【NPO・NGOが語る特別座談会】強い市民社会への「良循環」をつくり出す

2010年3月26日

 日本の市民社会を強くするには何が必要なのか。そのための望ましい非営利組織のあり方とは。国内外の第一線で活躍するNPO・NGOの代表たちが、自らの経験をもとに、この国の市民社会と非営利組織の可能性を議論しました。


参加者: 片山信彦氏(ワールド・ビジョン・ジャパン常務理事・事務局長)
      加藤志保氏(チャイルドライン支援センター事務局長)
      関尚士氏(シャンティ国際ボランティア会事務局長)
      多田千尋氏(東京おもちゃ美術館館長、日本グッド・トイ委員会代表)
      堀江良彰氏(難民を助ける会事務局長)
      田中弥生氏(大学評価・学位授与機構准教授、言論NPO監事)
司会:  工藤泰志(言論NPO代表)


第1部 今なぜ、「市民社会」なのか

第1話 日本の市民社会はなぜ強くならないのか

工藤泰志工藤泰志 NPO法が成立したのは今から11年前の1998年。95年の阪神・淡路大震災の際に全国から集まったボランティアやNPOの活動が注目を集め、その爆発的なエネルギーに、市民社会の可能性に期待が膨らみました。ところが、今の状況を見てみると、残念ながら、非営利組織や市民社会に光が当たっている状況だとは言えません。NPOの数は4万団体近くまで急増しましたが、この10年で市民社会が強くなった、とは誰も思わないでしょう。NPOに対する信頼もそう深まっていない。それはどうしてなのか。まず日本のNPOの実情に詳しい田中弥生さんから問題提起をお願いします。

田中弥生氏田中弥生 私は長い間、非営利組織や市民社会の研究をしてきましたが、工藤さんが今年2月に言論NPOのサイトを、「市民を強くする言論」に大きく変えた思いはとてもよくわかります。市民が強くならないと、日本が変わらない。そうした市民側の変化が今まさに問われていると思うからです。
 次のドラマを進めるためには工藤さんは「良循環」と言っています。市民社会が強くなれるような、そういう確かな流れをつくり出すしかない。今はそんな時期にぶつかっていると思います。その答えを出すためにも、この間、日本の市民社会の受け皿となっていた日本の非営利組織は成長したのか、市民社会がどうだったのか、をまず冷静に総括する議論が大切だと思います。この10年、NPOの数はかなり増えたのですが、それで市民社会が強いものになったとは思えません。むしろその受け皿としても期待された非営利組織側にも解決すべき大きな課題があると、考えているのです。

工藤 非営利組織自体が、市民社会の担い手には育っていない、と。

田中 そうです。私も様々な調査を行いましたが、自発的に社会の課題解決に取り組んだり、その成果を上げている非営利組織はとても少ないのです。経営的にも全体的に脆弱で、存在することで精一杯ということもあります。寄付を集める努力をしていないどころか、ボランティアの参加もないなど、市民に開かれているような団体も少ないのです。

工藤 この1年間、私たちは日本の市民社会をより強いものにするための循環をどうしたら起こせるのか、またその担い手になれる非営利組織をどうエンカレッジするのか、について議論をしてきました。その作業に加わっていただいた、日本や海外を代表する5つのNPOやNGOの代表や事務局長の皆さんと、強い市民社会をつくり上げるために何が必要か、を議論をしてみたいと思います。田中先生の問題提起を受けて皆さんは、日本の市民社会の今をどう見ているのでしょう。


