アジアの民主主義は生き残れるのか

2021年7月01日

 「香港の民主主義は死んだ」-1年前の香港国家安全維持法(国安法)施行後、100名以上の民主派市民が逮捕され、政府に批判的な香港紙『蘋果日報(アップルデイリー)』が休刊に追い込まれた香港で多くの市民がそう嘆いた。アジアでは、香港以外にもミャンマーでは2月に軍事クーデターが起こり、5か月が経過した現在も軍は今も民主化要求を続ける市民を弾圧し続けている。ミャンマーの隣国のタイでは、2014年から軍が政治を握っている。そして、カンボジアでは政府が野党勢力を排除し、一党独裁を続けている。

 今や東アジアにおいて、民主主義は少数派である。今年の2月に発表されたエコノミスト・インテリジェンス・ユニット(EIU)の「民主主義指数」では、東アジアの国々で完全な民主主義(Full democracies)と言える国は、日本と台湾、韓国のみである。(オセアニアを除く)パンデミックによる経済・社会の疲弊、格差問題、過激派の台頭、そして中国の影響力の拡大まで多くの難題を抱え、アジアの民主主義は生き残れるのか。今回は、東アジアの中で民主主義の仕組みをかろうじて維持している、インドネシア、フィリピン、マレーシアの3ヵ国の若手リーダーの意見を聞いた。

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マレーシアは、長期の国会閉鎖で「民主主義の緊急事態」

 まず、3名に聞いたのは、何がアジアの民主主義を後退させているのかという点である。

 「マレーシアは今、国会の閉鎖という緊急事態に直面している。民主主義の大きな後退だ」とマレーシアの国会議員のヌルル・イザー・アンワール議員は切り出した。

 マレーシアのムヒディン政権は新型コロナウイルス感染拡大阻止のため、今年の1月に緊急事態宣言を発令。緊急事態宣言下でこの間国会は開かれていない。国会での審議なしに歳出権限を拡大したり、政権が設置したマレーシア国家安全保障会議(NSC)が感染対策をはじめ経済・社会に係る多くの方針を一方的に決定するなど、政権の権限が増している。新型コロナの感染拡大防止を口実に国民の代表である議会を長期間停止し、民主主義を形骸化される政府に対し、アンワール氏は「民主主義の重要な機能の一部を失った。大きな後退である」と断じ、強い警戒感を示した。

 パンデミック対策を名目にした行政府の権限強化はマレーシアだけではない。インドネシアでも2020年に緊急事態政令の下、国民に十分な説明なしで財政を拡大したり、大統領が公務員の昇進や解雇などに全権限を握ること容認され、ジョコ政権は批判を浴びている。政府を批判する有識者が警察に連行される事件もあり、人権侵害と指摘されている。


 フィリピンも同様である。ドゥテルテ政権は2020年3月に新型コロナ対策として厳しい外出制限を導入。7月には「反テロ法」を施行し、治安当局の権限を強化した。こういった強権的な対応に著名なジャーナリストであるマリア・レッサ氏(ラップラーCEO)は、「民主主義が危機的な状況にある」と警告している。

 異例のパンデミックが世界を襲った2020年。感染拡大を食い止めるため、各国政府は一時的に国民の権利や自由を制限する措置を講じてきた。前述のアンワール氏は、「パンデミックの中、多くの政府が強い権限を持つのは必ずしも悪いとは言えない」としながらも、「政府がより強い力を持つ場合、同時に大きな責任を果たす義務と国民への丁寧な説明が不可欠である」と強調する。


国民が求めているのは効果的な統治。
強権的な国の方が優れている神話を打破すべき

 アジアの民主主義を後退させているのは、何もコロナ禍で強権化する政府や政治指導者の問題だけではない。ここにはコロナ前からの複層的な問題が存在する。

 まず、一つ目は、国民が抱える複雑な課題に対し、民主主義のリーダーや統治の仕組みが決断力を持ち、効率的に取り組めない問題である。

 フィリピン前上院議員のバム・アキノ氏は「国民は民主主義そのものが効果的な統治なのか疑問視している」と話し、民主主義の政府が経済成長や富の配分の面で国民の期待に十分に応えてこなかった問題点を指摘した。また、政策を実現するスピードの面でも、中長期的な国の発展を考える政府と短期の成果を求める民意との間に大きな乖離があることも強調した。

