「マニフェスト政治」とは何だったのか ― 国民に選ばれた政権の正当性を考える

2011年8月10日

8月11日にダイヤモンドオンラインに寄稿した原稿です

季節は夏本番の8月に入ったが、政治の光景はますます国民から遠ざかっているように見える。この間、何人かの政府要人と面会する機会があったが、その政治家から何度か同じようなコメントを聞かされた。

「菅首相は、もうまもなく辞めるはずですよ」
他人事のように突き放す、政治家の存在には違和感を覚えるが、その発言から伺えたのが、一国の首相の孤立ぶりだった。この国の首相は退陣かどうかのまさに際どい政権末期の局面に立たされている。その答えはもうまもなく出されるだろう。
しかし、私がこの夏、特に気になったのはそうした政局の緊迫感よりも、その菅首相が国会で行った国民への謝罪だった。
7月22日の参議院予算委員会、そこで首相は、政権交代を果たすことになったあの2009年の衆議院選挙時の民主党のマニフェスト(政権公約)に関して、それが実現出来ないことを初めて正式に認め、こう陳謝している。
「本質的な方向は間違っていないが、財源問題で見通しが甘い部分があった。不十分な点は国民に申しわけないとお詫びしたい」


謝罪した首相の視野に国民の姿は全く無い

マニフェストとは、簡単に言えば、選挙で政党が有権者に実現を約束した政策集である。その約束が実現できなかったことを首相が認める。それ自体、極めて異例だが、間違った行為とは言えない。
私が気になったのはこの謝罪自体の目的である。つまり、「何のための謝罪なのか」。
もっと率直に言えば、「何をいまさら」、という思いもある。
その当初から私たちのNPOも指摘していたが、民主党のマニフェスト自体は、政策目的が曖昧なバラ撒きリストに過ぎず、その後、1年足らずで財源不足からその大部分が断念や修正に追い込まれている。

それをこれまで国民に説明しなかったばかりか、修正自体も認めなかった。それは、党の執行部が修正を模索すると党内の反対勢力が批判を強めるなど、マニフェスト自体が党内の政争の具になっていたからだ。
にもかかわらず首相が陳謝したのは、野党の協力を取り付けなければ、法案さえ通らない状況に政権が追い詰められていたためである。
その前日、党内でマニフェストの検証作業を続けている岡田幹事長は、記者会見でその不履行を詫びており、首相の陳謝の後に、わざわざそれを自民党、公明両党に伝えている。
首相の退陣条件の一つとされる赤字国債発行の特例公債法案を成立させるためには、マニフェストの見直しを主張する自民党や公明党に配慮するしかない。しかし、マニフェストの修正を表だって認めれば、党がもたない。
いわば首相は、謝罪はしたものの、その視野に国民の姿は全く無いのである。


マニフェストという約束の断念は口だけの謝罪で済まされてよいか

私が問題だと思ったのは、公約という約束の断念は口だけの謝罪で済まされるべきものなのか、ということである。国民に謝罪するなら、これまでの約束をどう修正し、新しい約束を提起するのか。そしていつ国民に選挙で信を問い直すのか、それを説明するのが筋である。だが、そうした言葉は、首相から一切出されなかった。
今の民主党の308人もの衆議院議員は、このマニフェストを掲げて2年前の選挙で選ばれた。マニフェストは4年任期の2013年度末までの16.8兆円もの新しい支出の工程表と財源ねん出で構成されていたが、2年経過した途中で首相が破たんを正式に認める。
では、これからの2年間、この政権が国民の代表として存在する正統性はどこにあるのか。有権者に突き付けられたのは、そうした課題なのである。
私がさらに不可解に思うのは、政権党のこうした混乱が、選挙時の国民との約束の放棄、という事態にまで発展しているのに、メディアでも大きな問題にならず、この政局の話の一コマとして、片づけられてしまったことだ。
かつて、あの小泉元首相は「公約なんてたいしたことがない」と発言しただけで、国会では大騒ぎとなり、それを全主要紙が社説で取り上げる騒ぎとなった。
しかし、今回はその前後の主要紙を調べてみても、社説でこの陳謝が言及されたのはわずか一紙のみで、しかも有権者の立場から記した記事は、「失われた政権の正統性」と題した朝日新聞の政治記事の小さな解説、一つだけしか見当たらない。


