貿易自由化が日本経済、世界経済に与える影響とは

2014年5月09日

2014年5月9日(金)
出演者:
河合正弘(東京大学公共政策大学院特任教授)
菅原淳一(みずほ総合研究所上席主任研究員)
渡邊頼純(慶応義塾大学総合政策学部教授)

司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)

 4月にアメリカ・オバマ大統領が訪日し、日米間でTPP合意に向けた交渉が行われた。しかし、その進展状況について報道は錯綜しており、日米共同声明の文言も「前進する道筋を特定」など明確な表現にはなっていない。情報が限られている中、座談会では国際貿易交渉の実態を知り尽くした3氏が、TPP交渉の現在地を読み解いていった。さらに、TPPが日本経済、さらには世界経済にもたらすインパクトとはどのようなものなのか。並行して求められる国内の構造改革とは何か、についても議論を交わした。


工藤泰志工藤:言論NPOの工藤泰志です。4月に行われた安倍首相とオバマ大統領の日米首脳会談では、安全保障だけでなく、TPPの問題についても話し合われました。断続的に協議が行われて、歩み寄ろうという意欲はかなり感じたのですが、結果として合意はなされなかった。これに対して色々なかたちで報道されているのですが、今のTPPをめぐる交渉の状況をどう判断すればいいのか、また、TPPは今後どのように具体化していくのか。そして、TPPが世界経済や日本経済の今後にどのように影響していくのかということについて、議論をしていきたいと思います。

 それではゲストの紹介です。まず、東京大学公共政策大学院特任教授で、先日までアジア開発銀行研究所の所長も務めておられた河合正弘さんです。続いて、慶應義塾大学総合政策学部教授の渡邊頼純さんです。最後に、みずほ総合研究所上席主任研究員の菅原淳一さんです。

 さっそく議論に入ります。まず、TPPについては、寿司屋での会談から始まり、何回も会議が行われて、少なくとも進展があったと私たちも感じているのですが、実際どうだったかということはよく分かりません。アメリカでは「うまくいかなかった」という報道もある一方、日本では「基本合意がなされている」という報道もありました。ただ、交渉の中身については明らかになっていない部分も多いため、分かりにくいところがあると思います。このTPP交渉について、皆さんはどのようにご覧になっているか、お話を伺いたいのですが、まず河合さんはいかがでしょうか。


確かな進展があった今回の日米交渉

河合正弘氏河合:基本的な合意が本当にできたのかどうかはまだよく分かりませんが、仮に基本合意ができていたとしても、おそらく細部にわたって詰めなければならないところが、まだかなり多くあるのではないかと思います。議論になったのは、農産品の重要5品目のうち特に牛肉と豚肉でしたが、この他にもまだ課題はあります。アメリカには、日本の自動車市場が非常に閉鎖的だという思いがあります。アメリカから日本に対して自動車の輸出を増やしたいと考えているため、安全基準などの面で「日本はもっと緩やかにすべきだ」と主張しています。

 日本は今、貿易収支全体は赤字ですが、対米では貿易黒字が続いています。対米黒字の大部分が自動車であることから、アメリカは日本に対して「もっと自動車市場を開いてほしい」という思いがあるのだと思います。ただ、安全基準の問題に取り組んだからといって、アメリカから日本への自動車の輸出拡大につながるとも思えませんので、アメリカ自身がもっと努力していくことを考える必要があるのではないでしょうか。

 こういう課題に対して、どのような合意がなされるのか、もう少し時間をみて判断したいと思います。ただ、TPPのあるなしに関わらず、日本の農業がしっかりと構造改革をしていく必要がある、ということは明らかですから、農業の構造改革はきちんと進めていかなくてはなりません。

 また、私自身も今回の日米首脳会談において、TPPは大筋で合意されるのではないかと安倍首相には期待していました。これだけ支持率が高い中だからこそ農業問題にしっかり取り組めるはずで、そうなれば世界に対して「安倍政権は日本の構造改革に取り組んでいる」という1つの強いメッセージを出すことになるわけです。農業ロビーは日本の中では非常に強いロビーなので、「農業改革を進められる」ということはそれ以外の重要な分野でも改革を進められるという強いメッセージになります。安倍首相はそれを打ち出せるのではないかと思っていたのですが、日米共同声明ではそうなっておらず、少し期待が外れました。

