日中関係の潮目は変わったのか

2015年8月28日

2015年8月28日(金)
出演者:
伊藤信悟(みずほ総合研究所アジア調査部中国室室長)
川島真( 東京大学大学院総合文化研究科教授)
宮本雄二(元中国大使で宮本アジア研究所代表)

司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)


工藤:現在、日本と中国の両国政府は、関係改善に向けた新しい展開を見せています。安倍談話も障害になってはおらず、政府間の動きも進んでいます。言論NPOも10月末には、東京-北京フォーラムを北京で行う準備を進めています。日中関係が今、大きく新しい展開を見せている背景に何があるのか。それが今日の議論のテーマです。今日は3人の中国の専門家をゲストにお迎えし、議論をしていきたいと思います。

 まず、宮本アジア研究所代表で中国大使も務められた宮本雄二さんです。続いて、東京大学大学院総合文化研究科教授の川島真さんです。最後に、みずほ総研アジア調査部中国室室長の伊藤信悟さんです。


改善に向かう背景には何があるのか

 さて、日本と中国の間で歩み寄りというか、関係改善に向けた動きが始まっているように見えます。昨年11月、今年4月と2度日中首脳会談が行なわれました。そして、海上連絡網、つまり、尖閣周辺での危機管理メカニズムについても、事務方レベルでは議論が進んでいると聞いています。一方で、中国経済の先行きに不透明感が出ており、先日も人民元の引き下げを契機に世界的な株安が起こりました。こういう状況の中で、日中関係が改善に向かっている背景には何があるのでしょうか。

宮本:一番大きな背景は、(日本政府が尖閣諸島を国有化した)2012年以降、ぶつかってみたけれど、互いに代償が大きかった、ということです。とりわけ中国側は「日本と対立することは割に合わない」と考え始めたのではないでしょうか。中国共産党にとって一番大事なのは国政で、その鍵となるのは経済ですが、経済がグローバル化している中では、喧嘩ばかりしている相手と、「経済の方ではうまくやっていきましょう」というのは難しいですよ。そういう中で中国側が対日関係改善に舵を切った。安倍首相は初めから「前提条件なしで話をする」と言っておられたわけですから、ようやくそういう方向で事態が動いてきたんではないでしょうか。

川島:宮本さんがおっしゃった通りですが、国内政治の状況も、要因としてあると思います。中国の対日政策は国内政治に密接に関わっています。ある程度、国内が落ち着きを見せる中で、日本に対しても関係改善に踏み出す余裕ができた。それは、反腐敗運動で超大物クラスの粛清が粛々と進み、かつ決着の方向も大体見えていますので、日本に対しての関係改善に舵を切っても国内は荒れない。むしろ、反日の方向に舵を切りすぎると、デモも起きてしまう。日本との関係をきちんと適切に処理することが、国内のいろんな不満が噴出し過ぎないようにするための処置でもある、という面もあります。

伊藤:中国がリーマンショック以降、かなり大規模な景気対策をやりましたが、これはやり過ぎでした。その結果、投資も債務も過剰になり、中国経済は2010年の第一四半期以降、ずっと減速基調にあるという状況です。下手をすると景気が腰折れしかねない状況だ、という認識が中国政府には強くあります。ですから、そういった状況に陥らないためには、やはり安定した(外交)環境が必要だ、と考えているのではないかと思います。また、外交という点で言いますと、TPP交渉が進展する中では、それに対するけん制というか、アジアインフラ投資銀行(AIIB)に日本を引き込みたいという意味合いもあると思います。


4月の首脳会談から出た改善へのGOサイン。ただし、いまだ予断を許さない状況

工藤:宮本さん、日中関係の関係改善は、具体的にどのように進んでいるのですか。

宮本:一番大きいのは、やはり首脳会談を開いて、首脳同士で関係改善にGOサインを出すことです。とりわけ、中国では上からGOサインが出ませんと、下が動きませんから。今後も関係改善に向けたアクセルを強めるのか弱めるのか、すべて首脳会談で決まってきますから、引き続き首脳会談は大事です。