強い市民社会に問われる「当事者性」

堀江良彰氏堀江良彰 私も日本の市民社会が強くなったかといえば、強くはなっていないのかな、と思っています。NPO法ができて11年が経って、多くのNPO法人ができました。ただ、それは数が増えただけで、その中には玉石混淆というか、本当に良いところもあるでしょうし、そうでないところもある。そういう中でNPO自身、我々自身が襟を正し、信頼される存在になっていくことを真剣に考えるべき時期に来ていると思います。それがなければ、いつまで経っても信頼される市民社会は生まれないと思います。
 私が参加している「難民を助ける会」は、現在は難民に限らず海外で障がい者の支援や地雷の対策などを行っています。もともとはインドシナ難民の支援を目的に発足しました。1979年当時、「ボートピープル」と呼ばれるたくさんの難民が出ていましたが、日本政府はほとんど何もしませんでした。
 「難民を助ける会」の創設者の相馬雪香氏が外務省に「これだけ難民が出ているのだから支援したい」と訴えたときに、「それは国がやることだから」と言われてしまいました。そこで、相馬氏は「それならば自ら実践しよう」と手を挙げて、このNGOをつくったわけです。そこから動きが広がって、インドシナ難民だけではなく、世界中の難民や障がい者の支援へと繋がっていきました。当事者が自分で行動を起こしていく、市民社会というのはまさにそういう社会だと思います。今の日本社会に欠けているのは、自ら問題に取り組んで自ら解決していくという当事者意識だと思います。そのためにも内向きになるのではなく、どんどん視野を広げていくことが必要とされていると思うのです。

多田千尋氏多田千尋  私は国内のNPOで子育て支援や世代間交流などを全国的に展開しています。私たちのNPOの活動は主に3つあります。ひとつは難病を抱える子どもたちの遊び支援です。日本の医療技術は世界の中でも最高水準ですが、欧米に比べると、子どもが、遊びの栄養失調状態になっていることが少なくありません。健康は取り戻しても、「ひとり遊びの達人」になってしまうだけで、社会性が養われないのです。そこで私たちは育成したおもちゃの専門家と選び抜いた世界のおもちゃを送りこみ、特に乳幼児の遊びケアのボランティア活動を、5つの病院で進めています。2つ目は子育て支援で、全国に1600人ほどいる会員が自宅のリビングや公民館を活用するなどして、「おもちゃの広場」というミニサロンを開くのですが、それが全国に120か所あります。
 今問題になっているのは子育ての孤立化と密室化です。例えば母親が1日中部屋の中で子どもと2人きり、育児雑誌だけを見て過ごしているような状況がある。そんな母親に「あそこに行けば仲間がいて、楽しいことが待っている」と思える場所を広めようと、活動をしています。3つ目は「東京おもちゃ美術館」に象徴されるミュージアム事業です。都会の廃校を利用し、年間延べ4000人の市民の力を借りながら「多世代交流の館」を目指しています。
 なぜ今、市民社会かということですが、私には今の社会は何となくアウトソーシングというか、出来レースの社会になっているように感じます。困ったことがあると陳情や請願というかたちで役所へ行く、自分の子どものしつけを学校にお任せするなど、何に関しても他人任せです。子育て支援センターは託児所化し、学校教育に躾を押し付けてしまっている。それから出来レースという点では、PTAや町内会、民生委員といった地域の担い手もある種の順序性で成立したり、特殊法人への補助金事業にいたっては、決められた枠組みでことが進むなど、すべてができ上がった世の中になっているような気がします。当事者意識や社会的責任といった人の意思が極めて薄くはなってきている。
 社会が全部やってくれるような受け身の社会で、納税者として政府の仕事に対して責任を持つという意識もちっとも感じられない。この他人事の社会が活力の失速を生んでいるように思えてなりません。これに対して市民社会や非営利組織というものが果敢にチャレンジしていかなければいけないのではないかと思います。

工藤 日本の非営利セクターには、そうした自発的なエネルギーは感じませんか。

多田 私は、是が非でもNPOをつくろうという「かたちから入る」傾向が、ある意味でこの10年の大きな動きだったのだと思います。本来であれば、NPOの法人格を取得するにはまだ早いと思われるようなところが拙速にNPO化したり、NPO化する必要がないところが何となくトレンドに合わせてNPO法人になってしまった。この10年はそのように一種のファッションのようなかたちで動いてしまったような気がします。この状況は変えるべきだし、これからの5年、10年こそが、本当の意味で市民社会の土壌が耕される時代になっていかなければ、と私も思います。

