東洋経済オンライン「 私のNPO血風録 」寄稿より/中国編・第9話 公共外交

2008年2月15日


歴史的な安倍官房長官(当時)のスピーチ

 「歴史が動く」というのはこういうことを言うのだろう。大げさなのかも知れないが、会場に集まった多くの人が、その現場に居合わせた高揚感を共有したはずである。 8月3日、会場となった東京・大手町のパレスホテル2階の広いフォーラム会場には20台を超す日本と中国のメディアのテレビカメラがずらりと並んだ。 中国側の王毅駐日全権大使の発言が始まろうとしたその瞬間、時を見計らったように会場に入ってきたのが当時の安倍内閣官房長官だった。

 私は最前列の席で安倍氏をお迎えした。今でも赤面するような話だが、私は立ち上がる時に椅子に足を取られて尻もちをつき、安倍氏に「大丈夫ですか」と言っていただいたことをはっきりと覚えている。会場は静まり、固唾を飲んで安倍氏の登壇を見守っている。慌てて立ち上がって安倍氏と握手をした時にその恥ずかしさに声も出せなかった。というか、緊張感で声も出なかった。
そんな私には舞台に立った安倍氏の姿は自信満々で実に大きく見えた。

 「私は日中関係を最も重要な2国間関係の1つだと考えています。共通利益を拡大させていくという強い政治的意思の向こうには、必ずや新たな地平が開かれると信じます」
 堂々と中国側の参加者に語りかける安倍氏。その発言にアジア外交のギアが変わった、と感じ取ったのは私だけではなかったろう。
 会場はシーンと静まり、周辺を見回すと、中国側要人の表情が変わり、真剣にメモを取り始めている。これまで新聞などで見かける発言とは全く異なり、次期首相は空白だったアジア外交、日中の関係改善に自ら取り組む姿勢を、この日中の民間対話の舞台で初めて明らかにしたのである。(安倍氏の発言内容はこちらから

 この時の状況を、私の後方に座っていた日本経済研究センター会長の小島明氏がその後出版した著書「日本の選択<適者>のモデルへ」の中でこう記述している。
 「安倍氏が演壇に立つと、会場は次期首相が対中政策について、どこまで踏み込んだ発言をするのか、と張りつめた空気に包まれた。20分ほどの安倍氏の演説は、さながら首相としての対中外交のリハーサルだった。しかも、その内容は2カ月後の首相としての訪中の際の発言、さらに合意された『共同プレス発表』と 酷似していた」


非営利組織が主催する民間対話の舞台で担うことができた外交の一旦

 では、安倍氏の発言の何が、関係改善に関するメッセージとなったのか。
 当時の日中関係は"政冷経熱"と言われた。経済は過熱するように相互発展しているが、政治は冷え切っている、という意味であるが、政府は政治と経済はあくまでも別のものとの立場を取っていた。
 だが、安倍氏の発言はその2つを両輪と考え、政治が経済に悪影響を及ぼすのを避けるため、政治の関係改善に踏み出す決意をこう明らかにしたのである。

 「両国は政治問題を経済関係に影響させてはならず、政治と経済の2つの車輪がそれぞれ力強く作動し、それが結果として日中関係を高度の次元に高めていくような関係を構築していかなくてはならない」
 安倍氏の発言が終わり、休憩に入ると、日中の多くの有識者が私に話しかけてきた。
 「これはアジア外交の歴史に残る転換だと思う」
 「安倍先生の発言は私たちだけではなく、北京に伝わったはずだ。日中の首脳会談はこれで再開に向かって動き出すことができる」
 そうした高揚した会話を聞きながら、私はこれまで心の中で温めていた別の達成感を感じ始めていた。民間の非営利が主宰する対話の舞台でも外交の一端を担うことができる、という思いである。

 反日デモが中国国内で広がる、日中関係の最悪な時期に日本の非営利組織によって、この民間対話が生まれた。その時、私は「政府が機能していないときになぜ民間が動かないのか、民間でも外交を担うことができるはずだ」と、主張し続けていた。
 正直に言えば、そうは言ったものの、民間の外交というものが、どうすれば実現するものなのか、その答えを私自身しっかりとつかんでいたわけではない。
 しかし、「東京-北京フォーラム」の立ち上げからわずか1年後、その決定的な民間外交の舞台が、眼の前で繰り広げられたのである。
 もちろん、こうした舞台が私だけの力で作られたわけではない。それを生み出したのは多くの参加者との協働だった、と私は思っている。
 とりわけ、このフォーラムの1カ月後に迫った2006年9月の小泉政権の交代が日中関係改善に動き出す"ラストチャンス"との思いが、参加者の中に広がっていた。さらにフォーラム自体が、本音ベースの対話の舞台を作るという、両国の有識者による自発的で手作りの協働に支えられていた。


政府外交でも民間交流でもない、中国が認めた新しい民間外交の可能性

 フォーラムは50人近い一般のボランティアによって運営されたが、安倍氏の発言の実現も含め、この東京で行われた議論の準備のためにこの国を代表する多くの有識者に力を貸していただいた。しかもその輪は1年目よりも確実に広がっている。
 対話に参加した日本側の有識者は、政治家や学者、経済人、ジャーナリストを含め50人に膨らみ、中国からも閣僚級の5人を含む30人が参加した。中国側の有識者もまたこの対話を成功させるために、8月という特別な時期に資金を自ら負担し参加したのである。
 ミッションを軸に多くの人が協働する。それこそが、非営利組織の役割や機能だと私は考えている。そうした非営利の試みが国境を越えてつながったのである。

 この点で私が最も共感したのは、この日の分科会で当時の中川秀直自民党幹事長が行った基調報告だった。
 民間の交流こそが新しいアジアの価値を作り出す、国家の役割はそのためのインフラ作りに過ぎず、もはや国家が盟主を争うという時代ではない、という氏の主張は、私たちが進める民間対話が目指す同じ方向感を持っている。
 問題は、中国という社会でこうした民間の試みが、どうこれから化学反応を起こし、進化するのかである。このフォーラムで中国側が使ったのは「公共外交」という言葉である。政府間外交とは異なり、民間の交流とも違う。その中間にあるのが、この「公共外交」なのだと言う。
 民間の対話の舞台から、外交が動くという出来事は政府が全てを決めてきた中国では多分、考えられないことなのだと思う。だからこそ、新しい民間外交の可能性を認めたものだと私は考える。
 民間対話はこの日のたった1日で、日中関係の改善だけではなく、新しい民間交流の価値を明らかにし始めた。
 その変化に全くついてこれなかったのが、日本のメディアだった。(「第2回 東京-北京フォーラム」の報告はこちらから

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