被災から復興に向けた日本のビジョンをどう描くのか

2011年4月22日

人面優先で超法規的措置も

高橋: ある1人のリーダーということもありますが、現場でもそれぞれ起きてくる問題だと思います。例えば、阪神淡路大震災の時に、外国人のお医者さんが来て、治療してもいいかということがありました。法律上はダメなのですが、厚労省が例外をつくって、できるようにしたわけです。今回もその経験があったので、一応、外国人のお医者さんを受けいれられることになりました。しかし、アメリカでは、州単位で医師免許を取っているので、州をまたぐ場合は通常は治療できません。ところが、そういう場合には、国家公務員にしてしまって、色々、不足な事態が起きた時に全部備えられるようにする。日本は、外国人は来てもいいよと言ったけれど、そういうところまでやっていないわけです。やはり、現場、現場で、超法規的というか原則を歪めてもいいのだ、ということでどんどんやっていく。そういう流れをつくっていくということが必要だと思います。それが、なかなかできていない。

早瀬: 法律ではなくて、閣議で議論して、それで決まればということは沢山あったと思いますし、現に、いくつかはそれで済みましたね。

増田: とにかく、十数万人の命をとにかく救うということを最優先にして取り組むべきではないでしょうか。

高橋: 阪神淡路大震災の時には、避難所で亡くなった方が、二十数人だったかと思いますが、今は、もう280人とか、300人の方が亡くなっていますよね。ですから、これから、人命ということが非常に大事になってくると思いますね。

工藤: 増田さんは岩手県で、僕は青森県なのだけど、東北の人は本当に純粋で、困っていてもなかなかちゃんとそれを伝えられないのですが、本当は困っているのですよ。

増田: だけど、本当に手を差し伸べなければならない人は、自分たちからは決しておっしゃらないですよね。

工藤: そう、言わないのですよ。
増田: だから、それを聞いて上げないといけないのですね。
工藤: それが一番難しい。

早瀬: 人に物事を頼むということは、なかなかしんどいことですからね。受援力がなかなか使えないというのがありますよね。

工藤: 関西では、「あなた困っていますか」ではなくて、「誰か困っている人はいませんか」と呼びかけた、というのですよ。

早瀬: 最初はね。「何かすることはありませんか」ではダメだったのですよ。「どなたかこの近くで、困っている方をご存知ありませんか」と聞くと、心を開いてくれるのですよ。ちょっとした言い方の違いなのですけどね。

工藤: それにしても、ようやく動き始めたので、高橋さんがおっしゃったように、これが単なる勉強会とか、アイデアを言い合って終わってしまう、というのでは話にならないですよね。これが、実行という形でどういう風に動き出すかということが、今懸念されているところです。高橋さんも、そういう懸念なのでしょ。

高橋: おっしゃる通りです。

工藤: 今回の復興を考える時に、僕は2つのことを考えないといけないと思っていて、それを順次議論していきたいと思います。1つは復興の意義ですね。今回の復興で、僕たちは何が問われているのか、ということをやはりきちんと考えておかなければいけないと思います。そして、この復興は誰が担っていくのか、誰が実施を具体的に進めていくのか。今の段階では、まだまだわかりにくい状況になっていると思います。それから、「復旧」と「復興」という言葉の違いが整理されていない場合があります。「復旧」というのは、そのまま同じ状況に戻すということで、いわゆる原状回復ですが、今回の東日本大震災の場合は、復旧だけではダメで、もっと次に向けて新しく作り替えていくという未来志向の議論も必要だと思っています。そこ辺りは、みなさんはどう思っていらっしゃるか、ということをやりたいのですが、高橋さんいかがでしょうか。