加藤志保氏加藤志保 チャイルドラインは、子どもの声を電話で受けるという活動をしており、立ち上げて10年になります。その間、データを取り始めた8年前に2万件だった声が、2008年度には18万件、累計で77万件になりました。子どもたちに「声を上げていいんだよ」ということを伝え続けてきましたが、子どもたちが自分の思いを伝える先を探しているのだということを感じながら活動しています。子どもの問題の後ろには必ず大人の存在があるわけです。大人たちの中でも声を上げたいと思う人はこの10年で増えてきているはずです。 
 しかしその受け皿がない。声の上げ方というところに回路がないのが問題です。モンスターペアレントと呼ばれる人たちを見ても、生活や家庭などの悩みや問題を抱えている人が多いですが、その人たちの声を吸い上げていく受け皿が日本社会に欠落している。結局、声を上げる先が学校しかないわけです。

工藤 非営利組織はそういう人たちの受け皿になるべきなのですね。

加藤 そうです。電話でのやりとりを繰り返すにつれて、そこが声を聞いてもらえる場所だとわかると、今度は電話だけではなく、親や学校の先生など身近な人とも話をしながら解決を図っていこうという動きが生まれます。声を吸い上げる場所がもっと開かれていくことで、「訴えてもいいんだ」と感じる人の層がだんだん厚くなっていくと、そう感じるのです。
 私も、市民が主体になる社会がなぜ大切なのか、を考えるときにはどうしても「当事者性」というものが欠かせない、と思っています。私たち自身がやっている活動も、子どもが当事者としてどういう声を発したいと思っているのか、というところに耳を傾けなければ、子ども政策はできないというところに立っています。そういう当事者性というものをNPO法人がしっかりと担っていくことが期待されていたのです。
 ただ、多田さんが言われたように、法人格を取らなくても十分、当事者性を発揮できていたところが法人格を取ったり、そういう力がないところが法人になることで、本来、当事者性を持ってつくり出していくはずの運動や活動の方が後ろ手に回ってしまう。法人運営の方に重きが置かれてしまった。そういうことが今、実際に起きてしまっているのではないかと感じています。だからこそ、なぜ市民社会が今、必要なのかを考えるときには、私は「当事者性」というところをより大事にして考えないと、本来、期待されていた市民社会というものを見つけられないな、と思うのです。

関尚士氏関尚士 私が参加する、シャンティ国際ボランティア会は、28年前からインドシナ難民救済を目的として活動していましたが、今はアジア各国で教育・文化活動に取り組んでいます。
 これまでの歩みの中で「当事者性」を実感する瞬間がどこにあったかと考えてみると、やはり阪神・淡路大震災だったと思います。それが議員立法でNPO法ができたきっかけです。あのとき、様々な社会課題が災害によって露出して、国や行政による公の保障というものがいかに脆いか、その限界がわかりました。そして市民が腰を上げた。そういう瞬間があったわけです。公益性を担う担い手としてのNPOが果たしてきた役割はもちろん千差万別で、一括りにするのは大変危険だとは思いますが、ある必要性やニーズに対して、あるいは今までのセーフティネットでは救えない状況に対して手を差し伸べたり、サービス提供を行ったりする媒体としては、確かに成長を遂げたのだと思います。
 実際にサービス提供者としての役割だけが、市民セクターや非営利組織が担うべき役割なのか、そのことは改めて考える必要があります。つまり、非営利組織はその役割として何を問われているのかということです。サービス提供を行うという側面がある一方で市民が参画する場を提供することによって今の社会課題を市民ひとりひとりが意識し、足元の問題に対して主体的に行動を起こすことができるようになる。ただ、そういう機能を、まだ我々がうまく発揮しきれていないところがある。そのような印象を、これまでの議論を通して強く感じます。
 そう考えると、多くのNPO、NGOはまだ資源を活用してサービスを提供するという一方通行的な流れの中での役割しか担いきれていないという部分があるのかもしれない。そこからもう一歩踏み出して、双方向的な流れの中で市民セクターが果たしていく役割が今、求められている。それを示すかたちとして今回私たちが提案する「エクセレントNPO」の意味も問われているのだと思います。


