日本の民主主義を考える

2012年10月17日


意見の統一できない政権与党と整合性の取れないマニフェスト

工藤:こうした民意の話を受けて、別の観点から話を続けたい。民意は確かにぶれやすくていろんな形がありますが、そのために政策決定があり、政治は民意のぶれと同じようにぶれるのではなく、課題に対してこういうことをやるべきだと民意を説得するような姿勢が取られるべきです。しかし、その政治が民意の流れに巻き込まれてしまうという状況になると、有権者は誰を選べばいいか分からなくなります。

 アンケート調査に戻ると、あなたは次の選挙でどの政党を選ぶか、確信を持っているか、という問いに「今回は確信を持てない」あるいは「投票に自信がない」と答えた有識者が31.8%でした。そういう人たちは最後に何とか棄権をせずに決めたいという気持ちでしたが、非常に悩んでいます。また、その人たちに決められない理由を尋ねると半数を超えた意見が3つありました。一つは、「どの政党も日本の直面する課題に答えを提起できていないから」、二つ目は「全ての政党が大衆迎合的で今後の政治の展望が見えないから」、三つ目は「政党の離合集散の動きも選挙のための政治家の都合に過ぎないから」、です。つまり、今の課題に対して真剣に考えたいがそれに対してどうすればいいのか分からないという有権者がおり、政治と有権者との間に溝が出来ています。武藤さん、この状況をどう考えていますか。

武藤:日本の場合政権交代の直後とか、今回の消費税増税法案の経緯を見ると、いろんな問題はあるが、国民の負担を増やす法案がきちんと通っている。だから、政治がきちんと方向を示して、国民に働きかけ、説得する努力をすれば、国民はちゃんと理解してくれる。それに答えるという意味で私はそんなに捨てたものではないと思う。そういう意味では宮内さんのご意見と同じだ。ただ、政党が十分に対応していないことと、私の申し上げるルールやシステムに欠陥があるという意味では問題がある。例えば、政党のマニフェストは徹底した議論を通じて決めるわけではない。また今でも内閣の中で大臣の言うことがマニフェストとかなり違っていても放置される。さらに、与党と総理の立場が違っても一向にすり合わせしようとしない。これでは国民はどれを信じたらいいのか分からない。従って、国民の方にも責任はあるが、政治の方にも責任があり、悪循環が生じているのではないか。他にも、国会の実態にも問題があり、これらをきちんとしてもらわないと国民が投票に行くことに対してかなりマイナスの影響を与える可能性がある。

宮内:皆さんのご意見の他の面で申し上げると、現在大きな政党が二つあり、対立しているようだが、結局今の政権与党とは何だろう、と思わざるをえない。内部の政策、一人一人の意見が全く一致していない。私は現在の政権与党、民主党は反自民党という点だけで一致した党で、政権交代した後に、実際に国を運営することとなると意見がとんでもなくひどい。ある意味では何でもありという風になった。選挙の時に掲げたマニフェストとの整合性が全くなくなったので国民が大変失望し、前回の参議院選挙の結果となった。だから、短期的に見ないで、長期的に見れば、これまでの政権運営が国民に納得できるものかどうかが次の選挙で明らかになるので、私はまさに民主主義は機能すると思う。


とらえどころのない民意とポピュリズム化する政治家

工藤:さて、アンケート結果に戻ると、次の選挙が日本の新しい変化のきっかけになると、期待しているか、という質問に対して意見が真っ二つに分かれました。「期待している」と答えたのが4割、「期待していない」も同様の状況です。しかし、両方とも言っていることは同じです。つまり、次の選挙を契機として混迷した政治をチャンスに変えなければならない、期待するのは当然だ、というのが「期待している」の意見ですが、「期待できない」と答えた人は、そうは言っても期待できる政治家・政党がない、政治家は日本の課題に対して解決策を提起できるのか、と考えています。一方で、今回の尖閣問題にも該当しますが、勇ましい発言、あるいは大衆迎合的な発言をする人が影響力を持つ可能性もあります。確かに選挙という民主主義の仕組みとして最大のチャンスでしょうが、この状況をどのように考え、どう活用すればよいかについて、増田さんから意見を伺いたい。

