日本の民主主義、政党政治はこのままでいいのか

2015年2月20日

2015年2月20日(金)
出演者:
岩井奉信(日本大学法学部教授)
内山融(東京大学大学院総合文化研究科教授)
牧原出(東京大学先端科学技術研究センター教授)

司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)

工藤:先程、岩井先生からも、やはり政党政治という点で見ると非常に問題があるのではないかという指摘がありました。確かに言論NPOも評価をやっていて、政党から出されるマニフェストのレベルがあまりにも低く、政党が課題解決のプランを持っていない、ということを感じます。今まさに課題解決をしなければいけないところで、プランを持っていないのか国民に説明しないのかよくわからない点もありますが、そうなってくると政党政治の意味がないと思ってしまう。つまり有権者に対して政党が課題解決で競争し合い、その実行に関して責任を持つという仕組みができていない。北海道では「支持政党なし」という政党が出てきましたが、これは究極の皮肉です。政党に対して、あるいは政党政治事態にNOを出されているのかもしれない。この状況をどう考えればいいのか、また、この状況は解決可能なのかをお伺いしたいのですが、牧原先生いかがでしょうか。


日本の政治の大きな課題は「政党のガバナンス」

牧原:かつての自民党長期政権時代には、官僚制を上手に用いて官僚が作る政策案を党の政策として実行していくスタイルが確立していました。これがおそらくOS(オペレーティングシステム)です。新しいOSを入れるという段階で、民主党はそこが上手くいきませんでした。ただ、二つのOSをまず作り上げて、その上で競争状態に持っていくのが政治改革の本来の課題でしたので、政権交代はそのための一つのステップだったと思います。しかしこれで完成するわけではなく、これから一歩一歩作っていくしかない。だから自民党が官僚と共に政策を作るのではなく、長期的には二つのOSを作ることが必要だと認知されることが大事です。もちろん自民党自体も少しずつ変わってきていて、自己更新という進化の形跡がありますが、まだまだ満足はできない。二つ目には、内山さんがおっしゃったように、外交、内政、経済のように重要な問題に対して野党の政策が、全く歯が立っていないことに対してどうするかが問われています。

工藤:皆さんの間では、二大政党制ができていかなければいけない、という理想はまだ失っていないわけですか。というのは、二大政党制ということ自体に展望が見えない気もしているのですが、どうでしょう。

内山:個人的には二大政党制よりも多党制でいいとは思いますが、いずれにせよ、今の政治の問題点は「政党のガバナンス」の問題だと思います。民主党の代表選の時にガバナンスの問題が言及されていましたが、日本は一部の政党を除いて基本的に政党のガバナンスが弱いわけです。いろいろな議論をしてもそのままで、結局バラバラで統合が出来ていません。自民党も、55年体制はそこそこ上手くいっていたからこそ長期政権を築けたのですが、新たな課題に対しては必ずしも既存のシステムで対応できなかった。その中で小泉政権や安倍政権が行った官邸主導型の方法は一つの解になるかもしれませんが、それでよいのかという思いもあります。先程「多様性」と「統合」を申し上げましたが、統合はできている面もありますが、まだ多様性に疑問が残ります。様々な民意を上手く取り込めておらず、一方向に突っ走っている可能性があります。その点で政党のガバナンスをどうするかが日本政治の大きな課題です。

工藤:今回のアンケートでは、「現在の政治状況の中で、『政党として機能している』と評価できるのはどの党か」ということを尋ねてみました。その結果、「自民党」が6割を超え、「共産党」が4割、「公明党」が3割と続きます。一方で「民主党」との回答は1割強ぐらいしかありません。やはり政党として体を成しているかというガバナンスの問題、政策立案能力などが影響していると思いますが、岩井さんはこの結果をどのようにご覧になりましたか。

岩井:まさにガバナンスが効いている順番だと思います。おそらく20年くらい前であれば、自民党はこれほど高い数字は取れなかったでしょう。とてもまとまっているとは思えなかった。しかし今の自民党を見ていると、安倍さん以外に他にめぼしい人がおらず、安倍さんの独走。まさにガバナンスが効いている気がします。一方、民主党はバラバラになっている。ガバナンスが効いているということは、政党の中の多様性がなくなる可能性があるので、これは表裏一体の問題だとは思いますが、ただ民主党はガバナンスが効いていないのは間違いない。

 「マニフェスト」というとみなさん、マニフェストを作って選挙の時に出てくるものだけを想像します。しかし、イギリスのマニフェストの概念では、プロセスこそが重要です。プロセスの中で議論をして多様な意見を一つにまとめていくという作業です。このプロセスの作業が日本の政治家には欠けています。対立軸と言いますが、かつてのように「資本主義VS社会主義」という対立軸はありません。しかしマニフェストを作って行けば当然、政党間の違いがはっきり出てくる。そのプロセスをもっと重要視しなければいけない。ですからマニフェストは非常に重要です。民主党がマニフェストで失敗したこともあり、後退しているという危惧はあります。

