【対談】なぜ今、ローカルマニフェストなのか page1

2004年8月31日

司会:工藤泰志 (言論NPO代表)

masuda_h040729.jpg増田寛也 (岩手県知事)
ますだ・ひろや

1951年生まれ。1977年東京大学法学部卒業、同年建設省入省。千葉県警察本部交通部交通指導課長、茨城県企画部鉄道交通課長、建設省河川局河川総務課企画官等を歴任し、1994年退職。1995年4月岩手県知事初当選。2003年4月岩手県知事三選。

kitagawa_m040616.jpg北川正恭 (早稲田大学大学院教授、21世紀臨調共同代表)
きたがわ・まさやす

1944年生まれ。67年早稲田大学第一商学部卒業。三重県議会議員を経て、83年衆議院議員初当選。90年に文部政務次官を務める。95年より三重県知事。ゼロベースで事業を評価し改善を進める「事務事業評価システム」の導入や、総合計画「三重のくにづくり宣言」を策定・推進。2003年4 月、知事退任。

工藤 これから半年間に渡り、国と地方との関係について、きちんした議論をしたいと思っています。ここでは最終的に国と地方をどういう着地に持っていくべきかというところにまず視点を当てた形で議論を行い、その中で、ローカルマニフェストの意義と役割について考えてみたいと思います。

地方にはいま、解決すべき様々な問題があるように思います。日本の構造改革が進展する中で、経済的な所得格差が地方格差となり始めています。今後この動きが加速した場合に、現在の国や地方の関係、特に地方に何が問われていくのかという点について浮き彫りにしてもらいたい。そのためには、国と地方との関係をどう構築すべきか。三位一体で少しずつ、という話だけではなく、最終的にどのように国と地方の関係を構築すべきか。そのためにはどのようなプロセスでそれを実現していけばよいのか。そういう観点から考えた場合、三位一体という議論の進め方をどう考えるか。 さらにローカルマニフェストを提示する意味について。既に増田知事のところでもマニフェストを提示して県の行政を展開する動きが始まっていますが、いまなぜ、ローカルマニフェストなのかという点と、こうした動きが地方政治にどのような変化をおこしているのか。さらに、現在のローカルマニフェストが実質的に住民との契約になるためには、国と地方との関係、また地方自治というのはどういうものになるべきかという点についての課題をいろいろな形で提起できないかと考えています。 こうした議論は、これから始まる国と地方の改革の基調になる論点だと思うので、こういう話を聞かせてもらいたいと思います。

では、まず日本のシステムを大きく変えるこの局面において、地方に問われている課題というのはどのように認識されているのかというところから議論を始めたいと思います。増田知事から話してもらえますか。

増田 「国と地方」という場合、国というのは中央を意味する言葉で使われていると思いますが、一つは、中央も地方も含んだ国全体につながる課題ではありますが、有権者の責任と、その有権者に選ばれた各地方の首長や議員との関係をもう一度問い直すということを徹底的にやらなければならないと思います。

今まで、やれ国が決めたことだ、やれ中央省庁が決めたことだといって、責任を相手に押しつけるようなことをずっと繰り返してきました。これは中央が決めたことだからそっちが悪い、あるいは金をくれない中央が悪いといったことが議論のかなりの部分を占めていました。

だから地方の首長と、それをチェックするはずの議会の議員が一緒になって同じ要望書を作り、中央に頭を下げて金をもらいに行くなどというばかげたことが行われているわけです。そして有権者も自らが選んだ首長や議員が陳情することを期待しているという状況がある。

構造改革が進展していく中で、地方こそ、より有権者の責任、これはそういう国への依存心が強い首長や議員を選んでいるという意味での有権者の責任、それから当然、選ばれている首長や議員の責任についても問い直されているのではないでしょうか。

こういう状況を反省し、有権者と首長・議員の新しい関係を見出していこうとしたのが、マニフェストではないかと思っています。有権者にきちんと約束をし、逆に有権者もそれを見ながらより的確な判断をしていく。それだけに有権者の責任も大きいということを言ったのが、マニフェストだろうと思います。