マニフェスト政治に対する逆立ちした議論まで登場

私のNPOが、政党のマニフェストや政府の政策実行の評価を始めてから、もう8年にもなる。だが、率直に言えば、マニフェストの導入の際に期待された有権者主体の新しい政治は今でも実現せず、政権交代した民主党も、国民に向かい合う新しい政治をつくりあげたか、と言えば、古い政治のままである。
そうした政治の混迷で、明らかにこのマニフェストへの関心が薄れ始めている。こうした関心低下の背景には、マニフェストを軸とする政治そのものに対する大きな無理解があるように、私には思える。政治家やメディアにその傾向が特に大きい。
新聞の社説をこの1年間、読み返してみると中には、こんないい加減なマニフェストを守ろうとするから、政治の混乱が始まった、という、逆立ちした議論まで登場する。
そう言いたい気持ちは、民主党のマニフェストの滅茶苦茶ぶりを見ればわからないでもないが、これでは有権者が自らの代表の選ぶという民主主義の本質的な課題を見失ってしまう。
マニフェストは、従来の公約とは異なり、有権者との約束である以上、数値目標や財源などの政策の体系が、分かりやすく具体的に示されなくてはならない。
その意味ではマニフェストの登場で、公約の書かれ方が大きく変わり、関心がそこに集約されたのはやむを得ない。しかし、マニフェストが提起したものは、こうした公約の書き方ではない。有権者が自ら政策を判断して政治を選び、その実行を監視する、そうした緊張感ある関係をこの国の政治に作り出す、ことだったのである。これは、なんでも政治にお任せする政治から、私たち自身が政治を選び、施策を判断する、そうした政治の転換を意味した。
では、そうしたマニフェスト政治はなぜこの国でなかなか実現できないのか。これが今回、私が、ここで提起したい問題である。
その議論に入る前に、先日私の事務所にぶらりと寄っていただいた知人の元経営者、脇若英治氏との対談の一部を紹介しよう。
2年前まで 世界的な石油会社であるBPジャパンの会長をし、今はマニフェスト政治の発祥の地であるイギリスのロンドンにあるクリントン財団というNGOで、地球温暖化に取り組むマネージャーを務めている。


マニフェストが実現できなければ野に下るという英保守党の決意

工藤:脇若さんは2年間イギリスにいましたよね。3月11日に震災が起きて、今日本はかなりの困難に遭遇していますが、その中で政治がなかなか機能しません。

脇若:僕は日本に住んでいないので、新聞やテレビの情報でしか判断できませんが、イギリスの政治を見れば見るほど、逆に日本の政治が機能していないように見えます。国民に選ばれているのにも関わらず、国民の意思が反映されない状況になってきています。イギリスの場合は議会政治が長い間続いてきて、ここにきて若い保守党の党首が就任し、大蔵大臣に30代の若い方がつきました。彼らはポンドの威信もなくなるし、国としての格付けも下がるから、緊縮財政をやらないといけないといってやっているわけです。それをマニフェストに書いて頑張ってやりますが、駄目だったら野党に戻ると言っています。民主主義が非常に働いています。

日本の話を聞くと、民主主義以前の問題のように思います。党の中でもコンセンサスがなく、与党と野党というレベルの戦いではなくなってきています。日本は民主主義が始まって100年以上が経過しますが、機能していない。良く言えばこれからの課題でしょうし、悪く言えば100年以上も経過しているのになぜ民主主義が働かないのかと。外から見れば歯痒い感じですね。

工藤:政党そのものがバラバラで一つの統一感を持っていない、党内のガバナンスが崩れているという問題があります。

脇若:そう私にも見えます。今言われた話は2つあって、今の政党がいいとしたらそれをベースに二大政党制をだんだん形つくられていく、まあそれが今までの考え方ですよね。しかし、外から見ていると、今の2つの政党をガラガラポンやって作り直していくかというところに来ていると思います。つまり、政党を作りながら、民主主義をより発展させていかなくてはならない。

工藤:その作業は有権者側から提起すべきと、と私は考えていますが、政治が権力争いをしていても、選挙がない限り、国民は見ているしかないわけです。

脇若:日本がどうすればよくなるか、その答えはわかりません。一般的に言うと、政治家も半分、国民も半分責任があると思います。イギリスの場合は、国民が物を申す雰囲気があります。デモなどのやり方もありますが、いろいろなチャネルを通じて話ができます。それに対して日本の場合は、最近デモなんて見たことないと思います。皆が我慢してしまうわけです。それから、政治は、自分たちが選んでいるわけですから、選ぶときによく考えればいいのに、メディアに扇動された意見で政権交代が起きてしまっています。メディアのせいだけにはできませんが、国民もきちんとした人を選んでいません。政府、政治には、日本の課題に取り組む、そのような自覚をもった人が少ないと思います。普通の人が選ばれてしまっている感じがします。もっとシャープで仕事ができてリーダーシップを持っている人が何人かいれば、この国は良くなると思います。

