【レポート】「みずほ」のシステム障害問題の考察

2002年6月12日

言論NPOコーポレートガバナンス会議

大規模なシステムトラブルの発生とその内容

この4月の「みずほ」を冠した2つの兄弟銀行のスタートは、類をみない大規模なシステムトラブルを引き起こし、顧客の信頼を裏切る結果となった。「とても銀行と呼ぶに値しない混乱」(現職の行員やOB)が 起こり、事後処理も惨澹たる有り様であった。

なぜこのような事態を招いてしまったのか。言論NPOは、「みずほ」の混乱は日本の企業経営のコーポレートガバナンス(企業統治)の在り方をめぐる議論を深める貴重な題材と考え、みずほのトラブルの原因については現段階では「みずほ」側から公式の説明はない。これは5月8日から 始まった金融庁・日銀の検査の結果を待つことになるが、経営のガバナンスという問題の核心についてはおそらく十分な説明は期待できないであろう。私たちがこのリポートを公表するのは 「みずほ」の再生だけではなく、日本企業の経営改革を進めるためにも、その問題点をさまざまな 角度から検討し、教訓を引き出す必要があると考えたのである。

みずほ銀行のシステム障害

まず、みずほ銀行におけるシステム障害の内容を整理しておこう。
オンライン(ATM)障害
旧富士銀のATMで旧富士銀以外のキャッシュカードが使用不能
旧富士銀以外のATMで旧富士銀のキャッシュカードが使用不能
ATM取引で現金が払い出しされないのに預金残高が減少イーネット(コンビニ)のATMの取り扱い停止
バッチ処理障害
口座振替処理の大量、大幅遅延(ピーク250万件)
口座振替処理に絡み二重引き落としや二重送金が発生

上記のうち、オンライン障害は、4月1日は終日にわたって、また4月8日にも一時的に発生。口座振替の遅延は4月上旬中混乱が続いた。特に、公共料金の振替で収納先へのデータ還元が大量かつ大幅に遅延、電力会社等の料金収納事務の混乱を引き起こした。 これらのシステムトラブルは、新聞等で報道されたように、みずほ銀行における コンピューターシステムの障害や事務処理のトラブルであった。しかし、口座振替などの 決済システムについては、みずほコーポレート銀行もみずほ銀行のシステムに依存する 仕組みになっていることから両行の顧客に大きな影響を与えた。

みずほコーポレート銀行におけるトラブル

みずほ銀行のシステム障害に加えて、みずほコーポレート銀行においてもさまざまなトラブルに見舞われた。具体的には、上記の口座振替の大量遅延、振替ミス等の、 みずほ銀行のシステム障害に伴うトラブルの他に、
小切手や手形の取立等にかかわるミス。
決済系を中心とする従来のサービスの中断。
残高照合の遅延。
外為取引等の遅延、ミス、取引制限。

などである。

みずほ銀行のシステム障害は応急対応で一応、解消されつつあるが、みずほコーポレート 銀行の問題については企業の銀行取り引きの利便性が長期間にわたって損なわれる可能性が 高く、こちらの方が問題の根はむしろ深いかもしれない。

システム障害の原因と背景
システム障害の直接的原因
こうしたトラブルの原因についてはさまざまな報道があるが、私たちはまず報道で指摘された内容を3行の行員などの証言をもとに検証し、さらに可能な限りそうした混乱を招いた経営の 実態に迫ろうと考えた。

みずほ銀行

まず、みずほ銀行のシステム障害について、直接的原因は、(1)コンピューターシステムの欠陥(2)大量集中事務処理の混乱と(3)事後処理の不手際 が重なったことであることは間違いない。 最大の問題である(1)については、具体的にどの部分に問題があったかは分からないが、 旧一勧(DKB)、富士両行の勘定系システムを繋ぐシステムに設計ミスがいくつかあったことによる ものとみられている。システム障害に拍車をかけたのが (2)であったが、これは、現場 行員が新しい事務処理のやり方に不慣れだったことが主因であろう。(3)についても、組織が変わって、管理部門の状況把握能力が低下し的確な指示が 迅速に出せなかったことによるところが大きい。