 日中双方の基本的な認識は、やや言い過ぎではありますが、「日本と中国の軍事力が、戦後初めて直接対峙して、戦争の瀬戸際までいった」というものです。それにもかかわらず、振り返ってみたら、意思疎通をして不測の事態に対応するためのメカニズムがゼロだったんです。それで両国は慌てふためいたわけです。したがって、とにかく緊急会議はきちんとやらないといけない、という了解ができて、習近平・安倍会談が実現しました。というわけで、安全保障面では進んでいる。

 それ以外の分野についても、経済を中心に前に進めていくということのGOサインが出ましたので、進み始めています。そういうふうに実は、政府間の対話というのは、いろんなレベルで始まっているんですね。

工藤:昨年11月に、最初に安倍さんと習近平さんが会った時に、習近平さんの顔が非常に苦虫を潰しているようで、(安倍さんのことを)そこまで認めていないということを印象付けていました。方針が大きく転換したのはその頃なのでしょうか。

川島:日中関係は改善基調にありますが、まだまだ綱渡りだろうということは言われていて、7月段階でも例えば、日本政府が東シナ海における中国のガス田開発の映像を公開したり、国会においても、南シナ海の機雷除去に関して、「集団的自衛権で対処する」というような議論も出てきた。それに対する中国側の反応はかなり強く、「日中の関係改善に水を差すというものである」という抗議もかなりあったわけですし、中国メディアの反発も強かった。ですから、私自身は「関係改善への流れが確固たるものになった」とまで断言するのはまだまだ言い過ぎだろう、と思っているところです。

 ただ、もともと経済や環境、それから地方交流は継続していたし、また、中国から大変多くの観光客も来たわけです。そのあたりの大きな流れというのは変わらない状態で、さらに海上連絡メカニズム作りも着々と進んでいる。4月のバンドン会議での首脳会談の際には、どうも中国側が会場を全部用意していたということですので、この辺りから大きな意味でのGOサインが出てきた、と私は思っています。

宮本:政治家の方というのは、カメラがあるところとカメラがないところでは顔が違うものです。象徴的だったのは、1回目の首脳会談の時、安倍首相は、記者会見で「食事の席で習近平さんから『中国では、2回目に会った時はもう古い友人ですから』と言われたということを紹介しましたよね。中国ではそうなんです。したがって、習近平さんは2回目の首脳会談の時には、古い友人として安倍さんを遇しているはずなんです。現にそういう話が耳に入ってきます。習近平さんはそういうところでGOサインを出したということです。

 問題は、中国の社会はそう簡単に全体が「右向け右」にならないということです。やっぱり、社会の中では、「日本に対してそんなに甘い態度でいいのか」という声は結構強い。これは純粋にそう考えている人もいるし、思惑があってそういう姿勢を示している人もいる。やはり、川島さんが言われた反腐敗運動というのは、社会の中に亀裂をもたらすんですよ。だから、そういうのを一つにまとめながら、大きな混乱が起こらないように対日関係を調整していくという仕事を今、習近平さんはやっているんだと思います。

工藤:川島さん、報道などを見ると、5月に自民党の二階俊博総務会長率いる3000人の訪中団に対して、習近平さんが非常に笑顔で出迎えたり、7月には国家安全保障会議(NSC)の谷内正太郎局長が訪中したら李克強首相が会談に応じたりと、やはり現実的で具体的なアプローチが目に見える形で動いていますよね。確かに中国側は変わっているように見える。一方で、安保法制やガス田問題など緊張が高まるような議論もある。その中で、中国にとって、対日関係改善というのはもう路線として定まっているのでしょうか。

