「アジアの将来と日中問題」/松本健一氏

2006年8月29日

第3話:「求められる共通のアジアアイデンティー」

 小泉首相は、中韓が例えば靖国の問題だけで首脳会議を行わないと言うのはおかしなことだという言い方で、相手を批判ばかりしていますが、これも、まさに相手を敵とすることによって国民の中で人気を集める、一体感を強めるという欠陥の現われだと思います。日中韓だけではなく、現在では他の東アジアの国々も、ほとんど閉じられたナショナリズムという状況に陥っている、と私は考えています。

 日本は、小泉首相の時代になってアメリカ追随の姿勢を強め、アジア、中国を侵略したという歴史的記憶を希薄にしています。私は、大東亜戦争という言葉をわざわざ使いますが、大東亜戦争と言わないで太平洋戦争と言うのが戦後の日本の常識になっています。太平洋戦争というとらえ方をした場合に、アメリカと戦争をしたという問題意識が非常に強くなってくるのです。ですから、中国の側からみると、日本はあの大東亜戦争を米英としたかもしれないが、同時に中国、アジアともしたのではないかという問題意識が起こってくることになる。大東亜戦争は米英との帝国主義間戦争であるという側面と、中国、アジアに対する帝国主義的な侵略戦争であるということの二面性を、我々はもう一度認識しなければなりません。その歴史的な認識が我々日本民族の中から非常に希薄になっていると思います。

 一方、中国は、1990年代からの経済発展によって大国意識を強めている。少なくともアジアでの覇権主義という傾向が強まっているのではないかと私は思います。その結果、日中関係では、お互いにナショナルアイデンティティーを確立、強化することによって激しい対立、衝突を生み出すことになりました。

 この日中関係の緊張を解く方法は当面のところありません。少なくとも外交上のやりとりの仕方では解決策はありません。もし解決策があるとするならば、それはお互いの内政上の変革でしょう。日本の場合には、小泉政権下のアメリカ追随の形を改める。中国の場合には、国内矛盾を回避するために、外や日本に敵を作るという方針をやめるということを相互で行うべきでしょう。その上で、日中関係がそれぞれのナショナルアイデンティティーを超えた共通のアジア認識、アジアのアイデンティティーを求める。つまり、ナショナルアイデンティティーを再構築するということと、それを超えていくアジアのアイデンティティーというものを考えなければならない。未来のアジア構想というものを共通につくり出していかなければならないのです。

 私が数年来唱えている「アジア共同の家」、アジアンコモンハウスという常設機関をつくることが、日本と中国のナショナリズムをアジアの方に開いていくということのために必要であろうと思っています。

 いずれにしても、日本では、戦後日本はアメリカに負けたという歴史認識が非常に強くなったために、中国、アジアに対して侵略戦争をやって負けたという歴史認識が希薄になっていることに加え、憲法9条で戦争放棄を宣言したことによって「我々はもうどこも侵略をしない」と思った瞬間から、我々はいい国になったのだ、だからもうあの戦争のことは思い出したくないという認識になった。そこから、現在の日本人は歴史認識が空白になっている側面があると私は自覚しています。この問題は、日本国民として改めていかなければならないと考えているところです。

 現在の世界史の中では、それぞれの国がナショナリズムを強めており、その打開は、ただ単に日中関係、二国間で解決できるものではなく、二国をアジアの中に開いていくということが必要です。そのためには、「東アジア共同体」というコンセプトは何なのかということを常時考え、また、そのときに歴史認識の問題もお互いにすり合わせていくということが必要です。新しい日中関係は、必ずやアジアの未来構想という上に構築されなければなりません。


※松本健一氏の本テーマにおける発言は以上です。

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発言者

matsumoto_060803.jpg松本健一(評論家、麗澤大学国際経済学部教授)
まつもと・けんいち
profile
1946年群馬県生まれ。東京大学経済学部卒業。京都精華大学教授を経て現職。主な研究分野は近・現代日本の精神史、アジア文化論。著書に『近代アジア精神史の試み』(1994、中央公論新社、1995年度アジア・太平洋賞受賞)、『日本の失敗 「第二の開国」と「大東亜戦争」』(1998、東洋経済新聞社)、『開国・維新』(1998、中央公論新社、2000年度吉田茂賞受賞)、『竹内好「日本のアジア主義」精読』(2000、岩波現代文庫)、『評伝 佐久間象山(上・下)』(2000、中央公論新社)、『民族と国家』(2002、PHP新書)、『丸山眞男 八・一五革命伝説』(2003、河出書房新社)、『評伝 北一輝(全5巻)』(2004、岩波書店、2005年度司馬遼太郎賞、毎日出版文化賞受賞)、『竹内好論』(2005、岩波現代文庫)、『泥の文明』(2006、新潮選書)など多数ある。

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