みずほコーポレート銀行

みずほコーポレート銀行は旧興銀(IBJ)のコンピューターシステムを採用したが、同行のシステムは 処理能力の関係で、都市銀行が取り扱っていた決済取引などの大量の銀行取引をさばくには不向きで あった。この点は、実務部隊ではかなり早い段階から分かっていたが、現場の声は経営陣まで 届かなかったか、あるいは届いても無視された可能性がある。いずれにせよ、システムの容量不足から、 外為等の取引持込を制限したり、従来DKBや富士で取り扱っていたサービスが提供できなくなったり、 新しい商品やサービスの開発がストップするという事態に追い込まれている。
また、みずほ銀行同様、内部事務が混乱したが、これは、(1)みずほコーポレート銀行の顧客が口座振替などではみずほ銀行のシステムを利用する仕組みになっていたため同行のシステム障害の影響を被ったこと (2)旧DKB、富士両行の行員を中心に新しいシステムおよびその事務手続きに不慣れだったなどのためである。

システム構築や事務処理体制整備に関わる経営管理上の問題

以上みてきたように、「みずほ」のスタートに際しての業務の混乱は、コンピューターシステムや 事務処理体制の不備に起因するものであった。ただ、問題はシステムの現場、あるいは事務処理の現場の 不手際だけではない。背後に、経営の問題があるはずである。
そこで、今回のシステム障害問題を「みずほ」の経営という観点から以下の3点について改めて点検してみよう。(1)事前準備は万全であったか (2)経営陣は準備の進捗状況を把握していたのか (3)不測の事態に備えたコンティンジェンシープラン(危機管理対策)は用意されていたのか、の3点である。

事前準備の状況

事前準備については、万全とは程遠く、極めて不十分なまま見切り発車した可能性が高い。 第1に、そもそもシステムが完成された状態になっていなかったのではないかという点である。 統合目前のこの3月になっても、システムの都合で一部の取引ができなくなったとか、口座振替のデータの持ち込み方法の変更を顧客に急遽依頼する、といったことが頻繁にあったためで、 複数の行員は「こんなことで統合ができるのかと思った」と証言している。
第2に、システム統合に不可欠の事前テストであるが、これも実施はしたが、十分な負荷を かけた入念なテストではなかったようだ。現場では、準備の状況や事前テストの結果からみて このままでは危ないという指摘もなされていたという。これについては、大手コンピューター会社の関係者も「意味のある負荷テストは全く実施できなかった」と証言している。
第3に、これだけの膨大なシステムを正常に動かしつつ、銀行業務を的確にこなすには、 窓口業務から事務処理、システム稼動に至る広範な業務に携わる従業員に対する教育・訓練も 欠かせないが、これも不十分であった。多くの職員は新しい銀行の組織や店舗網、事務マニュアル等に慣れておらず、システムが作動する、しない以前の人為的ミスも多かった。例えば600箇所に及ぶ 支店の名前やコード番号、組織・部署名業務用語、事務手続き、端末のオペレーションの仕方等々が一気に変わった。また、統合に伴い、取引先の集約が行われたため、営業担当者も不慣れな取引に 忙殺された。さらに、組織が大きく変わるとともに、人の入れ替えも多数にのぼったため、トラブル等の照会に相当手間取ることとなった。こうした状況の中でシステム障害が発生、現場の行員は文字通り 不眠不休で業務の正常化に取り組んだということである。業務の現場の大混乱はこのことを物語って いる。

経営陣の準備状況の把握

次に、経営陣の準備状況の把握であるが、これも不正確であり、事前準備の進捗状況を刻一刻把握し、問題があればシステム統合の延期も検討するといった緊張感のある対応はなかった模様である。 コンピューターシステムや事務処理体制の準備不足は、多くの行員が事前に懸念していたところであった。これが経営陣に伝わったか、伝わっても一部の経営陣に限られた可能性があり、経営全体として重要な 情報として認識されなかった。いずれにせよ、統合計画の見直しには繋がらなかった。

さまざまなシステムテストが統合に向けて行われたが、その結果は現場の声にもかかわらず、大混乱の3月末までは経営側に「順調に進んでいる」という報告がなされていたという証言もある。 事実とすれば、混乱の可能性を指摘していた現場レベルの認識とは明らかに食い違っていたことになる。

