「日本の知事に何が問われているのか」/山形県知事 齋藤 弘氏

2007年5月26日

 「日本の知事に何が問われているのか」をテーマに、全国の知事にインタビューを続行中です。
現在の発言者は齋藤山形県知事です。

camp4_yamagata.jpg齋藤 弘 (山形県知事)
◆第1話:5/26(土) 「山形の文化の価値を生かす」
◆第2話:5/27(日) 「財政改革は1丁目1番地」
◆第3話:5/28(月) 「実話で語れる分権論を---三位一体改革を評価する」
◆第4話:5/29(火) 「もう県単位の発想はやめにすべき」
◆第5話:5/30(水) 「地域のアイデンティティーは失うべきではない」

齋藤 弘 (山形県知事)
さいとう・ひろし

1957年生まれ。81年東京外国語大学外国語学部卒後、日本銀行に入行。この間、国際通貨基金に勤務し、預金保険機構勤務、日銀退職、山形銀行入退行を経て、2005年山形県知事選挙に当選。
「県民と『助け合い』、『分かち合い』、『育みあう』ふるさと山形づくり」、「百年後にも誇りに思える元気なふるさと山形づくり」、「子ども夢未来宣言~子育てするなら山形県」などを提唱し、「百年後にも元気な山形」の実現のため、様々なアクションプランを実践している。

第1話 山形の文化の価値を生かす

地域の価値を考えるとき、2つの意味があろうと思います。1つは、今までにない、全く新しい価値を生み出す、という意味での「価値の新創造」、そしてもう1つは、伝統文化に裏打ちされ、地域で長らく育まれてきた価値に、現代のいぶきを吹き込む「価値の再発見」です。

今、山形県では、特に後者で成功事例が芽ばえつつあります。すなわち伝統的なものづくり力を海外にも発信するというものです。メゾン・エ・オブジェというパリのインテリアシーンを扱っている国際見本市があって、2006年からそこに山形の伝統品を展示しました。こうした取り組みを企画・コーディネートしているのが、山形県出身の人で、奥山清行さん。もともとフェラーリのデザイナーとしても活躍している工業デザイナーです。彼がヨーロッパで洗練されたアイデアを山形の伝統工芸にどんどんぶつけてくれた。本来、曲がらない木を曲げたらせん形の照明付きコートハンガーをつくる、また、山形の1000年の歴史ある鋳物で、注ぎ口からお茶が絶対垂れないような形にしてもらったティーポットもあります。

それらが今、大ヒットして、世界中のいろいろな雑誌に何十冊と取り上げられています。中には、大ブレークして生産が追いつかないものもある。ティーポット「まゆ」は、ニューヨーク近代美術館のニューヨーク市内3つのショップからも展示販売させてくれと注文がきて、2006年9月から売り出されています。

こうした取組みをカロッツェリアプロジェクト、日本語では「山形工房」という名前にしています。カロッツェリアというのは、イタリア語で工房ということなんです。日本人は海外の動向に関心が強い国民性をもっていますから、日本で情報発信するよりも先に海外から情報発信する、そして海外で受けたとなると、注目度もグンとアップする、そういう効果を狙ってやっています。これを我々は「黒船効果」と呼んでいます。

ところで、地方の再生だと言いながら、本当にそこに生活している人たちは地方のことをよく知って、かつ、その自分の地域を愛しているのでしょうか。まず自分たちの住んでいるところを自らが徹底的に知って愛することから、すべては始まるのではないかと思うのです。

山形県は昔から非常に精神性の高い地域です。まさに出羽三山というのは関八州までその信仰におさめたところですし、今でも千葉県の木更津から参拝者が多数訪れる。今だからこそ、物質的なことよりも心の問題など精神的な面が重んじられる時代に似合った地域ではないか、と思います。しかし実際のところ、山形県の人は灯台下暗しで、十分にそれを認識していない。それにあらためて気付いて、それを皆さんに愛でていただけるようにきっちりとアピールする。そして誇りを取り戻す。そういう作業の連続が、「山形県人の素晴らしさ」を意識化、実践化、均霑(きんてん)化するものであり、本当の意味で、地域の再生につながるわけです。その一環が「山形工房」であったりするのです。

