「第3分科会 発言要旨」 前半

2006年8月04日

木村伊量【日本側司会】(以下、木村【日】):
この分科会では、①日中世論調査の中から何が読み取れるか、②日中のメディアは何を伝えているか(=メディア検証)、③どのような協力関係が模索できるか、この三点について議論を深めたい。

劉北憲【中国側司会】(以下、劉【中】):
80~90%の国民はメディアを通して相手の国を理解していることを考えると、今回のテーマの重みを感じる。日本と中国のメディアの違いと共通点についても議論したい。

添谷芳秀【日本側問題提起者】(以下、添谷【日】):
第一に言いたいのは、情報源としてメディアが秀でて大きな役割を果たしているということ、それゆえにその重要性は強調してしすぎることはないということである。

世論調査における日中両国の政治思潮についての調査では、お互いを似たようなパラダイム(軍国主義、国家主義等)をもとで認識しているということが明らかになった。日本側も中国側も、このような現実に直面したときに、お互いに対して「そうではない」ということを言いたいのだろうと思う。両国ともに、下位にあるもの(民主主義や国際協調主義)の方が真実だ、といいたくなるであろう。日中両国は誤った前提にもとづいて理解するということになってしまっている。しかし一方で、現実の日中関係はこの相互認識が前提とするものとはならないことは明白である。相互認識が間違っていれば誤りを正せばよいのだから、展望は十分にある。そのためのメディアの役割は大きい。

世論調査において私が注目したのは、両国国民の認識が必ずしも相手国に対して否定的なものではないということである。歴史問題においてはたしかに国家主義パラダイムがでてくるが、しかし市民の日常的な認識は、必ずしもそうではないのである。多元的な社会の日中関係の構築、これをサポートするメディアの役割は大きい。しかし、あえて申し上げれば、現在のメディアは日中の相互認識を深めているというよりは、相互の誤解を増幅している。問題は、メディアがお互いをステレオタイプで報道し、その中に日常的な情報を落とし込んでしまうことにある。ステレオタイプの増幅が国家主義的対立を増幅させていくとすれば、そうではない形でのメディアの役割はきわめて重要である。お互いがお互いを見る見方が多元的になることで、多くの問題が解決されるであろう。現状を見てみれば、基本的にはきわめて多元的である。歴史問題に関して言えば、日本側の見方は決して一枚岩ではなく多元的であり、中国側がその状況を理解すれば両国関係は改善が見込まれるだろう。

劉【中】:
調査が定性的なものから定量的なものになり、データをもとに分析する方式に変化した点は大変な進歩である。しかしこのことは、この世論調査結果を全く正しいものとしてそのまま受け取っていいということではない。参考にはなるが、これを政策における意思決定の唯一の根拠にしてはならない。結果に対して客観的な立場を取るべきである。 

現代社会の三本柱は、民主主義、市場経済、マスメディアである。国民の情報源は主としてメディアに依存しており、そのメディアは現在、新聞・雑誌・ラジオ・テレビあるいは急速に発展しているインターネットなど、多様な形態をとっている。
 
同じ事柄に関して、異なるメディアによって異なる見解が述べられる。このことは多元的な声が生まれているという点でまことに正常なことである。

 また、これまでのメディアはニュースメディアとして存在していたが、現在のメディアは教育・文化・科学技術・エンターテインメントなども取り扱い、多機能である。

 人間が作っているものである以上、メディアは誤った報道をしてしまうこともある。だが社会の良識として、日中関係の構築のためにメディアは積極的なドライビングフォースとなるべきである。そのためには、メディア自身がその役割を①やりたいのか(意思)、②できるのか(能力)、③やるのか(実行)という三つの段階を一つ一つクリアしていくことが必要である。

今井義典【日本側コメンテーター】(以下、今井【日】):
まず、中国で世論調査ができるということに大変驚いた。定量的なデータが入っていることを重要視したい。日本側の調査結果について驚き、また反省しなければならないことは、日本のメディアに対する評価が低いということである。日本国民の多くが日本のメディアにバイアスがあると考えているとしたら、お互いの強い不信感をどう解決していくか、そしてその中のメディアの役割は何かを再確認し、自分たちの仕事を改めて考えていく必要があることを強く感じた。「真実はひとつ、しかし正義は必ずしもひとつではない」と考えている。正義を精査し、見極めていく作業が必要で、メディア自身、そして社会・市民もそれをしなければならない。お互いに非常に高い好感度を持っている独仏国民のように、日中関係も両国民がお互いに大いに好意を持つような関係になればよい。