工藤:政治は課題に関して答えを出す努力をしないといけない。その当たり前のことをイギリスではやっている、ということですか。

脇若:そうです。財政問題、社会保障、医療、教育、外交、これらは全部にイシューがあって、それぞれの党がどのようなポジションを持っているかをきちんと説明して、工藤さんもご承知のように、マニフェストも2年ぐらい前から一生懸命準備するのです。それをことあるごとに国民に話をするのです。

工藤:ところが、日本では民主党があまりにもいい加減なマニフェストを作ったので、もうマニフェストはいらないのではないかと言う声もでています。

脇若:さっき言ったように、民主主義が成熟したものになるプロセスだと思わないとまずいと思います。マニフェストがなければ、国民は政党を判断できません。

脇若氏の発言に私が最も同感したのは、この最後の発言である。今の日本は民主主義が成熟化するそのプロセスにあり、それを主導するのは有権者、という視点である。
マニフェストはそうした民主主義のインフラ、になるはずだった。ところが、昨年の参議院選ではマニフェストという言葉を選挙公約から外す政党も現れた。
結論から言えば、こうしたマニフェスト離れの動きは、国民の失望感に乗っただけで、政治の出口を見出したものではない。政党のマニフェスト自体、本来求められたものとはまだ距離があり、約束に基づく政治がまだこの国で実現したわけでもない。まだ始まったばかりなのである。


過去五回の選挙におけるマニフェストの評価

言論NPOは、この8年間に5つの選挙でその評価を公表している。その作業には各分野の約40人の専門家が参加し、マニフェストの形式と実質の2つの側面から約20の項目で評価する。関係者のヒアリングや調査、アンケートも含めて実施され、そのプロセスは議論も可能な限り公開している。
ところが、下に示したように、いずれも合格点に達しておらず、政権交代となった2009年の衆議院選では、民主党のマニフェストは20点台にまで落ちている。私たちの評価基準は、自民党政権時代から全く同じなため、これは評価の基準の問題ではない。(2003年の衆議院選は数字を公表していない)

2005年の衆議院議員選挙
自民党43点
民主党44点
2007年参議院議員選挙 
自民党27点
民主党28点
2009年衆議院議員選挙
自民党36点
民主党27点
2010年参議院議員選挙
民主党21点
自民党30点

これと同時に、私たちはマニフェストの実行に関する政権の取り組みの実績自体も、約15の政策分野で合わせて評価し、公開している。民主党政権だけに限って紹介するとその平均の数字も20点台でしかない。

鳩山政権実績評価(09年9月16日から10年6月8日)
25/100点
菅政権実績評価(10年6月8日から12月27日)
21/100点


どうしてマニフェストの評価が非常に低いものになったか

一体、どうして評価がここまで低いのか。評価を行ってきた体験からいくつか問題を指摘できる。まず、マニフェスト自体がまだ有権者との約束書として中途半端な状況であることだ。
さすがにスローガンだけの従来型の公約はなくなったが、それでもまだ大部分の約束はかなり抽象的で、なぜそれを実現するのか、その目的やそれをいかに実現したいのか、その政策体系(期限、目標、財源など)を描いたものが少ない。
私は、数値目標は大事だがそれを描くだけではだめで、もっと大事なのはその目的や財源などを含めた政策体系だと、かなり強調してきたつもりである。だが、多くのメディアはマニフェストを説明する際の分かり易さから、この数値目標にこだわってきた。
それが様々な混乱をもたらした。例えば、今、修正が与野党で討議されている、子供手当の問題も、支出額の数値目標は示されたが、結局、その目的が何なのか、その財源は何か。最後まで不鮮明だった。
生活支援か、出生率の低下を抑えることなのか、子育て自体の社会化なのか。その目的によってこの評価も異なるが、今ではその目的すら吟味されることなく、財政難から与野党の協議で子供手当も廃止に向かっている。
また多くのマニフェストは解決を先送りしたり、曖昧にしたものが多い。党内の合意ができていなかったり、約束に縛られたくないという、判断もそこには見え隠れする。
問題は、それで約束と言えるのか、ということである。約束は電話帳のように支持者を意識して羅列する必要はない。政党は今、解決すべき課題を絞り込み、その解決策を政策の体系性を持って有権者に提案する。マニフェストとは有権者に対する課題解決の提案書でもあるのである。