何も東京の真似をする必要はないと思います。


第2話 財政改革は1丁目1番地

知事の役割とは何か。現時点では、財政の自由度回復を図り、それを伴っての構想を実現することになると私は思います。財政の改革というのは今、政策遂行上、1丁目1番地と位置付けています。しかし、今まで私が見た限りで、改革を唱えながらも、財政の借金を返した、減らしたという実績を挙げる、すなわち財政面で結果を出した知事はごく少数にとどまっています。

山形県は、「子ども夢未来指向」を県政の基本に据えています。それは「今、未来の子どもたちのために何をすべきか」ではなく、未来の子どもたちは今を生きる我々になすべき何を求めているのか」を発想の原点にしよう、というもの。その意味で、県債残高は、将来に対するツケで、これは「子ども夢未来指向」に反しているだろうというのが山形県の考え方です。昨年度(平成18年度)からプライマリーバランスの黒字と利払い費の均衡を県財政運営の目標に掲げました。その結果、県債残高は、18年度に県財政史上初めて減りましたし、19年度も、県債残高減少の実現を目指した当初予算を編成しました。

財政改革というのは「1丁目1番地」の政策目標と申し上げましたが、そうしないとこれからの夢を描けないのです。借金の増加は、言葉は悪いのですが、いわば「将来への飛ばし」でしょう。だから、借金を増やしていろいろな事業をやるというのはだれでもできます。

私はIMFでの勤務経験もありますが、利払い費を入れた財政収支の均衡を目標にしているという点で、我々はグローバルスタンダードです。ただ、プライマリーバランスの黒字も交付税に頼っている部分が相当あるので、砂上の楼閣であることも事実です。景気動向はもとより、地方財政を取り巻く外生的要因が大きく変われば、今のプライマリーバランスの黒字も、またそれと利払い費との均衡も吹っ飛んでしまう。

知事の役割は、やはりまずは構想を描く。きっちりと将来の構想を描いてそれに突き進む。それが大切だと思います。そのための足元の強化を図る。しかも、それは足元そのものの強化はもとより、それが将来にわたってきっちりと効果を出していけるような取り組みをするということです。したがって、そこで一番大切なのは、やはり財政改革をして、自由度の高い持続的な財政運営ができるように足元をしっかりとさせることです。

「管理から経営へ」、それが今の知事に求められた最大の役割だと思うわけです。それは、自らの責任において自らが決定する、そしてそれを積極的情報開示により県民にチェックしてもらう、というシステムを構築することを意味しています。これまでの改革派が地方分権の旗手として国に対して地方から戦いを挑んできたというのは、それ自体間違ってはいないし、これからもやっていかなければならないと思います。しかし、私があえて申し上げているのは、地方自治体って何なのかということです。地方自治体が今、目指すべきなのは、地方政府ではないかということです。財政面で独立しなければ、人間だって一人前の大人だといわれないわけです。今は自分のお金の使い方、お金の入り、お金の出というのも自治法上きっちりと決められている。国の制度と最も違う点は国は赤字国債を発行できるが、地方は赤字地方債を発行できないということです。そのように財政的な自立が図れない以上、独立した大人として物事は言えない。それができて初めて言えるし、一人前の大人になれる。そうであるならば、そうなれるような準備をしていかなければいけないわけです。

財政再建のための歳出カットの対象としては、例えば、投資的経費ですと、従来の3割、すなわち7割減です。もうそろそろ限界だということです。したがって、極端に言えば、もはや人件費しかありません。部長たちが新規事業のために「枠はこうだと言われても、これは大切だから、これだけは認めてくれ、うちは特別」と財政課に持ってくるわけです。それに対し、私は「わかった、あなたは自分たちの人件費を担保にして主張しているのですね」と問いかける。財政構造上、社会保障費等々を含めた義務的経費が9割以上を占めているのですから当然といえば当然です。事業だけ持ってきて、あとは最終的な尻は財政当局、そして知事の責任だなどと、部分均衡的な物言いは認めない、自らの人件費を担保にして持ってくるのなら考えよう、などと、厳しいことを言わなければなりません。