工藤 陳情型政治というのは、今に始まったことではなく、ずっと続いているわけですよね。それが、なぜ今、問われなければならないのか。あるいは有権者の持つ責任が、なぜ今問われなければならないのか。この点について北川さんはどう思われますか。

北川 理想と現実とをミックスして説明しないとわかりにくいと思いますが、現実の世界では、右肩上がりの経済成長が終わったということから、「あれもこれも」という政策課題選択から「あれかこれか」の選択へ、好むと好まざるとにかかわらず、中央も地方も転換せざるを得なくなったという現実があります。その背景には、2000年4月に施行された地方分権一括法があります。あのときは475本の法律の大改正でしたから、財源まで踏み込むととても通らないから、財源は後回しにしようということになった。そこで出てきたのが三位一体の改革です。現実の流れと理論とが一致して動き始めていたということです。

そこで、これを千載一遇のチャンスととらえて、これを活用して地方が自立していかなければ国に甘えるばかり、国に責任転嫁するだけでは変わらないという志の高い知事たちに私は集まっていただいたわけです。そこで出てきたのが、マニフェストの話でした。マニフェストは、自分の在任期間中における政策を契約書という形で情報公開するわけですが、それが書けない知事候補の方が随分出てきた。なぜかというと、財源を国に握られているから無責任なことはできない。よって、歳入の自治なき自治はあり得ないというところまで内発的に気づいていただいているわけですね。

それをムーブメントにしていこうと補助金返還運動という動きがでてきた。そうした時には今、増田さんが言われた自己決定、自己責任という強い気持ちがない限り、地域政策は実現できない。補助金に縛られて制度的に補完し合った体制では、とてもそうした自治が生まれてこないのではないかと考えたわけです。

有権者と直接契約をしたマニフェストになると、首長もはっきり自分の責任を明確にするし、今度は選ぶ側、すなわち有権者の責任も問うことになる。マニフェストの持つ「双方向の責任」になることで、国との補完性の原理で動いていたこれまでの関係がリエンジニアリングされるのだと思います。

工藤 今の話をもう少し肉づけしたいのですが、増田さんのマニフェストでは理念として自立する地方というように、自立ということを問うています。経済成長が右肩上がり出なくなってしまったと同時に、分配も右肩上がりではなくなってしまった。そのためには住民との合意の形成が必要となっています。そういう中での危機感が、自立のまず前提にあると理解していいですか。

増田 結局、右肩上がりの時代の知事というのは、地域の経営者であるということを意識しないでもよかった。ところが今、経済基調が明らかに変わってきている中で、本来、地域の経営者であるべき人間がそのことをきちんと意識して行政を行っていかなくてはいけなくなってきた。県民が株主であり、きちんとした配当を、金ではなくサービスという形で県民に返していかなくてはならない。地域経営を行う場合、それだけの自覚を持ってやらなければならないということを、経済基調が変わったときに初めて自覚させられました。まだ自覚していない自治体もたくさんあるとは思いますが、そのことを自覚したとき、次にどうするのかということが問われたわけです。

三位一体改革に対する対処の仕方についても、やはり地域の経営者であるということが意識できているかどうか。それからマニフェストの問題も、書けない知事がいたという話がありますけれども、地域の経営者ということから言えば、マニフェストを書かなければならない。そして書くためには何が必要か、それは三位一体改革をして、国からの自立を意識しなくてはならないというところにすべて帰着していくのではないかと思います。

工藤 地域の経営をする場合、いまの国と地方との関係では自分のところでなかなか決定できないというシステムになっています。地方が本当に自立した形で動き出すためには、どこを組みかえなければならないのか。

北川 国と地方の関係は多面的ですからさまざまな面があると思いますが、例えば今回、知事の皆さんなり、あるいは市長の皆さんが立ち上がっていただいたのは、補助金に縛られた体制から自主財源へという発想がある。仮にこれまで100億円の補助金を受けていたら、 100億円以上自主財源をよこさない限りは納得しないという気持ちだったのが、仮に100億円の補助金が80億円の自主財源に変わったとしても、自分たちの裁量でやるならウエルカムという点が変わった。自分たちで裁量して、100億円が80億円になっても、もっといい住民とのコラボレーション、マネジメントをやろうということで、国に意見を申し上げ、自分たちが率先実行するということ。これは日本で初めてのことです。全部補完した制度にできているということからまず見直すなら、補助金で縛られてきた体制、補助金の制度をどう変えていくかということで立ち上がるしかない。返還運動が始まったと見ていただいていいと思います。

