【座談会】アジアに門戸を開放せよ ─中国人が見た日本―

2003年4月30日

yim_030423.jpg厳浩 (イーピーエス株式会社代表取締役社長)
Yan Hao

1962年、中国江蘇省出身。79年天津大学入学、81年中国教育部(文部省)派遣留学生として、コンピュータ科学を学ぶために山梨大学に留学。同大卒業後、東京大学大学院で医学統計を専攻し、臨床試験に関わる研究・実務に従事する。91年に臨床試験受託のイーピーエス株式会社を設立、代表取締役社長、現在に至る。2001年、ジャスダックに株式上場。

di_l030423.jpg劉迪 (早稲田大学国際地域経済研究所客員講師)
Liu Di

1959年中国ハルビン市生まれ。黒龍江大学文学学士、中国社会科学院大学院文学修士課程、早稲田大学大学院法学博士課程修了、法学博士号取得。1988 年人民日報社国際部編集者・記者、1991年早稲田大学外国人研究員、香港『大公報』駐日本特約記者、1992年慶応大学文学部訪問講師。2000年早稲田大学現代中国文化研究所研究員。2003年より現職。著書に『現代西方新聞法制』がある。

zhou_030423.jpg周牧之 (東京経済大学経済学部助教授)
Muzhi, Zhou

1963年中国湖南省長沙市生まれ。中国湖南大学工学学士、東京経済大学大学院経済学研究科博士課程修了、経済学博士号取得。85年中華人民共和国機械工業部(省)入省、91~94年(財)日本開発構想研究所研究員、95~2002年(財)国際開発センター研究員、主任研究員を経て2002年より現職。主な著書に『メカトロニクス革命と新国際分業─現代世界経済におけるアジア工業化』『都市化:中国近代化の主旋律』等。

概要

日本経済の長期にわたる停滞とは対照的に、中国の台頭が著しい。中国から留学生として日本に来て、その後も日本で活躍している厳浩、周牧之、日本に留学中の劉迪の3氏に、日中関係の変化や日本が進むべき道について議論してもらった。3氏は、中国をはじめアジア諸国の経済発展でかつての日本の輝きは失われたものの、アジアとの関係を深めることで活力を取り戻すことは可能だと指摘する。

要約

日本経済が低迷を続ける一方で、中国の経済成長が著しい。中国から留学生として日本に来て、その後も日本で活躍している厳浩(イーピーエス社長)、周牧之(東京経済大学助教授)、劉迪(早稲田大学客員講師)の3氏が、日中関係の変遷や日本が進むべき道について話し合った。

中国の近代化は日本との関係を抜きにしては語れない。周氏は1970年代後半から宝山製鉄所をはじめ「日本に学べ」という形で近代化プロジェクトが始動したと振り返る。ところが、日本はプラントは輸出しても技術移転はしないという方針だったため、中国は次第に欧米との関係を強化。特に日本のバブル崩壊後は「通産行政の神話を含め、日本モデルの輝きは失われた」と指摘する。劉氏も「生産性の高さはごく一部の企業に限られ、行政も非効率なやり方をしている」と留学前の日本のイメージは一変したと語る。

とはいえ、厳氏は「中国は日本を無視しているわけではない」とし、周氏も「資本や個人、情報の交流は進展している」との認識を示す。こうした民間の交流を阻害する要因になっているのが、いわゆる歴史問題などをめぐる両国の外交関係だという。劉氏は「考え方、イデオロギーが変わっていない」と日本を批判する。また厳氏は、日本人には昔からアジアに対する一種の優越意識があるとし、この意識を変えていく必要があると強調する。

日本が今後、目指すべき方向については、アジアから資本や人材を積極的に受け入れるなど、アジアとの付き合いを深めることが重要との意見で一致した。そのためには制度と意識の両面で門戸を開く必要があり、厳氏は「例えばビザや留学生に関する日本の制度や意識は閉鎖的だ」と具体的に注文をつけた。停滞しているとはいえ、豊かな金融資産など日本経済の実力はまだ高い水準にある。それを生かす上でも、「世界から芸術家など優れた人々をもっと受け入れて、文化的に豊かな社会を築くべき」(劉氏)といった提案があった。


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日本経済の長期にわたる停滞とは対照的に、中国の台頭が著しい。中国から留学生として日本に来て、その後も日本で活躍している厳浩、周牧之、日本に留学中の劉迪の3氏に、日中関係の変化や日本が進むべき道について議論してもらった。