の輸出です。アメリカがほぼ5分の1で第一位、中国が7分の1ぐらいでしょうか、第二位です。恐らくこの差はいずれ縮まっていくでしょう。

しかし、中国の経済的な依存度、特に貿易依存度を考えると、日本はワン・オブ・ゼムだと思います。第1が米国、第2がEU、第3が日本でしょうか、第4がASEANという感じで、日本ほど相手に対する依存は高くないという状況が見られます。

そういう中で、90年代以降、日中関係がさまざまな問題を抱えることになります。というところで、単に日中関係だけではなくて、日韓関係も含めて緊張が生じます。3国ともに、強烈なナショナリズムを主張し合っています。「北東アジアの不信と不和」です。その理由や背景が問題です。

第一は、グローバリゼーションという新しい大きなうねりが、東アジア、東北アジアの国々をして、ナショナリズムでそれに対抗する方向をとらせていることです。例えば日本では、古い伝統主義と結びついた新ナショナリズム、中国ではウルトラナショナリズム、韓国では非常に複雑な反米的、反日的ナショナリズムの交錯を生み出しています。いずれにしろ、一番肝心な東北アジア3国の間で関係が極めて悪くなるという状況が見られます。第二に、その根底にはやはり歴史問題があります。第三に、日中関係が2005年以降、はっきりとライバル関係に移りつつあります。国連安全保障常任理事国に対する中国の強い反発も一種のライバル意識だし、日本における必要以上の「中国脅威論」もその反映でしょう。おまけに、北東アジアでは北朝鮮問題が「複雑なとげ」になっています。

対日イメージ、対韓イメージは、次のグラフで見ますように、好感度が一貫して下落しています。特に対中イメージの下落が目立ちますが、内閣府のずっと継続して行われた調査によると、1989年の天安門事件で一たん落ち、2004年のアジアサッカーでさらに落ち、2005年のデモでもう1回落ち、2006年は少し回復した。

今日の日中関係を構造的に考えてみましょう。

日中両国には、三つのレベルでいろいろな摩擦、矛盾、対立があります。一番上にあるのが利益、具体的なインタレストをめぐるものですね。一番はっきりしているのは領土・領海とか、資源とか、大陸棚とか、こういう問題です。2番目のレベルであるのは、パワーをめぐる問題がなかなか厄介であります。パワーをめぐる問題というのは、地域、つまり東アジアあるいはアジアにおけるリーダーシップをどこが握るかということをめぐっています。日米同盟、台湾問題もこのレベルの問題です。第3のレベルが一番基底にある歴史問題です。歴史問題というのは、ほかでもなく、二つの国家の「価値観」に関わるコアの問題でもあります。

最大の問題は、この3つのレベルの問題をそれぞれ切り離することができればいいのですが、いつも三つが絡まり、渾然一体となってしまいます。中国側も、これまでは意識的にこの三者を渾然一体のものにしてきました。最近、安倍内閣になって以降、どうやら中国が、ようやくこの三者を切り離す新政策を採用しているように見えます。日本側もできるだけこれを切り離す努力をしていくということが非常に必要だと思います。

最近の中国における新しい動きとして1つお話ししておきますと、もちろん主流ではないのですが、日本の歴史問題や歴史教科書問題を批判するだけでいいのかという意見が中国の中に公に出てきているということです。その1つのあらわれが、去年の1月にありました『氷点』という新聞です。『中国青年報』という新聞の付刊ですが、そこに中山大学の袁偉時さんが「近代化と中国の歴史教科書問題」という論文を書きました。これに対して当局が怒って、これを停刊にいたします。これが1カ月後に復刊になるのですが、袁さんは自己批判は全然しておりません。むしろ逆に、自分の主張を非公式のチャネルを通じて出してきています。彼が言うのは、義和団などというのは愛国ナショナリズムでも何でもない、あれは無知蒙昧な排外主義以外の何ものでもないと。義和団のために中国人はどれぐらい犠牲をこうむったかという歴史の再解釈を求めているわけです。それから、「死んでも罪を悔い改めない」のは大和民族特有の欠陥なのか、と問います。彼によれば、中国の教科書問題を考えれば、中国にも似たような問題がある。つまり、自分のいいところだけ、そして都合のいいところだけを取り上げて、真実の歴史ではなく、歴史を新たに書き上げるというのです。

