2021年はこれまで以上に、未来に向けた覚悟が問われる年である

2021年1月01日

210101_kudo.jpg 新しい年の幕開けである。2021年は、これまで以上に未来に向けた覚悟が問われる年だと、私は思っている。

 新型コロナの感染は未だに猛威を振い、脅威は身の回りに迫っている。

 まず、私たちは細心の注意を払い、この脅威から私たち自身、そして、家族を守らなくてはならない。

 パンデミックは世界で感染が収束しない限り、どの国でも終わりとはならない。私たちは長期の取り組みをまず覚悟する必要がある。

 当然、私たちは、この脅威を封じ込め、この脅威下での社会を守るために、多くの人とつながり、力を合わせなくてはならない。そして、コロナ後の経済や政治の再建の準備を始める必要がある。

 しかし、それだけでいいのか、という強い思いが、私にはある。

 新しい年を迎えるにあたって、私が言いたいのは、このコロナ禍で浮かびあがった多くの問題に私たちも目を向け、民間側が行動を始める、今がその局面なのではないのか、ということである。


世界の共有する課題は国家を前面に考えることを止めるべきである

 私が、民間がまず動くべきだと、主張するのは二つの理由からである。

 一つは、国家主義のあからさまな台頭である。感染症の拡大は人命の問題であり国境を超えた世界共有の危機である。それにも拘わらず、多くの国が内向きとなり、必要な対話や協力がほとんど進んでいない。

 むしろ、多くの脅威を国家や国家対立を前提に政治的に考える傾向が一般化し、民間の取り組みや国際協調を求める声はこれまでになく小さなものになっている。 

 私は、昨年12月の「東京―北京フォーラム」に参加した前WHO事務局長のマーガレット・チャン氏に直接、この問題を問うたことがある。

 彼女はWHOの責任に直接、言及はしなかったが、彼女までもが「世界が共有の課題を政治的に考え、国連も含めてすべての国際機関から発言が聞こえなくなった」と最近の風潮に懸念を示している。

 当然、こうした逆風は、私たち言論NPOの取り組みにも向かっている。

 私たちは、国境を超える多くの課題で民間の取り組みに特別な使命があり、政府よりも一歩先に行くべきだと考え、この十数年、世界との対話を進めている。だが、最近、明らかに支援の輪は狭まっている。

 私が気になっているのは、日本国内でも「国際協調は幻想だ」とまで言い切る学者がおり、若い研究者の無力感が高めていることだ。

 一度、この問題を国連事務次長の中満泉さんと話したが、彼女の姿勢は明確だった。「困難の解決のために行動するのが専門家や学者の役割、困難を解説するだけの人間を専門家だと呼ぶのかは疑問だ」。

 世界の平和や感染症、気候変動などの危機も迫っている。それをいつまで国家対立だけで考え続けるのだろうか。

 新年がまず問うているのは、世界共有の課題で私たち自身の立ち位置なのである。


F・フクヤマ氏が警告した「家産制復活」をどう押し止めるのか

 二つ目の問題は、政府という統治の信頼が失われ始めている、ことにある。

 実は、この問題は新しい問題ではない。

 私たちが世界やアジア各国と協働して行う世論調査で5年前から明らかになったのが、「代表制民主主義の危機」である。そこでは多数の市民が国会、政党、そして選挙をすでに信頼しておらず、メディアや知識層への不信も軽微ではなかった。

 調査で最も深刻な傾向を示したのは、イタリアとこの日本だった。この政治不信の傾向が今、このコロナ禍の日本で拡大しているように私には思える。

 多くの国がコロナ対策で明暗を分けたのは、民主主義や権威主義かの体制の違いではない。この危機管理の局面で政府の取り組みが市民の信頼を得られたか。つまり、統治の信頼だった。

 この日本でも人命を優先するこの局面で、経済再開を急ごうと迷走する政府の取り組みは信頼を失い、覚悟を示せないまま言い訳だけを繰り返している。

 内閣の支持が昨年末に急低下したのはそのためだが、これはコロナだけがその原因とは思えない。日本政治が陥った政治不信の構造にさらにコロナ対応のまずさが火をつけたものである。

 私たちは現在、政府の予算編成や民主主義の点検作業に着手している。

 驚いたのは、コロナ対策とは無関係なものでも兆円単位で予算が膨らみ、膨れ上がる赤字国債を制約する仕組みを、立法と言論の府である国会が放棄していることだ。

 予算に関わる官僚からは同じような声を何度も聞いた。「政治家からコロナに取り組む医療従事者への支援増などの声を聴いたことはない。皆がこの危機に便乗し、支持基盤の予算獲得に躍起になっている。かつてはこうした声を抑え込む政治家も存在したが、真面目な政治家は発言を失っている」

 国民から選ばれた政治家が課題で競わずに、インサイダー企業を含めた体制に近い集団だけが権力と利益を分配するような光景が続いている。その中では異論を排除し、封じ込める風潮が当たり前となっている。

 米国の政治思想家のフランシス・フクヤマ氏は、現在の民主主義国家に見られるこうした傾向を、氏の著「政治の衰退」で統治者の私的利益に奉仕する初期の国家に見られた「家産制復活」と呼んでいる。

 新年に問われるべきもう一つの覚悟は、民主的な統治への修復をこの日本でどう進めるかなのである。


活力のある民主社会への復元のボールは私たち民間側にある

 昨年末、私はあるニュースキャスターのバランスの取れた生きた言葉を久しぶりに聞いて、思わず立ち止まったことがある。

 この発言は前首相の秘書の起訴に伴うもので、ことの本質に迫っていた。「公私混同に対して自民党の中からいさめる声も出ない。権力が腐敗すると、こういうことが起きるということを私たちは目に焼き付けておいた方がいい」。

 国家主義の台頭も家産制復活もそれを生み出す同様の問題がその背景にある。

 それは、市民や民間のチェック機能が世界や多くの民主主義国家で働いていない、ことにある。

 自由と民主主義の仕組みは安定したものではない。これを今、修復し、活力のある民主社会を創造する努力を始めない限り、「民主主義と政治の衰退」を止めることは難しい。

 多くの人は個人の尊厳を尊重し、それが守られる社会を求めている。この点ではフクシマシ氏と同じく、私も自由と民主主義を基調とした各国の統治や世界の秩序がこのまま壊れるとは考えていない。しかし、そのためには私たちの努力が必要なのである。ボールはまさに私たち民間側にあるからである。

 新しい年、世界やアジア、そしてこの日本の未来に向けた覚悟を固める年だと、私が考えるのはそのためである。

 私たち言論NPOもこの新しい年、世界の自由、そしてアジアの平和、日本の民主主義のために新たな覚悟を固めている。健全な日本の言論空間の活性化のために更なる一歩を踏み出すつもりである。

 新年も皆様方のご健康とご奮闘を私たちは心からお祈りしている。と同時に、共にコロナの危機を乗り越え、日本の未来に向けた新しい動きを作り出したいと思っている。