また1月のUFJの統合の際に発生したシステムトラブルについて、一部の顧客から同様の問題がみずほの 統合でも起こりえるのではないかという強い懸念が寄せられ、一部の企業からは独自のテストを行うように 依頼があった。こうした状況について、現場からは「対応に自信がもてない」という報告があげられたが、これが経営トップにまで伝わった形跡はない。

この点については経営者側の詳しい説明が必要だが、少なくとも私たちのヒアリングの結果からは、経営側が現場の認識からかなり乖離している状況が浮き彫りになっている。そもそも「みずほ」の 経営陣は、今日の銀行におけるコンピューターシステムの重要性を十分認識していなかった可能性が大きい。統合時にどのようなシステムにするか、最終的に決定するのが遅れ、それが完璧なシステムを 構築する上で最大のネックになったわけである。

システム構築の遅れは、事務処理手続きの制定の遅延、さらに、それに基づいた行員研修にしわ寄せが来るといった悪循環をつくりだした。経営陣がコンピューターシステムの重要性を十分認識していれば、 こうした無理な事前準備は避けられたであろう。

コンティンジェンシープランの有無

さらに、コンティンジェンシープランについては、少なくとも適切にワークするもの、あるいは、今回のような事態を想定したものはなかったと言えよう。システム障害の事後処理にあたって、 対応方針の遅れや迷走が混乱に拍車をかける結果となったのはその証左である。(1)4月1日の混乱のあと、ATM障害の程度や原因が究明されていない中で早々と復旧宣言を出してしまったこと(2)行内の 対策本部の設置が障害発生4日後にずれ込んだこと等である。

経営陣の情報システムに対する理解不足

以上でみたように、「みずほ」のスタートに際して業務の混乱を引き起こしたコンピューターシステムや事務処理体制の不備は、事前準備が不十分だったにもかかわらず、そのリスクを十分認識せず 組織統合を見切り発車したことによるものということができるだろう。
このことは、「みずほ」の経営陣が、現代の銀行業務におけるコンピューターシステムの重要性を十分理解していなかったということを示唆している。情報通信技術の発展に伴い、銀行業務は、隅々まで コンピューターシステムによって支えられていると言っても過言ではない。さらに、銀行のコンピューターシステムは、企業のコンピューターシステムに接続し、企業の財務・経理にとって情報処理機能の一翼を 担うなど、基礎的な経済インフラとなっており、その機能不全は、経済活動に重大な影響を与える。
こうした状況を正しく認識していれば、銀行経営者は、コンピューターシステムと事務処理体制について完璧を期すべく、入念な準備を何にもまして優先し、それに関するリスク管理も徹底したはずである。 さらに言えば、優れたシステムの活用は銀行の商品・サービスの競争力向上に直結するものでもある。
「みずほ」の経営陣は、システム投資の強化をこの統合の主目的の1つに挙げたが、システムの重要性について本質的なところで理解が足りなかったと言えよう。このことが、統合時にどのようなシステムに するか、最終的に決定するのが大きく遅れた原因であるといえる。換言すれば、決済システムという銀行の重要な機能が麻痺するという前代未聞の事態を招いたのは、システム構築に十分な時間がかけられず、 結果として不完全なシステムで見切り発車をしてしまったからである。

ビジネスモデル上の問題

さらに、行員へのヒアリングで明らかになったのは、今回のシステム障害は、「みずほ」のビジネスモデルに起因する問題が大きな影響を与えているのではないかということである。
「みずほ」のビジネスモデルとは、持ち株会社の傘下に中堅・中小企業および個人を顧客とする「みずほ銀行」と大企業を顧客とする「みずほコーポレート銀行」の2つの銀行をつくるというもので あるが、この構想を検討するにあたっては、それぞれの行内では2つの銀行をつくることへの疑問やそのシステム構築の難しさを指摘する声がかなりあったという。

銀行を2つに分割することについては、そのプロセスがきわめて煩雑になる上、システム面の準備にも非常に大きな負荷がかかるという問題が指摘されていた。顧客から見ても本当に利便性が高まることに なるのかということも懸念された。そこで、銀行を1つにまとめ、コンピューターシステムも一本化するという案も一部にあったが、単純に3行を合併すると規模が巨大になり過ぎ、経営のコントロールが 困難になるということなどから、統合準備の場で議題にのぼるには至らなかったということである。