菅原淳一氏菅原:交渉の実態が分からないので、どう評価していいかは難しいところですが、正直、事前には「合意」という文言を共同声明に盛り込むのは難しいだろうと思っていました。ただ、相当重要な進展があったというメッセージにはなるだろうと期待していました。ところが、そういった文言は入らずに、「前進のための道筋を特定する」となっている。この文言からどれだけの進展があったか読み取るのは、非常に難しいという印象です。その結果、マーケットは、失望というか素直な評価をした。

 ただ、河合さんがおっしゃったように、細部の詰めは残っているにしても、相当程度、合意に近づいたというのが実態ではないかと思います。それを実質合意と呼ぶのか、大筋合意と呼ぶのかは脇に置いておいて、相当程度の歩み寄りがあったのだと思います。

工藤:渡邊さんは、以前、日本とメキシコとの経済連携協定の交渉に携わったこともあるというお話を聞いています。新聞を見ると、「オバマさんは、今、何としても決着するしかない」という報道がありました。11月に中間選挙もあり、オバマさんに対する期待が減速しているような状況の中で局面を変えようとしているように、新聞報道からは受け止められたのですが、どのようにご覧になっていますか。

渡邊頼純氏渡邊:首脳会談の1週間くらい前から色々な報道が次々と出てきていて、その中には、「コメ、麦、砂糖などについては関税を残してもいい」とか、「豚肉や牛肉についても関税を残していいが、下げてくれ」というような話がありました。ですから、重要5品目のうち4つ半くらいは、「関税を残していい」というのがアメリカからの基本的なメッセージでした。これは報道によるところですから、本当だったのかは確認のしようもありませんが、もし報道が事実とすれば、今回のアメリカには、とにかくTPPで合意を目指す、そのために日本のいわゆるセンシティブ品目に対しては配慮に配慮を重ねて、関税を据え置いてもいい、という考えがあったわけです。しかし、原則に戻って考えてみれば、TPPの大原則である「100%に近い関税撤廃」からすれば、相当な譲歩になります。

 オバマさんはそこまでしてTPPで合意したいと考えていた。そこで、尖閣問題については「尖閣」の名前をはっきりと打ち出す。それから、日米安保協力あるいは集団的自衛権の問題については「理解し、サポートする」とまで打ち出したわけですから、「TPPをまとめたい」という期待が、アメリカ側には相当あったのだろうと思います。

 ですから、今回の日米首脳会談は、概ね成功だったと言っていいと思います。特に日本外交という視点から見ると、尖閣、そして集団的自衛権についてはアメリカら言及を取り付け、TPPでも関税据え置きを守れ、3戦3勝といってもいい結果でした。それに比べてアメリカは、出すべきものを出したのに、欲しかったTPPを取れなかった。

 ただ、日本の側からすれば一人勝ちという状態ですが、外交というのはある意味でギブ・アンド・テイクです。日本に対するギブが多くて、日本からテイクできなかったという意味では、アメリカに花を持たせる部分、オバマさんが持って帰るものが少なかったのではないかと思います。そういう意味では、安倍・オバマ両首脳間のいわゆるケミストリーが改善されたのかどうか。昨年12月26日の靖国神社訪問以来、日米関係が少しギクシャクしていると言われましたが、そこが修復できたのかどうか。日本が勝ちすぎたのではないかということが、少し心配になります。


アジア・リバランスのためには、TPPは戦略的に不可欠

工藤:前回の言論スタジオでは、外交・安全保障の観点からオバマ訪日と日米共同声明にについて議論をしましたが、日本にとっては非常に満足できる成果だった、という評価でした。

 前回の言論スタジオでは、歴史認識問題など表に出てきていないところで、逆に日本が譲歩した点が何かあった、つまり、日本がアジアの近隣国ときちんとやっていくということを約束させられたのではないか。そういう議論が出ました。しかし、報道などを見ていると、やはりどう考えてもアメリカの狙いはTPPに見える。

 では、アメリカはなぜここまでTPP合意に向けた強い意志を示してきたのでしょうか。アメリカにとっては、経済・貿易や中国との問題を含めてTPPは戦略的に重要だと思います。ただ、アメリカの国内事情を考えると、オバマさんにはそんなに力がないのではないかということもあって、ここまでTPP合意に向けて頑張ろうという姿勢を見せたことに関して驚きもあったのですが、皆さんはどう見ていましたか。

