―鳩山政権の半年を考える―
  マニフェスト型の政治は実現したのか

2010年4月06日

増田寛也氏×武藤敏郎氏 対談参加者:
増田寛也氏
(株式会社野村総合研究所顧問、元総務大臣)
武藤敏郎氏
(株式会社大和総研理事長、元日銀副総裁)
司会: 工藤泰志(言論NPO代表)


第2話:民主党のマニフェストは既に頓挫している

工藤泰志工藤 ところが、マニフェストの実行はそのままでは無理なことが先の予算編成でもはっきりしています。私たちが問題視しているのは、こうした事態になっても国民との約束の履行の状況が詳細に国民に説明されない、ということです。予算案を議論する通常国会の施政方針演説でもマニフェストのマの字もなかった。これでは「約束を軸とした政治」が機能しているとは言えないと思いますが。


武藤敏郎氏武藤 予算の編成では結局、マニフェスト通りにはいかないことが明らかになりました。もちろん、子ども手当の半分とか、高校の授業料の実質的な無料化は行われましたが、ガソリン税などの暫定税率が実質的に維持され、主要な項目が修正に追い込まれました。
 ただ、民主党のマニフェストの実行評価の核心は、マニフェストの財源は既存の予算の無駄の削減でやるといった約束を守ることができたかどうかということです。無駄の削減には取り組んだのですが、財源を捻出できたわけではなく、まさに財政的には赤字公債を出して工面した。財政規律というものを全く考えに入れずに、国民にカネを配るというのがマニフェストと言うのであれば、「そういうものが本当のマニフェストと言える」か、という問題があります。要するに、マニフェストというのは政策の体系であり、単に、国民が喜びそうなことをやるというのはマニフェストではなく、ただのばらまきです。財源を無駄の削減で十分に捻出できなかった、ということはマニフェストを実現できなかったということです。

何とか予算は組んだが来年の目処は立たない

工藤 無駄を削減して財源を捻出するというロジックは今回破綻しましたが、来年以降はさらに深刻になります。埋蔵金は底を付いているし、マニフェストの関連予算はさらに膨らむ。子ども手当も倍増するわけです。このままでは予算を来年組むとしたらマニフェストを大幅に修正するか、赤字国債に頼るか、増税をするしかない。それを財政当局も理解しているから、閣僚の発言が揺れている。


武藤 私たちは毎日の報道でしか判断できませんが、首相の発言を見ても、例えば「来年の子ども手当の倍増はひょっとしたらできないかもしれない」と言ってみたり、また徹底的に無駄を削減して、実行するんだと言ってみたり、あるいは「増税を検討する」と言ったり、「任期中はしない」と否定したり。では、何が約束なのか、こう揺れ続けては誰も信じられなくなる。とにかく努力する、というだけでは、責任ある態度とは言えない。
 無駄を削減する、というのは正しいし、それは進めなくてはいけないと思います。ただ、問題の本質は、財政赤字は無駄によってあるのではなくて、歳入不足によってあること。要するに、無駄の削減は、多少はそれに貢献はするが、財政赤字を削減するための正しい処方箋にはなり得ないわけです。本質は歳入不足にあるわけです。そちらを先送りしながら、無駄の削減で財源を出すというのは、いわば選挙向けのレトリックに過ぎない。それはもう国民は見破らないといけない。

工藤 私が、今の政治が国民に向かい合っていないと思うのはその点です。政府はマニフェストがなぜうまくいかないのか、その実態を国民に説明していない。それを説明しないまま、あたかもマニフェストは機能しているような、幻想をつくり上げている。子ども手当を約束通りやるなら恒久的な財源が必要ですが、毎年無駄を削減してその毎年の財源の5兆円を生み出すというのはあり得ない話。つまり、ここでも恒久財源をどう国民に求めるのか、その説明もできない。子ども手当をやるというのはその程度の覚悟なのか、と疑問に思います。結局、だましだましで選挙を乗り切ろうとしている。これでは、約束を軸とした国民の向かい合った政治とは言えない。

武藤 そこを厳しく指摘するべきなんですよ。メディアがそれを言わないといけない。


今度の参議院選で約束型の政治に戻れるか

増田寛也氏増田 予算をつくるときには、どうしてもマニフェストの修正という問題を柔軟に考えていかなければいけない。それは、体を張ってでも正すべきは正して、その代わりに鳩山総理なり、副総理格が修正に至った理由を丁寧に国民に説明する、というプロセスが絶対に必要です。
そうした説明はまだなされていない。つまり、約束のサイクルが途切れてしまっている。今年の参議院選挙がマニフェストの修正のチャンスになります。つまり、ここで国民の信を問わないと約束を軸とした政治は前に進めなくなっている。
 それと、これはこれからの提案にもなりますが、これを契機として、衆議院選に向けて次のマニフェストの策定に入っていかないとならない。いい物にしていくために、やはり2年くらいの時間は必要です。そもそも、マニフェストをどういうふうにつくっていけばいいのかということを、今回の経験から洗いざらい出して、「ここはよくなかった」という反省点を出していくべきだと思います。

