地方の自立を問い直す

2011年3月09日

今回の「工藤泰志 言論のNPO」は、スタジオに岩手県知事や総務大臣を務めてきた野村総研顧問の増田寛也さんをお迎えして、「地域主権、地方自治と民主主義」について議論します。
ラジオ放送の詳細は、こちらをご覧ください。

地方の自立を問い直す

工藤: おはようございます。ON THE WAY ジャーナル水曜日。言論NPO代表の工藤泰志です。今日は民主主義とも非常に関係があるといいますか、まさに民主主義の原点というものなのですが、地方自治の問題ですね。ちょうど4月から統一地方選挙もありますので、地方の自治とか地方の自立ということを、有権者の視点から根本にさかのぼって考えてみようと思っております。今日もスタジオには重要なゲストを呼んでおります。岩手県知事や総務大臣を務め、現在、野村総合研究所顧問の増田寛也さんです。増田さん、おはようございます。よろしくお願いします。


増田: おはようございます。よろしく。

工藤: 地方選挙というと、国政と違ってかなりローカルな感じをイメージされる方もいらっしゃると思いますが、今回の統一選はかなり重要だなと僕は感じています。地方自治は「民主主義の学校」と言われているのですが、まさにその日本の民主主義が問われている中で地方の選挙が行われるということは、これからの日本にとって非常に重要な局面に来ていて、はっきり言ってそのきっかけになるのではないかと思っているのですね。考えてみれば日本の政治が非常にまずいということであれば、それは地方の自立のチャンスにならなくてはいけないのですが、やはり地方議会の問題など様々な問題が出てきているし、また大きな動きもある。こういう動きが日本の変化のきっかけに本当になるのかということを、僕たちは根本から注意深く見ていく必要が出てきているのではないかと思うのですね。そういうことで、私たちは地方自治や地方分権という問題、それから最終的に民主主義の視点から、この地方の自立ということを問い直し、またその流れを興すために何が必要かということを、これから今週と次週にわたって、増田さんにお付き合いして頂きながら、みなさんと一緒に考えていきたいと思っております。

 今日のテーマは「本当に地域主権の覚悟はあるのか」です。これは要するに、今まで地方分権とか地方自立とかいろんな掛け声だけはかなりあったのですが、なかなか進まないですよね。それで考えてみたら、本当にそれをやろうとする意思があるのか、というところまで僕は疑問に思っているのですね。そういうことを、まさに実践して、知事、総務大臣も務められた増田さんのお考えも踏まえて、議論を進めていきたいと思っています。まずは本論に入る前に、先週は僕たちの民主主義というものが、今、かなり機能不全になっているのではないかという問題を問うて、その原因を民主主義の政治論として考えていきました。これについて増田さんはどうお考えでしょうか。

増田: 民主主義の基本というものは話し合いですよね。徹底的に話し合う。最近の流行り
言葉と言うと少し語弊があるかもしれませんが、「熟議」とよく言われますよね。

工藤: ええ、はい。


日本の民主主義はかなり重症

増田: 熟議はただ単に何度も何度も話し合えばいいということではなくて、中身をもっとお互いに深め合う。逆に言うと政治家が妥協をしてもいいから、話し合いで一定の結論を得ようということですが、この「話し合い」が完全に崩れている。形だけの話し合いであったり、あるいは相手に喧嘩をふっかけてあとは蹴散らすだけ、といったものであったり。だから今話していてやはり、かなり重症ではないですか、機能不全。

工藤: 重症ですよね。しかも国会の意思が決定できないとなれば、代表を送り出している有権者から見れば、何がどうなっているのだろうという状態ですよね。かなり、深刻ですね。

増田: 物事が決まらない。あるいは、決まったかのごとく相手を蹴散らす、と。

工藤: そう。何だか政治家同士のゲームをやっていて、有権者は関係ないという状況ですよね。

増田: そうですね。


地方分権はなぜ盛り上がらないのか

工藤: 本来こういう国政の問題で問われている話は、皆さんの地方の現場ではどうなのかと。やはり日本の国政でも民主主義の機能がかなり大きな問題を抱えているのですが、実をいうと地方も同じような問題があるのではないか、と僕も思っているのですね。ただ、本当は地方こそが住民と一番近いところで、住民が代表を出すことと非常に近い関係である、という状況でした。そういうことを目指して、ずっと昔から地方分権が唱えられて進められてきたのにも関わらず、どうも最近、地方分権という言葉自体が色あせたというか、あまり盛り上がらないのですが、何がどこでこういう状況になってしまったのでしょうか。

