10月の「平和宣言」に向け、日中両国間で本格的な議論が始動 ~「日中安全保障対話」を振り返って~

2018年8月27日

⇒【対談】工藤泰志(言論NPO代表)VS賈慶国(北京大学国際関係学院院長)
なぜ今、日中間で「平和宣言」が必要なのか
⇒「第5回日中安全保障対話」報告


参加者:
高原明生(東京大学公共政策大学院院長)
西正典(元防衛事務次官)
宮本雄二(宮本アジア研究所 代表、元駐中国大使)
司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)


kudo2.jpg工藤:今年は日中平和友好条約の40周年という節目の年になりますが、10月に東京で「第14回 東京-北京フォーラム」を開催します。このフォーラムの中で、私たちは、5年前の「不戦の誓い」に続く、「平和宣言」を合意することを考えています。

 そのフォーラムの開催を前に、今日、北京で日中両国の安全保障の専門家が集まり、「日中安全保障対話」を行いました。議論自体は非公開ですが、かなり本気の意見交換ができたのではないかと思います。皆さんは対話に参加してみて手応えはどうでしたか。


10月の「平和宣言」に向けて、建設的な議論ができた中国との対話

takahara.jpg高原:今、政府間では日中友好のムードを出していますが、今回の対話も総じて中国側も積極的で建設的な議論をしようというムードであって、その意味で大変よい議論ができたと思います。印象に残ったのは、彼らは今年、いわゆる第五の政治文書を出すことを意識していたことです。それを念頭に、私たちが進める平和宣言に向け、多くのヒントも得られました。

miyamoto.jpg宮本:私が一番強い印象を受けたのは、平和は何があっても守らないといけない、ということが参加全員から伝わってきたことです。これは日中両国間の基礎であり、ここで何か歪むようだと日中関係が危ないと思いましたが、特に安全保障に直接携わる方々も含めてそれを感じられ、力強いバックアップとなりました。やはり今年が日中平和友好条約40周年と記念すべき年だ、ということを認識していますね。平和は大事だという基礎の下で、次の段階へ日中が進んでいけるという強い意志を感じました。

nishi.jpg西:お二方がおっしゃった通りですが、さらに加えると、やはり台湾問題などをはじめ微妙な問題についての反応が今までより厳しい。つまり私の個人的な感覚では、中国が内外共に追い詰められていることを、参加者が何かしら感じているのではないかと感じました。その結果、何かデリケートな話題に触れられると、そこに向かって総力的に反論されるのです。明日の議論でも、もう一度傷口に塩を塗るようなことをして、何を気にしているかを見えればという感想です。

工藤:今回の会議には、中国から人民解放軍の主要幹部の経験者、それから海洋の安全保障の関係者が参加し、日本側も日本の安全保障を代表する専門家が集まりました。私もみなさんの意見と同じ感じを持ったと同時に、そろそろ日中両国は東アジアに平和をつくるための基礎となる土台を、皆で考えようという日本の提案に対して、中国側も乗ってきたという印象を受けました。

 一方で、西さんがおっしゃった通り、対話の圧倒的な不足からか、お互いが議論しなければならないことでの認識ギャップも大きいなと感じました。非公式の会議のために本音で議論し合ったことで、本音の意識の違いも明らかになったとも言えます。私たちはこの機会に、新しい平和構築に向けて動きを始めたいのですが、まだまだコミュニケーションギャップが存在し、お互いの信頼醸成の難しさが出ています。それを乗り越えるためにも、こうした本音レベルの継続的な対話は今後も必要だと思います。


相互理解の壁は大きいが、だからこそ壁をぶち破るプロセスを速めることが重要

高原:今までに積み重なってきた誤解の数々はものすごく高い山になって重みがあって、それを打ち払いたいが、なかなか一朝一夕にはそれができない。だから岩山に穴を打ち抜くように、少しずつやっていくしかない感覚を新たに感じました。

工藤:やはりコミュニケーションチャネルをもっと制度化してもよいのですが、問題点を整理しながらかなり頻繁にやらないと、と思っています。ただ、実際の安全保障関係者間に平和を作りたい、という目的が共有されている意味は、大きいものだと思います。

