【国と地方】 増田寛也氏 第3話: 「分権の帰着は基礎的自治体であり、住民である」

2006年6月21日

増田寛也氏増田寛也 (岩手県知事)
ますだ・ひろや
profile
1951年生まれ。77年東京大学法学部卒業後、建設省入省。千葉県警察本部交通部交通指導課長、茨城県企画部交通産業立地課長、建設省河川局河川総務課企画官、同省建設経済局建設業課紛争調整官等を経て、95年全国最年少の知事として現職に就く。「公共事業評価制度」の導入や、市町村への「権限、財源、人」の一括移譲による「市町村中心の行政」の推進、北東北三県の連携事業を進めての「地方の自立」、「がんばらない宣言」など、新しい視点に立った地方行政を提唱。

分権の帰着は基礎的自治体であり、住民である

 これまで地方のお金の工面などについては、最後は国からの交付税などが見てくれることになっており、何かがあれば国が悪いと言って、自分たちは考えなくてよかったわけです。

 岩手県も税収は予算の7分の1程度しかありません。こうした税収や手数料収入以外は事実上、全て国が見てくれるわけです。これは、企業ではとても考えられないことです。企業なら国が面倒を見てくれるわけはありません。借金はもちろん社債を発行してやっているわけですからそれを返済するための財務体質を自ら高め、さらに自分の企業価値やそれによって株価を高め、自分に関心を持ってもらおうとするかでしょう。

 ですから、地方が自ら自立を考えるのなら、それぞれの自治体がどれも右に倣えで、同じような「何とか銀座」の街並みをつくっていくのではなく、いかに自分たち自身の自治体価値を高めていくかということにやはり行き着くのです。

 今回の三位一体改革で、その道のりというものを自治体側も悟り始めたと、私は思います。自治体間の格差が出るのであれば、では、どうやってあの自治体に追いつこうかということに、だんだん目が向いてきた。国との関係だけで考えてきた結果、自治体間格差がどんどん浮き彫りになってきたからです。

 国と地方という分け方がこの間、定着していますが、地方全体を丸ごとで考えるというのは、ある意味で地方の護送船団だと思います。今はまだ過度的な、経過的な段階だと考えてほしいと思います。

 地方六団体ということで、知事会も護送船団的に地方六団体をまとめており、大変なときには知事会の下に市長会や町村会が隠れたり、逆にまた出てきたりしていて、なんとか不足する政治パワーを補うために六団体でやっています。ただ本当は良い姿ではないかもしれません。

 行き着くところはやはり、基礎自治体です。基礎自治体論、それが真の民主主義を実現するフィールドですし、基礎自治体がいかにしっかりしているか、いかにこれから北風の中に立ちながら、自分の企業価値、自治体価値を高めていくか、そのような修練の場のようなものを我々は地方団体の中で考えていくべきです。

 今回の改革でもやはり、そこの弱さが露呈したのだと思います。肝心なときに政治力があまり働かなかったのは、市町村からみれば、やはり、県、あるいは知事という存在が鬱陶しいというのが正直なところだからだと思います。

 県や知事が殿様になる必要はなく、最後の主役は基礎自治体なのだろうと思います。そういう中で、知事が旗振りする今の姿は仮の、過渡的な姿だと思います。

 そして、最後の帰着点は結局、住民です。これまで知事を改革派とし、私も「地方改革の旗振り役」の一人として取り上げられたこともありますが、本来は住民が、そして住民のリーダーが、そういう旗振りをしていくべきなのです。個々の自治体には、そういう自治体になれるかどうかが今、まさに問われているのだと思います。


※第4話は6/23(金)に掲載します。

 これまで地方のお金の工面などについては、最後は国からの交付税などが見てくれることになっており、何かがあれば国が悪いと言って、自分たちは考えなくてよかったわけです。岩手県も税収は予算の7分の1程度しかありません。こうした税収や手数料収入以外は事実上、全て国が