復興とは活力まで元に戻すこと

高橋: 「復旧」と「復興」という2つのレベルがあるということは、どの震災でも同じだと思うのですが、私は復旧の中に、「復元」ということがあるのではないか、と言っています。前あったものを元に戻す。例えば、非常に高い堤防があったと。これが壊れたから元通りにするのだ、あるいは、みなさんが住んでおられた町を、元通りに戻すのだ、ということが、復元ということだと思うのですが、それがそもそもできるのかということと、それをすることが必ずしも正しくないということ。ですから、復元するのがいいのかどうか、ということを考えなければいけないと思います。一方で、「復旧」というのは、色々な生活に関わる機能を元に戻すということなので、これはこれでやらなければいけない。ただ、今度はその先の「復興」ということになると、これはその地域の活力が戻るかどうかということだと思います。阪神淡路大震災の時のことを思い出してみると、例えば、神戸港は復旧して元には戻りました。しかし、震災の前から、神戸港の機能は釜山にとられ始めていた。ところが、震災で壊れたが故に、一気に釜山への流れが加速しました。結局、港は元に戻ったけど、ビジネスは戻ってこなかった。だから、これは本当の意味では復興ではないのだろうと思います。それから、長田地区はケミカルシューズの大産地だったわけです。ところが、生産機能が壊れたときに、中国製の安い商品に日本の市場は席巻されてしまった。だから、町は綺麗になったけれども、地域の活力などは戻っていません。だから、復興というのは、活力まで戻すことなのだと思います。 私は、そういう意味で、大変な津波で被害を受けているので、復興の前に、まず復旧というところで、どこまで元に復元するべきなのかどうか、というところの議論から始めなければいけないのだと思います。

工藤: 岩手県知事も務められた増田さんは、どうでしょうか。

増田: まず、産業面でどういう風にしていったらいいかという考え、道筋は必要だと思います。それから、今回の場合には、そもそも自分はどこに住むのかという、居住選択が迫られるのではないかと思います。阪神淡路大震災の時には地震による打撃のようなものでしたから、みなさん方も大変な被災にあわれたのですが、その次には元いた自分のところに戻って、堅い建物を建てて、地震があっても絶対にびくともしない建物をつくって、そこで生活を力強くやっていこうということでした。今回は、津波で何も無くなりましたので、そもそも元の自分の土地に戻ったらいいのかどうかを、少なくとも仮設住宅にいる間に落ち着いてみんなで議論して、それでいわゆる高台に移るのかどうかということから考えていかなければいけない。で、これは、明治29年とか昭和8年、昭和35年に大きな3回の津波がありましたが、その度ごとに議論されてきたことなのですよ。それで、結局、何にも無いですから、いい悪いは別にして、結局、元のところに戻るしかなかったわけです。今回、それを4回も繰り返していいのかどうか。今、高橋さんがおっしゃったように、これから、私は、そこに働く場をつくり上げて、しかもそれは、将来だんだん落ち込むような働く場ではなくて、少なくとも上に上がっていくような働き場をつくらなければいけません。それを考える前に、そういうことにみんなの気持ちが向かうためにも、一体どこに住むのかという仕組みを、単に自分たちの財産なのだから、自分たちでやれではなくて、福祉国家として公助ということをどこまで進めていくかというところが重要になってきます。今までは、共助でみんな必死になって支えてきたわけだけど、よく言われているように、土地を全部買い上げて、高台に移ってくださいと。そこまで乗り出してやっていくかどうかということが、まず最初に問われるのではないかと思います。

工藤: コミュニティというのは、そのまま残るように意識した取り組みが必要なわけですよね。

増田: 今のままだと、そこにつくる人と出ていく人が出てきて、コミュニティがどんどん崩れていきます。あの地域は、いずれにしても相当コミュニティの力がないと生活が支えきれません。それであれば、コミュニティがきちんと移れるような条件まで言う。菅さんが高台に移ってそこから港に通勤して、エコタウンとか色々言っていましたが、それを語るのは住民の人達だと思うし、それは最後だと思います。私はそうではなくて、今までの3回の津波の時も、みんなそうは思いながらできなかったというそこの条件のところ、つまり、国でこういう風にするから、それでみなさん色々な住まいを考えてほしいという風に持って行けないかな、と思いますね。