歳出削減は細かいところまでやっています。大きな意味では、これからはもう退職金も含む人件費しかないのです。給与水準と人数の両面からです。

山形県で職員の平均退職金が2600万円です。これは他県でもほぼ同じだと思います。部長クラスが3500万円の退職金です。この水準は、県行政のサービス提供の質量両面、ならびに山形県の所得水準に照らして、県民の皆様が容認できるものかどうか、ということです。

また、退職金とは、正確には退職一時金です。したがって、退職一時金と年金制度を合わせて、県内の民間企業と比較してどうか、その結論を出した上で考えなければいけないだろうと思います。当然、いろいろな問題提起もあろうかと思います。例えば、近隣県、同規模県対比、国準拠があって難しいと。それに対し、「山形県の財政事情の厳しさを考慮せずに、給与、退職一時金の水準のみ他県同等と主張しても山形県の財政が解決できるのだろうか」と私は言っているわけです。

また、退職金をカットされたら、これまでの人たちと比べ、その人たちがかわいそうではないか、不平等ではないか、という声もあるでしょう。しかしそうしたら、退職金というのはいつまでも削減できないことになるでしょう。だから告知期間を設けて、「退職金は減りますよ、辞めたい人は今年どうぞ、最終列車に間に合うかもしれませんよ。けれども、まだ引き続き働きたいと思う人たちは、来年から退職金はこれだけ減るという点を理解した上でお願いします」と言うしかないと思います。

歳入増については、この2年間の私自身の取り組みで、「産業廃棄物税」と「やまがた緑環境税」の2つを新税として設け、スタートさせました。とりあえず1年ごと、1つずつやったため、「また新税か」ということもあるので、少なくとも短期的には、さらに新たな税というのは構想の中にありません。新税導入は、まだまだ足腰の、経済産業基盤も弱い山形県のようなところでは非常に難しいと思います。まさに景気、雇用に大きなダメージを与えるので、東京都などと違って相当慎重にやらねばならないなと思います。歳入増をさらにどう図るのかというと、県の資産をもう1回洗い直して有効活用を図るということだと思います。だから、賃料を取れるところは取るし、賃料が定期的に入ってくるのであれば、それは例えば不動産であれば証券化できますので、そうやって少し収入増を図る手もあり得ると思います。


第3話 実話で語れる分権論を---三位一体改革を評価する

第1期の分権改革(三位一体改革)で3兆円の税源の移譲は、一応数字上は達成できましたし、関係者の頑張りもあって、一定の評価はできると思います。ただ、最終的には数字合わせでした。義務教育もほとんど何も変わっていない。ただ、その中でも地方に権限と財源が移譲されてきたのもありますし、財源のみが移譲されてきたのもあります。しかし、現行制度のまま第2期改革も、今と同じような税源移譲を、例えばまた3兆円ぐらいやることになると、地方間の税収格差はさらに広がる。これはもう事実だと思います。ですから、現行制度を変えるか、別な意味で分権改革を進めていかない限りは、第2期改革は、むしろ地方間格差を広げるだけに終わってしまうのではないかと心配しています。

では、その第2期改革はどうするのか、ないしは最終的な分権の姿というのはどうなるのかということだと思います。やはり「大都市圏への一極集中」解消への取り組みは避けて通れない問題でしょう。例えば、この4年間の全国都道府県の税収増約5兆円のうち1兆円が東京都から上がることをどう考えるのか、ということです。我々としては、東京都の水や電気はどこから供給されているのか、人材はどこから来ているのかなどということを考えていくときに、都会と地方、東京都とその他地方という構図の中で、税体系もライフスタイルを考慮したものに再構築していく必要があると思います。

税の問題は、優れて技術的な側面があるのも事実です。したがって、我々は、まず地方税源の充実強化が必要であること、そしてその際には、税源の偏在性が少なく、税収の安定性を備えた地方税体系が不可欠であること、を念頭に置かなければなりません。今話題の「ふるさと納税」もそうしたコンテクストの中で大いに議論されるべきものと思います。

