「第2回 東京-北京フォーラム」が達成したもの

2006年9月25日


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  / 【全3部】

第2部:「フォーラムはプロセスに発展し始めた」

工藤

小島さんが先に言われた「民間外交」という話に移りたいと思います。中国はこのフォーラムでもこれまでの民間交流と政府外交の中間の存在として「公共外交」という概念を提案していました。これは私たちから見れば民間のトラック2とかトラック1・5とか言うものですが、今回のフォーラムで日中間に民間外交の強いチャネルというのは形成したと判断していいのか、それとも、これはまだまだ過渡的な現象なのか、みなさんはどうお考えですか。

白石

今回のフォーラムは、今、大いに高い評価を得ておりますが、結局のところ、これから先、このフォーラムをどう使うかによると思います。チャネルなどというものは、使わなかったら、すぐ役に立たなくなります。この2年、「東京―北京のフォーラム」の役割は、ある意味、トラブル・シューティングだった。しかし、先ほどこつこつヒットを打っていくと言いましたが、実はそれがこれからはやはり中心になっていくのではないかと思います。ではこれから何をするか。

1つは、できるところからワーキンググループみたいなものをつくって、議論をもう少し深めていく。フォーラムをイベントでなく、「プロセス」にするということです。

これは今回のフォーラムの共同声明でも提起されたものですが、「プロセス」というのは、1年の間に何かいろいろなことが起こっていて、一年に一度あるフォーラムまでに、何らかの答えを出していくということです。

「プロセス」に変えることができるのであれば、それは大きい転換にはなると思います。ただ、そのためには、お金や人など、今まで以上のコミットメントが要るわけです。それをどうするか、またそれをするに足るテーマとはなにか、それが重要です。

では、具体的に何をするか。基本は日本と中国の間の信頼関係をどうやってつくっていくのかということでしょう。そのためにテーマとしてどのようなものがあり得るのか、きちっと考えるところから始めた方がいいと思います。

工藤

確かに今回のフォーラムの各分科会では、参加者の皆さんの間でいろいろなことが合意されています。作業委員会を作って次の北京までに提案しようとの話もありました。つまり、議論はプロセスに変わり始めています。これは参加者が受身ではなく、主体者に変わり始めて、このフォーラムの議論を担おうとする動きだという感じがしました。そういう人たちが、このフォーラムを舞台に動き出せるような仕組みを今つくっていくということが問われていると思います。

安斎

私は、フォーラムに官僚、政治家も個人の立場とはいえ、もっと入ってもらったり、アジアの人たちも傍聴ができるとか、世界の人が見守る中で議論が進んでいくような形にしたい。ホームランは打った数は変わらないけれど、これからは打率を稼いでいかなければならない。ただ、打率をキープするというのは物すごく難しい。

だから、同じテーマでも構わないからアジアでもアメリカの人でも見ている中で議論をするように、角度を変えたらどうか。会場に来た人から質問が出るかもしれない。質問を受けて、両国が答える。それが、アジアの人たちがどっちを向いて、どういうふうにして動いていいのかわからないという不安感の除去にもつながる。

そうすると、さすがに大国2つがしっかりしてきたと思われます。両国関係のテーマといっても、所詮は信頼関係を築くことが目的となる。

工藤

環境・エネルギー分科会では、フォーラムの前から準備をして、会議ではどういう認識を共有して、どういう合意をするのかなどの打ち合わせをしてから、フォーラムに臨みました。分科会では何が合意されたのですか。

小島

要するにフォーラム自体をプロセスにしようという合意ができたわけですね。来年の北京大会までにその準備を行うということです。パネラーに参加していただいた、日本のエネルギー研究所と中国のカウンターパートは既にいろいろ共同で研究活動をやっていて、気心が知れていました。このネットワークでフォーラムを続けたいという気持ちが出てきたんですね。テーマとしては非常に議論しやすい、入りやすいテーマですし、少し議論すればお互いにプラスのところが多い分野ですから。それはすぐ動きますよ。

安斎

その人たちが専門家であるとすれば、このフォーラムはどう引き継いでいくかが課題になると思います。このフォーラムを核として議論がなされて、みんな具体化に向けて動く。そしてまたフォーラムの中で報告がなされていく。
 
白石

日中の間にはいろいろなトラック2があります。僕が関与しているものだけでも3、4つある。資金の出どころは政府ないし民間財団で、研究者同士が議論する、そこに政治家、ジャーナリストが入ってくるといったものです。

こういうさまざまのトラック2によってずいぶんネットワークはできている。しかし、考えてみると、どこにもハブがない。いろいろやっているけれども大きな力にならなかったのはそのせいかもしれない。

