「市民社会の担い手」対談/第1回は『チェンジメーカー』著者の渡邊奈々氏

2010年3月11日




ゲスト:渡邊奈々(写真家)
東京生まれ。慶應義塾大学文学部英文学科卒業。米国政府の奨学金を得てバイリンガル教育修士課程修了。リゼット・モデル氏より写真を学ぶ。1980年ニューヨークで写真家として独立。87年アメリカン・フォトグラファー誌年度賞。97年より個展、グループ展で作品発表。

聞き手:工藤泰志(言論NPO代表)

     田中弥生(言論NPO監事)





第1話 社会の風向きが変わりつつある

工藤泰志

工藤泰志 この「市民を強くする言論」では、日本や世界の課題に挑み、新しい変化をつくり出そうとする多くの人と、意見を交換したいと思っています。

 第1回目はニューヨークで写真家として活躍中で、『チェンジメーカー―社会起業家が世の中を変える』の著者としても有名な渡邊奈々さんに事務所に来ていただきました。今日は田中弥生さんに司会として参加していただき、私と渡邊さんで、日本の市民社会の可能性について、いろいろ議論したいと思っています。



田中弥生氏田中弥生 それでは私が対談の司会をさせていただきます。まず、今の日本の市民社会をどうご覧になっているのか、ということから始めたいと思います。
 
私は、「日本の市民社会はどうしてこんなに底が薄いのだろう」と思っているのですが、いかがでしょうか。一方で、新しい芽が出てきていて、新しい働き方をしたいという若い世代や、またナレッジワーカーといった人も出てきています。それをどう吸い上げるか。また、何がその受け皿として求められているのか。そうした点についてお話を聞いていきたいと思います。

渡邊奈々氏渡邊奈々 確かに、日本の市民社会は吹けば飛ぶように薄いのですが、それは大きい政府でこれまでやってきたからです。フランス、イタリアなど西ヨーロッパのカトリック系の国家もみんなそうだと思います。だから市民社会の強さ、という点で言えば、アメリカと比べると日本は、大学生と小学生くらいの差があります。フランスは日本と近いのですが、フランスでも最近、非営利団体がものすごく増えてきています。
 日本でNPO法人資格を取るには、「特定OO」という団体以外は、寄付に対する免税措置はないですよね。でも、寄付免税がなかったら何の意味もないでしょう。



工藤 免税措置は「特定」の中のさらに、「認定」という団体にしか適用されないのですが、逆に言えば、そこまでのレベルに達していないNPO団体がたくさんあるということです。これは要件を緩和する、という話ではなくて、しっかりとした非営利組織がとても少ない、ということです。率直に言えば、それらは子どもどころか、まったくそのレベルには行っていないのです。会計もできないとか、寄付も集めたことがないとか。


渡邊 知っています。寄付を集めても、寄付の使い道が不透明だというところが多いのです。


田中 私は今、NPOに関するアンケートを取っていますが、そもそも寄付を集めるつもりがないNPO団体がたくさんあります。


渡邊 すると資金はどうやって集めているのですか。


工藤 多くの団体が零細で、かつ、行政の下請けになっているところも多いわけです。


渡邊 それは、アメリカ的な非営利団体ではないですね。


工藤 そうです。自発的な公共の担い手、あるいは社会変革の担い手、という点では少し性格が違います。クラブ活動的な共益法人や、資金難から行政の委託から離れられず、その悪循環に陥っているところもあります。言論NPOは100%寄付で活動しています。だから、時々「あなたたちは違うのよ」と言われるのですが。


田中 多分、渡邊さんが言われるイメージに近いのは、グローバルスタンダードに一番さらされている国際協力NGOですね。


工藤 私たちも資金集めではかなり苦労しています。言論、ということを武器にやっているわけですから、中立性を説明するため、IRS(米国歳入庁)のツールを使って自己評価をし、公開しています。


田中 言論NPOは政策の評価を行うということで、政治的な活動をしていますから、中立性が問われるのです。そこで何かいい基準はないかと探したら、IRSに非宗教性・非政治性をチェックするアセスメント基準があったのです。


渡邊 政府と宗教団体からは絶対寄付は取らない。個人と財団と、企業からのみですね。それが一番健全です。


田中 ただ、日本ではそういう動きは少ない。市民からいろんなリソースを求めていこうという動きはまだあまり強くない。


渡邊 これからだと思いますよ。だって、ユニセフへの寄付額が日本では非常に多い。多分、世界でいちばん多いのではないでしょうか。それからRoom to Readという途上国に図書館を寄付するアメリカの団体がありますが、2009年の6月に、日本で3日間行ったファンドレイジングが一番うまくいったようです。

 私の友人が3日間行ったそうですが、ブロック単位の着席の夕食会で、ひとり数万円くらい。それから、銀座のバーをオープンバーにしてビールを900円で販売して、そのうち200円が寄付に行く、というのを行ったそうです。3日間で約6000万円集まったそうです。だから日本にはお金はあるのです。個人も出したがっているわけです。だから、「お金がない」なんていうのはとんでもない。