そして、最終形として分権改革はどうあるべきか、ということですが、これはある種、道州制の議論にもつながっていくと思います。人口が減っていく。当然、生産のうちの資本と労働のうちの労働が減少します。だからこそ安倍内閣は技術進歩を狙って、イノベーションと言っていると思いますが、人口減少を補えるだけの生産性向上のためのイノベーションが起きるかどうかよくわからない。 

資本というところで生産を賄う方法もあるわけです。これをどうするのか。当然労働力が少なくなっていけば、結果として資本の方も少なくなっていきます。これを補うのは、やはり海外からの投資でしょう。それを誘発、誘引する必要があると思います。海外からの投資を誘引するには、それぞれの地域が持っているものをグローバルにアピールし、それが実現可能になるようにしなければいけない。したがって、そこには優遇税制などを含め、魅力的な地域にしなければなりません。その意味で、国とは別に地方が独自に有する徴税権がまず必要になってくると思います。

徴税権を付与するのであれば、そこには立法権も必要になってくる。それは県単位でやるというよりも、道州といった、もう少し広い概念での地域が魅力的な地域であり、そのための立法権も付与される地域になれば、海外から資本も流入し得るのではないでしょうか。そうするためには、現在「国のかたち」そのものである徴税権と立法権を地方に付与するわけですから、これは、分権改革は単に国から権限と財源をということだけにとどまらずに、「国のかたち」そのものに大きな変革をもたらすということになるのではないのかと思います。それを連邦制というのか、道州制というのかは別問題ですが、そこには憲法改正なども含め、徴税権や立法権を地方に与える、そのぐらいのことまでしなければ、この人口減少社会というのは乗り切れない、我々が思っている以上に、実態は急ピッチで進んでおり、より深刻化しているのではないでしょうか。

三位一体改革に住民の関心が向かなかった背景には、何か国と地方行政が空中戦をやったという感じが住民にあったのだと思います。そこは我々も反省点していて、佐賀県の古川さん(康知事)などと話しているのは、やはり実話を語ることだということです。みんなの心に映り、落ちるような、そういう実話で分権というものを語っていかなければ、これまで同様、今後とも何ら関心を持ってもらえないということです。

そこで最近、いくつかの会合でお話をさせていただいた事例があります。冬場、おじいちゃん、おばあちゃんが持っている杖は、地面との接着面がゴムでできています。例えば、雪国では冬場、接着面がゴムだと氷で滑って大変だからアイスピックのようになっていた方がいいですよね。でも、そういうものを見たことはあまりないでしょう。ない理由があるのです。国で決めた補装具の規格があって、「ゴムでないとその基準外となるからつくらない」と生産者側は言うのです。ですから、山形県のような雪国であっても、雪国に合った、おじいちゃん、おばあちゃん向きの杖はないのです。そういうものができるようになるのが、分権という一番住民自治に近いところでできる大切なことです。

もう1つの事例が、学校・幼稚園給食の話題です。山形のような野菜が豊富なところでニンジン嫌い、ピーマン嫌いのない子どもたちを育てるため、お昼は野菜だけの給食をやってみたいと思いませんかと言うと、皆、そうだと言います。しかし、厚生労働省からの取り扱いでは駄目という事例もあるようです。通達により決まっているカロリーに比べ、カロリー過少だと指摘を受ける可能性があるからです。しかし、今どき子どもには、カロリー過多はあっても過少ということはめったにないことでしょう。ですから、山形では、幼稚園時代から野菜中心の給食にするというのはいかがでしょうかと話しています。山形県は野菜が多種多様で豊富なのですから。そういうことが自由にできることが分権改革の1つです。

