「政治の崩壊」を有権者はどう直視すべきか

2011年6月29日

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言論NPOのアドバイザリーボード会議
出席者 
増田寛也(野村総研顧問)
宮内義彦(オリックス株式会社 取締役兼代表執行役会長グループCEO)
武藤敏郎(大和総研理事長)

工藤:今日(6月2日に実施)は、衆議院の本会議で総理の不信任案が議決されるという非常に重大な局面の日ですが、みなさんに今の日本の政治を、どういう風に変えていけばいいのか、ということを率直に話していただけないかと思っております。
 まず、最初に、今の政治の現状について、みなさんはどのように判断しているのか、ということから始めたいのですが、増田さんお願いします。

増田:今、日本が抱えている危機は、4つか5つぐらいあるわけです。津波被害、その被害を受けて、サプライチェーンも寸断されました。経済が非常に打撃を受け、途方もない被害が出ています。それから、原発の事故。東だけではなく、西日本を含めた途方もなく電力が喪失される可能性がある。それから風評被害。こういった危機の時には、強い政治が求められていると思うのですが、それに対して、今の政治は全く対応できない。

 ただこれらは3月11日によって危機が生じたわけではなくて、実は、それ以前から非常に大きな問題を抱えていた。3月11日を経て、様々な問題が顕在化して、日本の政治の弱さが明らかになった。こういうことだと思います。

 現状をそう捉えたときに、私は政治に直接言いたいことが山のようにありますけど、結局、最後は、我が身の不明を恥じるしかない。我々がたった2年前に政権交代によって選んだ政権です。それが、今はこんな体たらくだと。それを単に、おかしい、おかしいといっただけでは、本当の意味での責任は出てきません。私は、我が身の不明を恥じるということに結局戻らなければいけないと思います。端的に言えば、今、色々政治のゲームにうち興じている政治家には、二度と国政を託したくないな、というのが率直な思いです。

問われているのは、この国の「統治の崩壊」

宮内:震災によって色々なことが顕在化したという、増田さんの話はその通りだと思うのですが、その中で、政治というものが何だろうなということを考えますと、1つは統治機構という形、もう1つは、統治機構の中で政治を行うのは、具体的に言うと、政党なのですね。そして、政党の思いを実行するのが行政なのです。そういうものが、うまくつながっていないと政治というのは動かないのだけれども、私はそれらが潰れてしまっているのではないか、と思えてなりません。

 まず、統治機構の形ですが、考えてみると1947年施行の新憲法の時から形は変わっていないわけです。その後、世界はもの凄く変わりました。同じ頃に戦争に負けたドイツでさえ、東西統一以降も憲法を十数回改定しています。日本は硬い統治機構で、結局、総理大臣は大臣間の議長みたいな立場でしかないと。終戦直後は、権力の分散がいいことだということでやっていたのが、分散し過ぎて、誰が責任をとるのかがわからない。日本は総理が悪いというけれども、本当は統治機構が悪いのであって、総理に権力を持たさなかった、ということではないかと思います。いずれにしろ、統治の形を変えないといけないということが1つです。

 それから、2つ目ですが、その形を実行するのは政治家であり、その集団が政党だということになると、政党の在り方が問われなくてはならない。

 今の政権政党は本当に政党なのだろうかと。言うなれば、綱領のない政党です。綱領がないのに集まるというのは何なのだろうか。この指止まれというけど、何に止まっているかわからない、いわゆる烏合の衆なのです。綱領がない政党はあり得ない。綱領らしきものはマニフェストということで選挙を戦ってきたけれども、勝った途端にそこに書かれたものはどれもこれもダメだと言われている。自民党もそうだったし、今の民主党も政治を行うには相応しくない集団になっているのではないか、というのが実態だと思います。これは、全てやり直さなければいけない。
 
 私は政治と行政がぴったりとくっつかないとうまくいかないと思っています。政治は国のグランドデザインをつくり、そして方向性を定めて、必要な法律の手当をして、行政にやりなさいと指示する。そして、行政がきちんとやっているかどうかをチェックする。このサイクルができないといけないのですね。現在の政治と行政の関係はそうではなくて、政治主導というものが出てきて、ものの見事にうまくいっていない。だから、行政の方は、何をしたらいいかわからない、あるいはやるなと言われている。この統治機構、政党、政治と行政の3つが、その全部がダメだと。でも、そういう政治を選んだのは国民なのですね。だから、我々も国民の1人として情けないし、責任ある国民として少しでも変えないといけないと思います。

武藤: 結局、2大政党制というためには、価値観が明確に2つに分かれていなくては成り立たないわけですね。同じ政策を、どこまで徹底してやるかということが、政治の論争になるわけですね。そうではなくてやるのかやらないのかといったような明確な対立軸はないと思います。大きな点では、日本の国民は、それほど2つの価値観ではわかれていない。むしろ、細かいことに多様な価値観を持っている。ですから、少数政党も存立するだけの国民的な多様性がある。

 もし、本当に政治改革をするというのであれば、2つの価値観に分かれるようなそういう国民的な議論の消化が必要なはずです。そういうこともないまま行われている、今の政治が色々な形で行き詰まっていると私は見ています。

 その中で、先程ご指摘のあった、政治と行政の関係。行政改革と政治改革がバラバラに行われ、あるいは規制緩和も色々行われてた。しかし、その結果どうなったかというと、どうも統一的には説明できない。一方、2つの価値観に分かれた国民は存在しないし、メディアは依然として、改革から一番遠いところにいる。ですから、何でもバブル前の基準で評価しているようなところがあると思うのですね。そういうオピニオンリーダーが混迷している、ということも、我々は何とかしなければいけない1つかと思います。
 
 現状、そういういった変革について、壊すことはできたけれど、新しい秩序ができていない、ということなのではないかと思います。

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