閉塞感を打ち破るダイナミズム

片山信彦氏片山信彦 私たちワールド・ビジョン・ジャパンは日本ではNGOと呼ばれていますが、開発途上国への支援活動をしているNPOです。ある意味当たり前のことですが、「当事者性」とか「市民性」という言葉で、自分たちが住んでいるコミュニティや地域、国家、もっと広げると地球全体のことを自分たちで考えていくという意識が出てきたという流れがこの10年あまりにはあると思います。
 グローバルな視点から見ると、世界全体がかつてないような様々な課題に直面し、「国家」という従来の単位では解決できないような問題もたくさん出てきています。「従来の枠組みでは先が見えない」というときに、ではどういうアクターがあるのかと考えてみると、当然「市民」というものが出てきます。国や政府といった単位で見てしまうとどうしても、「他の国のことだから自分は関係ない」ということになってしまいがちです。しかし同時に「同じ人間が苦しんでいるのに、何もしなくていいのか」という考えも当然出てきます。そういうものを繋いでいかないと解決できない問題がたくさんあるのです。貧困や紛争、気候変動の問題などがそうです。その役割を担うのが市民社会だと思いますし、NPOやNGOが連携していくことで新たな突破口が生まれるという意味では、今こそ非営利組織の役割が問われていると思います。
 しかし、日本の社会は依然として閉鎖的で、そういうグローバルな動きに携わっていこうという意識が薄く、内向きの傾向があるのが課題だと思います。

 片山さんが言われたことにも関連しますが、紛争化はしていないけれども国際社会で孤立してしまっているような国が、国家が発する情報の中でますます悪いスパイラルに陥ってしまうような状況があります。しかしそういった国々の市民と実際に接してみると、同じ市民として彼らが望む暮らしや平和の姿には、私たち日本人とも大きな隔たりがないことに気づくわけです。互いの間に横たわる溝や不信感といったものの増幅は、誰がどのように広げてきてしまっているのか。市民社会の中で他の国ともパートナーシップや支え合いの関係が構築されていくことは、そういった違和感も緩和し、新たなグローバル社会の形成に繋がっていくのではないかと思います。
 確かに、日本社会には閉塞感もあります。しかし、私たちの活動を支えてくださっているような支援者や会員、寄付者の方々がなぜ、遠く離れた海外の問題に関心を持つのかといえば、閉塞感があるからこそ、外とのかかわりを持っていくことで自分たちの問題に対しても解決のための行動を起こそうという思いがあるのです。外とのかかわりの中で何かを学び取ろうというエネルギーも感じます。そういう意味でも、両者の橋渡しをすることで日本社会の閉塞感を解決していくためのメッセージを発していけるようなNGOでありたいと考えています。

工藤 日本は内向きになったという指摘がありました。一方で何かを学ぼうというエネルギーもあるというお話です。では、そうしたエネルギーはこの10年の中でどう変化したのでしょう。世界で活躍するような日本のNGOは増えているのでしょうか。

片山 支援者や寄付の数を見る限りでは、特に変わっていないように思います。パイが広がっているという感じはないですね。少なくとも国際的な活動に対する寄付額が劇的に増えているということはないです。環境問題などへの関心は高まっているように思いますが。

工藤 課題がグローバル化、多様化する中で確実にニーズは高まっているのに、パイが増えないというのはどういうことなのでしょう。

片山 難しい問題です。海外の問題に関心を持っている人は増えていると思います。10年前と比べると、アジアやアフリカに関する情報も豊富になった。しかし東西冷戦が終わったにもかかわらず、紛争は増えています。貧困も深刻化していて、2015年までに貧困人口を半減させるという国連のミレニアム開発の目標達成も難しくなっています。一部の国では成功していても、全体としては改善しているとはなかなか言い難い。そういう意味では日本国内だけではなく、国際的にも閉塞感があるように思います。

堀江 実は、国際NGOで働いている人の数というのは数千人規模で、日本の大企業一社分にも満たないのです。もともとパイが小さいので、多少増えたところであまり大きく増加した感じがしないというのが現状だろうと思います。一方で日本全体を見ると、企業の海外進出は減っています。ODAの額が大きかった頃は、ヒモつきの援助でたくさんの企業が海外に進出し日本のODA事業に従事したものですが、今はヒモつきの援助は減り、そういうこともなくなっています。

