【論文】道路公団「最終答申」に対する言論NPO見解 ―「民営化」にはほど遠い道路公団改革―

2003年1月04日

言論NPO見解

12月にまとまった道路公団の民営化推進委員会の最終答申は、新規建設に歯止めをかけるなど、評価すべき点はあるが、「民営化」という視点からは大きくかけ離れる内容となった。最後まで委員会が混乱したのは、委員の「民営化」に対すると認識が希薄なまま、高速道路の新規建設も視野に入れた議論が進められていたという背景がある。

もともとこの推進委員会は、当初から限界の見えるものであった。小泉首相は「民営化」をツールに既得権益を打破しようという政治手法を、これまでも何度か使っている。反対派を刺激するそうした手法は、「観劇」としては興味深いが、本当に「民営化」で結論を導き出すためには、それ以前に政治としての決断や指示が必要なのである。高速道路の新規建設の是非、過去の過剰債務は誰が負担するのか、そして日本の将来を見据えた高速道路のあり方への判断である。それを行なわずして、委員会に「民営化」議論を丸投げするのは、政治の無責任としか言いようがない。ここには、「民営化」が全ての解を生み出すものとの明らかな誤解がある。通行料金のキャッシュフローでは、40兆円を超し、50年近くも返せないほどの過剰な債務を抱えた会社が、新規建設もできて、しかも上場もできるというのは、明らかに幻想である。もし本当に公団を「民営化」し、民間会社が担うのであれば、市場で自立できる返済可能な債務額まで過剰債務を国民負担でカットし、しかも民間会社が政治のしがらみを断ち切って、事業自体が独立の判断で経営できるようにスキームを整えなくてはならない。

ところが、今回の最終報告ではこれとは逆に(1)国民の負担を最小限にし、50年を上限に早期の債務返済を実施する(2)高速道路資産を保有し、債務を返済する機構とそれをリースして高速道路を管理、建設する5分割の民間会社に上下分離する、が結論として出されている。こうした内容では市場で自立できる本当の「民営化」は程遠い。債務の返済に50年もかかる企業は市場では生き残れないし、資産保有会社には国の影響力が大きい。その資産のリースを受け、通行料金からリース料を払い続ける民間会社は、道路を借りて通行料を取り立てる会社に過ぎず、ただキャッシュフローを右から左に流すだけで、そこで効率を上げてより大きなキャッシュフローを上げるという経営のインセンティブは、全く働かない。こうした結論に至ったのは、推進委が本来、政治が決断すべき課題を全て背負ってしまったことが大きい。議論の最中に当時の委員長は「それでは政治が受け入れがたい」と何度も弁明し、着地を道路族も納得できる形にしようとの思惑が、他の委員の間にも見え隠れしていた。それでは「民営化」推進委員会の意義はどこにあるのかわからない。なんとか最後に多数決で可決できたのは、民営会社の新規建設に対する歯止めと、十年後には上下一体にするという方針だけだった。10月には日本道路公団自体も債務超過にあるという試算が事務局から公開されたが、ある意味ではそれが議論を戻す最後のチャンスであった。推進委はここで本当の「民営化」スキームに特化し、決断を政治に問うべきだった。本来、黒字とされた日本道路公団も仮に債務超過だとすれば、これまでの議論を覆す大問題だからだ。だが、その試算は真剣に検討されることなく、委員会の中で握りつぶされ、新規建設の歯止め論だけで議論の紛糾が続くことになった。

私たちは80年代に既に高速道路はシビルミニマムを達成し、それ以後は経済合理性を優先しなくてはならなかったと考えている。つまりプール制や長期償還で高速道路建設はできないという判断、高速道路建設はギアチェンジを問われているとの視点である。この点について道路公団自体は「民営化」し、過去の債務については国民負担から逃げるべきではないと考えた。現在の負担を避けることは将来世代に負担を先送りすることである。現在も解消できない負担を将来世代が負担できると考えるのは、あまりにも無責任だろう。さらに、今後の高速道路の建設にあっては、人口の減少や経済の停滞など、日本の将来像を前提にした日本のシステム設計の中で考え、その実現については税金の投入を前提に、納税者がこうした道路建設を判断できる地方分権の具体化の中で答えを探るべきと考えた。

右肩上がりの高度成長経済の中で行ってきた道路建設を、これまでのように進めることは、道路建設の優先順位をトップに位置付けることを意味する。国の財政が破たん寸前の中で財源はさらに限られる。少子高齢化が進み、福祉や介護、環境への政策需要が高まる中で、そうした要望を一般の納税者は持ち続けるだろうか。政治家は、そのことを国民に問わなくてはならないと考えた。

その上で道路公団の「民営化」の議論に戻れば「民営化」である以上、企業の経営原則を貫かねばならない。民間会社に大切なのはバランスシートの再構築であり、各資産とそれが生み出すキャッシュフローを見直し、清算すべき道路は清算する自由を持たなくてはならない。その点でいえば推進委員会の仕事は公団の資産の査定をし、上下一体の民営会社として公団が生き残れる道を探ることであった。その際に切り捨てられる道路については、政治がその責任において、税金を投入して負担あるいは建設を決断する方が筋が通っている。

最終答申は、その意味で明らかに中途半端である。だが決まった以上、初期の目的はなんとしても実現させなくてはならない。公団を民営化するということは、市場の規律から経済合理性のない計画を取りやめ、過去の膨れ上がった負債処理とこれからの膨張を食い止めることだった。舞台は今後、政治に引き継がれるが、少なくとも政治には道路建設だけを主張するような過去の過ちを再び繰り返すのではなく、日本の新しいシステム設計の立場に立った高速道路建設のギアチェンジを果たすように求めたい。


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 12月にまとまった道路公団の民営化推進委員会の最終答申は、新規建設に歯止めをかけるなど、評価すべき点はあるが、「民営化」という視点からは大きくかけ離れる内容となった。最後まで委員会が混乱したのは、委員の「民営化」に対すると認識が希薄なまま、高速道路の新規建設も