工藤: その意見を、もう少し聞きたいのですが、その前に早瀬さんどうでしょうか。

早瀬: 確かに、記憶にある中で3回同じようなことがあって、当時は重機の力も含めて、山を崩してなんていうことがなかなかできなかったから、そのまま住むしかないということだったのだろうと思います。逆に言うと、その町を離れないということは、目の前に世界有数の漁場があって、生活できるベースが元々はあるわけだし、それは失われていないわけですよね。後は、それをどのようにするかです。ただ、辛いのは、本来は、そういったことは被災されている当事者自身が考えるべきなのだけど、今は当面の生活に追われて半年後、1年後のことを考えられないということがありますよね。でも、逆に言うと、半年後、1年後のことを考えることでもって希望が出てくるわけですから、どこかのステージから、現地のみなさん自身が自らビジョンをつくるためのステージというか、場所をつくっていくことを並行してしないと。国の方でこう決めましたからというのでは絶対にダメだと思います。

工藤: その人達が、自分たちの地域の未来に誇りを持てないと地域は再生できませんよね。ただ、今の話は非常に難しい話ですね。

仮設住宅の建設をめぐる難しさ

高橋: 私は、もう少し手前にも問題があると思うのは、例えば、仮設住宅をつくる。これは、復旧のプロセスには必要なことですよね。でも、元々、三陸地方は平地が少なくて、仮設住宅をつくる場所さえないという地域があります。ですから、元々、集団避難で他の地域に行くのか、それとも山を崩してでも一回仮設住宅をつくるのかとか、仮設住宅をつくるという出だしから、すごい問題を抱えているのだろうと思います。

工藤: それをいつまでに、希望者全員...。

増田: この仮設住宅は、原則は公有地に建てるということになっています。ところが、今、高橋さんがおっしゃったように、あそこにはないわけです。ですから、民有地を今探しています。私の知る限りでは、民有地は本当に丹念に探していくと相当あることはある。但し、それは、今ある田んぼや畑まで潰して、それをやるということになります。ところが、それを今の仕組みでいうと、50戸とか60戸を集落単位でつくろうとする大きさだと、ざっと言って、地権者が100人から150人ぐらいいて、その人たちの判子を全部もらわないといけません。ですから、2年なら2年で限定する仮設住宅、あるいは、できれば3年ぐらいは仮設住宅を覚悟するぐらいにしていけばいいと思います。3年間なら3年間、みんな近場で事情がわかるわけですから、100戸も150戸も役場の人達が判子とるだけに流された登記簿を探したりしてやるということではなくて、手続きをかなり簡素にして、一挙に建てられるような仕組みをつくる。そういう仕組みを特別法でやればいいと思います。そうしないと、通常でも入会地とかが多いのですが、今回は多くの方が亡くなっていて、相続の問題がかなり発生しています。誰がどういう風に相続するか、ということがわからない。だから、民有地を探していると、永久に仮設住宅を建てられない可能性がある。そういう制度的な問題をスパッ、スパッと早く整理してあげるということが非常に大事だと思います。

工藤: そうですね。そういう制度的な問題がちゃんと動いていかないと、次に動けないですよね。

増田: 本当に、自分たちが真剣に高台に移るかを考える。さっきの高台に移る場合、その下の土地を買い上げるためのお金をどうするのか、という問題が出てくるでしょう。下は公園にして、高い堤防をつくるのは止めて、そのお金で土地を買い上げるようにする。ところが、高橋さんがおっしゃったように、「復元」ということについては、実に制度がよくできあがっているものだから、元の堤防をつくるとか、漁港をつくり直すとかには、お金がパッと出る仕組みになっています。だから、復元をしやすいような仕組みをガラッと変えて、本当の命を守るとか、生活をつくり上げるということに仕組みを変えていくことが必要だと思います。

     


今回の震災を、行政の視点、エコノミストの視点、市民の視点から、救済についての問題、未曾有の被害から、東北地方の復興にむけた青写真を描き、どのような道筋で復興を進めていけばいいのか。また、被災地の復興のみならず、日本の復興に関する議論まで踏み込んで議論しました。(BS11 本格闘論Face 4月17日放送)
参加者:増田寛也氏(野村総研顧問、言論NPOアドバイザリーボード)
    高橋進氏(日本総研副理事長、言論NPO理事)
    早瀬昇氏(大阪ボランティア協会常務理事)
司 会:工藤泰志(言論NPO代表)  記事・動画はこちら

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