田中 「寄付免税資格を持っていないので寄付が集まらない」ということを、NPOだけではなく、政府関係者も言い訳にしますが、私もそれはちょっと違うと思います。

 寄付を集めるのには結構体力がいる。アイディアもですが、マーケティング力も必要だし、アカウンタビリティもしっかりしていないといけないし、ある程度、組織体としてしっかりしていないと、ファンドレイジングもできないでしょう。


工藤 そうですね。ただ、私たちみたいな「言論」っていうのは、イメージが硬すぎる。イメージの問題もあって、この寄付集めは結構大変です。でも、国や政治からは独立するためには、経営的な自立が問われます。


田中 あと、インタンジブル(intangible)、抽象的なものなので、お金が集めにくいのです。


渡邊 一度、広告代理店とかパブリシティーの人に相談するといいかもしれない。私が紹介できるかも知れません。私はアショカ・ジャパンの立ち上げの責任者として、2008年春から動いていますが、活動やミッションの内容を理解していただくのが大変です。図書館をカンボジアに100建てるとか、アフリカの飢えている子どもに食事を与えるとか、そういうのはわかりやすいのでお金を出しやすいのですが、アショカの活動もわかりにくいのです。わかるところにお金が集まる。だから、それをわかりやすくして、普通の人にアクセスしやすいように何かをつくるというイメージですね。


オランダなどではボランティアは生活の一部


田中 ボランティアについては、どのようにご覧になっていますか。他国との比較でもいいのですが。


渡邊 全部の国については知りませんが、オランダとか、スイスとか、アメリカでは、ボランティアというのは、生活の一部というか、当たり前のことです。20代の投資銀行家でエリートのオランダ人が知り合いにいましたが、私が驚いたことに、彼はニューヨークに引っ越してきて仕事が始まるまでに半年間あるということで、すぐにホームレスの支援団体とかを探して、それで毎日働き出しました。だから当たり前のことなのですね。半年間遊んで過ごすというのは選択肢にないのです。すごいなあと思いました。アメリカはそれほどではないですが、今はそれに近いですね、何かしていないとカッコ悪いという感じがあります。


田中 日本では、むしろボランティアに関してもいろいろな言い方があって、それをするのが「カッコ悪い」とか「湿っぽい」とか言う人もおり、日本ではバイアスがかかっています。その一方で、いわゆる知識層ですね、学者や研究者の方が言論NPOでも、マニフェスト評価などいろんなかたちで関わっている。本人たちはボランティアだとは思っていないようですが、私から見れば立派なボランティア、社会参加ではないかと。だから、もしかしたら、様々な人が機会を探しているのだけれども、寄付と同じで、なかなか良いオポチュニティ(opportunity)が見つかっていないのではないか、と思うのです。


工藤 やはり日本の知識階層も自分がやったことに対してお金をもらうというのが頭にしみ込んでいることは確かです。言論NPOは活動を始めてから8年経ちましたが、初めはそういう人たちにも抵抗があったようで、「僕は、本当は高いのだけど...」という嫌味を言われたこともあります。しかし最近では発言が変わって、「こういうふうにみんなで協力し合って参加することが、市民社会においては重要だ」とか、日本を代表する学者さんたちも言い始めています。だからおそらく、ボランティアで何かをして社会に参加したり貢献したりすることが、いろいろな知識層の方々の中でかなり広がってきているのだと思います。


渡邊 そうですか。それはここ何年くらいですか。


工藤 この10年は日本でもそういう傾向があると思います。私はその頃は出版社で編集長をしていましたが、非営利の世界で挑戦するためには仕事を辞めるしかなかった。その時に「お前は辞めないと誰もついてこないぞ」と。言い出しっぺは、リスクを取らなければなかなか認めてもらえないのです。でも、今では、仕事を辞めなくても、休日や時間を工面して、専門家とか、弁護士、ジャーナリストとか、いろんな分野で、お手伝いしたい人はすごく出てきています。

 私たちの言論NPOも多くの人に支えてもらって何とかやってきましたが、今こうした社会貢献の動きがすごく大きくなっています。しかし、まだ一部では運動家というか、活動家というか、古いタイプの活動家もいます。


田中 渡邊さんがおっしゃっている「カッコ悪い」というのをブレイクダウンして、どのようなものなのか、伺いたいのですが。


渡邊 私は1975年からアメリカに住んでいますが、90年代の終わり頃に、ソーシャル・アントレプレナーシップが、米国の一部エリートの若者の間で注目を集めていることを知りました。こういうことに気づいて10年前にいろいろ始めましたが、「今まで、社会セクターに属している人はカッコ悪い人だった」とみんなが言うわけです。猛烈な競争社会についていくやる気とか、モチベーションとか、能力に欠ける人というか、そういう人たちがソーシャルセクターに入っていくものだ、と思っていたようです。だから、アイビーリーグやそれに匹敵する最優秀大学生が、就職先としてソーシャルセクターに行くというのは考えられなかったのです。そういう学生は今から10年前だと、投資銀行家になるかロースクールに行って弁護士になるか、または広告会社などに行っていたわけです。メディスン、医学はまた別ですが。そういう人たちが市民セクターに、3分の1の給料で行くということは考えられなかったのです。