工藤:本音ベースで言うと、政策を立案するプロセスが大事なのですが、同時に、政党が候補者を選ぶプロセスも大事だと思っています。しかし、そうしたプロセスを表に出さないということは、多分、全党的に作る仕組みではなく、数人で作って形を整えているというレベルの政策形成の力しかないのではないか、という気がしているのですがどうでしょう。


国民に根付いた政党を、いかにつくることができるか

牧原:マニフェストというものの日本への定着の難しさがあります。もともとは地方自治体の選挙で、首長の選挙にマニフェストを使おうというところから出発しています。ですから首長がこれまでの実績や首長になるための地域のコミュニティーの新しい方向性を示すのがマニフェストで、そこに予算の具体的数値をいれるという方向性でした。そうした場合は、一人ないしは数人のブレーンで済む話でしたが、政党の場合は、例えばイギリスでは、夏から秋にかけて一週間ごとに保守党、労働党、そして自由民主党がそれぞれ党大会をやります。その時期は、新聞やテレビは党大会で誰が何をどう議論したのかについて報道します。議会が閉会中で他にニュースもないことから、そうした報道をずっと行います。数週間も経つと、政党が何を考えているのかが国民もわかってくる。

 しかし、日本ではメディアもそうした政策形成の場を報じるという状況がなさすぎます。毎年、何をやるわけでもなく次の通常国会のスケジュールはどうで、政局がどうなるかという報道に偏っている。一義的には政党全党に内部で議論する場を作る必要がありますが、多様に党の在り方や政策議論を見せる場がないのは非常に大きな問題です。それを国民もメディアも注目する必要があります。そこで何を言っているのかは、一つに集約されるはずはなくて多様になる。特に政策の現場、執行の現場、実行の現場で、各党どこに強みがあるのかを自覚する必要があります。自民党であれば地方自治体が強いとか、民主党であればNPOに強いとか、そうしたことが様々見えてくると思います。

工藤:民主党が2012年の選挙で負けた後、自分たちの党の立て直しのプロセスそのものをオープンにして、徹底的に政策の検証をするべきだと思っていました。しかし、その後も政権時に通用しなかった政策、かなり無理だというような政策を、何の検証もなくマニフェストにそのまま載せてきます。つまり全く何も変わっていない気がするのですが、どうして貴重な時間を無駄にするのでしょうか。

岩井:民主党がオープンな議論をすると空中分解する危険性を秘めているからではないでしょうか。だから密室でやらざるを得ない。密室でも合理的な議論はなされますが、最終的には選挙の勝ち負けが懸念事項になり、突然「子ども手当」が倍になって出てくるようなことがある。

 一方でマニフェストが失敗したということは意味があります。いい加減なマニフェストを作るとしっぺ返しをくらうと政党が理解をして、その上できちんとしたマニフェストをどう作るかという次のステップに行けるからです。ただ、ここ最近はマニフェスト自体を出すことのリスクが大きいということで、政策の議論よりも選挙の勝ち負けが中心の議論になっています。すると候補者調整などの政局的な話にいってしまう。民主党には党を立て直す時に大事なポイントを避けていくという悪い癖がありますね。

工藤:内山さんにお伺いしたいのですが、先程のガバナンスの話ですが、やはり政党としてきちんとしたガバナンスが機能していないように見える。一方で、国際的に見ても政党助成金として国民の税金がかなり大きな額、使われています。そうしたお金が投入されているにも関わらず、アカウンタビリティ、つまりどのように使われて課題解決のプランを出して機能しているのかが見えないわけです。とするとプレッシャーをかけないと政党が事実的に変わらないのではないかという気がします。

 現実的に先程のアンケートでも政党法を作ればどうか、第三者の徹底的な調査を入れるべきだ、政党助成金そのものを廃止するべきだ、という回答も出てきています。どうしたら政党のガバナンスを機能させることができるのでしょうか。

内山:制度を変えていくのも大切ですが、根本的には政党がいかに国民に開かれるかが大事だと思います。各党とも党首を選ぶのにいろいろとやっていますが、先進諸国のデモクラシーと比べると政党が国民に開かれている度合いは十分ではないと思います。イギリスもアメリカも、毎年大統領の候補を選ぶ党大会がテレビで大々的に放映されています。そのように有権者に根っこを持つということがなくて、相変わらず日本の政党は一部の業界に止まっているのではないでしょうか。国民に根っこを持つと、国民も私たちの政党が何をやっているのかを監視するようになりますし、政党に関する制度を動かすことにもなるでしょう。ですから、国民に開かれた、国民に根付いた政党をいかにつくれるか。一朝一夕にはできないとは思いますが、これが課題だと思います。