宮本:やはり大きなコンセプトなど、そうしたそもそものところの認識が違っている可能性が高いです。ですから、安全ならば安全の中身はどうなのか、それについてさらに検討しなければお互い理解できません。特に、覇権など様々な定義についても同じです。そうした本当にプロセスを議論していく上でも、相互理解の壁は非常に大きいです。

 しかし大きいからこそ、本気で取り組まないとならない。大きいまま放っておくと、本当に壁にぶつかってしまいます。今の米中関係の対立、あるいは日米同盟関係があって中国が存在しているという構図の中ではなおさらです。そういう障害があるからこそ、努力を倍加することでプロセスを早めることが必要だと思いました。

工藤:北東アジアには平和メカニズムがない中で、日米と中国が競い合う構図です。そういうものを踏まえながら、将来的には平和という秩序をつくろうという私たちの提案に関して、中国の反応は極めて積極的でした。


日本は米中両国の間に立って、全く違うロジックのギャップを埋める役割を果たせる

西:それについては非常に簡単なことなのですが、中国自身が追い詰められているという構図がある。作家の高橋和巳が若かりし頃に、アメリカと中国という全く違うロジックの間に立つ日本は、米中のギャップを埋めるような役割、つまり通訳となることが必要だと言って亡くなりました。安全保障や軍事のロジックが全く違う2カ国の間を埋めようと思うと、日本にはできることがたくさんある。それを日本がやらなければ、北東アジアの平和のシステム化ということはできないのではないかと思います。

 今回の議論でも、台湾問題などに敏感に反応するところを見ると自分たちがつらいのだろうと。そして最後の夕食のときに議論していて、アメリカとの関係がかなり切迫し出していることを感じました。問題はトランプ政権下のアメリカの行動にありますが、同時に中国も積み上げてしまった自己本位の行動が、どれだけ問題になっているか、ということがあります。どうやったらその溝を埋めることができるか、日本の仕事はそこにあるのだと思います。

工藤:今年は日中平和友好条約40周年です。その条約の今日的意義はどのようにお考えですか、。

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40周年という節目の年は、先人の知恵を見直し、変化する情勢に併せて文言を洗いなおしてみる良い機会

高原:さっき話題に出た「覇権」の意味とも絡みますが、「覇」を永遠に唱えないということで合意しているということが眼目かと思います。中国語の辞書によると、「覇権」とは実力を基礎として相手に自分の意志を押し付けたり、相手をコントロールすることです。これ永遠に唱えないということが、日中関係の一番の基礎であり出発点だということのその意義は今日でも大きい。それを今、改めて確認する必要があります。

 今日の議論の感じですと、普通の中国のエリートたちはその点について異議はないと考えています。言っていることとやっていることが違う、という意見は色々あるかと思いますが、少なくともそういう観念上理念上は異議がないと考えている。あとはどう、それを実行していくか。これまで40年間、それを約束してきたわけですから、それにもとるような行為が見られるのであれば、その原因はどこにあるのか、どうすればそれを防げるのか、といったことを考える40周年というのはいい機会だと思います。

工藤:中国はそういうことを考えることになると思いますか。

高原:さっき西さんも言われていますが、今、中国はアメリカにゴリゴリやられています。自分がやられたくないことを、他の国にするな、ということです。

宮本:福田康夫元総理が読売新聞のインタビューで答えた通り、福田赳夫元総理の考え方というのは、日中共同声明でできた日中関係は木の橋であるということでした。それを日中条約という形で鉄の橋にし、日中関係の基礎を固めたという認識でした。その中に控えているのが平和でありそして協力関係であり、そういうものを経て、最後に友好的な関係を作ろうというのが条約の中に入っているわけです。我々はそういう風に先輩に作ってもらったのに、私自身も外務省で仕事してきて、日中条約の一文一文を見て仕事したか、という反省があります。先人がお造りになったものを十分に踏まえてこなかったという意識がありますから、40周年にやっと体現することが、条約での両国の義務なのだと思い直すよい機会だと思います。

工藤:今回中国と合意した世論調査の中に、日中条約の条文を入れて、今日的に日中の関係で重要だと思うことは何か、を日中国民に選んでもらおうと思っています。そしてこの条約は本当に守られているのか、の検証も必要です。そうした作業を行うのが、今日の課題だと思います。
 西さんどうでしょうか。