河合:アメリカからすると、オバマ大統領は2010年から5年間で「輸出を倍増させる」というコミットメントを出しており、成長しているアジアに経済的な軸足を移していくということが極めて必要だと考えていると思います。

 また、中国の力が経済的、外交的、軍事的に拡大している中で、オバマ大統領は国内問題で昨年のAPEC総会を欠席し、アジアでのアメリカのプレゼンスをかなり疑われてしまった。ですから、このタイミングでアジアを訪問し、日本、韓国、マレーシア、フィリピンとしっかり対話をする必要があったのだと思います。特に、フィリピンとは新軍事協定を結び、事実上、フィリピンに米軍が駐留することになった。そしてフィリピン自体も「TPPに参加したい」と表明することになりました。そういった中で、TPPに関しては日本と基本合意ないし大筋合意を取りたかった、ということなのだと思います。

工藤:万が一、日米韓で交渉がうまくいかなかった場合、TPPはどうなるのでしょうか。

菅原:あり得ないシナリオですが、決裂などということになっていた場合にはTPP交渉全体が遅れることになります。今、河合さんがおっしゃったように、アメリカの対アジア戦略、リバランスとかアジア・ピボット戦略の経済面の柱がTPPですから、アメリカのアジア戦略にも経済面では影響があった。ですから、決裂というシナリオは、日米双方にとってもあり得なかったということだと思います。

 また、アメリカ側は、日米交渉が終わった後に、「今回はブレイクスルーがあった」、「今回の会合は非常にクリティカルなものだった」と高く評価しています。日本以上に、今回の日米首脳会談のTPP交渉における意味をアメリカが強調していることからも、今回の交渉はアメリカにとっても意味があるものだったのだと思います。

工藤:色々な交渉の経験から渡邊さんにお聞きします。私たちが報道などで認識している範囲では、オバマさんが寿司屋で「今しかないのだ」、「首脳2人を外してでも協議をもう一度やりましょう」と交渉を進めようとしていたようでした。そういう報道を見ると、普通のかたちではもう合意ができないような不安定な状況の中で、トップのリーダーシップで流れを変えたように見えるのですが、どのようにご覧になっていますか。

渡邊:非常にクリティカルな部分は「重要5品目」と言われますが、実際には586品目あるわけです。おそらく、2人の首脳がその細部まで詰めた話をするのは難しいだろうと思います。確かに、しっかりまとめるように指示はあったと思いますが、果たして寿司屋での話が流れを変えたのかどうか。はっきりと「継続協議をせよ」という命令は出ましたが、具体的な項目について「これについては何%までだったらいい」とか、そういう話はたぶん出なかったのだと思います。


報道から見えてこない交渉の実態とは

工藤:前回の言論スタジオでも紹介したのですが、今回のオバマ訪日に際して、言論NPOでは有識者にアンケートをとりました。「今回はTPP交渉で合意には至っていないのですが、今後の交渉の行方をどう考えますか」と聞いたところ、かなり多くの有識者が楽観的な見通しを示していました。先週も報告したのですが改めて紹介すると、「近々合意できるだろう」との回答が16.0%、「11月のアメリカ中間選挙までに合意できる」との回答が23.9%、そして25.8%で一番多かったのは「11月の中間選挙後には合意できると思う」という回答でした。合わせると7割くらいの人たちが「合意できる」と感じていたわけです。

 ただ、これが実際にはどうなっているのか。メディア報道では「もう合意している」という議論もあって非常に分かりにくいのですが、渡邊さん、このあたりは昔からのご経験も踏まえて、どのようにご覧になりますか。

渡邊:これはなかなか難しい問題です。やはり、日米という世界経済第1位と第3位の国の首脳が会ったのですから、たとえどんな内容だったにせよ「今回の会談は失敗だった」ということはメディアでは絶対に流せません。ですから、基本的には、前向きのトーンの報道を流していっているのだと思います。