ビジネスモデル自体の問題はさておくとしても、2つの銀行をつくる際、このビジネスモデルにふさわしいコンピューターシステムはどういうものなのかという観点からの議論が極めて不十分なまま、 システムの選択はどの銀行のものをベースにするかという次元の議論に傾斜していった。さまざまなコンサルからこの点について提案もあったが、「システム戦略などは求めていない」などの発言も経営陣に あったという。結局、3行の中でどの銀行を主軸に据えるのか、またはそれぞれのコンピューターシステムの背後にあるメーカーを巻き込んで(あるいは巻き込まれて)不毛の議論を延々と続けることになってしまった ということである。

「みずほ」の経営をめぐる根本的問題

以上みてきたように、今回の問題は単なるシステムの問題ではなく、まさに「みずほ」の経営の在り方が 問われるべき問題であろう。そこには、これから指摘するように企業統合に伴う宿命的な問題、一言で言えば、 対等な統合において経営のリーダーシップやガバナンスをどのように確立するか、という問題が重く 横たわっている。

「みずほ」の組織統合の経緯

そこでまず、「みずほ」の経営体制がどのように出来上がったか、簡単に振り返ってみよう。

3行の統合構想が出されたのは、97~98年の金融危機を発端に大手銀行といえども効率化、経営統合の 波から逃れられないとの認識が広がったことであったと思う。こうした中で99年8月に3行の統合が 発表され、一時は市場からも評価され、3行の株価も上昇した。

しかし、ここで問題はどのようにして歴史のある巨大な3つの銀行を統合するかであった。

単純な合併は、ポスト等をめぐって果てしない三つ巴の争いを引き起こす可能性が高く、いかにして対等の関係を保持するかがポイントであった。その解が、持ち株会社を設立し、その傘下に2つの銀行を つくるというアイデアである。3つの銀行を2つの銀行に再編するという案は、(1)DKB、富士の2つの都市銀行とIBJという長期信用銀行の顧客特性や機能に応じた再編ができること(2)会社分割法制が 成立間近となっており、効率的な再編が可能と考えられたこと(3)持ち株会社とあわせれば3つのトップポストができることなどの点で、受け入れやすく、3行のトップが結果的にこの方法を採用する ことになったものと思われる。

こうして2000年秋に持ち株会社、みずほホールディングス(HD)が設立され、3行統合の第一歩が 踏み出された。さらに1年半かけてフェーズII、すなわち、3つの銀行を機能別に2つの銀行に再編する という構想に向けて準備が進められ、この4月を迎えたわけである。

当初の統合発表からは2年半余り、他の4大金融グループと比べると十分すぎるくらいの時間があったにもかかわらず(会社分割法制の採用という点を割り引いても)、「みずほ」の統合は 最悪の事態を引き起こしてしまったのは何故か。次にこの点について論じたい。

企業統合特有の弊害

「対等」な統合の弊害-ガバナンスの欠如

まず第1は、「みずほ」は3行対等の立場で企業統合を目指したが、それに伴い、経営体制・組織・人事等について3行間の綿密なバランスがとることが最優先された結果、権限と責任が分散し、ガバナンスが弱まる という欠陥が現れたことである。

具体的にみると、経営体制としては、持ち株会社(HD)が頂点に立ち、傘下の会社に対して株主としてガバナンスを効かせるという姿が想定されるところだったが、実際は、HDにガバナンスを期待できない 状況ができあがっていった。すなわち、フェーズI(2000年9月末のHD設立から2002年3月末まで)においては、HDのもとにDKB,富士,IBJの3つの銀行がぶら下がり、それぞれの頭取がHDのCEOを兼務する という体制がとられた。副社長以下のその他の経営陣も3行から同数ずつ出され(副社長はHD専任の3名と傘下銀行の副頭取兼務者3名)、組織のスタッフも各行イーブンとされた。

