日本のメディアの原発報道をどう評価するか

2011年7月22日

2011年7月22(金)収録
出演者:
武田徹氏(ジャーナリスト)

司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)


第3話「脱原発モード」下での報道はどうあるべきか

工藤:では、また議論を再開したいと思います。この原発問題を考える時に、私も経験したことがあるのですが、議論をしていると、反対派というのがいて、それから推進する人がいて、その中で、何となく、お互いが両極端になっていて、お互いが信じられないというか、別の村の人という感じがあって話がかみ合わない。武田さんの本の中でも、それが非常に不幸な状況になっていて、ある意味でリスクを拡大してきたということが書かれていました。僕も経済学で、囚人のジレンマということをやっていましたけど、その対立によるリスクが、今回の事故で、ここまで出てしまうと、どうなっていくのでしょうか。この状況は変わらないのでしょうか。変わっていくのでしょうか。

武田:今、推進の人はいないでしょうね。
工藤:いないでしょう。

武田:いたとしても、声は出せないでしょうね。今は、脱原発というのが主流です。昔の脱原発というのは、推進と反対の間にあって、ある意味で、徐々に原発から脱していこうみたいなところを言っていたのですが、今は、ほとんどの人が脱原発になっていまして、早い脱原発か、遅い脱原発かですよね。早い脱原発の人は、遅い人に対して、あれは推進と変わらないとか、隠れ推進だとか思っているわけです。そういう状況に、少し言葉遣いが変わっていった、というところがあるのではないでしょうか。

工藤:ただ、それにしても、今まで現実視されていなかった脱原発というものが、現実的なアジェンダとして出てくるというのは、想定されていなかったと思いますよね。

武田:でも、今、現実的なアジェンダとして出ていますかね。

工藤:つまり、現実的というのは、安全性の問題はあるのですが、黙っていたら54基が止まっていってしまうという可能性がある。次に、エネルギー基本計画を見直すということになった場合に、多分、新規をベースにした見直しになると、老朽化、廃炉というシナリオが見えてきますよね。こうした状況というのは、武田さんは、ずっと原発を考えてこられて、どのような事態だとお考えでしょうか。


脱原発は、それを可能とする手段の議論が大切

武田:確かに、新規立地はほとんどできなくなっていましたので、新しく原発サイトができるということはなかったのですが、既に原発がつくられ始めている中の増炉ということで、基本的に、政府は、必要とされる電力需要に応えられるような電力量を、原発でつくっていくといことを、本当に計画的にやってきたわけです。私は、昔、満州国の話を書いたことあって、今となっては、原発サイトの中は、満州国状態だと。国内植民地化していたと思うのですよね。それでずっとやってきたと。実際には、設計寿命が終わっても、それを延ばしてしまうとか、色々な手を使って、どんどん増やす一方で、減らす方向はこれまで一度もありませんでした。そういう意味で言うと、初めて、脱原発というものが、実際にシナリオになってきたように見えます。ただ、私は、そこで気をつけたいのは、特に、1970年代以降ですが、電源三法という交付金のシステムができていて、原発立地というのは、交付金を前提にして経済が構造化されているところがあるわけです。今となっては、不安の気持ちが勝っているので、多分、立地でも住民投票をすれば、脱原発になると思いますが、ただ、脱原発の後の経済的仕組みというのは、全然議論されていない状態だと思います。それがないと、そこの地域がいかに経済的に自立できるか、というシナリオがないと、実際に脱原発ができるかというと、やはり難しいと思うのですよ。何らかの形で風向きは変わってしまうと、元に戻ってしまう可能性があると思いますので、脱原発をするときの、現実にできるかどうかの手段の議論をちゃんとしないといけないと思っていて、その現実的に脱原発ができるかどうかということの検証をしながら、脱原発論を言っていかないと、あっという間に世論の風向きが変わってしまって、元の木阿弥になってしまうという一番不毛な結果になる可能性があると思っています。そうしないためにも、脱原発を現実のものにしていくための手段の議論ということを期待したいと思います。