もう1つの新しい動きとして、今年から上海市の高等学校で歴史教科書の新版が出ました。教科書は上海市は上海市で決められるみたいですが、話題になったためわれわれの手にはなかなか入りません。中国人のいくつかのコメントを読むと、太平天国というのは農民反乱ですが、今まで農民反乱をすごく高く評価していたわけですね。毛沢東が人民中国をつくったのも一種の農民反乱ですから。それに対する言及が非常に少なくなった。これは、主編の蘇さんの言うところによれば当然だと。世界史を階級闘争というよりは人類の文明史という視点から描いた、と彼は言います。上海の新教科書では、初めて慰安婦の問題が取り上げられましたが、逆に80年代の日本の援助問題も初めて取り上げられたそうです。新しい動きが少しずつ出てきていることもお知らせしておきます。

最後に、両国関係の理性化、少なくとも首脳の最低限の往来、これなしにはどうしようもないということと、次の二点を特に強調したいと思います。

1つは、日本と中国、そしてできれば韓国が政府レベルでの地域的な共同作業をやる必要があります。一国だけの利益のためではなく、東アジアとか東北アジアとかという地域的な共通の利益をもたらす共同プロジェクトを国家プロジェクトとして進めるのです。これまで、日中韓というのは、何かを一緒にやった経験はないわけですね。きわめて遺憾なことですが。

それから、二つ目に、1972年の合意をふまえて、新段階の日中関係を形づくる新しい精神の枠組み、宣言が必要になると思います。例えば、東アジア共同体というような双方にとっての新しい目標を設定するとか、これからの課題を設定すること、そして協力に重点を置いた日中共同声明、新声明になるようなものを、例えば正常化35周年(2007年9月)、あるいは平和条約30周年(2008年8月)に出していくというのも非常に大事かと思います。

以上で終わります。ありがとうございました。(拍手)


福川  周さん、去るに当たってのご発言があれば簡単に......。

  2~3要点だけ申し上げますが、実はなぜか今年私は中国人民政治協商会議(国会)の特別委員となり、このたびの中国人民政治協商会議に参加してまいりました。

まず、私が会議に出ていて、温家宝首相の報告を聞いて感じたことを紹介いたします。基本的に私が感じ取ったのは3つのことです。1つは自信です。30年近く平均9%を超える経済成長を中国は続けてきました。特に昨年2006年は10%を超え、4年連続の高度成長が達成できたことで、経済運営に関する自信がかなり出てきました。とりわけ財政収入が大幅に増えたことは政府にとって大きな自信になったのです。去年の全国の財政収入は3.93兆人民元で、前年比7694億元増えました。ものすごい勢いで財政収入が増え、貿易も引き続き24%ぐらい増えて、なかでも貿易黒字だけで1770億ドルになり、外資による直接投資も去年695億ドルぐらいになりました。

この度の温首相による政府活動報告と今年の展望とを聞きましたところ、経済に関しては如何に成長させていくかについての言及は一切なかった。むしろ経済成長をどう適切なスピードにしておくか、また、これまで経済成長を追求したがために起きた、行き過ぎた政策や政府の行動パターンを改めていくことを全編にわたって強調していました。改革開放政策以来30年間近くのこれまでの首相報告の中で、如何に経済成長していくかに触れなかった初めての報告書だったのではないかと私は受けとめています。

2点目は、これも転換、要するに政策の大転換だと思いますけれども、とりわけ成長の果実をいかに分配していくかについて、大変重点的に語られていました。昨年、2600年間続いた農業税を全面的に廃止したと強調していました。もう1つ、義務教育にはかなりお金を投じると力説しました。基本的に、農村の義務教育は無償にするということでした。また、農村と都市部で制度を分けているのですけれども、最低生活保障制度を一気に進め、今年は中国の貧困人口を一気になくしていきたいとのことでした。世界銀行の標準と、中国の国内の標準がダブルスタンダードであるのですけれども、世界銀行の標準よりやや下回った中国国内の標準で貧困人口を一気になくすという点について、私は直接担当大臣に確認しましたところ、やはり一気になくすということになっていました。