増田:私も次の選挙に大いに期待している。選挙とは、節目節目で色んなことを変えていく仕組みである。有権者は常にあらゆる問題についてどちらかというと負担は嫌だし、難しいことは先延ばしにしたいという傾向があるし、相対的に見れば、大衆迎合的なところに惹かれるところがあると思う。だからこそ、政治家は今、何が問題でどういうことをしなければいけないかをはっきりと真正面から説かなければならない。逆に、それが今一番欠けている事ではないかと思う。どこの国でも税金を上げることにものすごい抵抗感があり、それによって政権が交代する。しかし、どうしても作らなければいけない社会保障の仕組みを次の政権が引きついで、全く反対の党でありながら、全く同じシステムを何回かに分けて作っていく。これが北欧の今までの歴史である。やはりそういう政治の世界に委ねるべきことについて政治家はきちんとした覚悟を持って、国民、有権者に働きかけをしていく形にしていかなければならない。それはお互いに緊張感をいかにもたせるのかということである。

工藤:先ほどの宮内さんの発言、つまり民意と制度が今の民主主義、日本の政治を作っている、ということに関して訊きます。そうなると今の民意のレベルが今の政治を容認しているか、それともそういう民意が政治を選ぶチャンスがなかったから今の政治の状況になっている、ということになる。こうした民意の状況をどのように考えていますか。

宮内:民意はとらえどころのないほど広がっている。国民として一つの社会を保つためにそれに対する自分の貢献、いわゆる義務とそこに対する権利という両方の側面があるが、残念ながら日本の戦後教育は権利の主張に重きを置き、コミュニティ・社会・国に対する義務の希薄化を生んでいる。そういう中での民主主義だから、国に対する要求ばかりが強くなっている。それに対して、政治がその要求にとても答えられない状況になっている。つまり、ポピュリストになることで自分を曲げなければならないとしても、ポピュリストのポーズをとらないと選ばれないという今の小選挙区制の制度の矛盾の中で政治家は生まれてくる。従って、自分の主張を隠してでもとにかく選ばれないといけないという形で代議制民主主義が行われている。やはり根本を言うと教育から変えなければいけない。どうして社会が成り立っているかというのを国民一人一人が分からないといけない。今のところ政治家が一番困っているのは国民の要求が強すぎること、義務を果たそうとしないことである。その中で自分の政治家としての何かをやらなければならない。政治家も私は辛いと思う。だから、現在の日本の民主主義は日本の民意、日本のレベルと言わざるをえない。

工藤:今の話は本質的な話で、私も政治家の人と話をした時に永田町の中で「言論NPOの言うような本当の政策軸に基づく政治改革は出来ない、なぜなら選挙に弱いからだ」と言われました。つまり、有権者の色んなニーズ、ある意味でポピュリストな発言をしないと当選できません。従って、有権者側が大きく変わらない限り、選挙に強くなければ政治家はなかなか本質的な課題解決に取り組めない状況があります。

武藤:政治家の現実感覚はそういうことだとは私も想像がつく。しかし、民意、さきほど宮内さんがとらえどころのないものであると述べたが、全くその通りで民意があらかじめきちんとした定型を持っているということは望んでも無理だと思う。やはり国民のかなりの部分が良識と理解する知恵、世の中を良くしようとする叡智を持っていることが民主主義の基本だと思う。

 しかし、この国の一人一人があらかじめそうしたものを持っていて、政治が何か提案した時に自分の基準に照らして選択することはあり得ない。政党と政治家が基本的な国家像について何をしようとしているのか、をきちんと示さないと国民は選択できないと思う。それをいつも曖昧にして、当選したらいいことをたくさんやりますというような姿勢で選挙に臨まれると国民も確かにポピュリズムになり、政治家もポピュリズムになって悪循環となる。

 また、私はこの国で選挙があり過ぎると思う。選挙がたくさんあることが民主主義の良い点だという風に国民がなんとなく思っているが、それは嘘だと思う。選挙ではある程度の期間、政党が政策運営を担当して結果を示したことによって評価をしない限り、成果は出てこない。だから、政権運営で不手際があるかどうか、最も極端なのはスキャンダルだが、そういう話で世論を誘導しようとするし、そうしたメディアも出てくる。そういうとらえどころのない民意の中でやはり政党、政治家がちゃんとした発言をし、それに国民が応えて、しっかりとして政治家を選ぶことが重要である。

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