工藤:確かに、さっきの話ではないのですが、原発事故で、ショッキングなことだけを追いかけて、避難された人のケアに関しては、なかなか目が行き届かないというメディアの状況があります。一方で、確かに、原発を止めるとなると、今まで、原発に依存していた地域とか、それに代わるものをどうしていくのかとか、これまで構造化してしまっているシステムを変えるくらい、の継続的な議論が必要です。。

武田:考えていかないといけないと思います。そうなると、ある程度の原則というか、ゆっくり徐々に現実的なところをつくりながら、やっていかないといけないと思うので、直ちに脱原発ということは難しいとは思うのです。それを求めると、かえって脱原発ができない可能性があると思うので、本当に脱原発がしたいのならば、その目的を実現するための手段をちゃんと議論してほしいと思います。そのための時間は必要だと思います。

工藤:そうですよね。私も冷静な議論をしたいと思って、何回もやっているのですよ。で、電力の問題とか、再生可能エネルギーをどうしていくかとか、時間軸の議論とか。だけど、今まで原発に反対していた人たちは、国民的な議論の大きなチャンスなのに、まだ昔のようにまず反対が先にあり、冷静な議論になれない。彼等からすればチャンスなのに、冷静になればいいと思うのですが。


二項対立ではなく、国民に広がる議論を

武田:おっしゃる通りだと思いますね。やはり、焦る気持ちもわからないではなくて、原発推進は強力な国策だったわけですよ。だから、反原発運動家がいかに運動しても、全然変えることができなかった。その非常に強力な国策が、今、ちょっと緩んでいるわけですから、チャンスだという風に思うのは当たり前だし、そこでなるべく亀裂を大きくしておきたいと思うのは、それは自然だと思います。ただ、さっき言ったように、本当に脱原発をしたいのならば、やはり通っておくべき手続き、やらなければいけないことがあると思うので、そちらの方にも視野を向けないと、本当に脱原発をしたかったのに、やっぱりできなったみたいなことになる可能性もあると思うのですよ。

工藤:それが形を変えた二項対立になってしまう可能性があるわけですね。だから、反対派、賛成派ではなくて、今、市民とか国民レベルがこの問題を考え始めている時だからこそ、冷静に、しかも...。

武田:そこで、やはり二項対立にしてはいけないと思いますね。

工藤:さっきの放射線の汚染の問題と同じなのですが、原発の安全性の確認ということですが、ストレステストも含めて、どうしたら安全だという風になるのか。ここにも大きな問題があるのですが、この辺りはどのようにお考えでしょうか。

武田:私は、ストレステストはやるべきだと思っています。私は、本の中にも書きましたが、ご紹介いただいたい本の1つ前の本ですが、日本の原子力に対して、一回句読点を打ってみる、一度止まってみる必要があると思っています。そのために、ストレステストというのは、やるべきだと思います。結果的にある程度の炉が動かせなくなることは、それはしょうがないと思っています。もちろんテストのやりかたは考えなくてはいけなくて、いかに安全かということをちゃんと議論していかないといけないと思います。そこは、安全か安全で無いかという話も、低放射線のグレーゾーンのものとちょっと近い議論になりがちであって、やはり、論者によってかなり変わってくるわけですね。その辺りをどのように処理するかという話は、凄く問われるところがあって。

工藤:ただ、この安全性の問題も、これはある意味ではチャンスというか、日本が安全という大きなモデルを提起できる、世界的にも非常にいい意味がありますよね。

武田:原子力の場合には、発電と核兵器の間の連続性というのがあって、核武装国というのは、核放棄と同じことになりますから、原子炉は少なくとも放棄できないわけです。でも、日本の場合は、核武装はもちろんしていないわけですから、そういう状況がある国で、原発をどういう風に考えるかという話ですよね。やはり、エネルギー源の問題で、電力需要を節電などでどこまで減らせるか。あるいは、再生可能エネルギーでどこまで補えるのかみたいなことを、ちゃんと考えながら、バランスのいいポイントを見つけていくということについて、国民的な議論をしていくべきだと思います。でも、そこにも手段の議論ということは絶対に必要で、一方で、再生可能エネルギーに対して、あまり無垢な期待を持つということも、よくないと思っています。その辺りも、再生可能エネルギーにシフトしたいのであれば、どういう現実的な手段が必要かというところを、議論していったほうがいいと思います。