田中 関心を持っている人と、寄付などでNGOに参加する人と、職業として参加する人...というように、参加にもいくつか段階があります。様々な国際問題に従事するNGOのことを知っているという層はおそらく増えているのはないですか。

多田 私が以前講義を持っていた青年海外協力隊の訓練校の校長も「関心を持ってエントリーしてくる人は増えている」と話していました。しかし「ヨーロッパの主要国に比べて日本のレベルは低いと言われる」とも言っていました。どういうことかというと、昔は「何でもやろう」という若者が多かったけれども、今は勤めて2、3年の社会人など、仕事を一定期間休んでも身分が保証されるような人しか、国際援助の活動に参加できないように思われている。「国際援助の仕事に行くときは今の仕事をやめるときだ」というところがあるのです。一方ヨーロッパでは、国際援助の仕事に携わって海外から帰って来た後、それが自分の実績につながると。国際貢献への関心は確かに高まっていますが、海外に行きにくい世の中になってきているという感じがします。

工藤 海外部門については、私たちのNPOも中国との民間レベルの議論交流をやっているので同じ思いがあるのですが、活動が国境を越えるというのはかなりの困難があるのです。ただアジェンダというか、取り組まなければならない課題はかなり多様化してきている。言論NPOの場合は反日デモが起こり、日中の政府関係がうまくいかないときに、その状況を民間の対話の力で何とか打開できないかと思い、議論の舞台を立ち上げた。政府は初め「なぜ市民が外交に口を出すのか」と言うわけです。しかも、相手は中国です。市民がその困難を突破するということはひとつの流れを生み出すことにもなります。
 しかし、皆さんのお話を伺っていると、一度国境を越え始めた活動が、再度問われる局面に来ているということですよね。関心を持つ人は増えているけれども、担い手はなかなか増えない。それをもう一回きちんと動かしていくような市民のダイナミズムが必要とされている、ということでいいでしょうか。

片山 現地に行きたいという熱意がある人が目に見えて増えたとは思いませんが、「国際」と名のつく学科を持つ大学などは増えていて、海外で役に立つ仕事に従事したいと希望する人は増えています。NGOへの応募者を見るとすごく立派な学歴を持っている方も多いです。しかしそういう若いエネルギーをNGO側が受け皿として受けきれていないのではないでしょうか。NGO側がもっと働きかけないと。


非営利組織に公共を担える力があるのか

工藤 私もまさに多田さんが言われるように、他人事の社会ではこの国が未来に向かうことはかなり難しい、と思います。言論NPОではこの8年間、政府の政策実行の評価を行ってきたのですが、有権者や市民が強くなければ政治は強くならない、と実感しています。市民側とのカウンターバランスが崩れると政治が課題解決に向かうプレッシャーがかからないからです。私は活動中に介護を行っていた両親を亡くしました。その最中に医療をはじめ適切なサービスを行うための制度設計を政府が怠っているために、いろいろな問題が現場で広がっていることを痛感しました。医師不足や、救急医療の仕組みの崩壊などです。そうした制度設計を怠り、パッチワーク的に問題を解決しようとしたり、縦割りの行政の利害だけを守ろうとしたり、そういうことの積み重ねが問題を複雑化してしまって答えを出せないような状況にしてしまっている。
 その縦割りの行政のアウトソーシングで仕事をするような非営利組織に今の状況を乗り越えていく力があるのか、という限界もあるのです。自発的に社会の課題に向かい合い、多くの知恵を横串で結集して、課題解決やそのための設計に取り組む、そのためにも、受け皿である非営利組織や、市民社会がより強くなるような循環をつくり出さなければならない。私たちがこの2年近く議論を行ってきたのはそのためでもあるのです。
 鳩山政権になって「新しい公共」という考えが出されました。市民が公共を担うにはやはり市民なり民間はもっと強くならないといけない。その課題がこの11年ではっきりしてきたとも思うのです。

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