 他方で、先ほど菅原さんが言及されたように「重要課題で前進する道筋を特定(identify)した」と言っているわけですが、この「identify」というのは珍しい表現だと思います。つまり、日米でsensitive product(重要品目)について相当程度煮詰まったことを意味しているのだろうと思います。逆に言えば、ここから勝負だという気がします。

 私が10年くらい前に担当した、日本とメキシコとのEPA(経済連携協定)も、何が問題だったかというと、やはり、豚肉、オレンジジュース、そして牛肉、鶏肉、フルーツのオレンジという5品目でした。忘れもしませんが、2003年の10月、今回と同じように当時のフォックス大統領を国賓でお呼びしました。2002年11月にスタートした交渉を、2003年10月のフォックス大統領の来日というタイミングでの大筋合意を目指しました。しかし、このときも大筋合意はできませんでした。結局、豚肉の問題、そしてオレンジジュースの問題等々があって日本側が割と硬い態度をとり、フォックス大統領以下メキシコ側は「今回は見送る」という決断をしました。その5ヵ月後の2004年3月5日に合意に至りました。ここに至るまでの過程がなかなか面白いものでした。

 決裂したときは、日本が豚肉について、それまでメキシコに実績があった「4万トン」という数量枠をあげて、その枠に対しては、基準額以上に適用される4.3%の関税を2.2%に半減した関税率で譲歩しようとしていましたが、メキシコは蹴ったわけです。ところが、その5ヵ月後にまとめたときは、「3万8000トン」、つまり4万トンより2000トン少ないレベルで合意しています。

 なぜこうなったのかというと、他のところ、例えばフルーツのオレンジや牛肉、鶏肉といった分野で、メキシコがマーケットリサーチできるための枠をあげた。これがメキシコ側の態度をコロッと変えたのです。そのときも、今回も問題になっている差額関税制度を守り切りました。

 これからいよいよ、586品目の中のどの分野で、日本が譲歩を出すのか、出さないのかという議論をさらに詰めていって、できれば夏休み前に合意ができればいいのではないかと思っています。そのためにいくつか可能性があります。5月17、18日に青島でAPECの貿易大臣会合があって、おそらくそれに合わせてTPPの担当大臣も集まると思いますし、その後、すぐシンガポールに移動してTPP参加国の閣僚会合をやるようです。ですから、5月中旬から下旬にかけてチャンスがある。その前に、事務方レベルの協議ないしは交渉も行われると思います。

工藤:一方で、アメリカの識者の論評を見ると、「非常にがっかりした」「何も決まらなかった」というものもあります。アメリカの知識層には今回のオバマさんの訪日で、交渉が前進したと理解されていない。この問題にはどういう背景があるのでしょうか。

菅原:交渉の中身が公表されていませんから、外部の人間としてはあくまで共同声明の文面から読み取るしかないわけです。マーケットやアメリカの識者が期待していたのは、どんな形容詞がつくかは別として「合意」という文言が見たかったのだと思います。

 特に今回は、寿司屋での会談以降、本当に異例の展開でした。甘利大臣も本当にお疲れだったと思いますが、夜を徹して交渉した。最後は、日米共同声明を両国首脳の共同記者会見のときに発表できないという事態に陥ってまでTPPの交渉をさせた。そこまでやるということで、「やはり合意が近いのではないか」、「あともう少し詰めれば良い文言になる」という期待を抱かせたのだと思います。

 ところが、出てきた声明が、素人目には少し分かりにくい、なかなか読み取るのが難しい文言だったので失望を招いた。期待が若干高まった分、失望も大きくなったということではないかと思います。


質的に変化しかねないTPP

工藤:背ただ、事実上合意に近づいているということになると、今までと違ってかなり高いレベルでの自由化ですから、かなり大きな出来事だと思います。では、ここで合意したとして、その合意が持つ意味とはどのようなものなのでしょうか。

河合:そもそも、TPPというのは、関税を完全撤廃して、貿易を全面的に自由化していくということが大原則だったわけですから、今回、合意ができたとすると、「アメリカはかなり例外も認める」というメッセージが出されたことになります。