牧原:私は、政党自体をあまり規制しても実効性がないと思います。基本はアイデアが明らかに欠けているので、メディアを含めてこうすればいいと言っていく必要があると思います。あまりにもルーティンに飲まれてしまっているのが、自民党であり、他方どうしていいかわかっていないのが民主党だと思います。ただサッチャー政権時代の保守党と労働党はこんな感じでした。労働党のマニフェストに核ミサイルを廃止するというのがあって、選挙前に外務省の官僚たちは本当に労働党の話を聴いた方がいいのかと迷った、という話があります。このような時期はくぐっていかなければならない。ただそうだとすると自民党はもっと頑張る必要がある。まだ具体的な政策が足りずに与党の責任を果たしていると言えない。与党がもっと具体案を出せば、野党が違うと具体化するわけで。与党が具体化せずに野党が具体化することはないと思います。


政治家と国民の両者が少しずつ変わることで、政党政治は活性化する

工藤:政党政治をもう一度活性化するために、どのようなアイデアをお持ちですか。

岩井:競争という体制ができることが大事だと思います。どうしても選挙の勝ち負けに重点がいってしまうために、安易な数合わせ的な再編論が出てきますが、意味がありません。これまでにも、新進党や民主党、そして維新の党やみんなの党も、それなりの数で再編して生まれてきましたが、結局うまくいっていない。なぜなら、政党本来の考え方や政策でまとまることができていないからです。そうなるともう一度政党自体が、自らの柱は何かということを示して、立て直すしかない。自民党のような政権・与党は、政策運営をする必要があるので、多少は仕方ない。安倍さんの考え方が自民党全体の考え方になるかはわかりませんが、割と一つの柱が立ってきている。他の野党は、自らの軸は何かということから始めてもう一度立て直すしかないから、1年、2年という話ではありません。民主党も党を結成して政権を取るのに10年かかっています。もう一度振り出しから始めて5年、10年というスパンで物事を考えていく。牧原さんもおっしゃっているように、かつての労働党が政権を取るのに17年かかったので、そのくらいのスパンでものを考えていくことが大切でしょう。

工藤:内山さん、政党政治が日本の持つ課題にきちんと答えてくれないとまずいのですが、今の政治家の中でそういうことができるのでしょうか。それとも別の形になるのでしょうか。どのようなイメージを持たれていますか。

内山:既成政党に飽きが来ているからこそ維新の党やみんなの党といった新しい党が結成されている。例えばイギリスでも「英国独立党」が議席を伸ばしていて、新しい主張をする党に惹かれがちな側面があります。しかし今の政治家たちが自己改革できるかが大事です。では、そのためには何が必要か。政治家と国民は鶏と卵の関係ですから、政治家と国民の両方が少しずつ変わる必要があります。日本の財政が破たんすることがあれば別ですが、大きな事変があってがらりと変わることは考えにくい。

牧原:今の政権が成立する際、2012年の総選挙の直前に安倍さんに総裁が変わり、衆院選に勝つというプロセスを踏みました。しかし、このスタイルは良くなくて、選挙で負けた時に新しい党首を立てて、その党首を中心に次の選挙で勝つというのが本来の姿だと思います。党内事情で2年とか3年、かつては1年という時期もありましたが、党首の任期の中で党首を変えていけばいいというのはダメなガバナンスであり、通常、与党も野党も次の選挙はその党首で戦うというのが必要だと思います。そういう意味で言えば、民主党は2014年末の総選挙ではそれを実行して、海江田さんから岡田さんに交代したので、岡田さんと安倍さんで選挙まで頑張ってもらいたい。

 また、マニフェストの問題というのは、結局は政党に政策の準備がないということでしょう。政策の準備なく野党が与党になってもうまくはいきません。官邸の首相や数人の閣僚が監視できる範囲のことが実行できないとなると、それが最大のリスクになるので、与党は何としてでも政策形成能力を急ごしらえでも高めていくしかない。

 さらに、様々な課題を解決するための場を作ることも大事で、その場の作り方を見て野党がいろいろと考えるようになる。かつては審議会のやり方がありました。今後そのやり方でいけるとは思いませんが、かつて、中曽根首相は国民的舞台という言葉を使ったことがあります。そういう場面をどう作るのか、官邸や政権が考える必要があります。そして大舞台には与党や野党が出たり、あるいはメディアやネットが対抗したりする小劇場が出てくる。そういう大きな政治の場面がいくつも出てくると可能性がでてきますが、今は非常に乏しいのが現状です



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