このような体制では、よほど明確な理念・目標を掲げ、相互のコミュニケーションをスムーズにしないと、合理的で迅速な意思決定はできない。「対等」を重視すること自体は必ずしも否定する ものではないが、その場合は、ガバナンスの確立を意識した仕組みを作り込んでおかねばなるまい。ところが、「みずほ」は、3行の間で突出した主導権をもつ銀行がなく、3行はあくまで対等とされた。 そうしなければこの統合はそもそも成立しなかったといえるだろう。そういう状況の中で、コーポレートガバナンスをいかに確保するかは、当時の経営トップも十分認識していたはずである。「たすきがけ はやらない」(杉田HD前社長)との言明はその表れであろうが、実際には3行バランス人事に落ち着かざるをえなかった。そのあたりの問題を意識してか、持ち株会社制、会社分割法制を利用した 機能別法的分社経営、社外取締役制の導入など、経営体制の革新に取り組んだ形跡があるが、ガバナンスの確立という観点からみて少なくとも現時点ではみるべき成果はない。

組織体制上の問題

「みずほ」にはこうした仕組みがなかった上、組織的にはむしろガバナンスを弱体化させる方向に傾いていく。これは、統合前(フェーズI)だけでなく、統合後(フェーズII)の現在まで続いている。
まず、フェーズIIにおいては、先にみたように、HDのもとに、DKB、富士、IBJの3つの銀行がぶら下がり、それぞれの頭取がHDのCEOを兼務するという体制がとられた。そして各行イーブンの経営陣、スタッフが 配置されたが、傘下の3銀行の既存スタッフは基本的にそのまま残されたため、その影響力がきわめて強く、HDのスタッフとの調整が非常に困難な状況が続いた。傘下の個々の銀行はそれまでとほとんど変わることなく 営業を続けていたから、HDからくる指示は統合のための準備とはいえ、違和感のあるもの、鬱陶しいもの、あるいは自行の利益を損なうものと受け止められたようである。このようにHDと傘下の個々の銀行は コミュニケーションをよくして協力していこうというインセンティブに乏しい状況に置かれていったわけである。
HDはこうして現場からの情報があがりにくくなる宿命を負ってしまった。となると、ますます現場から遊離した指示を出すという悪循環に陥る。傘下銀行の方は、HDを信頼できないとして、勝手に 振る舞うことが増えていく。しかも3行が同じベクトルをもっていたのならまだしも、それぞれがそれまでの個別の論理で動くという傾向があったから始末が悪いわけである。

フェーズIIにおいても事態はあまり変わらない。引き続き、旧3行のバランスが最優先されている。HD、BK、CBの3つを使ってバランス人事が行われているのが実態である。

なお、今回のシステム障害を機に、みずほ銀行では、支店長等について旧富士銀行出身者を旧DKBの支店に任命するなど、人事交流を積極的に行うことを支店長会議で明らかにしたとのことである。

3行の利害争いの激化

合併組織内における出身母体間の利害争いは、一旦始まると手がつけられなくなることが多い。これは個々の人間が出身母体およびその企業文化・人脈に郷愁を覚える傾向が強く、それがそもそも 異文化を排除しようという動きを誘発しやすい上、少しでもそのような動きがみえると相互の信頼関係が損なわれ、相互不信を助長しやすくなるからである。また、銀行は、中央官庁と同様、事実上の定年が 早い(50歳前後)ため、定年後のポストの確保は定年間近の行員にとって重大な関心事であり、これをめぐる権益確保はしばしば合併後の組織内対立の主因となる。
今回のみずほ内部の利害争いもフェーズIに入り、統合作業の具体化が進むに連れ激化した。HDという統合の要の枢要ポジションにある人たちがそうした争いに巻き込まれてしまった。
この原因としては、(1)それぞれが100年を越す歴史を持つ銀行の統合であり、もともと 利害対立の排除が大変にもかかわらず、その仕組みが工夫されなかったこと(2)それぞれの歴史を 乗り越え新しい銀行をつくらなければならないという高い志が欠如していた、ないしは浸透させられなかったこと(3)統合作業を進めるHDに権力の集中が十分に行われず、傘下の銀行に 権力基盤が基本的に温存されたため、HDへ行った人たちは、それぞれの出身銀行の方をみて動かざるをえなかったこと、さらに、(4)統合に伴う合理化により、銀行自体はもとより関連会社を含めてポストの 大幅削減が必至となることから、雇用・人事へのプレッシャーが高まり、旧3行内で権益確保の動きが必然的に強まったこと、などが挙げられよう。行員の証言によれば、人事面で適材適所よりバランスが 優先される事例が目立つという。