「Teach for America」(アメリカの教育NPOで一流大学の学部卒業生を2年間、国内各地の教育困難地域の学校に常勤講師として赴任させるプログラムを実施している)を始めたのはウェンディ・コップですが、彼女はプリンストン大学を出て90年にTeach for Americaを始めました。彼女が言うにはみんな「社会の役に立ちたい」、「世の中を良くすることをしたい」と思っていたけれど、自分たちはエリートなのでそういう選択肢はないと思っていたのだと、そう言っています。それでTeach for America を始めたそうです。みんなもそういう希望を持っていて、その乾きを満たすためにTeach for Americaの2年はとてもよい経験になるのです。


工藤 いろんな社会で活躍している人が、当たり前に社会貢献をやっている、それはカッコいいと私は思いますね。ですから私は、本当は編集長をやりながら、この言論NPOをやってみたかったのです。だから、あまりカッコよくない。


田中 ただ、工藤さんがリスクを取って出版社を辞めなければ寄付は集まらなかったと思いますよ。


工藤 私は、当時は田舎の母親の介護をやりながらの挑戦でした。40代というのは、多くの人がそういう悩みを抱えながら、自分の夢を思い出す時期と重なると思います。でも、リスクを取っている姿でなければ、周りは信用しないのです。


生きがいと時代の最先端プレイヤーであることを求めて


渡邊 リーダーが命をかけていないと誰もついてこないのです。「カッコいい」って言うのは自分のひとりよがりではないことです。ちゃんと調査し、世の中の構造が分かっていて、それでお金がどう回るのかも知っていて、ネットワークがある人のことをカッコいい、と言うのです。


工藤 そうした傾向は今、日本でも始まっています。


渡邊 いや、世界中で始まっています。アメリカでも、市民社会を継続するのは大変なことで、それがついこの2、3年で、超一流のビジネスセクターで成功して50代くらいで辞めていった人が、無給でアショカのアドバイザーになったりとかしています。やはりみんな生きがいを探しているのです。だから個人的には「生きがい」、それから個人的ではない見方をすると、新しい時代の入り口に立っているプレイヤーになりたいという思いがあるのです。


工藤 日本の政治を見ると、これまでは政府にお任せする、というものでした。しかし、やはり「自分たちでつくっていかなければならない」という方向にしていかなくては、と考えて、言論NPOではこの「市民を強くする言論」という場をつくりました。2009年、日本では歴史的な政権交代が実現しましたが。


渡邊 ええ、知っています。素晴らしいですね。


工藤 ところが、私たちが昨年末の「鳩山政権100日評価」に際してアンケートを行ったところ、面白い変化がありました。回答者の大多数が、政権交代とか、日本の新しい変化に期待はしているものの、既成政党に満足している人はあまりいないのです。つまり、これからまだまだ日本が変わらなくてはいけない、と答えています。ポピュリズムとか、ただ官僚を叩くとか、そういうことだけになっている今の日本の政治の状況は非常に良くないとか、日本の未来を自分たちの問題として考えなければいけないのではないかとか、そういう声のほうがアンケートの回答には多いのです。


渡邊 政党に頼らないで自分たちでやっていこうというわけですね。頼らないで市民社会をつくっていこうと。


田中 そうですね。言論NPOの活動に関わっている方々の中にも、そういう意識を持っている方が多いですね。


工藤 自分たちでこの国の未来に向かい合えるような、真剣な議論の舞台をつくりたい、それは私たちがNPOを立ち上げたときの共通の問題意識だったわけです。健全な社会には健全な言論があるが、その役割をメディアが果たしているのかと。それで非営利のメディアをつくりたい、という思いがありました。それが、「市民が参加できる健全な論壇をつくりたい」という思いへ変わっていった、課題が発展していったということです。

 私たちは昨年の12月に8周年を記念するパーティーを開いたのですが、会場で会った多くの友人が、「強い市民社会が必要だ」という私の問題提起に賛成してくれたのです。民主主義の脆弱性が今のような日本の政治の閉塞感を招いている。そういう意見の人が多いわけです。今までそんなことを考えていなかったような人もそう言うようになってきた。やはり何かが変わってきていると思います。


渡邊 風向きが変わったのですね。アショカの創設者のビル・ドレイトンと、『21世紀の歴史』を書いたジャック・アタリが、2人とも同じことを言っています。何十年後かには――ジャックは50年と言っていますが――みんな利他主義に価値観が動いていくと。それで利他主義が当たり前の社会が動いていくと言っています。だから私たちは、そういう風を敏感に感じ取った人が、今こうして動いているのだと思っています。


工藤 ドラマの始まりということですね。


渡邊 第三の担い手と言っていますが。今、入口に立っているのだと。これから21世紀はそうなっていくと。


田中 ごく一部の人ではなく、仕事をしている人たち、あるいは政府セクターで働いている人たちなどが広くそのように思うようになったとき、その思いをかたちにしていくなどの受け皿が、日本ではまだ弱いのではないかと思います。


渡邊 だからつくらなければいけません。



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