川島:私は中国側が改善路線に踏み出しているかもしれないけど、そうではない可能性も考慮し、そこは慎重に見ています。日本の問題が単独で存在しているのであれば、日本の問題だけを取り上げてもいいんですが、実際には経済問題、反腐敗問題、あるいは歴史にまつわるナショナリズムの問題など、色々な問題が複数絡み合いながら、対日関係が形成されていきます。ですから、確かに7月までは良い雰囲気だったけれど、何かの要因でいきなりガラッと変わる、ということもあるかもしれない。そういうわけで、ある程度改善には向かっているものの、そこまで大きく変わっているようには見えないですね。


日中の経済関係が改善していく芽は確かにある

工藤:伊藤さん、経済面で見ると、AIIBをめぐって、かなり日本と中国の間で考え方の違いがありますよね。日本は中国が、いろんな戦略的な「夢」を持って動いていると感じて、それに対してどう対抗するか、を考えている。そのような対立的なイメージが、経済面で出てきていた、とも感じていたのですが。

伊藤:AIIBを通して、中国が勢力を拡大するのではないか。それに伴って、本来は返済能力がない国に対しても大量な貸し出しが行われて、結果的として、アジア、ユーラシア圏の経済が悪化してしまうのではないか、という懸念が日本の中であったというのは確かだと思います。ただ、今は、直接入らないまでも、「じゃあ、どのように協力していくのか」ということを考える段階に入ってきている、という感じはします。

工藤:中国経済の現状はどうなっているのでしょうか。

伊藤:過剰投資、過剰債務に悩まされているので、バランスシートを調整していかなければならないのですが、それが解消するには少なく見ても2年、3年はかかるだろうという状況です。仮に、そのまま解消せずに放置すれば、成長率が6%よりも下になってしまう可能性がある。そうなりますと、雇用にも悪影響になってしまいますし、場合によっては金融不安につながる可能性もある、そういう状況ですので、政府は一生懸命金融政策を打ち、財政政策を打ち、また、海外からの資本導入も含めて積極的にやっていかなければならないという認識を持っていると思います。

工藤:日中の経済関係も落ち込んでいましたが、改善に向かうのでしょうか。

伊藤:日本企業の中で、中国に対する投資熱は弱っているという傾向は確かにあります。ただ、実際にアンケート調査を見ますと、欧米や、ASEANに対する投資に関心が高まっていることは確かではありますが、依然として中国が重要な事業展開先であるという認識は変わらず多いわけです。多くの日本企業が、中国国内でもう既にかなり大きなビジネスをしていますから、日中関係の安定化は重大な関心事であるわけです。従業員の安全確保にも関わってくる問題でもありますし、今後中国の市場で高齢化ビジネスであったり、環境ビジネスであったり色々日本ができることもある。中国が求めていることもある。そういうことを考えますと、日中関係が経済面で改善していく上での元手となるようなものはあると思います。


2012年から構造が変化した日中関係

工藤:宮本さん、日中両国は関係改善への意志を持っているのか、という点について、これまで中国側の動きを中心にお話を伺いましたが、では、日本側はどうなのでしょうか。

宮本:日本側には関係改善の意志はありますが、もちろん、無条件ではないということですね。ここで、我々が意識していかなければならないのは、2012年の前後から日中関係の基本的構図が変わっているということです。それを前提としないで、以前の発想のままで日中関係を見ると、「関係改善が進んでいないじゃないか」ということになるわけです。

 それはどういうことかというと、2010年頃までの日中関係は経済中心で進んでいたわけです。経済が上手くいっていれば他の問題は処理できた。しかし、とりわけ2012年以降、安全保障が日中関係の大きな柱になってしまった。こうなると将来も緊張含みの関係が続き、しかも、もう緊張が緩和されることはほぼないでしょう。そうすると、緊張含みの安全保障と、経済の二つが重なり合いながら日中関係が出てきますから、したがって2010年以前のような日中関係に戻るというのは、ほぼ実現不可能だと思いますね。

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