日本のメディアの原発報道をどう評価するか

2011年7月22日

2011年7月22(金)収録
出演者:
武田徹氏(ジャーナリスト)

司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)

 まず武田氏は、それぞれのメディアが真実を伝えるという使命を果たそうとしていたことに敬意を評しつつも、「原発報道独特の難しさがあり、防護服が着用しなければならないなど、マスメディアは自前の取材はできる状況ではない」と指摘。政府や東電の発表を解説するところからはじめざるを得なかったという意味で、マスメディアの限界が明らかになったと述べる一方で、ネットメディアにも正確さなどの課題があり、「それぞれに弱さが見えてきた」としました。
 また、政府やメディアによる報道がスピーディになされなかったことについても、「知識の不足によって伝えられなかった場合もあるが、知識があっても発表することの被害を判断したという場合もあるだろう」と述べ、単純化して判断することの危険性を強く訴えました。

 そして、代表工藤が「今回の放射能汚染で、これまで安心していたものが全部不安になり、暫定値を出してもそれ自体を信じることができない不安な状況になってしまった。メディアはこうした不確実なものをどう評価し、どう報道するべきなのか」と問題提起すると、武田氏は、「もう少し冷静になって科学的なアプローチをする余地はある」とした上で、「それでも、どうしてもわからない領域は残る」と指摘。情報の受け手側としては、発言者の立場と紐付けすることによってその言説に対する評価を変えていくといった小さなことを積み重ね、それぞれが自らのリテラシーを上げる努力が必要ではないかとしました。
 一方で、「危ないか/危なくないかといったその場その場の報道で、「グレーゾーン」の正しさを競うのではなくて、その先にある現実をどうケアできるかということに重点化して伝えるべきではないか」と述べ、流れの中で報道することの必要性を語りました。

 さらに、日本の原子力政策の歴史の中で初めて「脱原発」ということが現実的なアジェンダとして出てきたことについては、「日本の原子力政策に句読点を打つことは必要」とする一方で、「「脱原発」を本当に実現したいのであれば、その目的を実現するための手段を明確に議論しなければならない。そのための時間が必要であり、単純な二項対立に陥ってはいけない」と強調しました。
 また、「これまで原子力というものに対して問題意識を持っていなかったが、原発がある国に生きている者としては、もう少し原発とはどういうものか、その技術的な文脈に自覚的でなければならないと思う」と述べて受け手側としての市民の側の変化に触れると同時に、伝える側についても、「本当に伝えるべきことがあれば、伝えるために自らが動いていかなければならない」と述べ、そうした気概を持つライターが増えるべきだとしました。

 最後に代表工藤は、「メディアも変化が問われているが、一方で受ける市民の側の変化も重要。そこに緊張感が生まれるかどうか、日本の社会が問われている局面だと思う」と述べ、対談を締めくくりました。

議論の全容をテキストで読む    


 7月22日、言論NPOは、言論スタジオにてジャーナリストの武田徹氏をゲストにお迎えし、「原発報道とメディア」をテーマに対談を行いました。

1 2 3 4