マネジメント不在

以上のような合併銀行特有の弊害が統合準備を進める過程で次第に表面化し、ついには、経営トップもこれをコントロールできなくなってしまったばかりか、自らも激化する利害対立の渦中に巻き込まれていった。 コンピューターシステムの決定過程はまさにその縮図であった。
例えば、統合発表後、統合後のコンピューターシステムの採用方針を検討するに当たって、3行のシステムの比較調査を経営コンサルティング会社に依頼した。専門家や実務者は富士のシステムがもっとも進んでいる という結果がでるとみていたが、調査報告書はDKB、富士両行のシステムに明白な優劣はつけがたいという報告になり、一旦、DKBのシステムを採用することで決着をみたということである。 しかし、富士は この結果に収まらず巻き返しを画策、2001年秋にシステム統合をめぐる混乱が表面化、結局、3行のシステムを とりあえず残し、リレーコンピューターでつなぐ方式に改められた。
その結果、経営のリーダーシップは弱まり、何事も決まらず、先送りが常態化することになった。まさにマネジメント不在(同時に責任も不在)の状態であった。
この状態は、この4月の統合後も解消していない。システム障害の事後処理、たとえば、4月9日の衆議院財務金融委員会での参考人招致で前田MHHD社長が「利用者に直接実害が出ていない」と発言、大いに ひんしゅくを買う結果となったことなどをみればよく分かる。このようなマネジメントの状況に対し、行内では、全体にモラルの低下を心配する声も聞かれる。マネジメントはそれぞれに責任をなすりつけ あっており、危機感が乏しいという。行員もそれをみて、無力感に襲われるという。営業の現場では、システム障害に伴う顧客からの苦情に追われ、連日の深夜までの残業や休日出勤が続く。その一方で、 業績の悪化が予想され、さらなるリストラで先の見えない日々を送っている。

社内コミュニケーションの悪化

利害対立の激化、マネジメント機能の低下に伴い、社内のコミュニケーションの悪化も進んだ。一つ一つの問題をトップから現場まで共有して前向きの議論をしようという雰囲気が乏しくなっていった。 例えば、あるみずほコーポレート銀行の幹部は、「会社分割によるみずほ銀行とみずほコーポレート銀行への再編については、顧客利便等から考えて問題が多いのではないかという議論がかなり早い段階から 現場レベルではあったが、これを真剣に議論することはタブーとされた」と証言している。また、コンピューターシステムについても、現場からはさまざまな声があがったが、それらを真剣に検討した という話も聞かないと言う。何か問題にすると、「3行間の微妙な調整」という言葉で遮られるということがしばしばあったと聞く。現場と本部、あるいは経営陣とのコミュニケーション・ギャップは 広がる一方であったようだ。

経営陣をチェックする仕組みの欠如

このように経営に大きな問題がありながら、それを有効にチェックする仕組みがない。これは、何も「みずほ」に限ったことではないが、だとしても3行の統合、持ち株会社による管理という新しい状況の なかで、経営者を選抜する仕組みの確立は不可欠ではなかったか。現実には、3行およびそのグループ企業も含めて(場合によっては外部を含めて)どのように経営陣を選んでいくか、ルールはなかったに等しい。 とくに、統合という重要な仕事を遂行するHDの経営陣の選抜は、傘下の3行それぞれの内部で行われたが、統合を高い理念をもって進める力量をもった人を選ぶという視点が最優先されたかどうか。また、HDは 上場会社であったが、トップ経営者をチェックする仕組みは、持ち株会社制度自体の不完全さも加わり、不十分だったのではないか。
このトップ経営者に対するチェック機能こそ、コーポレートガバナンスの中核ではあるが、こうした事態を招いた背景を振り返ってみると、その役割を担うべき取締役会が十分に役割を果たしていなかった ということが言えるだろう。経営陣の中にも新会社設立を軸に新しいガバナンス体制に構築するべきとの声があったが、設立の発表が行なわれ、新会社の株主総会が行なわれても、旧3行の経営トップが 実質的な経営の実験を握っていた。
また、「みずほ」の取締役には社外取締役も含まれているが、社外取締役、さらには社外監査役も本来の役割をきちんと果たしていたとは言い難い。当時の経営陣が社外取締役に期待したのは チェック機能より、「立派な社外取締役がいるという事実」、あるいは「大所高所からのアドバイス」であったのであろう。ただしこれは「みずほ」に限った話ではなく、多くの日本企業が抱える根の深い 問題である。