政治協商会議に招聘された1つの理由は、私がこの10年間言い続けておりました再分配の話などが恐らく多少評価されたからでしょう。今回の会議中感じ取ったのは、とにかく政府の経済運営の関心事は、経済成長よりは分配、安定、そして環境問題重視になっている点でした。環境問題に関しては、大変強いトーンで政府報告の中に出ていました。五カ年計画の中の環境目標数字が実際達成できなかったことに関して首相は強い不満を表明し、最大の決意をもって今後4年間でこれを達成すると公言しました。

感想の3点目は、政治体制改革への期待が非常に高まっていることです。中国共産党の第17回党大会が今秋行われるのですけれども、それが終わった後一気に政治体制改革に持っていかないと困るという雰囲気が今回の会議場では肌で感じられました。体力のある今こそやらなければいけない、一気に改革を進めたいと恐らくみんなが望んでいるのです。歴史はこの期待にどうこたえるか、これはだれもわからないけれども、ある意味でいまはタイミングと体力、雰囲気、みんなそろっている時期です。しかも、17回党大会は恐らく本当の胡錦濤体制を作ることになるわけで、もう大体メンバーは見えてきました。

以上は会議に参加して、私が感じ取った要点です。我々の北京-東京フォーラムの話に移りますと、私は北京-東京フォーラムの評判をいろいろな人に聞いてみたのですけれども、評判は非常に高いです。特に、フォーラムは公共外交という中国が今までとったことのないスタイルをとって行っていることから、会議そのものへの評価と公共外交への評価が両方ありまして、私はこの成功は歴史的に非常に意味があるのではないかと思っています。公共外交の重要さを中国が受け入れたのではないかと受けとめています。

また4月に温家宝首相が来日するにあたり、中国側は非常に心配で不安があるということも聞きました。直前に慰安婦に関する発言が安倍首相から出たことが何を意味するのかが理解できないと言っていました。

もう1つは、中国へのEUの武器の輸出解禁について、安倍首相はEUへの外遊のときEUのトップに対して、解禁をやめなさいと要請しました。これに対して中国はおそらく何らかのリアクションをせざるを得ないように思います。

それから、日本からのリクエストの国連常任理事国入りの問題と、加えて東シナ海のガス油田の2つの問題に対しては、常任理事国の問題は恐らく差し当たりいい回答が出ないのではないでしょうか。戦後体制の維持に関しては、中米間でも、ほかの常任理事国の間でも実は暗黙の了解があるようです。

東シナ海のガス油田に関しては、中国は共同開発のプロポーザルを出しているのですけれども、日本側に拒否された話を聞いています。中国の総理が日本に来て何を達成するのか、中国の外交トップが心配しているようです。それに対して私は、日本に中国の総理が行くということが大事だと言ってきました。

中米間は現在かなりゲームをやっているのですね。ゲームをやって、国民が割と冷静にそのゲームを楽しんでいるか、あるいは傍観しているかです。しかし日中間はゲームができないのです。中国の外交当事者は、これに一番困っているのです。なぜかというと、国民感情が底辺にありまして、下手にゲームをすると大変なことになる。だから、例えば安倍総理の慰安婦問題発言に関して、中国の公式なコメントは大変に抑え目です。ゲームができない日中関係なのです。ゲームができる日中関係に持っていくことが恐らく言論NPOの役割ではないかと私は思っています。

もう1つは、先ほど毛利先生がおっしゃっていた台湾問題です。私は台湾問題が大変な問題だなと思いました。経済ばかりやっている私はある意味で台湾問題をあまり知らないのですけれども、今回の温家宝首相の報告の間、だれかが数えたところ、30回ほど拍手が起きたそうです。私が会場にいて気づいたのは、その30数回の中で最も大きな拍手だったのは台湾問題に関する発言のときでした。これはすごい拍手だった。「独立は許さない」、その発言だけでワーッと大拍手がありました。これは民意です。恐らく台湾が独立宣言した瞬間に戦争となるでしょう。これは、だれが総理をやっても、だれがトップになっても抑えられない中国の民意でしょう。これが私の感想です。