もっと自由に自分たちの地域の経営ができるようになるような「国のかたち」を成し遂げるために、われわれは真の意味での分権改革を推進していかなければなりません。


第4話 もう県単位の発想はやめにすべき

まず国との関係では、国と地方の役割分担の見直し、その上で権限と財源の移譲は引き続きやっていかなければなりません。それから、これまでやってきて足りなかった部分は、先ほどの議論にあったような分権改革が国民運動にはまだなっていないことです。それは単に国と知事会の空中戦のような議論をするのでなくて、先ほどのような実話を語って、国民に、県民に、分権改革が必要だと思っていただけるような運動を、自らが展開していくということです。

もう1つやらなければいけないのは、道州制の議論とは別に、実態論として、県単位の発想を超えて経済の広域化、広域連携を強め、それを進めておくことだと思います。つまり、行財政区分が一緒になる時点で実態的にはすでに一体だから何の違和感もないと思っていただけるような素地を、そうした議論とはまた別にきちんとつくっておくべきです。

それを今、私は宮城県と一緒にやっています。山形と宮城は、全国に3つある県都同士が県境を接しているところの1つですので、なおさらヒト、モノ、カネの交流がある地域です。その強みを生かして、そういう実態をつくっていくということだと思います。

もう県単位の発想はやめようと言っていますが、それを1つずつ実践していくことだと思います。人の交流は相当広がっています。山形の人はしょっちゅう仙台に買い物に行くし、仙台の人は週末になると観光なり、そばを食べに、山形にどっと出掛けてきます。それをさらに進めるために、例えば今回、山形県は、宮城県のインフラ整備に5000万円の出資をしたわけです。仙台空港アクセス鉄道が、仙台駅から仙台空港まで第三セクターでつくられたものがありますが、そこに山形県は出資しました。海外渡航する山形県民の8割が仙台空港を利用するということもあるし、仙台空港と仙台駅との間を往復するそのアクセス鉄道がそのまま仙山線、仙台駅と山形駅との間も直通で運転していただけるようにという気持ちも込めています。事実、先のゴールデンウイーク期間中に、臨時の山形駅・仙台空港駅間直通列車の運行が実現しました。またソフト面でも、山形県のPRを無償で積極的に仙台空港、仙台駅などで行ってもらえるというメリットもあります。他県が道路をつくったり、鉄道を敷設して橋を架けたりするときに、それらが隣の県民の利便性向上につながるからというその1点で他県に出資するというのは、非常に珍しい。しかし、これからはそういう動きがなければならない、それが県境を越えた発想に転換することだと思います。

山形県の人口は120万人です。宮城県は230万人、仙台市が100万人です。仙台市を除くと、宮城県と山形県の人口はほぼ拮抗します。ですから、仙台市というのは山形県と宮城県との共有物として育てていく価値がある。実際、山形県に住んでいて宮城県に、仙台市に仕事で通っている人がいますし、逆の人もいます。

特に山形市と仙台市が動いています。民間ベースでは、もう10年も前からより積極的にそ
ういう仙山交流を、協議会まで立ち上げてやっています。例えば、山形県の金融機関も、仙台戦略というものを展開している。潜在需要があるからです。

こうした広域行政と住民に近い行政ということを考えると、将来的に現行の県という行政体の役割は消滅すると思います。中2階ですから。国から地方へ権限と財源を移すといったときの地方というのは、行政規模が小さい村まではいかないけれども、一定規模の市や町、まさに基礎的自治体に移すと考えるべきです。県というのは、仮に向こう30年間その存在意義があるとすれば、大きくなった30万人都市以上の基礎的自治体が幾つかできてくる中の広域調整のようなものでしょう。県の後期高齢者医療広域連合のようなものを支援していくということだと思いますが、それだけ基礎的自治体が大きくなると、道路を整備したり橋を架けたりというのも、基礎的自治体で可能となるわけです。

市町村合併はもちろん一生懸命やっていきます。合併したところでは、何か手触り感がないといいますし、合併がこれからの課題だというところでも、合併したら結局自分たちの地域のアイデンティティーのようなものが埋もれてしまうのではないかといって、遠巻きにして疑心暗鬼で見ているところがあります。そこで、合併というのはこんなにいいものだと、手触り感をもってもらうことが大切だと思うに至りました。具体例として、平成19年度の予算では、生活に一番密着した道路予算について、県全体では1割以上削りましたが、合併の進む庄内地区だけは1割増しにしたのです。新規案件十数件を設け、すでに着工しているところについては予算の積み増し、さらに工事工法の工夫によって前倒し完工する、といった具合です。こういうことで合併というものはいいものなんだということを住民に感じていただく。そうすれば、合併を遠巻きにして見ていた向きは、合併を前向きにとらえるようになるものと期待しているところです。