工藤 地方側から出た補助金の見直しは本質的に返還運動なんですか。

増田 補助金という点から見れば返還運動だと思います。補助金は要りません、そのかわり税源を、ということですが、これはそれを全部よこせということではなく、補助金に頼ることをやめて自分たちでやっていこう、そのかわり、本来地方に与えられるべき税源が極めて不十分だということなので、それは求めていこう。ただこれは決して取引のようなものではないと思います。それは補助金があるからそういう形になっていたのであり、それぞれの自治体が自立できるだけの税制の組み方というのは、本来あるべきだからです。

私は、このローカルマニフェストが想定している自治体というのは、自立した自治体を前提にしていると思います。財源のところが書けないなどというのは、まさしく自立ができていないからです。右肩上がりの経済成長が終わったときに、その点については私たちも否応なしに自覚させられましたが、実際にマニフェストを作成していく中で、この問題がさらに明確になりました。こんなことも書けないような関係では全然だめだと。今度はそれが逆に原動力になり、補助金を返そうとか、税源をきちんと確保しようということにつながってきた。

だから、昨年4月の知事選挙に際して私がローカルマニフェストをつくったとき、あのときは2月の時点でいろいろと作業をしていましたが、そういったことを痛感したからこそ、こういう補助金は要りませんということを言う、ある種の原動力になった。もちろんそれがすべてではないですよ。もしそれがすべてだったら、あまりにも話がきれい過ぎるのでそこまでは言いませんが、マニフェストをつくった体験がそういうことにもつながったのは事実です。補助金を今までどおりにもらおうという流れに対して逆方向の意見を言うのはものすごくリスクも大きいですし、怖いことです。本当に明日からの県政の飯の種を断ち切っていいのだろうかという思いもあります。ただ、ローカルマニフェストをつくった以上はそれをやらないとだめだ、そのためにどこかでその流れを断ち切っておかなくてはいけないという気持ちはやはり強かった。そしてそういうことに賛同した知事が増えたということがあると思います。

北川 歳入の自治なき自治はあり得ないということが明確に理解され始めたと思います。マニフェストで選挙を戦って、有権者と直接約束したでしょう。そこで説明責任のウエートが、国よりもむしろ県民の方へと変わった。だから、辛いけれども、国に対して補助金返還運動といったパラダイムへシフトしていかないと、本当の自治はもたない、大変なリスクだけれども、頑張ってやろうと。それが運動の始まりでした。

そこで、1人でやるより、ということで今14~15名の知事が名乗りをあげて、さらに市長の皆さんも50~60名出てきて、いわゆる原則に戻って、本当の自治とは何ぞやという議論が始まったのです。

工藤 つまり、ローカルマニフェストを取り入れることで、地方分権に魂が入ったというか、本物になったわけですね。

増田 有権者に約束したわけですから、逆に有権者も「マニフェストを比較した上で的確な判断を下す」という責任はきちんととってほしい。冒頭に私が申し上げた話ですけれども、有権者の責任も極めて重く問われる。それが自治だと思います。

工藤 ローカルマニフェストを提示する首長が相次いでいます。増田知事も提示して選挙を戦ったわけですが、実際に提示されて、どのような県の行政にどのような変化がありましたか。

増田 これは外に対する変化とそれから行政体、端的に言うと県職員の中での変化という二つの側面があると思います。外に対しては、いい面としては行政の政策判断のスピードを非常に速く提示することができる。これまでは、大胆な政策変更をすればするほど利害調整に時間がかかって、結局実現されなかったり、あるいは時間がかかるからより抵抗が増してきて途中でダウンするなどということがありました。しかし、マニフェストが信認されて選ばれるわけですから、それがてこになってスピーディな行政の変化、あるいは大胆な政策も実行に移せる。