我々の北京・東京フォーラムの話に戻りますと、私の中国の滞在に合わせて1回目の中国側の理事会をやりました。趙啓正さん、王英凡さん、唐聞生さんら、前回フォーラムに出席した大臣クラスの人たちが出席されて、いろいろ議論しました。基本的に今年は去年のようなインパクトのある会議にしたいということで意見が一致しました。ハードルは高いけれども、せっかくやる以上は、ぜひ毎年毎年バージョンアップしていきたい、縮むのは避けたいとみんな思っています。私もかなり強気で押してきましたけれども。

そうすると、恐らく一番大事なのはテーマとメンバーです。これはなるべく早く決めなければいけません。テーマに関しては、王英凡さんがいいアイデアを出してくださいました。中国側がみんなこれでいったらいいと賛成した王英凡さんが提案したテーマは「日中戦略互恵に向けて」です。これは安倍総理の言葉です。「戦略互恵」というのをちゃんと議論した方がいいのではないか、とのことでした。中国側から近いうちに工藤さんに対して、これでいきましょうという相談が来ると思います。

メンバーに関しては、なるべく早く日本側の可能なメンバーを含めて決めてくださいとのことでした。できれば阿部総理と胡錦濤総書記も何らかの形で......。

安斎  胡錦濤?

  はい。なるべくトップが出てくるように、あるいはトップが何らかの形で関与するようにしたいと。これは一応中国の理事たちの一致した意見です。

安斎  だって年末に安倍さんが胡錦濤に会いに行くんだよ。

  我々の会議に関してトップが何らかの形でかかわってくることが多分1つのインパクトになるのではないかと。そのために、早くそれに対応できるようなメンバーを固めてくださいという話です。
以上です。


福川  ありがとうございました。工藤さん、何かあれば簡単に。

工藤  一言だけ。大会の日程が決まりまして、8月27、28、29日の3日間、北京でやることになりました。ちょうどそのときは参議院選が終わっていろいろあって、安倍訪中の前なのですけれども、今、周さんが言ったことは完全に腹に落ちていますので、やります。去年、日中首脳会談の扉をあけるという状況をやったのですけれども、あれで終わりではなくて、やっぱりつながっているなということを今回安斎さんと北京に行って感じたのですね。だから、やっぱりバージョンアップをし続けないと今はだめですね。
だから、今年の北京大会はもう一歩いって、首脳外交をかなり定着させて、民間でもできるという形にして、次のステージに入っていった方がいいのではないかなと実感しました。だから、それに対してこれから動こうと思うし、でも、やることがあまりにも多過ぎて、資金集めから含めてやりますので、皆さん、またお力をかしていただきたいと思います。

福川  ありがとうございました。それでは、どうぞ自由にご発言ください。

安斎  先ほどの全人代の雰囲気の台湾問題で拍手がそんなに高まるということと、周先生が言っている政治体制改革への期待、これはどこかで矛盾していく。これを先生はどういうふうに受けとめられますか。周さんはどういうふうにお答えになりますか。

毛里  台湾問題ですが、先週ですか、立命館大学でシンポジウムがあって、韓国系と中国系の学者が来て、私が出て、台湾問題も少し議論をしました。中国の学者は、要するに台湾問題についてはもう時間表はない。今、現状維持というところで無事推移するのではないかと、非常にやわらかい見通しを立てていましたね。1つは台湾の島内情勢が不安定だということもありますが、台湾を統一するということが大陸の政権の正当性の基礎だという感じで現在の政権と国民世論は考えていないということを彼は言っていましたね。初めてそういう発言を聞いたので、この状況は大分変わってきたのかなということを感じました。むしろさっきの周さんのお話とはちょっと違うニュアンスですね。

それから、政治体制改革というのは、私はあさってから北京に行きますが、その種の話を聞いてきたいと思っています。要は、政治改革の具体的中身はなにか、ということに尽きます。政治改革をやるにしても、恐らく私は、ポスト胡錦濤期だと思います。そのためのレールを胡錦濤時代があと5年で敷けるかどうか、でしょう。

安斎  何をするかでしょう。

毛里  だから、その間に一体何をするか、政治的透明化だけなのか、多党制まで追求するのか、ということですね。共産党内分派を認めるかどうか。これもなかなか難しい。となると、情報の開示をもう少し進めるとか、そういう感じで、透明性の拡大という形での政治改革はあるけれども、政治体制そのものの変革につながるようなことはできないし、やるつもりもないと私は思っています。周さんがここでおっしゃった政治体制改革というのが一体何を意味するのかということだと思います。