 これからのTPP交渉全体を考えると、アメリカ・日本など先進国は、ベトナムやマレーシア等の途上国と、貿易・投資ルールにかかわる別の問題について交渉を続けていかなければなりません。重要な問題として、知的財産権の問題、競争政策とりわけ国有企業の問題、政府調達の問題等が挙げられますが、日本とアメリカの交渉がもしこのような例外の多いかたちでまとまったとしたら、途上国側にも「かなりの例外を認めてくれるかもしれない」という期待を抱かせることになります。実際、途上国からすると、アメリカが主張していることをすべてのむのは相当難しいところがあります。今回の日米交渉を契機に、途上国側の態度がより硬くなる反面、アメリカとしてももっと柔軟に対応して、忍耐強く時間をかけながら、途上国での改革を促していくことになるのではないかと思っています。

渡邊:河合さんのおっしゃる通りだと思います。TPP参加12ヵ国の総GDPのうち、日米二国間で8割を占めるわけです。その二国間で、「関税を100%に近いレベルで撤廃」という原則を大きく曲げるかの結果が本当に出ているとすれば、TPPの質が変わった、ということも同然だと思います。日本がTPP交渉に参加したのは去年の7月からですが、日本の参加によってTPPが変質したと、後世の歴史から評価されても仕方がないかもしれません。今まで、途上国に対しても例外を少なくすることばかり言ってきたのに、日米という2つの大国が協議を行い、お互いに例外を認める。例えば、アメリカは「20年以上かかって、自動車の2.5%の関税を撤廃する」というような話になっているわけです。

 ですから、下手をするとTPPそのものが変わっていってしまう可能性もある。自由貿易を推進すべきと考えている立場の人間からすれば、やはり本来あるべき姿ではない。もはやTPPは自由貿易でなく管理貿易の世界に入ってきているとさえ言える。自由貿易を推奨するジャグディーシュ・バグワティーなどの経済学者は、おそらくこれを「管理貿易に堕したのではないか」とコメントするかもしれない。

 これまで日本は13のEPAを結んできていますが、どれ1つとっても非常に高いレベルの関税撤廃がありません。ですから、日本としては、そういう非難とかそしりを逃れるために、「TPPでは今までよりは良くした」ということを見せる必要があるのだろうと思います。これが日本の本気の成長戦略であり、国家百年の大計ということであれば、やはり、自由化率、関税撤廃率をもっと改善する努力が、最終的な合意までの間に必要です。そうしないと、「日本がTPPに入って質が変わってしまいました」というそしりを本当に免れないと思います。

菅原:解説すると、国際的に結ばれている先進国間のFTAは、関税品目数ベースで計算した自由化率が90%台後半というものが多いわけです。ところが、日本が結んできたEPAは、高いものでも90%を切っている。つまり、日本のこれまでのEPAは、普通の先進国間のFTAに比べて1割程度自由化率が低いものを結んできているわけです。

 TPPでは、多少の例外はあるかもしれないが、少なくとも国際標準並み、もしくは国際標準を上回る自由化率を達成することを目標として掲げている。そこで問題になるのが、「自由化率」と「自由化度」の違いです。「自由化率」というのは計算上のテクニカルな問題ですが、協定発効から10年間かけてどれだけ関税撤廃するかで計算してきました。したがって、10年間かけても関税がゼロにならない品目は、自由化率の計算上は計上されないのです。

 この前オーストラリアと日本がEPAで大筋合意に至り、日本は牛肉の関税を半分程度まで下げました。しかし、いくら関税を下げたとしても完全に撤廃していない以上、関税の自由化率には反映されません。ですから、オーストラリアとのEPAに関しても、日本側の自由化率は88%くらいで90%を切っています。ただし「自由化度」で見ると、今まで大きく自由化したことがなかった牛肉について、現行38.5%の関税を、冷凍の牛肉については20%を切るラインまで下げている。これはかなり大きな削減なのですが、あくまでも「自由化率」というものには反映されないわけです。

 今回の日米の合意では、「関税を半分にする」とか「9%にする」というかたちで関税が残りますから、計算上は自由化した品目には入りません。そういった意味では、自由化率が低くなり、これまでアメリカ等が先進国間で結んできたFTAからすると、非自由化の品目が増えるので、渡邊先生のご指摘はその通りだと思います。

