松本健一氏 第3話:「安倍氏の信条とステーツマンとしての安倍首相」

2007年3月13日

松本健一氏松本健一(評論家、麗澤大学国際経済学部教授)
まつもと・けんいち

1946年群馬県生まれ。東京大学経済学部卒業。京都精華大学教授を経て現職。主な研究分野は近・現代日本の精神史、アジア文化論。著書に『近代アジア精神史の試み』(1994、中央公論新社、1995年度アジア・太平洋賞受賞)、『日本の失敗 「第二の開国」と「大東亜戦争」』(1998、東洋経済新聞社)、『開国・維新』(1998、中央公論新社、2000年度吉田茂賞受賞)、『竹内好「日本のアジア主義」精読』(2000、岩波現代文庫)、『評伝 佐久間象山(上・下)』(2000、中央公論新社)、『民族と国家』(2002、PHP新書)、『丸山眞男 八・一五革命伝説』(2003、河出書房新社)、『評伝 北一輝(全5巻)』(2004、岩波書店、2005年度司馬遼太郎賞、毎日出版文化賞受賞)、『竹内好論』(2005、岩波現代文庫)、『泥の文明』(2006、新潮選書)など多数ある。

安倍氏の信条とステーツマンとしての安倍首相

安倍さんが最初に国会でやったことは何かといえば、教育基本法の改正でした。小泉さんは教育基本法の改革という、戦後何十年言われてきたことに取り組んだのです。が、本人が「米百俵」のエピソードを引いたにも関わらず、教育改革ということについての意気込みはなかった。考えていたのは郵政民営化だけで、だから教育基本法の改正を国会で成立させることはほっぽり出して去ってしまった。

安倍さんはそれを引き継いで、自分は教育改革をする、日本の戦後60年にわたる占領教育、日本人の誇りが失われている、という状態を変えていく。そのためには、まず日本を支える国民を作ることをしない教育基本法の改正をする、ということで法案を引き継ぎ、それをあっという間に国会で成立させたわけです。

安倍政権のメインテーマは、教育基本法の改正と、憲法改正でした。これは本人が言っているし、それによって戦後日本の占領状態の継続の終焉を成し遂げたい、と思っていたことは分かります。

この二つともなかなか難しい問題でした。が、その2つが彼にとって最大の戦後政治の超克であり、戦後政治の総決算だったわけです。

教育基本法を改正するというのは、ナショナル・アイデンティティーに関わる問題なのです。憲法というのは、英語でいうと、コンスティチューションです。要するに、その国の原理とは何なのか、日本の原理とは何なのか、ということを具体的に表すために憲法がある、というのが近代国家です。憲法というのは、この国は何なのかという外形的な原理であり、そういう国を支える国民、つまり国民の内面的な原理をどうつくるかということが、戦前であれば教育勅語だったし、戦後であれば教育基本法だったのです。

ナショナル・アイデンティティーの再構築のために、憲法という外形的な原理と、内面的な原理との両方を連動させて改正するという本来の形でいえば、憲法改正などはいつ実現できるかわかりません。しかし安倍政権は教育基本法の改正については、その内容評価を別にすれば、すでに易々と通してしまった。一政権に出来るのが一テーマだとするならば、最大のテーマはもうやってしまった、ともいえるのです。

さらに、これは言論NPOの昨年8月初めのフォーラムがその転換を作り出したのですが、懸案の日中関係も一応首脳会談をやりました。それは小泉政権がつくり出した破産状況で、外交関係さえ成り立たなくなっていたアジア外交を乗り越えるという課題でした。

総理になる前までに安倍さんがとっていたスタンスは、その歴史認識とは何かといえば、「新しい歴史教科書をつくる会」の人たちとほとんど一緒でした。そのとき一番親しかった自民党の仲間が、郵政選挙に落選して今度自民党の参議院選に出る衛藤晟一さんです。「新しい歴史教科書を作る会」に呼応する形で、自民党の中でやっていたのが衛藤晟一と安倍さんでした。日本の歴史を語り直し、書き直すことによって、日本の美しさや独自性を表していこうということを一緒にやっていた。そこに原点があるのは、今回、自ら反対を押し切って衛藤さんを復党させたことからも分かります。

しかし、安倍さんは総理になるに当たって、こうした歴史認識を大きく修正する必要があったのだと思います。

彼はステーツマンですから、首相になれば別のレベルの政治的判断が当然あります。靖国に行き、国の戦争で亡くなった人々をお参りするというのは政治家一個人の信条のレベルではそうであっても、国家主導者となれば別の政治的な判断をする。そのメッセージは言論NPOの昨年夏の『東京-北京フォーラム』でも歴然と出ていたのです。あのとき安倍さんは、靖国のことも日米同盟のことも一言も言わない。日本外交のこれからの一番のテーマはアジア外交であると言った。日中関係の改善に向けて、あそこで見事にカーブを切ったわけです。

首相になるということが決まった頃、つまり、あのフォーラムがあった8月の段階の後から、自分一個の信条とすれば靖国に行く、あるいは新しい歴史教科書をつくる会のメンバーとほとんど歴史観を共有しているということとは別に、総理や国家指導の立場に立つステーツマンとすれば、実際にはそれでは済まない。そういう政治的判断をした段階からそれまで付き合っていた人とも会わなくなったのです。

安倍さんのこうした変化はある意味で当然なのです。しかし、それに代わる論理体系を「美しい国」の実現に向けて作り出せたわけではありません。しかも、ステーツマンというのは結局、法律で全部それを制度的に決めていくわけですから、教育再生についても法律で決まったところで、「日本とは何か」、「美しい国」だということを国民が納得、実感できることはないのです。そこのところで、安倍さんは「美しい国」とはどういう国かという説明をしなければならないときに、ステーツマンであるから、その同じ標語を繰り返しているだけになってしまう。

安倍さんはその「美しい国」とは何なのかと言われると、せいぜい、戦後教育によってモラルハザードの状態が社会に現れているという否定的な形でしか説明できないというジレンマに陥ってしまっているのだと思います。

ナショナル・アイデンティティーというのは、金融や経済、情報という数字化できるものではなく、その国の文化や言語などに関わるわけで、そこは国に固有のものであるということを言葉で言わなければならない。要するに、その国の歴史や文化とはどういうものかというと、これは言葉、もしくは文学的な才能の世界で、ステーツマンではなかなかできないのです。例外はゲーテぐらいでしょう。

その結果、安倍政権が具体的にやっていることをみれば、例えば防衛庁を防衛省に格上げしたわけですが、どう見ても、その国の独立とか国を守るということが軍事的な意味でメッセージとして伝わってくるわけです。ですから、「美しい国」と言っているが、それはどちらかというと「強い国」だ。安倍さんへのイメージの根本には、彼が拉致問題では絶対引かないということがありますから、北朝鮮を敵とするというメッセージになってくる。安倍さんの考えている「美しい日本」とは、現実に顕れている事象でみれば、どうしても軍事力において強いということが美しい、軍事力が強くなければ外交も強くなれないというメッセージとして国民に伝わってしまうのです。

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安倍さんが最初に国会でやったことは何かといえば、教育基本法の改正でした。小泉さんは教育基本法の改革という、戦後何十年言われてきたことに取り組んだのです。が、本人が「米百俵」のエピソードを引いたにも関わらず、教育改革ということについての意気込みはなかった。