増田: 住民の本当の代表は誰かというと、今まで知事や市長の方が目立っていたということが実際ありますが、本当は議会ではないかと思うのですね。欧米に行けば議会の議員を選んでいるのだけれども、市長は議会の議長が兼ねている、とかね。あるいはシティマネージャーだとか。住民の代表というのは議会であって、そこで決まったことを市長にただ単にやらせるだけでいいのではないか。私は、議会こそ住民の代表だと思います。ただ、この肝心の議会が、日本の場合は著しく機能不全というか、市長とか知事の追認議会だったり、中で既に長老同士で決めてしまっている場合は、あまり外には見せたくないから外から見えないようにしたりしている。


まず地方議会に機能不全も

工藤: そうですよね。傍聴を禁止したり、誰かがそれをツイッターで書いたら突然全面禁止になってしまったり、とかありますよね。

増田: できるだけ外に見せないですよね。そして、陰で力を行使するのが本当の議員の実力だみたいな、誤った考え方というか、国会の真似事、しかも国会の悪い部分を真似てしまっている。例えば小さな町の議会の会派でも、国会でいうと党議拘束というのですが、投票する時に一人ひとりの意思を縛ってしまう、とかね。そういう国会のおままごとのような悪いところばかりをやって、ますます住民の代表ということから離れているということです。

工藤: 今までそういうことには薄々気づいていましたが、そろそろ限界になってきたという状況ですね。ただ、地方の分権の動きを見ると、本当は地方分権というのは手段であって、最終的には、住民が自分たちの地域の未来や今を自己決定し、ある意味で競争をして、自分たちの魅力的な地域を創ることが地方分権の目的だった訳ですよね。しかし、その手段争いの間、やはりメディア報道を見て感じるのは、結局は知事と霞が関の闘いのような状況になっていきましたよね。増田さん自身も改革派の知事の筆頭であった訳ですが、その進め方がやはり少し違っていたということですかね。

増田: 地方住民の代表としては、私は議会の方に本当はウェイトがあって然るべきだと考えています。一方で、確かに知事や市長も住民の代表なのですが、今までの分権というのは、その2つの代表者のうちの知事や市長の権限を強めるということだけに焦点を当て、それに終始していた嫌いがあった。それも必要なことなのですが、端的に言えば国会の役割や機能を地方議会に移す、ということがすっぽり抜けていた。国会議員は、与野党問わず、私が会った限りではみんな、地方議会にそんな機能は果たせない、あるいは地方議会に任せたらドロドロになると言ってそれを好まない、やらせない。最終的には、国の法律で地方分権というのを決定しないといけないのですが、私は中央省庁の官僚よりも、むしろ国会議会が実は心底地方自治体に役割を移していくことを嫌っているが故に、全体として国会自身も動かないので、何事も物が進まないのだと思います。ただ国会議員はあまり表に出るのが嫌だから、中央省庁の役人などを通して分権にいろいろ抵抗するという、そういう側面もあるのです。


国会議員は地方分権が本当は嫌い

工藤: 今の話、非常に重要な話ですね。つまり国会議員は地方分権、本当は嫌なわけですね。

増田: はい。日本は三権分立ですよね。アメリカは州ごとに全て司法権まで分権しているのですが、日本では、司法権は中央でいいと私は思います。ただ残りの行政権と立法権を分権しなくてはいけない。行政権については、今まで議論の俎上に上がって、まあ曲がりなりにも少しずつは進んでいる。一方で立法権の分権、言い換えれば条例制定権を拡大する部分に全く手を付けなかった。またそれを嫌っている人たちがいる。こういったことが全体として分権の歩みを遅くしたり、あるいは、地域の受け皿となる地方議会が、逆に漫然と役割を果たしていなかったり、ということで住民からは信頼を受けていない。住民としても、本当に地方に移ってきても大丈夫だろうかという不安があって、全体として後押しをする状況ではないようですね。

