東アジアの安定と繁栄のために / 河合 正弘(アジア開発銀行研究所 所長)

2013年3月09日

河合正弘氏 河合 正弘(かわい・まさひろ)
1971年東京大学経済学部卒業。78年スタンフォード大学経済学博士。ブルッキングス研究所リサーチフェロー、ジョンズ・ホプキンス大学経済学部准教授、東京大学社会科学研究所教授を歴任。98~2001年世界銀行東アジア・大洋州地域チーフエコノミスト。01~03年財務省副財務官・同財務総合政策研究所長。05年アジア開発銀行総裁特別顧問。07年より現職。

1.はじめに

 東アジアを取り巻く安全保障環境はきわめて不安定化しつつある。中国は軍備拡張を背景に海洋進出を本格化させ、東シナ海や南シナ海での領有権問題で周辺諸国との間での緊張を高めている。とりわけ、中国は日本政府による尖閣国有化以降、周辺海域に公船を派遣するだけでなく、海軍の艦船による海上自衛隊の護衛艦への射撃用のレーザー照射を行うなど事態を緊迫化させている。中国は、南沙諸島や西沙諸島など南シナ海でも強硬な姿勢を示し、ベトナムやフィリピンとの間で緊張を高めている。

 日中間の対立が深まる中で、北朝鮮は長距離弾道ミサイルの発射成功に続き、第3回目の核実験を実施し、朝鮮半島のみならず、東アジア全体の平和と安全を脅かしつつある。北朝鮮の核兵器が米国本土を射程に入れただけでなく、韓国と日本は直接的な脅威にさらされており、韓国に向けた局地的な紛争から朝鮮半島有事という事態に発展する可能性もある状況だ。

 北朝鮮の核問題に有効に対処できず朝鮮半島有事という事態になれば、あるいは尖閣諸島をめぐって日中間の対立が偶発的な軍事衝突に発展することになれば、東アジアの平和と繁栄が脅かされよう。21世紀を「アジアの世紀」とするためには、こうした破局的な事態はなんとしても回避することが必要だ。

 本稿では、日本・中国が尖閣情勢をめぐる軍事紛争を引き起こさないこと、米国・韓国などと協調して北朝鮮の核・ミサイル問題に共同で対処することが、東アジアだけでなくアジア太平洋諸国の大きな利益につながることを述べる。そのために、必要な方策を、日中二国間の問題、東アジアにおける日本と中国、中国と世界の問題といった多面的な観点から考察する。


2.「アジアの世紀」か「アジアの破局」か

 アジア開発銀行(ADB)の委託報告書「Asia 2050--Realizing the Asian Century」(2011年) は、今後2050年までのアジアのシナリオとして、楽観、悲観の二つの異なったシナリオを分析した。楽観的なシナリオは「アジアの世紀」で、悲観的なシナリオは「中所得者の罠」と呼ばれるシナリオだ。

 「アジアの世紀」のシナリオでは、アジア諸国のダイナミックな成長パターンが今後も持続し、中国を含むいくつかの中所得国が2050年までには高所得国に移行するとされる。このシナリオで、アジアは、現在の欧米に匹敵する富裕国の地位を占めるようになり、2050年までに約30億人が新たに富裕層に加わり、生活水準も飛躍的に向上することから、アジアにとってベストなシナリオだといえる。

 逆に、「中所得国の罠」のシナリオのもとでは、中国をはじめとするこれまでのダイナミックな経済成長をはたしてきた諸国といえども、今後5年から10年で成長が鈍化して、地域全体の経済パフォーマンスはその潜在力ほどには改善しない。中所得国の状況から脱却できなくなるわけである。

 このように2つのシナリオの違いは大きい。「アジアの世紀」が実現できなかった場合、その経済・社会的な代償は高くつく。もし現在の新興アジア諸国が「中所得国の罠」に陥った場合、2050年に174兆ドルに達するはずのアジアのGDPは65兆ドルにとどまる(市場為替レート換算)。世界経済に占めるアジア経済のウェイトは52%ではなく、27%にとどまる(図1)。1人当りGDPについても、40,800ドルではなく、20,800ドルにとどまる(購買力平価)とされる。


図1.2050年に向けたアジアの二つのシナリオ

    A: 「アジアの世紀」のシナリオ B. 「中所得国の罠」のシナリオ

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注:データは市場為替レートによる予測。 資料:Centennial Group International projections, 2011.