西:お二方が本当に正鵠を得たことをおっしゃっていたので補足します。
条約締結当時、反覇権のことを議論したときには、明らかに対象はソ連でした。今日東アジアで反覇権の議論をしたときは、怨敵に上がってくるのはまさに中国になってしまう。今までは色々な事情で中国になびいていた国が、それこそ皆、中国に向かって反対の狼煙をあげる風になってきています。多分、中国は、自身がそういうターゲットになっていることをわかっていないし、わかる人は多分ゼロだと思います。そうした時、我々はアジアの国で中国と対抗できるほとんど唯一の立場から何を言おうか、そしてアメリカに対しても物を言える政権として何を言うべきか。究極は米中の激突を避けなければならない。そうするとその間に立って働くのは日本の立場だし、現時点に置き換えて平和条約の文言は意味が変質している、もしくは変質するリスクがあることをうまく言えるかどうか。正直自信はないが、試してみる価値はあるかもしれません。

宮本:今、西さんが言われた問題提起について、やはりルールに基づくグローバルガバナンスは、いかに状況が変わろうと、全ての国にとって一番よい結果をもたらすということを中国に学んでもらう良い機会だと思います。だからルールに基づくガバナンスがあれば、アメリカとの関係はもっと軽くなる。アメリカも未来永劫、今のような力関係を続けられません。相対的に間違いなくアメリカの力は落ちているわけですから、ルールに基づいたガバナンスというのはアメリカにとってもいいことなのです。ですから、そこを日本は声を大にして主張していくべきだと思います。本当は今からやろうではないか、と米中両国に説得すべきです。ヨーロッパは我々をサポートしてくれるだろうと思いますから、そういう形で動いていく状況になったのではないかという気がします。

工藤:日中条約35周年のときは尖閣問題で、まさに日本と中国の外交は対決というムードで、日中外交はほとんど機能していませんでした。そのとき私たちの「東京-北京フォーラム」では「不戦の誓い」を合意しました。その5年後の今年、私たちは「平和宣言」をしたいと考えています。日中平和友好条約の今日的意味を踏まえながら、私もその文章をつくるために必死に考えているところですが、皆さんは今回、「平和宣言」を出すとしたらどういうことを盛り込むべきでしょうか。


10月の「東京-北京フォーラム」で提案する「平和宣言」に何を盛り込むべきか

高原:やはり問題は常に何かしらあるわけですから、問題に直面した際に、決して手を出さないという自制が大事だと思います。それを実現するために何が必要か、ということについてはまた考えなければならないのですが、やはり自制、手を出さないということが重要です。

工藤:それは、紛争はどんな紛争でも平和的解決をするという文脈と同じですか。それを改めて確認するべきということですか。

高原:そうです。もう少し具体的に平和的な手段で解決するとはどういうことなのか。とにかくまずは自制です。それからルール、法も大事にしなければならないということになります。そしてルールを守るためには何が必要かと話は続いていきます。

宮本:若干偏った意見だと思われるかもしれませんが、ちょっと東洋的な面を出したいですね。私自身、中国をやっているからだと言われそうですが、実は色々な国際的なルールと本質的に同じことを我々の言葉はもっているのです。それから国際的なルールにないことでも、我々は言葉としてもっているということを出していきたい。もちろん国連憲章にも寛容という言葉が入っていますが、しかし寛容をもっと真剣に価値観として積極的にやってきたのは東洋という感じもしますよね。だからそういうものが新しい平和宣言の中に入っていれば、日中関係で深みが出て来るかなと思います。

 例えば、習近平さんが「親誠恵擁(しんせいけいよう)」という言葉を述べました。こういう態度で周辺国との関係をつくらなければいけない、と彼は言うわけです。しかし、これだけではわからないのです。漢字一字ずつを取って組み合わせた言葉ですから、おそらく英語訳、フランス語訳は苦労するだろうと思います。そこをもう少し国際的に通用する解釈を伴って、その言葉を使う必要があるということです。

工藤:日本語だったらどう言いますか。

宮本:もう一文字ずつ加えないと意味が伝わらないと思います。「和親、誠実、互恵、抱擁」などです。そうすれば日本人にも通じると思います。

工藤:高原さん、今の話に別の形で提案はないでしょうか。

高原:昔、小泉内閣の時に文化外交に関する懇談会というのがあって、そこでの一つのアジェンダは、当時、東アジア共同体ということが構想されていた頃で、それを支える規範は何か、理念は何かということが一つの課題でした。チーム皆で考えて、最後の結論は「和」と「共生」という言葉でした。ただ気をつけなければならないのは、「和」という言葉は日本語にも中国語にもありますが、意味は違います。儒教の「和」はヒエラルキカルな秩序も含むもの。

