東洋経済オンライン「 私のNPO血風録 」寄稿より/中国編・第1話「プータロー」と「プワー」

2007年6月28日


非営利でつくり上げたかった質の高い、参加型のメディア

 非営利の世界での試みは、そう楽なものではない。何度も挫折をしかけた。それでも私は時代が求めていたものに非営利で立ち向い続けた。
 国政の選挙の際には多くの有識者の参加で、政府や各政党の政策評価を独自に有権者に公表した。日中関係の悪化の最中には単身、中国政府などと交渉し、民間主導の新しい対話の舞台を日中間につくりだし、昨秋の日中首脳会談の実現で決定的な役割を果たすことにもなった。

  私は、非営利組織(NPO)の専門家というわけではない。ただ、私が出版社の編集者というサラリーマン生活を飛び出し、「言論NPO」という非営利組織を 六年前に立ち上げた際にはひとつの強い思いがあった。「非営利のほうが、私が抱いていた仕事へのミッション(使命)を実現できるのではないか」。
 私が当時抱いていたミッションを簡単に言えば、有権者が政治や将来を選択できる適切な判断材料を提供できる、質の高い、かつ参加型のメディアを非営利で作りたいということだった。
  それまで20年近く、メディアの世界にいた私は、真面目な議論の空間が年々狭くなり、観劇を楽しむだけかのような傍観者的な安易な議論づくりが一般化することに、疑問を抱いていた。言論に問われた役割を、営利を軸とするメディアだけで十分に担えるのか、むしろ営利では難しいのではないか。そうした思いが私を突き動かした。

 こうしたことがなぜ小さなNPOで可能だったのか。それはおいおい話すことにするが、それ以上に新鮮に思えたのは、私たちの活動が日本の中に個別や組織の中で存在するさまざまな人と、このミッションに対する共感を元につながったことである。
 縦から横への個人のネットワーク。組織の社会で縦の仕組みにどっぷりと浸かっていた私にはまさに新しい世界との出会いだった。
 このNPOという非営利組織の可能性をどう説明したらいいのか。これがこの連載を引き受けたときに考えた、最初の課題だった。


非営利組織は「利益」ではなく、「ミッション」に向けて自発的に行動できる場

 今から考えれば冗談のような話だが、かなり前に私のNPOのアドバイザリーボード(当時)の一人でもある北川正恭前三重県知事とNPOをどう説明すべきかで、議論になったことがある。
 「簡単じゃないか、ニッポン・プータロー・オジサンだよ」。そう語呂を合わせる北川さんに私も「それならニッポン・プワー・オジサンも成り立つでしょう」と言い返し、大笑いになったことがある。
「オジサン」というところは余計だったと今でも思うが、「プータロー」「プワー」は、日本のNPOの現状を表している、と今だからこそ妙に納得している。
 ウィキペディアでは、「プータロー」とは就労可能な年齢等にありながら無職でいるものの俗称であり、蔑称のためメディアでは使われない、と書かれている。

 豪快な北川さん独特の言い回し。が、この照れ隠しの言葉の裏側には「自由人」という意味を込められていたはずである。組織から離れ、利益を直接的な目的にはせずミッションに向けて自発的に行動する。ここでは「ミッション」と「自発」が決定的に重要なのである。
  彼からすれば、こうした個人の試みに、共鳴が起こり、それがいつかはムーブメントになるということなのだろう。 だが、その試みはこれまでもそうだったように多くの理解者が存在しないと成り立たず、かつ組織者は孤独である。営利企業と同様、そこにはまたミッションを実現するための強い経営が問われるからで ある。
 その意味では日本のNPOは私も含めて「プワー」な状態であり、NPOの可能性はまだこれからなのだろう。
 ある新聞の対談で、私は対談者から幕末の社会には藩を越えて「横議、横決、横行」という言葉があることを聞き、なるほど、と考え込んだことがある。
 ひとつのシステムが変わろうとしていたときに、藩という組織を超えて志士は議論を行い、行動する。横のしかも共感を持った協働(コラボレーション)。その時代を超えた体験を共有できたと実感できたのも、私が飛び込んだ非営利の世界だった。


非営利組織の可能性を追い続ける挑戦だった6年間

 この6年間、私のNPOの試みはある意味でその協働の積み重ねだった。日本の政府が取り組む二十数項目の各分野の政策評価を公表し、議論の舞台は日本の地方から国境を越えてアジアに広がった。
 こうした作業にはジャーナリストや官僚、学者、経営者など100人を越える有識者や専門家がまさに手弁当で加わり、数多くの大学生などのインターンがそれを支えている。

 そうした現象や光景を目の当たりにして、私の関心はむしろ、そうした試みを可能とする市民社会に移り始めた。そこに何か大きな変化が始まっている、と思うからである。
 P・F・ドラッカーは非営利組織の経営論の序文で、50年代のアメリカは非営利組織の台頭でアメリカ社会の「状況が一変した」と書いてある。

  日本ではNPO法が施行されて来年で10年になる。しかし、「小さな政府」が言われながら、この国では民間に公(おおやけ)の受け皿となるべきそうした自 発的な変化が十分に始まっているのだろうか。むしろ自由な発意の非営利活動が、官離れができないまま、官業の世界に引き込まれてしまっているのではない か。それが私の率直な問題意識である。
 私が実感するように日本の市民社会や非営利組織には大きな可能性がある。そうであるならば、その可能性をどうしたら発揮できるのか。そうした市民の自発的な試みを活かす社会のシステムをどう構築すべきなのか。それこそ、これからの日本社会の方向を決める大きな課題に違いない。

 私の6年間は、ある意味で官製市場との戦いであり、非営利組織の可能性を追い続ける挑戦の日々だった。この連載ではその顛末を可能な限り、明らかにしながら、この時代のテーマに迫り、私なりの答えを出してみたい。

東洋経済オンライン「 私のNPO血風録 」中国編