  台湾問題に関しては、中国でものすごく情報公開しています。どこまで情報公開しているかというと、台湾の今の情報を中国の国民が見られるようになっています。そうなったことで2つのいいことがあります。1つは、民主主義が何かについて中国でいま理解が進んできました。台湾チャンネルがあり、毎日そのまま中継しているのです。中継と解説を含めてです。解説するのは台湾の人か香港の人です。私は、これは非常にいい教育になっているのだと思います。

もう1つは、タイムテーブルは全くなしです。これは明らかです。とにかくなるべく長く台湾問題はこのままの状態にキープしておきたい。ですから独立さえ言わなければよいです。ただし、向こうが独立を言った途端にだれも何もとめられない状況となります。

台湾問題に関して一番話しを詰めているのは中米です。中米のトップ同士で台湾問題をかなり話し合っています。

政治体制改革というのは、もともと中国共産党が80年代に政治体制改革にわっと進もうということで始まったのです。これを始めたのは胡耀邦と趙紫陽です。これを進める途中で彼らは失脚しました。政治体制改革が原因で失脚したのではなく学生運動が原因で失脚したのは大変皮肉なことでした。その後、江沢民政権では政治体制改革はあまり進めなかったのです。政治体制改革をこれからどう進めていくのか、胡錦濤政権はどこまでやれるのか、これが恐らく胡錦濤さんの歴史に対する最大の答えになるのだと思います。胡錦濤さんにとっては、恐らく今後5年間でどこまで政治体制改革をやるかが最大のポイントとなっていくのでしょう。

もう1つ、中国の中の中国の歴史教科書問題です。この問題の発端となった中山大学の歴史学教授の袁さんは実は私の知人です。袁さんが問題にしているのは日中の歴史に関する見方ではなく、中国の農民蜂起に関する歴史の見方についてです。中国共産党は政権の正当性を訴えるために、歴史上の農民蜂起については全部肯定的です。特に、近代史における太平天国、義和団、辛亥革命―辛亥革命は農民蜂起ではないけれども、すべて肯定的です。袁さんは特に辛亥革命に関して、孫文に対する評価はかなり厳しいです。この点について袁さんは本を出していまして私に一冊くれました。これは日本の歴史問題とか教科書問題と性格が全く違う話です。要するに、中国共産党が正当性にこだわるあまりに、近代史における太平天国、義和団、辛亥革命を過大評価するのはおかしいのではないか、むしろ破壊的な側面が大きかったのではないかという話です。これからの中国は、そういう蜂起や革命は二度と起きないようにしなければいけない、という考え方を私も袁さんも持っています。

安斎  やっぱり情報革命というのが大きいね。テレビもそうだし。しかし、中国自身、一党独裁の体制はまだキープしなくてはいけないなと思っている人はどのぐらいいるのですか。これを変えなくてはいけないと思うような人はまだ本当に限定されているのでしょう。

  ただ、中国の党の内部でも、革命党から政権党へ変えなければいけないというのが1つの大きな認識になってきています。

安斎  認識は認識として持っているけれども、まだこれでいかざるを得ないなと思っているのが相当なのではないの?

  だから、自民党と同じですよ。

安斎 みんな自民党と同じという仲で果たして小泉さん流にやるような勇気を持った人が出てくるかどうか。

  少しずつ進むしかないですよね。まだ革命党的色彩は政権の組織の中に残っていますから。

松田  福川さんがおられないので私が代理をしますが、深川さん、もし何かコメントがありましたら。

安斎  先生の話はおもしろかったです。

深川  ぜひお勧めしたいと思っていましたので。

安斎  私も、ここに書いてあるようなことについて30数年間かかわってきているものだから、自分の頭の整理をするという意味ではよかったですね。

松田  言論NPOで色々な議論をしておりますが、今日の毛里先生のお話を私なりに理解すると、「1972年体制」とは、戦後レジームに対してどういう理解をするのか、その上に立って日中はどうするのかということが基本的な発想であるように受け止めました。それが35年たって、今度は、新しい価値観というと大げさかもしれませんが、日中韓で何か共同で追求すべきだというお話がありましたが、例えば、今、「東アジア共同体」といっても、それは経済面でどんどん進んでいるだけで、価値観のレベルで「共同体」といえるような何かを共有しているかというと、そこのところでは難しい。そのような中で、経済だけが進んでいて「共同体」のような話がほんとうにできるのか。価値観のレベルと言っては大げさかもしれませんし、環境とか具体的にテーマを考えていけばいいのかもしれませんが、日中韓でどういうようなことを共有できるのか、その点についてはどのような可能性があるとお考えですか。

