「第9回 東京-北京フォーラム」に何を期待していますか

2013年9月16日

言論NPOは10月下旬に「第9回 東京-北京フォーラム」を開催する予定です。あなたは、今回のフォーラムに何を期待していますか


「その他」と回答した人の自由記述

○中国は解放された国ではありませんから、期待はさほどありませんし、期待で動くべきでは無いでしょう。日本は、国際標準では裁かれる程、自由に情報を取り、嘘や捏造も報道出来る自由な国なのですから、旧来のメディアは存亡をかけて真実を国民に伝える目的に戻るか、真実を歪めない為にも消えて欲しい。言論NPOには、勝者と敗者の歴史をフェアに国民の基礎知識とすべく活動の軸を取って欲しい。日本人は、この両者の立場の認識を受け止める能力は有るし、日本や世界の為に、その認識を生かす能力も活力も有ると考える。海底資源に恵まれた資源大国で有る事や、有るべき努力で技術もコストも解決し、資源をまずは日本の為に、そして世界の為に役立てる懐の深い国民と考える。
○より偏りのないかたちでの実情の相互理解。
○「東京-北京フォーラム」は当面行わない方が賢明と思う。理由は中国の国内問題でそれどころでは無いのではないかと思う。
○問5で主張したような民間交流による下地づくりが何よりも望まれる。この時点で日中間問題を取り上げるのは好ましくないし、はたまた外交上の窮余の一策は通用しない。可能性のある所から地道に正攻法で着実な成果を求めていくのが良い。政治の世界とは裏腹に多文化共生活動は第2ステージに入っている。
○日中間に対話に向けた真摯な努力が存在するというその事実が、両国民の視野を広げるという意味で重要であると思う。
○小さい島の領土問題の解決とみなしては解決できないだろう。新しい国家観、新しい領土観、新しい国と国との関係、新しい地域観の意見交換をすべきだろう。一国の国内政治制度によって選出された政治家にその国の国家観から抜け出すことは難しいだろう。いまこそ民間の新しい発想のもとに日中両国の良識ある知識人が集まり創造的建設的な議論を始め全世界に発信してもらいたい。
○民間でできることは、お互いに実情を人々に認識させることであろう。外交は政府の専権事項であり、国内向けの提案はできる。
○政府外交、あるいは経済人、有識者に議論の多くを委ねるのは無理でしょう。民間のサポートとして何ができるのか、市民社会があるのかないのか、ないはずはないが、どの程度機能するのか。検証することも必要でしょう。
○一般国民による対話、議論の活性化。
○民間の議論・合意で無能かしている両国政府を動かす。
○相互不信を解消し、相互理解を深めるための材料の提供
○国民から見て、この人たちが議論しているのだから信頼しようと受け止めうる人材の参加を期待する。
○話し合いのチャンネルを持つことが重要だ。
○日程が合えば、是非オブザーバー参加させていただきたい。この機会を利用して、知人の中国人マスコミ関係者や「在中日本人108人プロジェクト」の関係者とも意見交換をしたいと思っています。
○日中、日韓関係のベースは共有できる歴史認識と将来構想だと思う。それを国民レベルまで深めていけるか。今のように、ベースもなく、またベースをつくろうという政府による努力もなく、さらに言えば、そうした状況を逆手にとって、人気取りをしようという政治リーダーの不見識を追及できない、メディアと国民の認識レベルにある。こうしたことをまずは両国の民間(中国に民間があるのならだが)のさまざまな関係者が、徹底的に喧嘩をしてでも議論を尽くすことが大切だと思う。日中国交回復時は、当時の経済力格差や中ソ対立などもあり、中国側としては日中政府間交渉で棚上げしたり、大いに不満でありながらも玉虫色の文言で受け入れた部分がある。日本も米中国交回復の後を受けて、台湾との関係などもあり、あいまいに片づけたところがある。こうした根本に、相互の歴史認識の違い、根本的に日中戦争をそれが多極化した国際社会で、国力をつけた中国が、見直したいというところではないか。日本も江戸から明治期に国力をつけて不平等条約を改めた。日中、日韓の条約も、当時の日中、日韓、国際関係化で結ばれたもの。領土についてもし当時、指導者間に密約やあいまいな理解があったのであれば、まずはそこから白黒をはっきりさせることが必要。
○工藤代表の努力に敬意を払いたい。
○チャイナの人治=the rule of law欠如=共産党独裁批判の国際世論の喚起 米・印・豪・印尼・比・泰・越によるチャイナ包囲網の形成
