栗山尚一氏 第3話:「中国にどう向かい合うのか」

2006年3月12日

「中国にどう向かい合うのか」

 中国との関係は、日本側の努力だけではできない面があります。いわゆる愛国教育など、中国の国内体制から来る中国のナショナリズムが国民教育の土台にあって、それが基になって、中国の一般的な大衆を含めての対日観というものが出てくるからです。世論調査をしますと、必ずしも中国人が圧倒的に反日ではないという数字もあるようですし、日本のポップカルチャーなどに対する親近感も中国人の中に出てきているということは、長期的には良いことだと思います。

 しかし、どこの国際関係でも、一般論として非常に難しいのは、力関係が急速に変化するときです。常に、それをコントロールしていくことが大変難しいということです。70年代から80年代にかけて、日本の経済が急速に巨大化したときに、アメリカとの間に貿易摩擦など様々な問題が起きました。アメリカは、それまでは、弟分で、しかも、優等生であり、戦後、自分たちが教育して、民主主義を受け入れて、「愛いやつ」という感じで日本を見ていたのが、急速に大きくなった。その日本と、いったいどう付き合ったらよいかということになった。エズラ・ボーゲルのジャパン・アズ・ナンバーワンという本が出て、アメリカ人が一種、日本に対して恐怖感を持った時代がありました。

 それと同じようなことが、中国との関係で起こっています。日本はまさに、近い中国が巨大化しつつある、これとどう付き合うかということに戸惑いがあります。それが、中国が脅威であるという議論にも繋がっているわけです。そこにひとつ基本的な問題がある。

 もうひとつの中国との関係の問題は、中国の国内の問題です。鄧小平以来、中国の改革・解放と称されるものが進んで、中国共産党のイデオロギー的な正当性というものを、中国人があまり信じなくなりました。そこで、中国共産党としてどうやって十数億の国民をまとめていくかというときに、共産主義のイデオロギーの代わりに何を求心力とするかというと、ナショナリズムということになりました。ですから、経済の開放化が進めば進むほど、中国共産党としては、どうしてもナショナリズムに依存して、体制の求心力を維持していくことが必要なのです。

 その際のナショナリズムをどこに向けるかというと、その原点は日本なのです。その前の19世紀のヨーロッパの植民地主義に抵抗したということも歴史の一部ですが、いわゆる抗日戦争を戦い、共産党にとってはより直接的な日本との戦争というものを戦って、日本に勝ったということが、中国のナショナリズムの原点です。それはある程度、理解しなくてはならない。
 
 しかし、経済の補完関係、依存関係がここまで大きくなると、それが行き過ぎても困るわけです。その点は、中国共産党や中国政府として意識をしています。先般の反日デモも、アメリカにいる中国系の団体がインターネットで煽ったという話がありますが、最近では、インターネットの管理で、中国とアメリカとの間で問題が起きつつあります。インターネットの企業が中国に進出するに際しては、規制を受け入れて自己検閲をやらされています。

 中国政府や共産党にとってのジレンマは、ナショナリズムを放っておくとコントロールがきかなくなる。かといって、ナショナリズム教育をやめると、それに代わる共産党の正当性を国民に示す拠り所がなくなる。一方においてはナショナリズムの暴発をなんとか抑えなければ、自分にふりかかってきますから、それをある程度抑制しなければならないという意識はありますが、それを全面的に否定するということは、これは自己否定になりますから、できないわけです。例えば、歴史教育、いわゆる愛国教育的なものを、やめろといっても、やめられない事情が中国側にあるわけです。ですから、そこは日中関係にとっては非常に難しいところです。
 
 一般的な処方箋はないのですが、長い目で見れば、中国がある程度変わらなければ、この問題は解決しません。中国は、日本的、あるいはアメリカ的、欧米的な民主主義国には当分ならないと思いますが、もう少し、全体主義的な色彩が薄い社会になる可能性は、長期的にはあると思います。そうなれば、この問題はある程度、対応可能な状況にはなると思います。短期的には、問題を本質的に解決することはできないでしょう。個々の問題をそれなりにその都度処理していくということしかない。それが全面対立にならないように、ある程度問題を封じ込めていく必要があります。

 日米間でも、80年代に経済摩擦以外に、防衛費をどうするかなど防衛摩擦がありました。当時よく言われたことは、経済摩擦が日米関係全体に影響しないように、経済摩擦は経済摩擦として冷静に対応して処理をしていくことが必要だということでした。それは基本的には正しいことですが、私が当時、現役時代に言っていたことは、そうは言っても、民主主義の国では、経済摩擦は経済摩擦だけにとどまらず、一般的な国民のお互いの対日観や対米観に影響を及ぼさないわけがない。影響を及ぼせば、結局政治的な関係にも影響が出てくる。だから、経済摩擦そのものをきちんと処理する必要があるということでした。

 今の日中関係にも同じような問題があると思います。石油の問題、経済の問題、資源の問題、それらを問題として冷静に処理して行くということは、言うは易いのですが、なかなか難しい。しかし、それをやらないと、日中関係は当分よくならないと思います。

 日本の国内では、やはり戦争の総括がどうしても必要だと思います。ただ、今更、戦後半世紀以上経って総括しろといっても、総括というものはなかなかできない。なぜ総括できなかったかというと、そこには戦後教育の問題があり、戦後に歴史教育ができなかったのは、日教組の問題もありました。日教組があまりにも左のイデオロギーで固まり、そういう教育をやろうとした。それに対して、それをコントロールしなければならないというもうひとつの対立軸があって、その狭間に現実に戦後の世代の人は置かれ、まともな歴史教育が行われなかった。

 やはり、村山談話や小泉談話に出ている政府の認識というものが、どういう歴史的な背景に立ってそのような認識になっているのかということを、これからの21世紀の日本人がきちんと勉強しなければならないという気がしてなりません。


※第3話は3/14(火)に掲載します。

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発言者

栗山尚一氏栗山尚一(元駐米大使)
くりやま・たかかず
profile
1931年東京都出身。東京大学法学部中退。54年外務省入省、85年駐マレーシア大使、89年外務省事務次官を経て、92年から95年まで駐米大使。帰国後2003年まで早稲田大学、国際基督教大学客員教授として活躍し、現在に至る。著書に「日米同盟 漂流からの脱却」、論文に「和解-日本外交の課題」等

 中国との関係は、日本側の努力だけではできない面があります。いわゆる愛国教育など、中国の国内体制から来る中国のナショナリズムが国民教育の土台にあって、それが基になって、中国の一般的な大衆を含めての対日観というものが出てくるからです。世論調査をしますと、