 これらの民主統治の問題点から権威主義の方が効果的な統治であるという誤解が国民の間で広がっていることにアキノ氏は強い懸念を示し、「国民は強権的な政府を求めているのではない。効果的な統治だ。民主主義では決断力を持ち効果的な政治が出来ないという神話を崩さないといけない」と語った。


 次に指摘された問題は、グローバル化や技術革新、そしてパンデミックがもたらす混乱の中、国民の不安を煽るポピュリスト的政治家と安定や秩序を求めて強いリーダーを支持する国民である。

 ワヒド元大統領の次女でインドネシアにおけるイスラムと寛容性について説いてきたイェニー・ワヒド氏は、「混乱の時代に国民は安定や秩序を求め、決断力ある強いリーダーを支持してしまう」と分析し、世界各地で誕生する強権的なリーダーの影響力の拡大を警告した。

 さらに、多民族・多宗教国家のインドネシアやマレーシアについては、近年、特定の民族・宗教グループの利益や主張を代弁する「アイデンティティ政治」や宗教保守派や急進主義者が勢いを増しており、時に民主主義を攻撃している。

 マレーシアのヌルル・イザー・アンワール下院議員は、「中道の政治こそ今求められている」と語るが、実際は、マレー系、中華系など各民族グループ間や都市と農村で大きく利害が異なり、どこか特定の集団に偏り、その集団の利益を主張する政治家の方が支持を得やすいのが現状だ。

 寛容で穏健なイスラムを長年推進してきたインドネシアも同様である。同国では近年、急進派や宗教保守派が政治的、社会的に力を増し、多宗教の共存で民主主義を育んできたインドネシアの文化を破壊している。ワヒド氏は、「現在、問題が複雑なのは、一部の強権的な国家や指導者だけではなく、宗教保守派などの非国家アクターも民主主義を攻撃していることだ」と伝えた。


民主主義は一進一退、維持するために不断の努力を


 
 アジアの民主主義の後退について、厳しい見解を示した、インドネシア、マレーシア、フィリピンの若手リーダー。では、3氏は、民主主義の将来をどのように見ているのか。

 インドネシアのワヒド氏は、民主主義は長期的に存在するが、今後も一進一退を繰り返すとの見方を示した。「強権的な指導者を支持することもあるが、指導者が自由や人権を侵害し、経済発展という約束を果たせなければ、いずれ国民からの支持を失う」と語った。その上で、「民主主義が後退したとしても社会に与える影響を出来る限り小さくすることが不可欠だ」と述べた。

 「時間はかかるが、アジアの民主主義は正しい方向に進む」と話すのは、議会閉鎖と行政府の権限強化という民主主義の苦境にあるマレーシアのアンワール下院議員である。困難はあれど、長年東南アジア諸国が苦しみながら勝ち取ってきた民主主義に強い期待と確信を示す。

 一方で、アンワール氏は「自動的には民主主義は正しい方向に向かわない」と付け加えた。3氏は一致して、民主主義を守るために絶えず闘い、民主主義が機能するように努力するべきだと説く。

 続けて、フィリピンのアキノ氏は、「民主主義を当たり前とは考えてはいけない」と警告した。国民は選挙での投票行為だけではなく、意思を持って国家のガバナンスに参加し、民主主義が脆弱にならないよう支えていく義務があると述べる。


アジアの民主主義、今何が必要か

 深刻な民主主義の後退を感じながらも、民主主義への期待、そして守り抜くための信念を示した3氏。では、今、アジアの民主主義を守るために何をすべきなのか。

 はじめに3氏が強調したのは、国民と政治リーダーのコミュニケーションの改善である。

 フィリピンのアキノ氏は「ソーシャルメディアが日常になった今、権威主義的なリーダーよりも効果的なメッセージの発信が必要だ」と話す。同氏は、これまで政治的発言をしてこなかったアーティストやコミュニティのアクターを巻き込み、彼らの市民社会への強い影響力を活用し、自身の主張を広く国民に伝えてきた独自の取り組みを紹介。SNSの時代には、ポピュリスト的な言説、不満や憤りといった負の感情の方がソーシャルメディアで拡散され国民が影響を受けやすいことから、これを上回る効果的なコミュニケーションが政治リーダー側に求められると語る。

 アンワール氏も同様の点を主張する。過激派ではなく、中道の政治家が世論形成で影響力を持つためにも、自分たちが有権者やマイノリティに歩み寄り、彼らが求めていることにきちんと耳を傾け、丹念に説明を行う努力を欠かしてはいけないと話す。同氏は、常に「民主主義がいかに有権者の助けになるか」と丁寧に国民に説明しているという。