私は、2月の議会で合併は必要だということ以上に、もっと踏み込んだ言い方をしました。合併をしないと判断した市町村長は、今後インフラ整備やその自治体で提供するサービスが、合併したところに比して明らかに劣後している場合には、住民に対して大きな責任を負うことになる、と。合併問題はすでにそうしたステージにあるものととらえています。


第5話 地域のアイデンティティーは失うべきではない

私は指定金融機関制度も変わらざるを得ないと思っています。皆さんが意外に念頭に置いていないのが地方自治の金融的側面なのです。税収というのは年間を通じて入ってくるわけではなく時期が決まっているため、資金繰り上、困る時期がある。そのときには縁故債を引き受けてもらって資金調達を円滑にしないと事業展開できない。そこで、指定金融機関制度というものを設け、地方自治体の資金繰りの安定性を確保してきた。その一方で、指定金融機関も、余資を運用できるメリットもありましたが、今や逆に余資の運用に困って、事務コストだけかかって大変だということが、この金利情勢下で生まれてきているわけです。

一方、われわれは、引き続き資金調達の安定性確保のニーズを満たしながら、他方で財政再建の一環として効率化を図る必要もあります。これに対して、指定金融機関は、余資運用では稼げない金利情勢にあるから、むしろ地方自治体との取引において手数料の適正化を図る、と言ってきているわけです。

そこで、手数料の適正化を図るというのであれば、もちろん手数料は安い方がいい、しかも透明性・公平性も確保できるようにしようと、入札制導入踏み切ったわけです。

これは効果が出ています。例えば、「やまがた夢未来債」(ミニ公募債)のように、資金使途を高校の建設や、道路の整備に特定して25億円のミニ公募債を発行し、県民に買ってもらう。従来、その受託行は当然、指定金融機関であったわけです。それをロットと金額は発行サイドで決めるが、金利と手数料は競争だということにした。その結果、平成17年度は引き続き指定金融機関が落札しましたが、手数料は35銭から19銭へと相当安くなりました。そして、18 年度は指定金融機関以外が初めて受託行になりました。そうしたら、金利は国債よりも安く、また手数料は安くなった前年よりもさらに安くなって、発行コスト全体としては相当圧縮されることとなりました。

さらに、そういうミニ公募債だけでなく、銀行等引受債も実は50億円分入札としました。そうしたら、フランスの地公体向け資金を専門に扱っている銀行が落札したのです。それは二十年物でしたので、地元行もなかなか難しかったとは思いますが、それを落札したフランス系銀行も本邦進出後、初めての取引となったそうです。

ただ、多くの地方自治体では、実質公債費比率や経常収支比率が相当程度高く、そのまま、単独で、全額を市場から資金調達するような場面を想定した場合、調達コストが相当高くなる、また、調達の安定性を確保できなくなる可能性も出てくるでしょう。

もっとも、今の制度を前提にすれば、極端な話、金利というのはどの自治体も同一でいいのではないか、という見方もできます。なぜならば、デフォルトリスクはないのですから。また、いろいろな自治体がIRを一生懸命やっていますが、デフォルトリスクがなく、いわば政府保証が全部付いているわけですから、現行制度を前提にしているのなら、多くは期待できない。なお多くの人が、夕張市は破綻した、おれたちのところは夕張市のようにならないようにと言っていますが、それは問題の性質が全く違う。夕張のケースでは、いわば粉飾決算をしていたわけですから、単に借入金残高が積み上がって困ったという事情とは全然違います。夕張市のようにならないようにということを言いますが、夕張市と、借金で苦しんでいるというだけの自治体とは、問題の本質が異なります。