○開催自体が危ういと考えますので、まずは開催することを期待します。また、中国は上意下達の国で皆が政府指導者を向いて行動しているので、民間レベルでいくら議論し合意してもすぐに関係が良くなるとは考えにくいです。特に中国国内で起きている事件なら国民の目も届きインターネットでも報道されるでしょうが、尖閣諸島は中国国民の目の届かないところにあり、中国の一般民衆は中国のメディアによってしかその実態を知ることはできない状況にあります。ということは軍の発表をそのまま中国国民は信じることになります。従って民間同士の交流でもその概念を変えることは至難です。政府が建国以来ずっと唱えてきた反日を撤回しない限り無理だと思います。民間の識者が冷静な議論をしても、外交再開に向けた話し合いをしても、平和的解決に向けた議論をしても、政府の反日発言ひとつで全ては徒労に終わる気がしています。従って今回のフォーラムでは民間として意識が平行線であることを確認し、双方が国際裁判所において双方の主張を幅広く世界に聞いてもらう意識統一ができ、それを幅広く世界にフォーラムとして宣言できれば成功ではないかと思います。
○まず現状の政治とメディアを排除することの有用性を相互で確認したらいかがか?政治が動かなければ国民が動かないとか、メディアが情報を理解して報道しなければ、国民が解るわけないという、彼らのおごりがコミュニケーションの障害になっている、と思います。
○いつの時代も歴史問題は一方的であり"違い"を認識しあうことでしかないと思います。一党独裁の中国で永年にわたり教育で刷り込まれた日本に対する見方と戦後の日本の教育で刷り込まれた中国観とを近づけるには半世紀はかかるでしょう。せめて違いを認識することで良しとすべきでは。それゆえに期待していないと申し上げざるをえません。
○よく「冷静な議論」という言葉が使われるが、現実にはありえない。熱いけれども理性的な議論、が本来の姿。このようなメディアの用語による「刷り込み」も、日本人をおとなしくさせてしまっているのではないか。熱く、誠意を持って語れ。ただ理性的であれ。相手への敬意と尊重を忘れるな。それが話し合いの鉄則。
○民間レベルの外交の広義化についてとその可能性についての議論
○学生等若い世代の交流、議論。若い人たちの間で知り合い、理解し合っていくことが必要。
○両国のメディアが、どこまで冷静な報道に徹する事ができるのか、メディアとしての矜持も問われていると思う。
○それがどれくらい現状改善に資するかはわかりませんが。
○中国政府の時代錯誤の覇権主義、就中偏向的反日方針が、中国そのものにとって有利でないことを理解する中国人の増大に少しでも貢献
○性別、世代を超えた次代をつなぐことのできる方策を。討論者、参加者等にも性別、世代のバランスを期待したい。
○▼「戦略的互恵関係」の用語を頻繁に使う安倍総理や大臣、政治家は、注意散漫。深慮が無い。中国にとっては、日本は中国の手中にあると、歓喜している、「日本の政治家はこの程度だ!困らせてやれ」の感じだろう。▼中国国内では、大学に対しても、領土問題に関して議論をしないように箝口令が敷かれている。▼中国民間人も、この状況下で、美辞麗句の発言しかできない。真意は聞かれない。▼従って、問題解決には、民間人の発言は、全く寄与しない。▼言論NPOは、先を見る千里眼が無いし、白内障的、緑内障的視野しか持ててない。▼学者、専門家の視野は狭い。彼ら、彼女らは学理の世界で充分。▼現実の臨床の問題解決家は、別にいる。言論NPOは領土問題秘密会議をすべきである。招かれれば、私の戦略案を提示しよう。内閣関係者の参加があれば、為政者の外交感覚の垢が落ちるだろう。
○中国の他国に対する野心はGDPの増大とともに大きくなるのは必定。日本はその他の国と連帯して国力の増大に寄与していくことのできる国家像を造っていくために絶えず腐心していくことが肝要と信じています。
○報道と現実に乖離があって、中国が日本と会話の接点を模索しているのに、まるで中国側が一切拒否しているような雰囲気になっている。ここで「日本から接点を探しましょう」という動きこそ、中国側が最も臨んでいること。いつの間にやら、皆さんが今のような風潮になってしまっている。既に中国は「友好」より「互恵」と打ち出しを変えたことを正しく受け止めた上で行かなければ期待のしようがない。
○戦略的互恵関係だけを話せばよい。尖閣問題をこのフォーラムで取り上げても解決はない。
○いい加減に捏造史観で反日しても損するばかりだと気付いて欲しいです
○軍事紛争が回避でき、日本企業が中国でなるべく被害を受けず、活動できる状況に持っていければ良い。中国は今更 尖閣への働きを取り下げることはしないだろうし、日本も決して譲歩してはいけない。
○こうしたフォーラムを、短期的な成果にこだわらず、長期的に続けていくこと。
○メディアのあり方 報道の仕方について
○北京ではどうしているんでしょうかという質問を2回したが、一言も返事が返ってこないような状態の言論NPOには、実際何を期待していいかわからない。また、アンケートも非常に偏ったサンプリングをしており、全体的に存在意義を感じない。