マニフェストのPDCAサイクルが機能せず

しかし、もっとも大きな問題は、マニフェストのサイクルが政党や政権の運営で機能していないことにある。
このサイクルはいくつかのパーツから構成されている。一つは党の中でのマニフェストの立案と党内合意のプロセスである。
先の脇若氏は、イギリスでは2年前から準備を始める、と指摘していたが、党首選はその前哨戦であり、それを軸に党内合意に向けたプロセスが大切になってくる。
 問題は選挙後の、約束実行のプロセスである。ここにはさらにいくつか誤解があるので、正確に指摘しておきたい。
まず指摘したいことは、「党の約束」と「政府の約束」は必ずしも同じではないことである。選挙で選ばれた政党は政権を獲得するが、その際、党のマニフェストを基本に、また連立を組む場合はその合意を含めて、「政府の約束」を国民に示さないとならない。
「政府の約束」を国民に提示するのは、政府がその実行に責任を持つためであり、政策の実行は内閣に一元化され、それこそ政治主導でこの約束を実現することになる。
イギリスの例で言えば政府はその実行のために体制を作り、予算をあげる。その実行は政府が自己評価を行い、成果を上げられない担当大臣は交替に追い込まれる場合もある。
ところが、こうしたサイクルは、この日本では実現したわけでなく、作り上げようという意欲も政治側に感じられない。
民主党政権では「党の約束」はそのままで、それを、「政府の約束」として政府が責任を持って、実現し、その工程を管理し、国民に説明する、という仕組み自体が存在しない。
約束に政府が責任を持つためには、政策の内閣一元化や約束の実行のための官邸主導の体制も必要だが、次第に党の要望や反対を抑えられなくなり、今では、今回の復興関連税制や財源問題で明らかになったように、個別の議員の意見が乱立し、何も決められないほど、政府の統治は壊れてしまっている。
約束の実行に政治の責任を問われるのは当然である。だが、ここで私は、修正は一切認められない、と言っているのではない。
党の約束を政府が実現するプロセスで、環境変化や準備不足から修正は当然、あり得る。その時に問われるのは、十分な国民への説明であり、より大きな修正時には、国民に信を問い直すしかない。大切なのは、国民に向かい合う、そうした政治の立ち位置なのである。


政党自体が政策を軸にまとまらずまとめ上げるガバナンスも不在

マニフェストを軸とした政治は9年前頃から3つの経路で始まった。一つは選挙で示した政権政策を政治主導で実現するという政治改革の動きであり、もう一つは地方から始まった市民の視点で政治を選ぶ、民主主義のインフラづくりである。
前者は自民党時代の国家戦略本部の国会ビジョン策定委員会が提起したもので、後者はかつての三重県知事の北川正恭氏が提唱者となった。そして、私たちのNPOが手掛けたのは、政策評価を国民との約束の観点から作りかえることだった。
この3つの動きに共通するのが、有権者主体にこの国の政治を作り変えること、である。それが今、一つの暗礁に乗り上げたのは、その動き自体がこの8年間、有権者に支えられた大きなものに発展しなかったからだ。
私たち側の責任も当然問われるだろう。
この動きの目的は政治の立ち位置を有権者サイドに大きく動かすことだが、そうした問いかけが十分にできないまま、作業に参加した多くの人は、民主党への政権交代自体を自己目的としていた。それが政治の今の混乱に健全な批判精神を失う、言論側の衰退を招いている。
マニフェストの試みは、いくつかの大きな課題に直面している。
一つはマニフェストを実行する実行過程の仕組み自体に、政治が真剣に取り組んでいないこと。そして、マニフェスト以前の問題として、政党自体が政策を軸にまとまっておらず、それをまとめ上げるガバナンスがほとんど党内に存在していないこと、である。
民主党政権の機能不全は、そうした政党自体の崩壊を明らかにしている。しかし、こうした民主政治のほころびがより鮮明に明らかになったのも、マニフェストという約束に基づく政治に向けた試みを、始めたからなのである。
この状況を何事もなかったように元に戻すことはもう困難だろう。
退陣間近の首相は政局判断で謝罪し、国民への謝罪という大きな意味を政局の中でしか判断できない、既存のメディア。こうしたもたれ合いの閉塞感を突き破るには、私たちが政治の代表を選んでいるという、いわば民主主義の原点に立ち戻るしかない、と思うのである。
私たち自身が強く望まない限り、新しい政治の流れも始まらないだろう。くどいようだが、そのためにも私は解散を、今の政治に求め続ける。
政治と有権者の間に緊張感ある関係を作り上げようとした、マニフェスト政治の意味をもう一度、皆さんに考えていただきたいのだが、どうだろうか。