【れぢおん青森】 日本のデフレとミクロの挑戦

2003年1月10日

2003/1/10 月刊『れぢおん青森』Vol.25 No.290

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 「言論NPO」というNPO(非営利活動法人)を東京で立ち上げて一年になる。それまで東京の出版社で「論争東洋経済」という雑誌の編集長をしていた私は、日本のマスコミのあり方に自身の反省も含めて疑問を持っていた。この十数年、日本は経済や政治でも停滞し、状況は将来の展望、出口を描けないほど混迷を深めている。その責任の一端が、われわれマスコミ側にもあると考えたのである。

日本は現在、戦後経験したことがない歴史的な変化、改革の局面に入っている。経済は戦後、先進国でも例のないデフレに入り、経済の新陳代謝(経済手術)が始まっている。国の財政難を背景に、財政面で国と地方をめぐる関係は大変化を迫られ、自立できない地方は合併でしか生き残れなくなっている。その波は私の故郷でもある青森県にも急速に押し寄せているに違いない。

ところが、マスコミで日々報道されるニュースは俳句の季語のように関心が移り、傍観者的で短期的な批判のための議論が多い。では、どのように今の状況を抜け出すべきか。

マスコミからその判断材料や提案が打ち出されることは少なく、むしろ、日本の各地で始まっている挑戦を適正に評価する姿勢も欠けている。その状況を私は「言論不況」と指摘し、人任せではない当事者意識を持った建設的な議論の場をNPOを舞台に形成しようと、会社を辞め、運動を立ち上げたのである。

当事者意識とミクロの視点
私がこの間、一員して主張してきたのは、「当事者意識とミクロの挑戦」ということだった。言論NPOを立ち上げる直前に小泉政権が誕生し、改革は始まったが、その時に私は「一人の政治家に任せるのではなく、日本の改革は私たち自身が自らの問題として挑戦すべき」と呼びかけた。「日本が将来に向かって混迷から脱出し、新しい国づくりをするためには、マクロの政策運営に対する政治家のリーダーシップはもちろん必要である。だが、それよりも大事なのは個人の挑戦だと考えた。過度に政府や組織に依存するのではなく、個人が自らの夢に、将来をかけて行動しなくては未来は切り開けないからである。

この意味では日本のメディアも報道の価値判断を変えなくてはならなくなっている。かつて英国のサッチャー政権時の経済改革時には地域での雇用の拡大、ビジネス、個人の挑戦が大きなニュースとなって取り上げられていた。現在の日本では倒産や失業、不良債権処理など、過去の処理に伴うニュースだけが大きく毎日取り上げられているが、すでに日本でも企業の立ち上げなどビジネス面での挑戦に加え、個人が社会、地域に貢献し参加するためのNPOも相次いで立ち上がっている。政府をただ批判し頼るのではなく、そうした動きが適正に評価される風潮が必要なのである。

この一年間、私はさまざまな議論をインターネット(www.genron-npo.net)やクオリティ誌、各種のフォーラムで開始した。政治の改革や経済対策、経営のコーポレートガバナンス、道路公団改革、日本のアジア戦略などとテーマは広がり、実際の政府の政策当事者も含めて600人近くが議論に参加し、そのたびに私たちの考えを見解として公表してきた。だが、私が悩んだのは日本の混迷がかなり深刻化しているのに、その危機感を共有しそれを自らの問題として打開しようとする動き、さらには議論への参加者が少ないことだ。

むしろ今の状況を人事のように「観劇」して楽しんでいる風潮すら見受けられる。このような人は、自分に痛みが発生すると政府を批判し、政治家に期待しようとする。まさに「ポピュリズム」の風潮が強まる中で、日本全体が自立よりも政府依存を強め、経済の公的管理、そして民間活力の原動力ともいえるマーケットの死滅を招こうとしている。

日本のデフレと管理経済
今の日本が困難を抱えているのに、国民の間に危機感が薄い原因は二つあると私は考える。一つはほとんどの国民が政府の保護によって本来発生している痛みを認識していないことだ。銀行預金へのペイオフの延期とゼロ金利がその典型的な例であり、銀行預金の国の全額保護と金利の引き下げで、経済の大幅な調整が避けられている。もうひとつは物価 の下落、つまりデフレの進行が債務を抱えない個人の実質所得を上げて生活の安定に寄与していることだ。だが、デフレは企業収益や債務の実質増加につながり、すでに名目賃金の下落というスパイラルを起こしている。むしろ今の状況は一時的な錯覚にしか過ぎないのである。しかし、こうした状況はそう長く維持できるものではない。

私は新年の3月までに経済的にはかなり厳しい事態になる可能性があると思っている。だが、危機は政府が抑えることができても、経済の立て直しは民間の挑戦がなくては達成できない。日本の今の状況はある意味では戦前の昭和恐慌時に似ている。この時には井上、高橋の両蔵相の下で緊縮(経済構造改革)、そして拡張政策の二つの異なるマクロ経済政策の運営が相次いで行われている。今の日本はこの二つの課題を同時に進めなくてはならないという異常な状況下にあるが、ここでの最大の教訓は政府のマクロ政策の動きにかかわらず、民間部門では企業の整理、再生、産業の再建を命がけで行っていた事実だった。過去の文献を見れば「能率運動」という言葉がよく出るが、個人や民間企業の挑戦の結果、当時の主力産業の繊維産業はその後、世界でも有数の競争力を生むにいたるのである。

私は政府のマクロの対策が必要でないといっているのではない。きめの細かい失業対策や福祉対策などセーフティネットの整備は必要だが、弱者と敗者は明らかに違うのであり、そのすべてを保護できる余力は、財政破綻寸前の国にはもはやない。その認識に立った上で、私たちは自らの自立と将来に向かって挑戦を始めなくてはならない。

言論NPOはこうした思いの中で建設的な議論から、政策形成までを個人の参加によるNPOで行おうとしている。すでに会員は400人となったが、こうした言論側の挑戦も日本の改革の一翼は担えると私は信じている。我々の個人の挑戦でしか、この国は未来は描けないと思うからである。

2003/1/10 月刊『れぢおん青森』Vol.25 No.290