それから、内向きで言うと、常にこういうことに対しては県庁内での抵抗、あるいは官僚組織と、選ばれた政治家という側面も持っている人間との抵抗というか、ドラスティックな改革をしようとするときは、まず内なる抵抗をどうするかということがあると思いますが、それに対し責任の所在を明確にすることによって、動かすことができる。もちろん、大胆な政策変更の結果は全部首長がとるわけですが、それに沿ったしっかりとしたシナリオづくりは職員が責任を持たなくてはならない。それができないようでは、トップにそういう政治家をいただく県職員として、職務を果たしてはいないということで、責任の質、あるいは責任の所在の明確化ということが、マニフェストではっきりしたと思います。

私はそこまでやってないけれども、県によっては、知事と部局長が、有権者に示したマニフェストに沿った政策遂行の契約を結んでいるところもあります。ですから、知事の重い責任、それから、それぞれの部局長の政策実施についての責任ということが明確化され、区別されるようになった。ただ逆に、知事の重い責任が明確化されることによって、部局長は責任が減る部分もあるわけです。知事がきちんとしたストーリーさえ示せば、例えば公共事業を減らすことによって県経済がどれだけ疲弊するかということがもしもあるとするならば、その責任については部局長は逃れられます。そのことによっても、さらに改革のスピードが速くなる。

ただ、いいことばかりではありません。やはり結果に重きを置かれますから、2期目、3期目のときに、どれだけ長期的な視野に立った政策を示すことができるかという問題が出てくると思います。政策の重点が、確実に成果を上げられるものに偏ってしまうのではないか、あるいは数値にとらわれ過ぎるのではないか、そういう懸念も出てきます。これは2期目、3期目のマニフェストをどう提示するかの中で進化させた方がいいのではないかと思っています。

工藤 首長を中心とした政策実行プロセスが、非常にガバナンスがきいた形になるわけですね。

増田 それは現職でマニフェストを示して当選した知事と、全くの新人でマニフェストを示して当選した知事とで違いがあるかもしれません。私の場合は、現職ですからそういう意味での抵抗は恐らく最小限だったのだろうと思います。むしろ、積極的に職員がマニフェストを読みこなしていてくれて、それに沿ったシナリオをきちんと持ってくるというようなことは、私が現職であって、ある程度私のやってきた流れとを読み込んでくれていたからだと思います。もし新人が当選し、最初からそのやり方で乗り込んでいったとすると、相当の警戒感が職員の間にも出てくると思います。

工藤 ローカルマニフェストを実際に作られるときには、現職の場合、政策的には継続しているものになりますか。それとも、選挙をタイミングに代えるのでしょうか。

増田 私はその前に総合計画というものをつくっていました。それも意識しながらマニフェストをつくっているので、政策的には継続です。ただ、変えるべきところはかなり大胆に変えています。公共事業のあり方も変えていますが、これは総合計画の変更という方法では多分できなかったでしょう。マニフェストがあったからこそできた部分でもあります。ただ、全体としては総合計画を継続する中で、実施できるものを重点化したという言い方をしています。

工藤 つまり、総合計画づくりそのものが既存の構造的なシステムの中での限界にあるいうことですか。

増田 そうです。

工藤 それをマニフェストで壊せるということですか。

増田 そうです。だから総合計画を大胆に直すとき、マニフェストという手法を使って変えるべきところは変えましたが、一方で継続するところはある程度継続させました。議会も大きく抵抗しなかったのは、トータルで見ると総合計画が継続していて、その中で、結果としてはやむを得ない変化だと受けとめてくれたのではないか。もちろん変えた部分については相当な軋轢がありました。

工藤 今の増田知事の話にはいろいろな教訓があると思いますが。

北川 例えばまず総合計画からいくと、今までの総合計画はいわゆるインプットの表明で、いわば資源投入量です。せいぜいアウトカムが目標で量的な何キロ道路をつくるとかいうことだったので、これはもう投資型のガバメントという官僚優先の発想で総合計画が書かれてきたんですね。私は知事のときに総合計画をするときに、これではだめでいわゆるコラボレーションでいこうという宣言をし、県民の皆さんがアウトカム、成果を求めるなら、県民の皆さんとご一緒にやらなければできませんよというのを明確に書き込んだわけです。従来の総合計画がインプット、資源投入量を多く書く勝手な約束だったから、これは増田さんが言われたように、国で決めてきたことを黙々と執行、オペレーションをするというだけでした。こうした計画はむしろ経営の発想がなかったから書けたんですね。