工藤: 確かにそうですよね。昔、政党別討論会を僕たち言論NPOでやった時に、増田さんにも出て頂いたのですが、政党の人に、あなたたちは国会議員を辞めて地方議員に変わったらどうだ、と提案したことがありました。つまり、国会議員700人もいらないですし、本当に地方の主権をやるというのだったら、それくらいの覚悟でというような意見がありましたけど、何だかきょとんとしていましたよ。

増田: 意表をつかれたような様子でした。
工藤: そのような感じでしたよね。
増田: いやそれは、中央省庁の話ではないのか、という表情だったですね。
工藤: 霞が関の改革しか、関心がないのかもしれない。


永田町改革こそが本筋

増田: 僕は永田町改革が本筋でないかと思いますね。
工藤: なるほどね。
増田: 霞が関の改革も大事ですけど、逆に、永田町改革の意識が全くないということを、現時点で一番問題にしなくてはならないことだと思いますね。

工藤: 今の話を聞いて、少し分かりにくい所があるのかもしれませんが、今までは霞が関が持っている権限や財源を地方に移そうとしていました。それを増田さんなど、いろいろな知事が頑張って実行してある程度進んだのですが、なかなかそれ以上進まないのですよね。でも、何となく知事が結構格好いいというか、それなりの人がいたので知事が改革をやっていたのだけど、実はこの勝負は基本的になかなか進んでいませんでした。民主党政権になって、地方主権を一丁目一番地といってやっていました。でもやっぱり進まなかったわけですよ。ただお金の問題はそうなのだけど、それを分配されたとしても最終的にはその地域がそのお金を使って、どういう風な地域を創るか、という時に初めて分権は意味を持つのであって、単にその手段で争っているだけのゲームのようになっていた。増田さんは、財源や権限を霞が関から委譲することが大事だと思っている一方で、だったら立法の分権、つまり地域でどういう風な地域づくりをするか、ということも自分たちで決定するところまでいかないと、権限が移されても本当の意味での住民自治の根幹ができないのではないかと。その点に関して日本の政治家のほとんどが、やはり興味がないというか、真剣ではなかった、覚悟がなかったということですよね。


問われる立法の分権

増田: そのこと自体に問題意識がないというか、気が付いていない。権限をどうすればいいのかという権限の根拠は法律に基づいているのだけれども、法律でなくてそれぞれの地方議会で、地域ごとに条例を作ったらいいのではないかということが、まず意識されていなかった。それからもう1つは、地域で条例を作るときには地域の実態を深く考えて、どういう地域づくりの上で、例えば、保育所の設置基準をどうするか、都市計画の中でどういうまちづくり条例をつくれば、まちが良くなるのかといった、その中身を真剣に考えなくてはならないですよね。それらのイシューをまとめて、条例を制定し、市長とか知事に根拠を与える。その中身を考えるということを今までやっていなかったので、結局、行政で考えたことの追認だけをやっていたから、議会として中身を考えられない。更にもう1つ付け加えて言うと、住民の意識が多様化したので、ただ住民の人たちに意見を聞いていてもまとめられない。政治的にまとめる、前回出演した佐々木毅さんの言葉でいうと政治的統合を言いますけど、それを議会の中でお互いに議員同士で話し合ってやる、ということが今までなかった。議員間討議というものですね。悪いことだけをたくさん並べてしまいましたけれども、もちろん良いこともやっているのですが、端的に言えば大事なことが議会として決められないということです。

工藤: そうすると、本当の地方自治や地方主権として、目指さないといけないのはどういう形なのでしょうか。


地方議会の立て直しこそ急務

増田: 議会を中心にして、住民の本当の代表者は議員であり、議会だと。「代表なくして課税なし」の「代表」と言うのは、歴史的にみればアメリカでは明らかに議会を意味していました。その議会運営をもっと健全な姿でやる、ということです。一人ひとりの人たちは、皆さん仕事など生活で忙しいですから、代表者を選んでそのプロに、しっかりとしたまちづくりをしてもらうことを考えています。しかし、選んでお任せのようにやりっ放しではなくて、やはり傍聴席に行って監視をするなどが必要です。民主主義や、とりわけ地方自治というのは、一番身近な地方政府をいかに住民がコントロールできるかということだと思うので、お任せではなくて、いざとなったら自分たちで立ち上がらなくてはなりません。あまりにもひどければリコールで代表者を変えてもいいけど、その前に、まず監視をして代表者が良い仕事をするかどうか、それを見張るということが必要ですね。

