政治に向かいあう言論

「日本の知事に何が問われているのか」/村井長野県知事

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村井 仁(長野県知事)
むらい・じん

1937年生まれ。1959年東京大学経済学部卒業後、通商産業省入省。1986年衆議院議員総選挙にて初当選以来、衆議院議員を6期務める。その間大蔵政務次官 金融再生総括政務次官、内閣府副大臣 金融担当、国家公安委員会委員長・防災担当大臣を歴任。2006年長野県知事に就任。

第2話 市町村と国の二層制でいい、道州制は不要

 よく道州制をという意見が出ますが、例えば、九州という単位で、どれだけのことができるのか。JR九州があり、九州電力があるという意味で、それなりの経済的な一体性はありますが、例えば中国との間で貿易をやっていくときに、そこで自己完結的なことになるのかというと、極めて怪しいと思います。日本という単位でさえ、もはやマーケットとして小さくなった。だからEUなのです。そういう時代に九州などと言ってみたところで始まらない。
 
 EUは確かに1つの理想的な姿ですが、それはヨーロッパという、経済力においても文明の度合いにおいても、比較的近似した国々がたくさんあるところで、あのような経済的、政治的な連合というものが成立する。日本のように、韓国、台湾、シンガポール、あるいはオーストラリア、ニュージーランド、その辺りまでは入れられても、他を入れていくと大変だというような地域で、一体どのような連携ができるのかと考えると、私は、この地域では国の果たす役割はまだ大きいと思っています。特に、間違いなく1つの国というものが表にずっと出ている中国という存在を考えると、日本は国という意識を捨てるわけにいかない。

 一方で、例えば私は長野市というところに住居を置いていますが、自分が現実に住んでいるところでは、ごみの始末や交通をどうしてくれるという身辺的なニーズに応えてくれる行政サービスがきちんと提供されることが望まれます。これが自治だと思います。快適な緑地や散歩道が欲しい、買い物するにもいちいちクルマで行かないで済むようになればいい、そのようないろいろニーズに応えていく。

 その自治の範囲が10万人を超えると、恐らく今申し上げたような意味での小さな自治体の緩い連合体のようなものではあるかもしれませんが、それが特別な意味を持つかどうかは疑問があります。市町村レベルの自治体が本当に力を持ってきたら、県というものは解散してしまっていいと思います。

 そもそも道州制というのは軽率な議論だと思っています。今、道州制の議論で言われているのは、都道府県というサイズが小さ過ぎるということです。しかし、それは当たり前です。47都道府県という現在の大きな枠組みができ上がったのは明治時代です。そのころの交通、通信その他のインフラ能力からすれば、それぐらいのサイズでなければどうしようもなかった。それが、この交通・通信網の発達した世の中で、なぜそのままでなければならないのか、ナンセンスだと思います。基礎的な自治体としての市町村があれば、都道府県はなくてもいい。
 
 もう国と市町村でいいのです。なぜ道州制をつくらなければならないのか、私にはわかりません。まして、今は都道府県の1つである北海道が、なぜ「道でございます」と言うのか、全くわからない。九州などはたまたま島だからいいかもしれませんが、四国などはサイズが小さ過ぎて、そこがまとまっても意味はありません。

 さらに関東圏を考えてみると、関東州という3000万人規模の自治体になったときに、そのトップは現行憲法をそのまま適用すれば自治体ですから、首長は直接選挙で選ばれる。議員も選挙で選ばれます。そうすると、関東州知事、関東州議会の議員というものが、首相、国会議員と比較してどちらに比重があるのかわからなくなる。

 東京の求心力が増している理由は、やはり政治や行政、そして経済の全ての中心にしてしまったからです。それを改めるためには、昔からある遷都論が必要です。政治の中心を外す、行政の中心を外すということで、経済まで積み重なっている集積を少し崩していく。崩す要素としては政治や行政を外していく。それしか多分、方法はないでしょう。
 
 私の道州制についての疑問の起点について申し上げれば、長野市は確かに新幹線で結ばれたから、東京に非常に引っ張られているかもしれませんが、松本から南についてみれば、松本はまだ東京ですが、飯田市あたりになると、もう愛知県や静岡県だったりするわけです。どちらにしても、日本では東海道メガロポリスがどうしても経済的に吸引力が強く、飯田あたりで意識するのは中京の財界であり、東海の浜松というような地域でしょう。まさに隣接もしています。同じことは南のほうの木曽郡についても言えるわけで、見ているのは明らかに名古屋です。そういう意味ではばらばらなのです。新潟のほうももちろんあります。ただ、長野より北のほうになると、新潟を越えて、さらにロシアや、あるいは韓国や北朝鮮、そういうところへも関心が当然あります。

 私は、道州制になって長野県がばらばらになって散っても困ることはない、そこに住んでいる人が幸せならと言っているのです。

全5話はこちらから

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