 ただ、経済学的にはまさにおっしゃる通りなのですが、日本の政治というところから見るとおそらく意味は違ってきます。今回のオーストラリアのEPAを入れて過去14件の日本のEPAの中で、「聖域」と呼ばれている品目にここまで切り込んで自由化したことはなかった。オーストラリアでもそこまでは切り込めなかったにもかかわらず、アメリカ等に対して更に進んだ自由化を提示したことは大きな政治的決断だと思います。そうした意味で、通商交渉の関係者からは「これで通商交渉が新たな段階に入る」、「日本にとっては画期的な決断だ」とおっしゃっている方もいるようです。

 経済学的に見ると、本当にこれが自由貿易協定という名に値するものなのか、という疑問は当然湧くかと思いますが、日本の通商政策の歴史から見ると画期的なものになったということは、認めてもいいのではないかと思います。

河合:今の状況から考えると、農業の国際競争力が低いことが大きなネックになるので、しばらくはある程度の保護をしていかなければいけないと思います。ただ、保護の仕方も色々な方法があります。国境で関税をとる、あるいは数量を規制するといったやり方もありますが、国際的に見ると、こういった国境措置は、国際貿易の効率性を阻害すると言われています。

 それに代えて、例えば、関税はどんどん下げてゼロにしていくが、農家には直接的な所得補償をする、という別の方法もあります。これは、国際的には完全に容認されている農業保護のやり方で、日本も現在の農業保護政策を変えていくことも真剣に考えていくべきではないか。日本はこれから貿易でもっと成長していかなくてはならない国ですから、世界に対しても「日本はもっとオープンな国である」ことを示していくことが必要だと思います。

 今後の交渉については、アメリカが柔軟性を示したということで、他のアジアの途上国、フィリピン、あるいは、今は政治的な混乱で難しいと思いますがタイ、これらの国がTPPに入りたいと正式に要請してくる可能性があります。そして中国も、長い目で見るとTPPの中に入らなくてはいけないと思っているはずですから、日米でどういう交渉が起きているか、アメリカはどのような柔軟性をもって対応しているかということをしっかりチェックしているわけです。ベトナム、マレーシアとはこれから交渉が続きますが、ここでアメリカはどういう態度を示すのかということも見ている。

 TPPは、我々が当初考えていたほど完璧な自由貿易協定ではないけれど、アジア太平洋地域の貿易・投資をもっと活発かつ円滑にしていく、促進していくものだというのは間違いないわけです。日本がこの中に加わって、21世紀型のアジア太平洋地域の貿易・投資ルールをつくっていくというのであれば、やはり国内における農業保護のあり方をもう少し真剣に見直していく必要があると思います。

工藤:アメリカから見ると、中間選挙もあるし、議会の合意を得るためには、かなり思い切った、大きなインパクトのあるような合意でないと、議会も失望するような気がします。

渡邊:特に、オバマ大統領の所属政党である民主党の後ろ盾は労働組合ですから、あまり貿易の自由化に熱心ではありません。そんな最中、オバマ政権としては、貿易促進法案、つまり大統領が議会から与えられる貿易自由化交渉をするための権限を貰うために、今年1月に超党派で法案を提出しています。この貿易促進権限を議会から貰うためには、TPP交渉で非常に良い成果を議会に示さないと、ただでさえ貿易自由化に後ろ向きな民主党がいるわけですから、なかなか難しい。ですから、TPPの質を高めるということは、アメリカの現政権にとって重要なイシューになっていると思います。

工藤:そうなってくると、今後12ヵ国が一緒になった交渉がスタートするかということは、分かりませんよね。

河合:基本的に、TPPの関税交渉の場合は12ヵ国すべてが一緒に集まって交渉するというものではなくて、2国間の交渉をしていくものです。しかし、それ以外の貿易・投資に影響を与えるルール、つまり知的所有権、競争政策、政府調達などの問題については全体で決めていこう、ということになっています。

 そういう中で、日本が途上国に対してもっとプレゼンスを高められるようにするためには、やはり貿易自由化率を高めていくということが非常に重要だと思います。

工藤:基本的な質問ですが、日本はなぜ自由化率が低いのですか。

河合:一因として、品目の整理ができていないということがあると思います。たとえばチョコレートやキャンディのように、なぜこんなものが保護されなければいけないのか、というものがたくさんあります。そのようなものをしっかりと整理して、「日本も自由化率を高めているのだ」ということをアピールしていく努力も必要だと思います。