工藤: やはり地方分権の目的は住民自治なのですね。住民がちゃんと自分たちで意思決定できないといけない。ただ、その部分の住民の声や姿というものが、今までの中央分権の中の議論にあまり出てこなかった。やはり制度論というか、権限移譲の話でした。

増田: ええ。結局そうですね。これまでは、中央省庁が持っている権限を、知事や市長にいかに移すかという、その部分だけにとどまっていました。議会の議論が出てくると、当然住民の代表者ですから住民との関わりが出てくるし、いわゆる住民自治が議論されるはずなのですが、今まではその団体自治のところだけを議論していた。

工藤: そうですね。地方6団体と政府の協議とか、そうなってしまうでしょ。

増田: 要するに国からの自由というものは、国から知事が自由であるかどうかということであって、議会のことは議論していなかったから住民の姿が出てこなかった。

工藤: でもこれは、上から下に与えるという改革の姿は難しいということですかね。例えばさっきの「代表なくして課税なし」と言いますが、地方税の税率を変えられるけれども、なかなか自主的に変えられない、というかなり中央集権的な統制的な流れがありますよね。

増田: これは我が国の場合には歴史的な問題があるでしょうね。連邦国家でなくて、江戸時代の幕藩体制にしても、結局、江戸幕府が肝心なところは押さえている。明治以降もずっとそうですよね。ただ、連邦国家か単一主権国家か、どちらの体制が歴史的に合うかどうかは別にして、現在は住民自治ということで住民の意識水準が上がってきています。ですから住民自治により、身近な政府をどうコントロールするかという観点からは、いろんな改革がなし得ると私は思います。端的に言うと、やはり、税の負担と給付、要するに受益と負担のような議論など、非常に見えやすい議論があるから、そういうものを真剣に考えるというのは極めて重要です。

工藤: ですよね。ただ、今の政治家にやる気がないと、やり方に困りますよね。どうやって進めばいいのか、ということが本質的に問われている感じがしますね。


住民が立ち上がらないと変わらない

増田: ですから河村さん(たかし、名古屋市長)のようなやり方も1つはあるとは思います。しかし、最後は住民が立ち上がる、ということです。住民が立ち上がらないと変わらない。立ち上がるというのは議会の傍聴席に行くだけでも緊張感が出て、がらりと変わってきますから。

工藤: 今日の話はですね、次回もう少し進めないといけないのですが、今の地方自治という点から見ると、今までの分権の論議、目標が見えなくなって曖昧になってきている。しかも国政だけでなくて、地方の民主主義の仕組みに関しても、様々な機能不全というものを起こしてしまっている。これが目に見えてきているという状況の中で、もう1回住民という視点で、議会との関係や地方の枠組みを考えないと前に進まない段階にきている、という話だったと思うのですけれどもそういう理解でよろしいですか。

増田: そうですね。手段が独り歩きしていった、と。

工藤: わかりました。まだ話が尽きないのですが、これでひとまず終わりにします。次回は、地方をどういう風に具体的に民主主義の立場から立て直すべきなのか、ということについて話を進めたいと思います。今日は増田さんをゲストにお呼びしまして、日本の民主主義、つまり本当の意味での地域主権というのは、本当に覚悟があって臨んでいるのか、ということについてお考えをお聞きし、議論を進めました。今日はどうもありがとうございました。

増田: ありがとうございました。


(文章・動画は収録内容を一部編集したものです。)

今回の「工藤泰志 言論のNPO」は、スタジオに岩手県知事や総務大臣を務めてきた野村総研顧問の増田寛也さんをお迎えして、「地域主権、地方自治と民主主義」について議論します。