そうした総合計画を見直すという作用は、マニフェストがあったからこそ増田さんは仕掛けることができたのだと思います。つまり、マニフェストでこれが実は大きな見直しになってきている。だから総合計画の書き方が変わるわけです。これが自治なんです。自治というのは何も政府一本やり、自治体だけでできるわけでは断じてないわけで、ステイクホルダー(有権者)との関係においてできるということがここで出てきて、はじめていわゆる成果主義、アウトカムというものを成果を上げるための経営が問われることになる。これがマニフェストの一つの効果です。

もう1つ、数値をマニフェストで掲げると、2回目からはどうしても目標のハードルが低くなる可能性があるわけです。しかし、これが今度低くなると、実はライバル、競争相手が出ますから、必ずそこで競争が起こるんです。そこでは政策での競争が起こるわけです。属人的な地縁とか血縁ではなく、政策論議に持っていけるということになるわけですから、これは前向きにとらえていくべきだと思います。やはり、住民との契約というものは緊張感があって、そして断固やるという方へ、我々はいわゆる民主主義のオペレーションの仕方、バージョンを上げていく必要があります。

もう一つ、増田さんの例でいうと、政と官の関係が非常に良好になった。今までは予算も事前チェック制ですから、全部下から積み上げてきて、最後に知事が「てにをは」を直すぐらいが地方行政のあり方だった。黙々と執行するだけの機関ですからそれで済んだのですが、これがトップダウンに変わったわけです。政策優先ということに、当然なりますね。そうすると、マニフェストによって県民という主権者に約束しましたから、その目的が中心になって仕事をしはじめる。例えば増田さんが200億円の公共事業カットを約束されたときに、公共事業担当の部長から直接知事と、この200億円のカットについてはこの3案があります、知事、どうぞご選択をという非常に前向きな動きが始まったわけです。

今までは官僚も自分の立場を主張することが仕事だと思っていたのが、今度は知事の公約が価値前提になったからスピードが一気に速まって、あっという間にできたと聞いています。これで役人のビヘービアが変わったわけですね。これはまさにマニフェストの成果だったと思います。

そこで、200億円公共事業カットというのは、実はこれは苦い薬の入った約束ですから、候補者にとっては辛いけれども、それを誠実に丁寧に説明したら有権者は分かる。これは有権者におもねらなくても、誠実に説明したら有権者は賢かったという意味において、日本の憲政史上初めてのことです。増田さんが公共事業のカットを公約して、それで90%の得票率を得て当選したということは、まさに新しい価値転換、新価値を創造するトップリーダーだと思うわけです。それで200億円を緊急雇用対策に使った。今まで財政出動して、公共事業で景気浮揚して地域を活性化してきたことは認めます。しかし、今後それは増えないと彼は判断した。だからここで産業転換とか、労働力移転をしなければというのを誠実に増田さんは説明されたと思う。それで9割の得票率を得たということは、新しい時代に変化し、パラダイムがシフトされたことだとも思います。まさにこれがトップリーダーの役割であり、トップリーダーの力の源泉は県民、有権者との約束があるからこそ、いわゆる行政間のビヘービアが変わって、目的に従って動くということにならなければ、それは時代は転換させることができない。

工藤 岩手県が行った200億円の公共投資カットという点についてもう少し聞かせてください。これは政策のプライオリティーを大きく変えたことにもなりますが、公共事業には昔の政策に付随している既存のシステムもあるわけです。トップダウンシステムに対して、役所の人たちが本当にそれを変えていくという動きがなぜ生まれるのか。もう既に大きな問題を抱えていたのか、有権者の意識が変わっているのか。