西:服従に近いですね。

高原:日本の「和」はそうではなくて、対等な関係を前提とした「和」ですから、そういう意味を込めて、人権と本当は言いたいのですが、確かに宮本大使がおっしゃったようにちょっとな、と思う人もいるのです。そういう気持ちも込めて...何か今ピンとくる言葉については、今はいいのが浮かびません。

工藤:高原さんの言われた人権というのは何ですか。

高原:結局天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず、というものですね。

工藤:平等ではだめなのですか。

高原:「平等」でもいいのですが、平等も言葉の定義をはっきりさせないと、中国人の理解する「平等」と日本人が理解する「平等」では意味が違うかもしれない。平和共存五原則の中に、「互恵平等」というのはあるわけですが、今、中国が作ろうとしている、どうも一部の中国人が考えているあるべき東アジアの国際関係は、必ずしも対等な関係をベースにしていなく、ヒエラルキカルな秩序が構想されている感じがします。


日中両国が思い描く言葉の定義のギャップを埋めることはできるのか

宮本:中国人のロジックからすると「覇権」というのは反対するものとなります。この「覇権」が何かということについて、日中で中身を固めることによって、中国が思っているものとは違う覇権を我々が持ってくることによって、結局中国が、それをできないようにしてしまう。ですから中国の言葉を使いつつ、しかし中身についてはアジアの他の国々も踏まえながら定義していく。結果的に中国を縛ることになる。「覇権」に反対してもらわないと困りますが、ヒエラルキーで上から下というのも困ります。しかし他方、西洋的なものを正面からもっていっても彼らは受け入れないということもあるので、そこの真ん中のものとして、彼らの言葉を用いつつ意味は国際的なものに変えていくというものが一つの手ではないでしょうか。

工藤:運命共同体という言葉には対等という考えはなく、上から目線なのですか。

西:対等という考えはありません。ランキングがいくつもあり、それを潰したようなイメージのものが運命共同体。そうではなく、「和」というときには、「和む=平等である」というニュアンスが出てくるので全然違うと思います。

高原:今の話には全く賛成なのですが、問題は「覇道」でなければ「王道」ならば良いのかというもう一つの問題があります。中国はおそらく今の意識では、覇道はだめだが王道ならばよいという意見をもっています。なぜならば、我々は大きいから王道でよいのではという意見があります。しかしやはり、東アジアの多くの民族が望む21世紀の東アジアの秩序はそういうことではなく、小さくても大きくても皆が納得のできる、発言権が同等にある、あらゆる問題について発言力があるということではなくとも、しかしお互いが人権をもって、小さいからといって見下ろされて、まったく発言権までない世界は誰も望んでいないということが、今の中国にわかっているかということが懸念です。

宮本:王道については、孟子が言っているように「徳」を持って人を従わせる、「徳」を持ってやらなければならないということです。「徳」なしに色々やって強くなる中国を相手にさせられるよりは、上から目線かもしれないが、しかし徳をもってやらないといけないと思っている中国の方がいいのではないか、と思っているので、できるだけ中国に寄せていくということはできます。中国は上下関係というか、常にできるだけ中国中心の秩序で考えていますから。日本はある程度大きいから飲み込まれないということで余裕をもって見られますが、他の東南アジアの国々からすると困ることもあるということです。

工藤:中国の間でそこまで本質的な議論が出来ればよいのですが、無理だとしても、この地域に平和を作るためにどのような規範が必要なのか、それを踏まえて両国の人たちが納得できるものを見つけていくプロセスが始まればよいな、と思います。そのとても重要な舞台が、10月13日から15日に東京で行われる「第14回 東京-北京フォーラム」だと思います。

 今日の日中安全保障対話は明日もまだ続きます。皆さんには引き続き、ご参加いただくことになっています。そして、なんとかいい合意をして、本番の「東京-北京フォーラム」を迎えたいと思います。今日は皆さんありがとうございました。