毛里  価値観というのは、なかなか誤解を招く言葉だと思います。私は、72年体制を超えてというところで、35年の今、新しい枠組みを目指す何かをつくった方がいいと考えていますが、東アジア地域をどのような地域にしていこうかというところで合意できる部分というのはあると思います。例えば経済危機が生じたときに、ともに助け合える何かがなければいけないとか、あるいは広域の災害その他が生じたときに、あるいは政治の不安定というような新しい事態が生じたときに、お互いどうするか。要するに、地域的視点に立った共通の課題があるのだということをお互いに認識すること、そして、それに共通して取り組んでいこうではないかということですね。東アジア地域を安定と繁栄の地域にしていくという合意は幾らでもできると思います。合意できる問題から合意を形成すれば、過去をめぐる、あるいは領海・領土のような非常に生々しいものではない形での共通の土俵ができる。今、土俵をつくるのが大事なような気がしますね。それは、この東アジアという地域に立脚して日中が共存するという哲学を共有できるか、ということでしょう。この面での価値観、つまり一種の哲学では双方合致できるはずです。こうしたプロセスを通じて何らかの再出発をさせてほしいと思いますね。

安斎  EUの基盤ができた背景は、「二度と戦争をしない」ということが大きかった。だから、大目的は日中間の戦略互恵なのですよね。そういうものがバーンと前面に出て、だけど、項目を並べると大問題が幾つもあって、そういう中で先生のおっしゃるような環境問題とか、できるものからやりましょうよということなのでしょうね。だから、首脳が集まったときは、お互い戦争をしないためにどうするか、どうしたら平和な東アジアを築けるか、これがあって、それで小項目をとにかく並べてみようと。いろんな問題があると、できるものからやろうと、そういうふうに進むことになるような感じがします。ヨーロッパの歩みを見ると、特にドイツ、フランスの歩みとか見ていると、中心となる国籍をバーンと決める。そして項目を並べてみて、できるものからやっていく。

毛里  でも、ASEANの事例なんかを見ていますと、やっぱり1つの目標を高く設定する、あるいは美しい言葉であらわすというのは非常に大事なことでしょう。

安斎  だれも否定できない言葉なのですね。そこでみんなが統合していくということでしょうね。

毛里  今アジアでようやくできるようになったというという意味で条件はできてきたと思います。実際にまだやっていませんけれども。日本がイニシアチブをとって、もう少し大人になれれば、中国も応えるのではないでしょうか。

深川  私の知る限りでは、安倍さんがいつまでやっているかもわかりませんけれども、2008年には割と戦略的な日中何とかパートナーシップとか、どういう名前になるかはわかりませんが、多分FTAまではいけないと思うんですけれども、ほぼ確実に何かできるのですよ。役所もそれに向かって動いていますし、投資協定の交渉を初めとして、ASEAN+3+3の会議とかでほぼそれにコンセンサスができていて、多分その1つのきっかけになるのは、両方レイムダック化しているので、行方は全くわからないですけれども、米韓FTAが4月にできる可能性は大きいわけですね。これは地政学的に結構大きいインパクトがあるのですよ。

米韓FTAの性格というのは、日本も中国も東アジア共同体もそうですけれども、お互いに展開してきた地位協力のロジックを無視するものなのですね。これはアメリカという全く違うロジックを持った人たちを持ち込んでくる。日本も中国もある意味で共通点というのがあって、日本の場合、過去問題がありますし、中国の場合、ASEANから見れば、やっぱり華人の問題というのはないわけではないですからね。今、黙っているだけであって、これだけ社会が両極化してくると、華人との経済力の差がついてくると、マレーシア人の持っている、あるいはインドネシアのもっと不安定な中で持っている華人問題というのはやっぱりあるわけですね。だから、中国もそれはわかっていて、お互いに覇権と見られないための外交をしなければいけない。うちは過去問題をぶり返させないための外交をしなければいけないという、すごく変な共通点があって、毛里先生もおっしゃったように、なるべくファンクショナルに、みんながよくなるとわかっている経済協力とか―当たり前ですよ。だれも反対する人はいませんからね。だから、それをやりましょうということで来たわけですね。多分、日中間というのはその土台の上にしばらく立たざるを得ないと思うんですけれども、米韓というのは全く違うロジックで、FTAとしてはものすごく低いレベルで合意する可能性が高いのですね。