工藤 ここまでマニフェストのなし崩し的な修正が行われると、政府の説明責任は大きいと思いますね。

武藤 そう思います。ただ、マニフェストをつくり直す時には、マニフェストの総合性という点からは、サービスを拡充するための負担をどうするかという話とワンセットでなければなりません。それを乗り越えなければ、本当の意味での約束にはならない。特に今の民主党は次の選挙を意識して動いています。選挙を意識することはやむを得ない面がありますが、予算の配分が選挙を意識した党の利害だけで動いているとなると、話は別です。約束の実行のために、政府は政策を実行すべきであり、工藤さんが何度も言われたように、国民に絶えず向かい合う姿勢が大事です。


民主党の政治は「新しい」政治か

工藤 もうひとつの大きな問題は、すでに皆さんからも言及がありましたが、約束を軸とした政府の政策実行プロセスが機能したか、という問題です。先にも話がありましたが、政策実行は政府に一元化とはいいながら、党との関係がわかりにくくそのプロセスはかなり不透明に見えます。

増田 この間、かなりはっきりとわかったのは、あまりにも"党高政低"の政治が出すぎていることです。これは、国民の約束を軸とした政治と異なり、選挙の論理だけの政治です。しかも国会を見ていると、時々「自民党もこういうことをやっていた」という話が民主党から出てきます。国民からみるとえらく滑稽な話なわけです。国民は、自民党もやっていたから俺達もやるんだ、という政治を期待したわけではない。自民党のようなことをやらない、といって選んだ政党が、そういうことを公然と言うのは理解に苦しむわけです。つまり、古い自民党的なところがかなり色濃く見え始めた。そこは厳しく非難されるべきですし、民主党の自己改革が非常に強く求められる事態になってきたとも思っています。

工藤 予算委員会の議論を見ていたら、首相は、暫定税率の廃止はしたかったが、国民の声が存続させるべき、というので存続させた、というようなことを平気で言っている。幹事長室の声を国民の声というのならば、それを全て公開してどういう声があるのか、明らかにしてほしい。幹事長室に対する要望で選挙での約束が変更され、要望に基づいて工事費が付く。見ていると党利的な古い政治そのものという気がする。しかも予算の審議が始まる前に、公共事業の箇所付けの資料が、民主党から地元の県連に流れるという事態も発覚しましたよね。最終的に国交省大臣が注意されるというかたちで終わりましたが、こうした事態をどう見ましたか。

増田 私にとっては驚愕の事態というか、たまげた、という感じです。要望は幹事長室が一本化し、さらに地方の要望は全部、地方の党の組織を通してやれと言うのは、弱体化している党の組織を強くしたいという目的以外の何ものでもない。それも問題だなと思っておかしいんじゃないかということを言っていたら、今度は工事の箇所付けの問題で国会で予算の審議が始まる前に、地方の県連を通して各県庁なんかに資料を渡している。政治主導というのを履き違えているような気がします。これが、地域主権の政治主導かというと、選挙のために地方組織をいかに強くするかということだけが至上命題になってしまっていて、選挙のためだけに全部が動くという悪い体質が出てきている。
 特に、公共事業の箇所付けの話は、国会の審議が始まる前に県連に通知するなんて考えられない事態だったわけです。私は思わずのけぞったし、国交省の役人ものけぞっている。というのは、国交省の地方整備局も全然知らないわけですから。公共工事の具体的な箇所は、予算が成立して始めて実施計画ができて、それで箇所が決まる。確かに、自民党の時にも箇所付けの情報を伝えることが、地元への利益誘導の源泉のようなところがあったけれども、それでもやっぱりそこは法(のり)を越えないようにして、予算が成立するまでは言わなかった。有力者には伝えていたかもしれないが、それでも、どんな人でも1日2日の違いでしょう。それが今度は予算の審議が始まる前ですから。こんな時期に通知がそれぞれのところに行くなんていうのは、いかにみんなの顔を民主党の地方組織に向けさせようか、という以外の何ものでもないのです。これからは県庁などの行政組織も、わらに民主党の地方の県連組織の顔色を伺うようになってしまう。

武藤 民主党の中にある選挙優先とない交ぜになって、ある意味利益誘導的な側面が出てきた。公共事業の箇所付は、最終的には政治が決定するとしても公平公正に役人が原案をつくるのが自然なことなのです。政治家が直接それをやると、我田引水みたいなことになりかねないわけですから、悪い意味での政治主導になってしまうリスクが非常に高いわけです。政治主導とは本来は、もう少し高い次元で役人ができないような国家の基本方針について行われるべきことなのであって、箇所付けなどはまさに、事務的な仕事です。


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