張一凡【中国側コメンテーター】(以下、張【中】):
日本国民の中国に対する注目度が下がっていることに非常に驚いた。メディアが果たすべき役割を果たしていないと感じる。主催者の一人として、チャイナデイリーは中日関係の改善に寄与していることを確信しているが、お互いの真実を語ることがまだできていないように感じる。中国にとっての中日関係の重要性は第一位ではないかもしれないが、第二位には確実に入る。チャイナデイリーの論説のページでその日本が取り上げられることはまだあまりないという状況は改善していくつもりであり、今後は日中関係のことをもっと取り上げていく。論説や社説に注目していただきたい。

山田【日】:
メディアは相互誤解を増幅しているという話に関していうと、私は去年の分科会にも出席したが、お互いがお互いの報道に対する批判をしていたことが印象に残っている。それで日本の報道が改められたということはないかもしれないが、その現実を認識でき、日本メディアの幹部の一人として、昨年の分科会参加は大変意義のあるものであった。

 冷戦後、自分の国は自分で守るということから、ナショナリズムが勃興してきた。日本の現実的な政治意識が生まれ、研ぎ澄まされてくる中で、靖国参拝に対する中国側の批判は、「駆け引き」としてつかわれているのではないかという認識がインテリ層で広がっている。あえて申し上げれば、私はこれはある程度真実であり、一般の問題に関して言論の自由があるとしても、中国は歴史問題などのデリケートな問題については多元的な報道ができないのではないかと思う。

劉【中】:
国民の感情の問題。両国は歴史問題や現実的な問題によって、愛憎相半ばするという状況にある。しかし、悲観的になるべきではない。

範士明【中国側コメンテーター】(以下、範【中】):
メディアが報じる日中両国のお互いの姿が、かえって関係悪化を招いているという話があるが、私は現状を重く受け止める必要はないと考えている。メディア関係者はリラックスしていいと思う。

第一に言いたいのは、メディアは二国間関係の変化のあり方を取り上げるべきであり、変化の原因を逐一取り上げるべきではないということである。日中関係変化の原因をメディアのみに帰することは不毛である。メディアが情報源として理解のための手段になっていることは世論調査でも明らかであるが、それがすなわちマイナスイメージを形成しているということではない。同じ事件を見ていても、違う理解はありうる。情報源は重要であるが、決してそれだけがいけないということではない。

 第二に、メディアが果たす役割は消極的な役割だけではないことを強調したい。積極的な、建設的な役割を果たすこともできる。ある状況は複雑な要因によって形成されているのであり、メディアはそのひとつであるにすぎない。

 第三点として、メディアにはさまざまなメディアがあるということである。「日本メディア」「中国メディア」と一概に言うことはできない。

小林陽太郎【日本側コメンテーター】(以下、小林【日】):
メディアを十把一からげにすることはできない。本来、新聞や雑誌、テレビなど、いろいろなメディアがそれぞれの立場で事件を分析することによって、視聴者に対して複眼的な視点を提供する、それがメディアの理想的なあり方である。

 世論調査については、たしかに問題はあるが、日本人も中国人もお互いの政治思潮をよく見ているのではないかと思う。日本に対する経済主義、国家主義という認識などは、ある程度合致している。複数のメディアが、結果として、正確な情報を提供していると考えている。

 運営上の問題など、メディアには現実的には様々な制約があるだろうが、それを越えた上で客観的な報道をするのが、プロの仕事である。メディアの責任について、関係者は正面切って取り組んでもらいたい。

工藤泰志【日本側コメンテーター】(以下、工藤【日】):
このセッションは現在の日中間の認識問題に向かい合おうとするものである。この世論調査は少なくとも国民が考えていることの判断材料にはなっている。パネリスト自身が、日本はどんな国だと思っているのか。率直に聞きたい。日本を軍国主義的、民族主義的国家と認識しているのか。

張【中】:
個人的な見解を申し上げると、日本はひとつの国として、軍国主義の道に進むとは私は全く考えていない。

歴史問題に関して、日本人は考えを持っているだろう。日本が反省していないとは考えないが、しかし個人的な感触からいえばどちらかというとそれは成熟していないと感じる。一方ドイツはかなり深く反省していると思う。歴史問題の解決は、日本国民の判断に委ねられている。

添谷【日】:
日本側と中国側の相互認識のコンテクストは必ずしも同じではないと考えている。小泉内閣以降の外交政策は、国家主義や民族主義などの潮流が体系的に起こっているわけではない。別々のコンテクスト、背景のなかでおこっている個別的な出来事であると思う。中国側はそうは考えていないのではないか。日本側の中国の政策に関する見方にも同じようなことがいえると感じる。

今井【日】:
日本人の中では、太平洋戦争で米国に負けたという意識はあっても中国に負けたという認識が低いことはたしかである。しかし、ドイツの場合には「ユダヤ人の殲滅」という点に質的な差異がある。ヨーロッパの他の諸国も、意識的・無意識的にそれに加担したという負い目がある。ナチスと同列に議論することには大いに疑問がある。

「第3分科会 発言要旨」 後半 につづく