何のためにやっているかというと、愚かな盧武鉉外交の自主外交のために壊れてしまった米韓関係を経済で修復する。韓国はイスラエルとかUAEなのかというと、また違うと思うんですけれども、しかし、非常に政治的なロジックのFTAなのですね。それを中国がどう見るかというのは非常に興味深くて、しかも、おもしろいことに、米韓FTAで韓国が大豆とか小麦を多分今のままだとアメリカに全売りするのですね。そうすると、中国の東北地方の対韓輸出というのは直撃されるのですね。黙っていられるわけはないですね。なので、中国は今、年内に中韓FTA交渉の即時開始を強烈にプッシュしている。こういう世界になっているのですよ。

しかし、韓国は、年内はEUと交渉するというスケジュールで、アメリカの次はEUと決まっている。しかも、中国は、中韓よりも日韓が少なくとも1年半は交渉したわけですから、それが先行したというだけでも非常に不快に思っているのですよ。そこに米韓が来てしまって、ちょっとあり得ない。今まで私があなたのためにやってあげたことは何だったのでしょうねというのがあって、とにかく今年以内に中韓を強烈にプッシュしているのですけれども、韓国は年後半は全く動きませんから、EUも全くできない可能性が高いので、米韓以降は多分何もできなくなると思うんです。だから、結局は何も起きないと思うんですけれども、少なくとも米韓ができるということは、東アジアに違うロジックが持ち込まれてくるということなのですね。

そうすると、ちょうど日中が戦略的な関係の再構築を模索しているときにそれが入ってくるから、東アジア共同体のために、もっと地域のロジックを持っている私とあなたがちゃんとやれば仕切れるではないですかという共通のインタレストは出てくると思うんですね。私も、きのうシンガポール、インドネシアから帰ってきたのですけれども、ASEANは今、クリアにそれをサポートしているのです。日中がファンクショナルでもいいから、とにかく着々とやってくれることが我々にとってはメジャーインタレストであって、シンガポールってすごくおもしろくて、華人系なのですけれども、シンガポールのFTAの相手というのは全部日本とオーバーラップする相手、全部アングロアメリカンベースなのですよ。もうアメリカ・シンガポールFTAはできてしまっているし、オーストラリアはあるし、ニュージーランドはあるし、UAE、バーレーンのガルフカントリーズはあるし、インドなのですよ。だから、これで全部占めているのですけれども、そのシンガポールが仲介役になって、日中間でそういう戦略的なものをやってほしいというのが、今のシンガポールの仲介外交なのですね。だから、わからないのですけれども、アジアゲートウエイも佳境なので、多分このままいくと割と日中が折り合える。このままでいくと米韓が持ち込まれてくる。アメリカのレバレッジというのは、お互いにとってやっぱり嫌なものがあるので、それは別に日本が日米関係を捨てるということではないですけれども、多分カウンターバランス的に日中が割と近くなれる余地というのはあるし、そういう方にきっと流れていると思います。

ちょっとお聞きしたかったのですけれども、政治家は学者とは違うので、お互いに何をすれば私の基盤に役立つかと考えるのは当たり前ですよね。選挙はなかったとしても、それは中国でも同じだと思うので。そのときに戦略的なものを考えたときに、私は2つぐらいあるかなと思うんですけれども、1つは、再分配のメカニズムをどういうふうにつくっていくかというモデルでお互い協力していくような話。中国の場合、社会主義を失ってから何もないまま原始資本主義に行って、そこから高齢化という、すべてのフェーズが一気に来てしまうので、尋常ではない再分配をやらないと、とてもじゃないけれどもと。それは彼らもよくわかっているじゃないですか。その中で、例えば機関投資家の育成とか、要するに生命保険会社とか、そういうものを育てていって、それをコーポレートガバナンスのアンカーにして、かつ保険も、ナショナルミニマムがどのぐらいできるかわからないから、相当程度市場的にできるお金持ちの人は、自分で自分に保険をかけて老後を考えてくださいというモデルをつくるようなプロセスみたいなものをやる。最近、日本は結構そういうノウハウは―何しろ自分が高齢化していますから―できていて、そういうところか、あともう1つ、仲が悪い人たちが一緒にやっていくのは、必ず第三国、外に向かってしかできないのですね。バイは常にぐちゃぐちゃだから。だから、第三国に行くときに、環境もそうなのですけれども、鳥インフルエンザとか、海峡の海賊退治とか、ああいうもので日中が主軸になるという感じをつくる。両方がどっちも傷つかないと思うんですけれども、中国の政治的インパクト、政治家が飛びついてくれそうなファンクショナルなものというのはないですかね。