このように、地元金融機関との良好な関係は維持しながら、やはり財政の健全化に必死になって取り組んでいかなければなりません。もちろん、今後自治体が自立の道を歩み始めるとすれば、IRはこれからとても重要になると思います。分権改革を進める上で、資金面の自立には制度再構築を含め相当の努力が必要だ、ということです。

地方の自立的経営という問題ですが、2006年から、岩手、宮城、山形で連携して自動車関連産業の集積に強力に取り組んでいます。これは貿易論を念頭に置けばいいのです。つまり、リカードの古典的な比較優位論です。自分のところの比較優位のある分野に特化してそれぞれが行い、それで足りないものは相互に補完し合えば、お互いの厚生が増すという議論です。

仮に山形県は農作物が得意かもしれない、宮城県は農作物を耕作するための機械製造が得意かもしれないというのなら、山形県は農作物に、宮城県は農作物ではなくて機械製造に特化する、そうして余剰分を交換する。この場合とそれぞれが単独で生産する場合を比較すると、前者のケースがより高い厚生を実現できる、という考え方です。それができるのが広域経済圏です。この例では、事業単位が山形県と宮城県となっていますから、2県間の貿易論のようにいわれるわけですが、これが取り払われれば、別に関税もなければパスポートも要らないのですから、それはもう自由に行えるのです。

こうした関係では、協力できる分野はどこでもいいのではないでしょうか。福島県や新潟県は地理的に微妙な立場にあると思いますが、一緒にやらせていただいております。その際、地域のアイデンティティーはやはり失いたくないので、お話したようなプロジェクトを展開しながら自信をつけ、実際にその地域に根差した産業を引き続き持続していかなければならないと思っています。

山形県はアイデンティティー、つまり誇りを取り戻しつつあると思いますが、私はいまだ十分ではないと思っています。典型的なものとして、世界文化遺産への登録に向けたプロジェクトに、今、県民運動として取り組んでいることです。世界遺産、その中のジャンルとして文化遺産の登録を、「出羽三山と最上川が織りなす文化的景観」というタイトルでやっているわけです。例えば、即身仏、つまりミイラは全国に十数体ありますが、山形県に8体もある。そういう精神性、今まさに21世紀に皆が生き方を模索し始めて、ベクトルが心の内に向かっているときに、山形県にはもともとそういう文化があるということを、うまく表現し、理解してもらえれば、非常にアピーリングな土地柄なのではないのか。しかし、プレゼン、アピールすべき人が、自分たちの良さに全然気付いていない。

私も十分ではありません。私は山形県で生まれ育ちましたが、高校卒業後は離れてしまいましたし、また海外にも住んだことがあるので、なおさら山形県の良さ、素晴らしさには、あらためて大変感じ入っています。そうやっていろいろ考えていくと、自らの土地を自らが愛せないで、なぜ他人に理解し、愛してもらえるでしょうか。世界文化遺産登録や観光誘客などの取り組みを通じて、「ここは素晴らしい、皆さん来てください」と言いますが、本当に自分たちが心から素晴らしいと思っているのか。自分たちがこのぐらいしか思っていなかったら、他人にもそれくらいにしか見えないわけです。自分たちが自らの地域を心から愛して、初めて、他人にもその意識を同じレベルまで引き上げてもらい、そして価値を認めていただく、という作業を続けていかなければならない。 

地方分権改革とは、自らが自らの地域を、心から愛することでもある、ともいえるのではないでしょうか。

camp4_yamagata.jpg齋藤 弘 (山形県知事)
◆第1話:5/26(土) 「山形の文化の価値を生かす」
◆第2話:5/27(日) 「財政改革は1丁目1番地」
◆第3話:5/28(月) 「実話で語れる分権論を---三位一体改革を評価する」
◆第4話:5/29(火) 「もう県単位の発想はやめにすべき」
◆第5話:5/30(水) 「地域のアイデンティティーは失うべきではない」

 「日本の知事に何が問われているのか」をテーマに、全国の知事にインタビューを続行中です。
現在の発言者は齋藤山形県知事です。