工藤:その安全性の問題なのですが、福島原発を見ていて、東電の発表は津波によって外部電源が損傷しているという議論ですが、耐震性とか地震によって損傷はなかったのか、という問題に関して、結論は出ていないわけですよね。

武田:最初はなさそうでしたけど、やはりあったような感じですね。

工藤:そういう感じがしますよね。そうなってくると、安全性ということに関しては、ストレステスト以前に、耐震構造のチェックということを、まずやればいいのではないですか。


どうやって安全性の確認を行うべきか

武田:例えば、浜岡原発の新しい炉などは地震の加速度に対して、安全性を大きく見て設計しましたよね。そういうことはやはりやっておくべきだと思います。ただ、揺れの方向とか、波の形状の問題だとか、強振したりするわけですから、やはり絶対安全というのはあり得ないと思うのですね。多重防護という考え方を電力会社がやってきて、今回の震災で多重防護は呆気なく破られてしまいましたけど、そういうことをちゃんと反省して、どういう形で多重防護をしていけば、1つ破られても他で守られるような設計になるかとか、そういうことを組み合わせたり、本当に地道にやっていくことよって、ちょっとずつ安全性を上げていくことしかできないのだと思います。そういうことすら、今まではできなかったのが私の言っている囚人のジレンマ問題であって、電力会社は絶対に安全と言ってしまった以上は、もうこれが安全なのだと、これ以上のことはないのだという風に、安全策をとれなかったのですね。そういうバカなことはしないで、安全にできる余地があるのであれば、今までは結構安全に考えたのだけれど、更に安全にできるようになったので、もっとこういうことをやっていくみたいなことを、安全性のほうに向けて、ちゃんと踏み出せるようなそういう原発にしていく必要があると思います。

工藤:そうですよね。だからこそ、個別のそれぞれの問題で、きめ細かくやっていくことによって、ここは当面安全だというような方が、いいような気がしますよね。EUのストレステストをやって、再稼働という判断をどうしていくかということに、ちょっと言い訳じみているようなことを感じてしまいます。

武田:私が先程、ストレステストをやったほうがいいと言ったのは、ああいうことをやったほうがいいという話であって、その内容がどういうものかについては、議論するべきだと思います。

工藤:あと、武田さんにぜひ聞きたかったのは、日本は、原爆を落とされた中で、戦後、原子力の平和利用という形で熱狂し、その中で、あるメディアが動いたり、色々な形で、1つの流れを作ってきたわけですよね。今回の問題は、こういう原発が当たり前の、戦後の構造そのものの変化が問われている、と思うのですが、どう考えていますか。さっきの、核兵器の問題もあるのですが。


原発が当たり前の、戦後構造の変化が問われている

武田:そういう話も、今まで全然されてこなかったわけですよね。私は、日本の原子力事業の歴史を書いた本が、1つ前にありますけど、今回、増補版で出せました。それは、事故があったから出せたのであって、その前に単行本で出したものは売れなくて絶版、文庫本にしましたけど、それも売れなくてほとんど絶版に近い状態になっています。ただその存在は知られていたので、今回の事故があってから、Amazonの古本の値段が高騰するような状況になっていたわけです。要するに、ここでは売れなかったということをあえて強調したいのですが、多くの人たちは、原発について関心も問題意識を持っていなかったですよね。それは、原発がある国で生きているのであれば、やはりもう少し原発とはどういうものかとか、技術的にどういう文脈にあるかとか、それはやはり知っておかなければいけませんよね。