毛里  例えば、税金をどううまく取り立てるか。これは中国政権の永遠の課題なのですけれども......。

安斎  何か税収が増えてしまって、どういうことなのですか。

毛里  あれは違う原理で動いていると思いますよ。

  財政改革もやっていますよ。大議論していますよ。

安斎  財政収入は何ですか。

  今回の全人代では企業所得税が1つのテーマでした。

安斎  だから、税制は確立していないのですよね。

  いや、税制はあるのだけれども、今までの税制とこれからやろうとしている税制が違います。今、がらっと変えようとしています。再分配を前提とする税制にシフトするということを徐々にやっています。改革案もかなり議論していますし。

深川  でも、デッドラインが限られていますよね。資本市場をあける前に税収が取れるシステムをつくらないと、資産は全部外に出てしまいますから。あの国のことですから、心清く、お国のためにみんな払うとか、そんなにのんきではないと思うので。

毛里  10年以上前ですか、中国財政部門が日本の財務省にしきりにアプローチしてきました。日本ほど効率的に税金を取っている国はないから、それに学びたいと。つまり、税のシステム、地方行政とか、いわゆるガバナンスの部分で中国は日本に学ぶべき点がたくさんあります。日本の経験が向こうに役立つということは非常に多いだろうと思います。しかし、中国にはなぜか、学びたいのはアメリカだ、というところがあります。いわゆる日本派というのは、財務官僚や金融部門の中でどうしても弱勢になっていくようです。さっき周さんが、要するに成長ではなくて、分配の方にシフトしてきていると言われました。これは温家宝政権の正しい選択なのでしょうが、最大の問題は、中国経済は成長でしか回っていかない、いわば「自転車操業」型でしか動かないという点ではないでしょうか。

  だから、成長には自信がある。

毛里  自信でしょうか?

  戦後の中国の60年間で、いかに成長していくかを語らない報告書が今年初めて出た。これが1つと、もう1つ日中に関しては、実はいろいろなチャンネルでお互いに政策をシェアする議論はしています。私自身も、財務省と中国の国家発展改革委員会との間に日中経済政策交流フォーラムというのをつくっていまして、安斎さんも1回来ていただいたけれども、財政とか税制の議論は徹底的に、たくさんやっています。多分、皆さんびっくりするほど議論しています。

安斎  金融と財政の分離がようやく基本的な認識として出てきた感じですね。今までは金融を財政の原資にしていたから、不良資産の山になってしまった。

  ただし、日本とは発想の違いがありまして、中国には富は民にありというのが儒学の経済思想の根幹にあるので、なるべく税を取らない方がいいのではないかという議論が非常に強いのです。それが日本とは全く違う歴史的な思想の延長線にある。だから、税制をしいても地方が執行しないとかね。税制を執行しない方がむしろ活力を保っているという非常に根深い思想にもからんだ問題があります。

安斎  そうだとすると、分配の原資として貯金を使ってしまった方がよいとなって、市場経済から遠ざかってしまう。

松田 そろそろ時間ですが、アジア戦略会議は、先日も、外交だけでなく日本の国内改革や、これから選択肢を提示する話など、色々と申し上げているところですので、こんなテーマで、こんな人に話を聞いたらいいのではないかということがありましたら、私までご連絡いただければと思いますので、よろしくお願いします。

それでは、毛里先生、きょうはありがとうございました。周さんも、ますますのご活躍を祈っています。どうもありがとうございました。

<了 >