ところが、今回、1つハブができた。フォーラムがハブになった。ただし、このハブの悩ましいところは、政府と違って、おカネがない。事務局もみんな手弁当でやっている。したがって、政府のまねごとはできない。いろいろなトラック2がこのフォーラムから派生してきても、おカネや何かはみなさん、各自でやってください、という形にしないと破綻する。

それは逆に言えば、これまですでにいろいろなトラック2に参加している人をどんどん「東京―北京フォーラム」に引っ張り込んで、ハブ機能を強化するというのが、フォーラムのひとつの行き方となるということだと思います。

工藤

そういう人も入ってもらって、実行委員会方式にしたらどうかということはずーと考えていました。言論NPOが事務局になって。

白石

フォーラムがネットワークのハブになって、そこで何か新しいものが動き始める。しかし、それはほかのグループが担当する、そういう形がいいと思います。

安斎

方向づけは私たちでするが、具体的には皆さんに動いてほしいと。

工藤

それはやっぱり本音で語り合える議論の場の設計と提供が、私たちの目的だったからです。そして、議論の形成はプロセスとなり、その内容は公表していく。そうした循環が始まることがこのフォーラムを発展していくことになると思います。

その点で、東京-北京フォーラムはいくつかの合意をしています。言論NPOとチャイナディリーが日中の議論交流のための共同のウエッブサイトを作ることです。

すでに中国側ではフォーラムの翌日の8月5日に、チャイナデイリーが、中国の巨大なインターネットメディアと組んで、日本との相互理解を深めるためのサイトをつくっています。そこで日本に対する質問が2000人ぐらいが来て、その回答を言論NPO側が行うことになったわけです。

彼たちは、そういう議論の発信をしていき、それが公開されるような仕組みをつくって、それを稼働させて次の北京大会につなげることをイメージをしているように見えます。それが成功していけば、アジアのいろいろな人たちの声がいずれそこに参加していくような形が実現するかもしれない。まさに今はそうしたプロセス下にあるように思います。

安斎

そういうふうに地道に続けることは大きいですね。実際に大変なことになると必ずまともにやっているところにニーズは来ます。ある意味で大変なときにホームランを打つのは楽なんですが、本当に世の中全体がうまくいき始めると、地道に続けていくことが却ってかなり難しくなるものです。


総括座談会 出席者


060912_kudo.jpg工藤泰志(言論NPO代表)
くどう・やすし

1958年生まれ。横浜市立大大学院経済学修士修了。東洋経済新報社入社。「金融ビジネス」編集長を経て、99年4月から2001年4月まで「論争 東洋経済」編集長を務める。同年11月「言論NPO」を立ち上げ、多彩な言論状況を作り出している。同名の雑誌も創刊。「新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)」の常任政策委員を務める。主著に『土地神話の行方』。

060912_shiraishi.jpg白石隆(政策研究大学院大学副学長)
しらいし・たかし

1950年生まれ、72年東京大学卒業、74年同大学より修士号を取得。86年コーネル大学哲学博士。79年東京大学教養学部准教授、87年コーネル大学准教授、96年より同大学教授。98年より京都大学東南アジア研究センター教授。経済産業研究所ファカルティフェローを兼務。2005年政策研究大学院大学副学長。主著に『海の帝国、アジアをどう考えるか』『インドネシア 国家と政治』等がある。

060912_anzai.jpg安斎隆(株式会社セブン銀行代表取締役社長、元日本銀行理事)
あんざい・たかし

1941年生まれ。63年東北大学法学部卒業。同年日本銀行入行。74年香港駐在、85年新潟支店長、89年電算情報局長、92年経営管理局長、94年考査局長を経て、同年日本銀行理事就任。98年日本銀行理事を退任、同年日本長期信用銀行(現・新生銀行)頭取就任。2000年同行頭取を退任後、同年イトーヨーカ堂顧問に就任。2001年株式会社アイワイバンク銀行(現・株式会社セブン銀行)代表取締役に就任。

060912_kojima.jpg小島 明(日本経済研究センター会長、日本経済新聞社論説顧問)
こじま・あきら

1942年生まれ。65年早稲田大学政経学部卒業。日本経済新聞社入社。ニューヨーク支局長などを経て、97年取締役論説主幹、常務取締役論説主幹、専務取締役論説担当。2004年論説特別顧問、日本経済研究センター会長。2005年中国ハルビン工科大学客員教授・同大学中日貿易投資研究所長も務める。88年度ヴォーン・上田記念国際記者賞受賞、89年度日本記者クラブ賞を受賞。主著書に『グローバリゼーション』などがある。

 東京・北京フォーラムが終わって一ヶ月が経ちました。このフォーラムでは民間外交や日中の関係改善という点から、様々な合意と同時に強いインパクトを日中両国に与えたと私は考えています。

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