工藤:そのような関税品目を残してあるのは、失敗したとか忘れていたのではなくて、保護を求めている人がいるわけですか。

河合:必ずしも定かではありませんが、保護を求める企業や人々がいたとしてもそれほど多くではないでしょう。


TPP交渉と同時に、国内の構造改革も不可欠

工藤:こういう交渉になると、誰かを守るための交渉になってしまうので、「自由化」などといった理念的な議論からかけ離れたものになってしまい、「守るためにどうするか」という議論になってしまう。ですから、こういう議論をする場合、多くの消費者などの支持を得るようなかたちにはなかなかなりません。こういう状況になるのには、何か問題があるのですか。

河合:すべての生産者を守ろうとすると、保護主義的になってしまいます。そうならないためには、かなり大きな政治的決断をして、日本の中で弱い部門は撤退するなりきちんと強くしていく、国際競争に耐えうるようにしていくことが必要です。耐えられない企業や人たちには、そこから退出してもらって他のところに移ってもらう。こうした構造転換は、ある意味で市場経済システムの基本原則ですから、これをもっと進めていくべきです。

渡邊:今、河合さんが言われたことには賛成ですが、加えて、特に農業を見るときの視点を申し上げますと、今までは農業を守る、という一辺倒だったわけです。ところが、最近、「日本の農業は捨てたものではない」という風潮に変わってきました。つまり、国際競争が激化する中で、価格競争力ではなく品質や味わいという点で、日本の農産品はまだまだやれるということを、色々な農家が示しつつあります。

 今までは、EPA交渉でもWTO交渉でも、「日本は農産品を輸出しない。だから相手国も自国の農産品を輸出しないでくれ」と、どちらかと言えば縮小均衡的なかたちでやってきました。これからは、日本も攻めていく。そのためには、衛生・検疫基準や燻蒸の義務などについては本当に必要なものに限ってほしい、と日本側から注文をつけていく。日本のコメやイチゴ、リンゴなどが、海外ですごく評判がいいので、そういうものについての様々な衛生・検疫コントロールを下げてもらい、外国に輸出しやすくする。そういうことによって、縮小均衡的に農業を見るのではなく、拡大均衡的になるように、TPPで環境づくりをしていく。そういった発想の転換が非常に重要ではないかと思います。

工藤:こういう交渉を見ると、いつも手順が逆になっているような印象を強く受けます。普通は、交渉だけで臨むのではなくて、その前に「その産業をどのようにしていくか」という構造改革の議論があり、同時にそれを進めていくという流れになるはずです。

 農業に関しては、日本国内ではコメの価格維持政策であった減反の見直しなどが動こうとしていますが、こういう改革はTPPの展開に間に合っているのでしょうか。

菅原:安倍政権になって、農業改革が大きくクローズアップされて進み始めました。これは大きな変化で、その要因としては「自分が岩盤規制を崩すドリルの刃になる」とおっしゃっている安倍総理の政治的なイニシアティブがあります。

 もう1つ、外的要因としてTPPというものが大きいと思います。工藤さんのおっしゃる通り、先進国、特にEUなどは、域内の農政の改革と域外への開放を並行して進めていました。一方、日本はどちらかというと、途上国型といっていいのか分かりませんが、通商交渉などをやる上でどうしても国内改革が必要になるので、必要な国内改革を行う上での起爆剤として通商交渉やTPPを使っていこう、というところがあります。まさに、中国がWTOに加盟するとき、WTO加盟をテコに国内改革を推進したのと同じようなかたちで、今の日本はTPPを使って国内改革を進めていこうというとしています。そこが、今おっしゃった、「手順が逆に見える」というところなのかもしれません。

 ただ、安倍政権になって農業改革を前向きに進めていこうとしていること自体はいいことなのですが、本当に今の農業改革のスピード、方向性でいいのかという点については議論があるところです。もう少し改革を加速したり、大胆な施策がTPP交渉と併せて打ち出されていくことが必要だと思います。


変化を推進するための強力なエンジンになり得るTPP

工藤:TPPの動きは、自由化を目指すようなさまざまな経済連携の仕組みを大きく変える契機になりうるのでしょうか。つまりTPPが、RCEPなど現在動いている経済連携の枠組みを質の高いかたちでどんどん変えていく、世界もドーハ・ラウンドが停止している流れを見直していく、最終的には中国の改革のインセンティブになっていくなど、そういう展開になっていけば戦略的な意味でもかなり凄いと思うのですが、今回の日米の協議から見えた姿が、まさにその方向性になっていくのでしょうか。