 このことは、中国をはじめとする中所得国は、「中所得国の罠」から抜け出すために、いくつかの重要な課題にとりくまなくてはならないことを意味している。たとえば、①所得格差を是正し公正な所得分配をするための「包摂的な成長」、②エネルギーや資源の効率的な利用と環境問題への対処、③公務員の腐敗を抑制するための制度改革、④金融・経済危機に効果的に対処できるシステム構築、などがあげられる。

 しかし、東アジアにおいて深刻な紛争(朝鮮半島有事や日中の軍事衝突など)が起きることになると、アジアの成長は大きく損なわれ、「中所得国の罠」のシナリオでさえ実現できない可能性がある。こうした破局的なシナリオの効果を数量的に示すことは難しいものの、日中をはじめとするアジア諸国は、この「アジアの破局」の可能性を十分に認識し、あらゆる対価を払ってでも回避しなければならない。日本と中国は尖閣情勢でお互いに自制をきかした対応を行って平和的な解決を図るだけでなく、米国・韓国とも連携して朝鮮半島の平和的な統一を支持していくことで、「アジアの世紀」という金の卵を守っていく義務があるといえる。


3.東アジアにおける協調システムの構築

 中国の急速な経済成長は、東アジアだけでなく世界経済にとって望ましいプラスのインパクトをもっている。日本にとって中国は最大の貿易相手国であり、中国にとっても日本との貿易・投資関係は極めて重要で、日中対立は双方に何らのメリットももたらさない。

 ただ、中国の経済大国化が周辺諸国や欧米の間でもいくつかの懸念を生み出していることは確かである。尖閣情勢における日中対立は領有権に起因する対立だが、同じような対立は、将来的に様々なかたちで欧米諸国との間で起きるのではないかということだ。その背景には中国経済の規模が急速に欧米経済のそれに迫っているということ(図2)、そうした経済力を背景に中国は「法の支配」に基づく国際秩序でなく、「覇権主義」(覇権国が恩恵を与えることで周辺国を服従させる)に基づく秩序を構築しているのではないかという懸念が広がっていることだ。


図2:中国、日本、米国、欧州のGDP(PPPレート換算)

図2:中国、日本、米国、欧州のGDP(PPPレート換算)

 そうした観点から、望ましいことは、中国を「包囲」したり「封じ込める」のではなく、国際秩序に取り込んだ上で、国際協調的な行動を促していくことだろう。東アジアにおける地域協調的なシステムの構築はその一歩をなすものと考えられる。とりわけ、東アジア地域の2大国である日本と中国が、共通の地域協調的な枠組みをつくっていくのである。たとえば以下のような項目があげられる。

  • 環境・エネルギー・食糧協力の促進
  • 「日中韓経済連携協定」(CJKEPA)の締結から東アジア16か国の「包括的経済連携協定」(RCEP)の構築。将来的にはTPP入りも支援
  • チェンマイ・イニシャチブの強化やアジア債券市場の発展など地域金融協力の促進
  • 都市化・高齢化・格差問題などでの知見の交換、能力強化支援
  • 北朝鮮の非核化、その経済改革・対外開放の後押し

 こうした地域的な協調メカニズムをつくることにより、中国自身にも国内の様々な矛盾(公務員の腐敗・汚職、環境問題の悪化、所得格差の拡大など)を解決するよう促していくことができ、安定的な層の厚い中間層の形成にも寄与しよう。そのことが、国内の様々な矛盾に対する不満や批判のはけ口を、対外的な狭いナショナリズムというかたちで発散させるという行動を自制することにつながり、国内的にも「法の支配」の強化や安定的な政治体制への移行につながることになろう。そしてそのことが、国際協調なくして中国が国際社会と調和のとれた平和的な抬頭を図ることはありえない、という認識を高めることにもつながろう。
  

4.日本は何をすべきか

 日本がなすべきことは、まずもって経済再生を果たして足腰の強い国づくりに励むとともに、多面的なアプローチで中国との関係修復を図ることだ。

 第一に、日中間で様々な経済協力を進めて共通の利益を高め、尖閣諸島の領有権問題の重要性を相対化させることが重要だ。幸いにして、中国は日中韓の経済連携協定(CJK EPA)の交渉開始や金融協力(日中間での国債の相互保有など)については窓口を閉ざしていない。CJK EPAは東アジア経済連携協定(RCEP)につながる協定であり、極めて重要だ。また、環境問題については、微小粒子状物質(PM2.5)など大気汚染の深刻化が進んでおり、この面で日本が過去の公害対策を経て得た環境技術や知見を中国の汚染対策に生かすことができる。また、所得分配の格差についても、高度成長期の日本で、都市化が進み、中小企業が発展した中で、社会保障制度がつくられたこともあり所得分配が悪化しなかった点から、各種の有用な知見を提供することができよう。