工藤:だから、今まで、何となく当たり前だと思っていたけど、見て見ぬ振りをしていたものを、考えなければいけなくなったということですね。

武田:例えば、チームマイナス6%みたいなエココンシャスな政策が出てくると、みんな賛成するわけですよね。でも、あの時点は、再生可能エネルギーなんて、ほとんど扱えなかったわけですから、あの時は、明らかに原発の稼働が前提ですよね。それから、民主党だって原発推進政党ですから。

工藤:そうですよね。一気に菅さんの発言も変わりましたけど。

武田:だから、民主党に投票したということ自体が、原発を選んだという自覚を、実は持つべきだったのだけど、そんなことは、全く論点かされていませんでしたよね。

工藤:私たちのNPOがやっていることなのですが、原発だけではなくて、財政破綻も民主主義もそうなのですが、当たり前と思われていたことがかなり壊れていて、その先に危機が迫っているのだけど、今まで、ずっと見て見ぬ振りをするということが、メディアも含めてずっとあった。今回、危機があったから考えるという構造。


危機が起こる前にこそ議論は始まるべき

武田:でも、本当はダメなのですけどね。危機が無くても考えなければダメなのですからね。

工藤:そうですよね。それがまさに、良識であり、メディアの役割でもあるのだけど、何か危機が起こってから慌てて議論が始まるというこの流れは変えなければいけないですよね。メディアもそういうことを変える、事前に冷静に考えるということの行動はとれないのでしょうか。何かの時だけ、ぽっと騒ぐのですが。

武田:難しいですね。やはり、したたたかに言論戦みたいなものをやっていくような力を持っていて、そういうことを続けようと思っている、気概を持っているようなライターが増えるべきだと思うのですよ。私も、過去に単行本にしたような企画、たとえば核とかハンセン病の企画を雑誌に持ち込むと、そんなのは古いと言って受けてくれないとか、誰もそんな問題意識を持っていないとかいうことがありました。でも、私は現代的な価値があるテーマだと思っているからやろうと思っているわけです。でも、受けてくれないわけですから、受けてくれそうな媒体を探すわけです。それで、原発に対して批判的なことを書くようなことを、原発に対して批判的なメディアに持って行っても意外にダメで、むしろ推進派だと言われているような媒体で書かせてくれたりするわけですよ。そういうある種の緩みを見つけていくみたいに、本当に伝えるべきことがあるのであれば、それを伝えるために、色々戦略的に、動かなければいけないのだと思います。

それは、今時点の関心の濃淡では測れないと思います。実は、関心のないところに非常に重要な問題がある場合がありますから、そこにスポットを当てていけるようなことをしなければダメですね。人気投票以外の尺度で動かないといけない。それはマスメディアには非常に難しいです。


メディアを選ぶ市民の覚悟こそ最も大事

工藤:するとメディアの問題も、かなり大きな変化がメディア自身に問われるだろうし、一方で、それを選ぶ市民も重要ですよね。それを受入れる側がいないと、緊張感がでてきませんものね。そういう意味では、日本の社会が問われているのではないかと思います。

武田:本当にそうだと思います。嫌な言い方ですけど、民度が問われていると思います。

工藤:ということで、話は尽きないのですが、時間になってしまいました。武田さんの本は、非常にいい本でして、「原発報道とメディア」ということで、僕も読みました。やはり、今まで当たり前だと思われている問題、それから、伝えるということが当たり前だと思われている問題も含めて、色々な考える視点を提供している本だと思いますので、ぜひ、読んでいただければと思います。武田さん、今日はどうもありがとうございました。

武田:ありがとうございました。

報告・動画をみる   


言論NPOの無料会員「メイト」にご登録いただくと、こうした様々情報をいち早くご希望のメールアドレスにお届けいたします。
ぜひ、この機会に「メイト」へのご登録をお願いいたします。
▼「メイト」へのご登録はこちらから


 7月22日、言論NPOは、言論スタジオにてジャーナリストの武田徹氏をゲストにお迎えし、「原発報道とメディア」をテーマに対談を行いました。

1 2 3 4