SNSは諸刃の剣―教育や意思表明の道具として民主主義の強化に活用すべき

 インドネシアのワヒド氏は逆に情報を受け取る側の市民の姿勢について指摘した。膨大な情報が飛び交う現代において、多くの人は動揺し、感情的で強いメッセージに流されてしまう市民を強く懸念。「民主主義が機能するのは、市民が情報に基づいて適切な判断を下せるときだけである」と断じ、IT技術の急激な発展に伴うフェイクニュースや極端な主張の広がりの問題点について「人類社会が真剣に考える大きな問題だ」と述べた。

 ただ一方で、ワヒド氏は、「これはチャンスでもある」と付け加えた。「SNSは諸刃の剣」と語り、負の側面もあるが、逆に若い世代への教育や強権的な政治指導者に反発する意思表明の道具にもなると評価する。多くの人が恩恵を受け、民主主義の強化につながるツールにするためのリーダーの前向きで積極的な姿勢が求められることを伝えた。


パンデミックで社会や経済が傷付いた今こそ、民主主義をより包摂的で共感を得る制度に

 次に、3氏が指摘したのは、民主主義が効果的な統治形態としての立場を回復し、パンデミックで傷付いた社会と経済が傷付いた今、民主主義をより包摂的で支持される制度に変えなければいけないとの点だ。

 「国民が求めているのは効果的な統治」とのアキノ氏の前述の主張の通り、民主主義がいかに迅速に国民の問題に取り組むことが出来るか問われている。

 アンワール氏も、セーフティネットやヘルスケアを充実させ、最低賃金を保証し、民主主義が国民生活の向上に資するようにしなければならないと話す。特に、パンデミックで経済や社会が疲弊し、国民にシニシズムが広がる中、民主主義をより包摂的で国民の共感を得ることができる制度に作り変えないといけないと主張する。

 最後に指摘されたのは、分断の時代に多民族・多宗教の国家がいかに民主主義を守り抜くかである。

 この点については、インドネシアのワヒド氏から「民主主義への攻撃には断固とした姿勢で対処すべき」との見解が示された。政治家は往々にして支持基盤を失うことへの懸念から躊躇しがちであるが、一部の人種や宗教の過激な主張に傾き、民主主義を攻撃するグループに対しては、政治的問題を抜きにして断固として強い立場から対処しなければならないと強調する。同氏は、その例として、インドネシアが現在、民主主義を攻撃するグループを取り締まるため、警察の力を強化していることを紹介した。


外からではなく内から民主主義の修復を


 
 アジアの次世代のリーダーから、民主主義を修復するための前向きなアイデアが出されたところで、最後に3氏に意見を伺ったのは、「民主主義の修復」を掲げるバイデン政権の評価だ。この点について一致したのは、民主主義の修復は、外からではなく、その国自らが取り組むべきだということだ。

 アンワール氏は、バイデン大統領の「民主主義の修復」への取り組みを「歓迎する」と評しながらも、抽象的なスローガンではなく、パンデミックでダメージを受けた国民生活をいかに具体的に改善するかが肝要だとする。

 インドネシアのワヒド氏は厳しい見解だ。歴代政権の実績から見れば、アメリカは自身の利益から「民主主義の強化」を掲げており、アメリカに過度に期待することを懐疑的に見ている。ワヒド氏は、「もうアメリカは世界の警察にはなりえない」と述べ、「それぞれの国が自分たちて民主主義を守り抜くべきだ」と締めくくった。

 アジアの民主主義が後退局面にある中、それぞれも独自の困難や限界にもがき、試行錯誤を行うインドネシア、マレーシア、フィリピンの3か国。3人の若手リーダーの発言からは、厳しいながらも民主主義の価値や意義を信じ、期待する真摯な姿勢と自らの手で守り抜くための強い意志が伝わってきた。

 日本もチェック・アンド・バランスや統治としての民主主義への信頼の失墜、市民の政治参加の放棄など独自の課題を抱える。日本の民主主義が「生き残るか」は、国民の不断の努力にかかっている。

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記事:西村友穗(言論NPO国際部部長)
編集補佐:篠田茉椰(ジュネーブ国際・開発研究大学院国際開発・政治学専攻修士1年)

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