 第二に、尖閣諸島(や韓国との間では竹島)をめぐる情勢の背景として、日中間での歴史認識の違いがあることから、日本は従来の歴史問題の認識で後もどりせず、真摯なかたちで取り組み、もって中国(や韓国)と未来志向的な関係を築くことが必要だ。とりわけ日本は「村山談話」を踏襲することを明らかにし、かつ首相や閣僚による靖国神社参拝、「河野談話」の見直し、尖閣諸島への公務員常駐などは避けるべきだ。「村山談話」は1995年に当時の村山富市首相が、日本の植民地支配と侵略への反省とおわびを述べたもので、2005年には小泉純一郎首相(当時)も踏襲している。「河野談話」は、1993年に河野洋平官房長官(当時)が、従軍慰安婦問題について、慰安所設置や管理、慰安婦の移送への軍の関与を認め、おわびと反省の気持ちを表明したものだ。従軍慰安婦問題は、最後かつ最大の歴史問題だといわれるが、日本側がこれまで謝罪をしたり、基金をつくったりしてきた経緯について、真意を理解してもらう努力を払うべきだ。

 第三に、北朝鮮による核・弾道ミサイル開発や、中国の海洋(尖閣諸島・南シナ海など)での行動に対しては、バランスのとれた安全保障体制を確立させていく必要がある。そのためには、「日米同盟の強化」、「中国との互恵関係の重視」、「アジア諸国との連携」の三つを中心に考えることが現実的だ。「日米同盟の強化」として重要な論点の一つは、集団的自衛権の行使の容認だ。平和憲法と整合的なかたちで米国との同盟関係を強化していく道を模索すべきだろう。日本は政治と軍事では米国と連携し、経済では中国と互恵関係を深めるという複数の軸足をもつことを確認する必要がある。韓国や大半のASEAN諸国も日本が中国を「包囲」して「封じ込める」という発想には賛同しないからだ。日本がASEAN、インド、オーストラリアなどの諸国と政治的・経済的な連携を深めることで、中国との間で建設的な互恵関係を構築することにもつながろう。


5.結論

 尖閣情勢の悪化により日中間の緊張が高まっており、中国海軍による海上自衛隊の護衛艦への火器管制レーザー照射など不測の事態が起こりかねない情勢だ。尖閣情勢の悪化は、世界経済における中国の抬頭、日本の相対的な後退という構造的な変化を反映し、将来的にはアジアをめぐる中国と米国との衝突の可能性をはらむ問題だが、日中両国は問題をこれ以上悪化させずに緊張関係を相対化させていくことが望ましい。

 北朝鮮の核・弾道ミサイルの開発は、いまや日本・韓国の安全保障を脅かしており、日本と中国は米国・日本・韓国・ロシアなどと連携して、東アジアの平和と安定を維持していくことがますます必要になっている。「アジアの破局」でなく「アジアの世紀」の実現がすべての関係諸国にとって最大の利益をもたらすという確固たる認識をもつべきだろう。

 東アジアの安定と繁栄のためには、日中韓をはじめとするアジアの政治指導者が、短期的な視点から狭い国益やナショナリズムを追求するのではなく、長期的な洞察力と先見性をもって戦略と政策をたてていく必要がある。また、日中韓の間における相互信頼関係を高めるためにも、環境・エネルギー・経済・金融など様々な地域協力を促進して、地域のダイナミックな経済成長を持続させ、かつ現実的な利益を作り出していくことが望ましい。そのことで、尖閣情勢などをめぐる緊張関係を相対化させることができる。将来的に北朝鮮を東アジアのダイナミズムのなかにどのように取り込んでいくべきかという地域的な構想も意味がある。

 その一方で、日本が歴史問題について真摯に向き合い、村山談話や河野談話を後退させず、責任ある認識を持ち続けることが欠かせない。中国には、国内の様々の諸課題(公務員の腐敗撲滅、環境改善、所得格差の是正)に取り組んで、分厚く安定的な中間層を生み出し、それを基盤に「法の支配」に基づく透明性と説明責任の高い社会・政治体制をつくりだしていくことが望まれる。そうした改革を支援するとともに、中国が世界の中で「国際的なルールを遵守する」責任ある大国へと成長していく方向を促していくことが欠かせない。

工河合正弘氏 河合 正弘(かわい・まさひろ)
1971年東京大学経済学部卒業。78年スタンフォード大学経済学博士。ブルッキングス研究所リサーチフェロー、ジョンズ・ホプキンス大学経済学部准教授、東京大学社会科学研究所教授を歴任。98~2001年世界銀行東アジア・大洋州地域チーフエコノミスト。01~03年財務省副財務官・同財務総合政策研究所長。05年アジア開発銀行総裁特別顧問。07年より現職。