世界とつながる言論

アジアの将来と日中問題/中川秀直氏

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第4話:「新アジア主義と政府の役割」

 4番目に、新しいアジア主義と政府の2つの役割について申し述べたいと思います。アジアの地域統合はこれまでも、そして、これからも民間企業同士のビジネス連携や合併などの積み重ねの結果、自然に生まれてくると考えます。それを自国の改革につなげていくことが21世紀の新しいアジア主義の特徴となるのではないでしょうか。かつてアジアとの連携を国内改革の起爆剤とする戦略を考えた人々が各国に少なからず存在しておりました。今、ようやく、そうした戦略が可能な段階を迎えようとしております。すなわち欧米との交流を国内改革につなげていくのが20世紀のアジア経済発展の秘訣だったとするならば、21世紀においてはアジア同士の交流が国内改革につながっていくというものでございます。我々自民党も、6月にまとめました経済の上げ潮政策の中で新しい国境概念というものを提言しております。これも、そうした新しいアジア主義の一環と言えるかもしれません。新しいアジア主義を先導するのは国家ではなく民間であり、政府の役割は、国境を越えて活動する民間企業に自由を与えることだと思います。

 政府の役割の第1は、大交流時代の企業にとって最大のリスクはナショナリズムなど政治リスクであり、そうしたリスクから彼らの活動を遮断すること、すなわち政経分離の原則をしっかり守ることであろうと考えます。

 そして政府の役割の第2は、民間の自由な交流のインフラを整備することではないかと考えます。これまで製造業の自由な活動がアジアの発展に寄与してまいりましたけれども、これからはサービス業の自由な活動が重要であり、特に輸送の自由というものが重要であると考えます。製造業がアジア域内で最適生産、最適販売を加速させる一方で旅行の形態も多様化して、従来の単純な往復移動はむしろ非主流となりつつございます。

 利用者側の視点に立てば、政府間交渉を通じて徐々に輸送規模、地点を拡大していく現在の遷延的な航空輸送の枠組みを見直し、アジア地域が一体となって航空輸送の自由を保障する多国間の枠組みを実現すべきでございます。安全基準などの調整機関は、アジア版OECDのようなところで担えばよいのではないでしょうか。

 ここでアジア大交流時代における交流インフラの具体的提案として、入場者数目標7000万人と言われる2010年、上海万博に向けて、羽田と上海の中心地にある虹橋空港間のシャトル便を運航させることを提案いたしたいと思っています。2002年の日韓ワールドカップを契機に羽田-金浦空港間のチャーター便が運航され、その翌年からシャトル便の運航が開始されました。今日では、この路線は1日16便、年間利用者130万人を超える勢いでございます。2009年には羽田空港が国際化されますけれども、羽田空港もアジアの民間大交流に寄与する空港になるべきでございます。

 以上、今後のアジアにおける日中協力を拡大していくためにも幾つかのことを申しましたが、今こそ日中両国は98年の平和と発展のための友好協力パートナーシップの原則を再確認すべきだと思います。この宣言こそがアジアにおける日中協力の基本精神でなければなりません。今、我々はアジアに都市化、自由化、民主化という波をもたらした欧州発の工業革命の次の革命の段階を迎えつつございます。ある人はそのことを情報革命と言い、また、ある人は知識経済化と言っております。各地域が持つ伝統文化がコンテンツという名のもとに注目されております。農業が情報技術と結びつくことで新たな発展の可能性も指摘されております。この新たな発展段階において工業革命がもたらした普遍的価値の上に、さらに全人類的利益、全人類的価値、これに貢献し得るアジア発の新たな普遍性を有する価値、すなわち新たなアジア的価値というものを発信できる可能性は十分あると考えます。私は、未来志向の日中協力がそうした21世紀の新たなアジア史に新たなアジア的価値の日の出をもたらすことを期待し、また確信をいたしております。

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発言者

nakagawa_060804.jpg中川秀直(衆議院議員、自由民主党政務調査会長)
なかがわ・ひでなお

1944年生まれ。慶應義塾大学法学部卒業、66年日本経済新聞社入社、73年同社退社、故中川俊思代議士の秘書を経て76年衆議院総選挙初当選。96年国務大臣科学技術庁長官、同年自由民主党総務会長代理、98年衆議院議院運営委員長、2000年党幹事長代理、同年7月内閣官房長官(IT・沖縄担当兼務)・沖縄開発庁長官、2002年党国会対策委員長(歴代最長)などを歴任。2005年より党政務調査会長に就任、現在に至る。

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