河合:TPPは非常に面白い経済連携協定だと思います。先進国と途上国が入っている、そして農産品の輸出国と輸入国が入っている。非常に重要な点は、途上国が入っていて質の高い自由貿易協定を目指そうとしていることで、アメリカとEUが行っている先進国同士の自由貿易協定とはまた違うわけです。ですから、WTOが依然として有効であって、将来的にもっと高いレベルの協定を推し進めていこうとするのであれば、TPPは将来のWTOのモデルになりうるわけです。そして、そこにいずれ中国を組み込むことができれば、これは非常に優れて歴史的な協定になります。

 こうしたことを進めるためには、日本はもっと努力しなくてはいけません。渡邊さんが言われたように、根本的な農業部門の改革をして、強い農家の方々にもっと頑張ってもらえるような仕組みをつくっていく。そして、高齢者や弱い農家の方々には何とか退出していただき、やる気のある農家に農地集積を行う、企業にももっと参入してもらう、農協にもやる気のある農家を支援してもらう、輸出もサポートする。そういうことをやって生産性を高めていけば、日本にとっても非常にプラスですし、アジア、世界にとっても非常にプラスになると思います。

菅原:TPPは、色々な政策を推進するエンジンになっていると思います。1つは、繰り返しになりますが国内改革を進めるエンジンですし、アジアの他のメガFTAを進めるエンジンにもなっている。最終的にそれらがうまくいったときにWTOに戻っていって、WTOのラウンドを進めるエンジンにもなる。そういう意味において、TPPをきっかけに、今停滞しているすべてのものを動かしていく。そのための入口としてTPPは重要だと思います。

 それに向けて、今のところ進んでいると思います。ですから、ここで挫折してほしくはないと思います。

渡邊:基本的には、TPPで日本は非常に大胆な取り組みをしていると思います。ですから、その強い政治的な意思を持ち続けて、現状を変えていくことはとても重要です。

 TPPにしてもその他のEPAにしても、基本は消費者の利益をどう確保するか、あるいはさらに伸ばしていくか、ということだと思います。生産者は組織されていますが、消費者は組織されていません。ですから、保護主義政策というのは、生産者の利益のために打ち出されているわけです。ところが、消費者の利益というのは、消費者がバラバラであるがゆえに組織されていない。言い換えれば、選挙の際、集票に結びつきにくいために軽視されがちになる。それを守るのが自由貿易交渉であり、WTOのような体制であり、TPPやその他のEPAなのだと思います。消費者を守るという視点から考えれば、まさに成長戦略の1丁目1番地たるTPPを進めていくことはとても重要なことだと思います。

工藤:TPPは一応、成長戦略の中に位置付けられていますが、本格的に位置付けられているというふうにはまだ思えないのですが、どうですか。

渡邊:どこがどのように改革されたのかが国民にも、それから外国の投資家にもはっきりと分かるようにしなければいけないと思います。いわゆるインベスト・ジャパン・キャンペーンで日本への対内投資を増やそうとしていますが、そのためには改革の道筋を具体的に示すことが必要だと思います。

工藤:農業の場合は高齢化が進んでいます。先ほど河合さんもおっしゃっていましたが、関税ではなく所得補償をするというかたちもありうるだろうし、その人たちが強い産業をつくっていくために、どうやってシフトしていくのか、ということが課題だと思います。また、そのときは関税などの国境措置だけで守るのではなくて、様々な仕組みを組み合わせながら誘導していくことが必要なのだと思いました。

 ただ、それをやろうとするには、本当は消費者の声がもっと出てこないとダメだと思います。しかし、こういう交渉はなかなか分かりにくいので、今回は詳しい解説も含めて議論していただきました。ぜひ、皆さんもこういう問題について考えていただく契機になればと思っています。

 ということで、今日は、TPPが日本やアジア・世界の経済をどのように変える動きにつながっているのか、ということについて、安倍さんとオバマさんの会談をベースにして議論しました。皆さん、どうもありがとうございました。