解決策の模索

ヒアリングで私たちの印象に残ったのは、こうした「みずほ」の改革を現在の経営者の手で行なうことに限界を感じている人が少なくないことだ。この際、外部の経営者を招き、抜本的な手を打たなければ 「みずほ」は生まれ変われない、という声もあった。以下、こうしたヒアリングの結果を受けて、解決のための問題提起を試みたい。

みずほ問題の第一は、すでに指摘したように、ガバナンスの欠如である。旧3行間の利害対立を克服し、思い切った改革を成し遂げることのできる経営のリーダーシップを確立することが不可欠である。「みずほ」 の内部からこうした動きがでてくることが本来望ましい。しかし、これは、現在の内部の状況からして至難の業といわざるを得ない。すなわち、優れた経営陣を選抜するルールが内部になく、旧3行それぞれの 内部で人事が行われる状況では、現在の首脳陣を更迭しても、変わりに似たような経営陣ができる可能性が大きい。

組織の見直しが再生には不可欠である。例えば、みずほ銀行とみずほコーポレート銀行という2つの銀行を併存させておく必要は顧客利便という見地からみるとほとんどないばかりか、かえって弊害が多すぎるという 指摘もある。今の首脳陣は、旧3行基本的利害すなわち現状の固定化しか念頭になく、人事も3の倍数で員数あわせを考えるだけである。必要なのは、この大金融グループの効率的経営のために必要な組織、 経営体制を旧3行のしがらみを断ち切って考えることのできる体制、経営陣をつくりあげることであろう。

それには、これまでの経緯からみて、一時的にせよ外部の有能な経営者に委ねるというのも選択肢に入れて考える必要があるのではないか。また、内部の有能な人材を活用するにしても、経営者を選抜し、 評価し、必要なら更迭するという厳正なガバナンス体制が構築されなければならない。それには、外部の人間により取締役会を構成し、トップ人事(選任、評価、更迭)や組織の見直しを始め、重要事項の検討、 討議、決定を行うようにするというのも一案であろう。

もちろん、銀行業務の執行については、執行役員制を導入して(現体制も執行役員制を導入済み)内部の人材を活用することが適当と思われる。ただし、内部の人材が出身母体にとらわれない業務遂行を 行うよう、指導することは当然必要である。

もっとも、現在の法制のもとで、どのようにしたら外部の人材を投入できるのか、思案に暮れるところである。問題のある経営陣を一新することができるのは株主であるが、今の株主にそのような 強い危機感や使命感があるとは思われない。唯一、国がそうした役割を果たす可能性があるが、 現段階では国も株主としての権限を行使するところまで至っていないし、仮にそのような状況に なったとしても、正しい方向に向かうという保証もない。

結局、内部に改革の必要性を痛感する勢力が台頭し、そうした使命感を共有する人たちによる コーポレートガバナンスの確立を待つしかないのだろうか。それを外部から応援していく、という ことなのか。いずれにせよ、そのときに、外部の適材を確保することが大きな課題である。

銀行と企業、個人の顧客との関係は植物連鎖のように複雑で多様に結ばれている。「みずほ」のシステム障害はその強大な連鎖の破綻の怖さを浮き彫りにした。問われるべきは、それを過信し、 顧客や株主への責任をあいまいにししたまま旧3行の体質を引きずり、新しいガナバンスの再構築を遅らせてきた経営そのものだろう。「みずほ」だけが異質なのではあるまい。多くの日本の経営に みられるコーポレートガバナンスの問題点が、さまざまな論点を含みながら「みずほ」に凝縮されているのではないか。


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 この4月の「みずほ」を冠した2つの兄弟銀行のスタートは、類をみない大規模なシステムトラブルを引き起こし、顧客の信頼を裏切る結果となった。「とても銀行と呼ぶに値しない混乱」(現職の行員やOB)が 起こり、事後処理も惨澹たる有り様であった。