増田 それは二つあると思います。一つは職員自身、例えば県土整備部の職員自身も、今のままで公共事業を続けていくのが難しいということは、大体わかるわけです。カンフル剤としての公共事業、景気対策を恒常的な政策として行うのはもはや限度があるということはわかっている。ただそれを言い出せなかったのは、言い出した人間にすべての責任がのしかかってきていたからです。ボトムの下から積み上げていくことによって、今までそういう責任のとらされ方をしたということがわかっているから、言い出せない。でもだれかが言い出さなくちゃいけない。それをたまたまリーダーが、選挙という機会に言い出してくれたという側面も実はあったのではないか。

それからもう一つ、うちの県にも建設業に携わっている人たちがたくさんいますが、そういう有権者たちが本当にそれを支持できるのかという問題になると、これはやはり情報公開ではないでしょうか。たまたまカラ出張や食糧費の問題などという「負の遺産」から始まったことではありましたが、そのことによって自治体が徹底的に情報公開を進めるようになった。ですから今では、予算の状況や、県債がどれだけ積み上がっているかということは、かなりの多くの有権者に伝わっているわけです。だから県民の人たちも、目の前の道路ができればいいけれども、そのことによって一方でどれだけの負債が増えるかということも分かるわけです。かつてはそういうことすら分かりませんでしたから、国から補助金をたくさんもらってきて、やれ橋ができました、やれ道路ができた、うちの知事はやっぱりすごい、それだけの政治力があるんだ、ということでした。

今は有権者もトータルとして見る目が養われてきている。それで現在のような動きにつながった。自治体が政策志向型の自治体に切りかわる、そういうきっかけを確かにつくったと思う。

北川 経営ですね。

増田 ええ、まさしく地域経営。それで、それぞれの人間、例えば部局長のミッションも明確になったし、トップのリーダーシップも必要。時には下からのボトムアップも必要でしょうけれども、今までの総合計画のつくり方も大きく変えなくてはいけないということも気づかされた。そういうことがマニフェストで大きく回り始めたような感じがします。

工藤 新人の知事が挑戦する場合も、有権者との契約を生み出せれば、現職を覆すこともあり得ますね。

増田 例えば新人同士が争う場合、かなり情報公開がなされているから、いいマニフェストをつくれると思う。ただそのとき有権者は、細かい数値目標にこだわることなく、彼が知事になったときにどういうことをするのかといった点について、これまでよりもう一段高い立場から読み取らないとだめでしょう。

北川 それから、新人がマニフェストを掲げて選挙をした場合、バッティングが起こる、ハレーションが起こるという心配があります。ただそれは起こらなくてはおかしい。起こることを僕は良しとしている。今まではそれすらなかった。どこで問題が起こるかというと、まず対議会で起こる。その次に対県庁内で起こる。マニフェストで約束したことを具体の政策に、あるいは予算に落とし込まなくてはいけませんから。そうすると、今まで機関委任事務8割という県の中では、県議会は、ほとんど機関委任事務の関係、国の補助金はもう全部スルーしていたわけですよ。そこで初めて県民と直接約束したから、知事は何だと、二元代表制を何と心得るという議論が起こってきたときに、政策立案というところから地域経営が起こってくる。このことを経過しないと、本当の地域経営とか自治体の自立はないから、僕はそういうのを多とするわけです。

もう一つは、今までは官僚優先で、してあげるから陳情に来いという思想だったのが、マニフェストを提示した官僚との軋轢が起これば起こるほど当選した知事は困る。ただ、困れば困るほど、それと全く反比例に住民はハッピーになるんです。そしてそれを追及する県議会は、追及すればするほど自分たちもエクセレントにならざるを得ないという、これは理想論でなく、現実論としてそういう作用をもたらしています。すなわち、目標、政策立案で議論がなされる最初のことです。事実前提、利権、利害誘導から目的達成型という、政策を中心にした議論が始まった最初のきっかけだったと思います。

【対談】なぜ今、ローカルマニフェストなのか page2 に続く

これから半年間に渡り、国と地方との関係について、きちんした議論をしたいと思っています。ここでは最終的に国と地方をどういう着地に持っていくべきかというところにまず視点を当てた形で議論を行い、その中で、ローカルマニフェストの意義と役割について考えてみたいと思います。