【対談】なぜ今、ローカルマニフェストなのか page2

2004年8月31日

〔 page1から続く 〕

工藤 次に、このローカルマニフェストが実質的な県民との契約となるための問題として、何点か聞きたいことがあります。増田知事も最初におっしゃっていましたが、サービス合戦になってしまう恐れがある。つまり政策というのは、プライオリティーを決めるから政策であって、こういう要求があるけれどもそれは無理です、ただこれはやりますというところに政策の対立軸が出てきます。しかし、私たちが国政のマニフェストを評価していると、ある党のように、たいへんきめ細かいけれども、誰もが賛成するようなことばかりを公約に並べているようなケースもあるわけです。マニフェストでは県をどう引っ張っていくかというビジョン性が問われ、それを掲げることで県民との合意の形成をはかるということが必要と思いますが、どうですか。

増田 私は長く役人をやってきましたが、役人というのは「自分たちが一番知っている」というプライドがあって、説明責任とか、あるいは国民との対話、それから国民から理解を得る、共感を得るなどということについてはあまり力を注いできませんでした。それが政治という場面になると、自分たちだけで国を引っ張っていくのではなくて、国民の本当の理解がないとなかなか変わらないというところがあって、ある種、国民と対話をするということ、あるいは国民に理解を得るためのレトリックが非常に重要だなということを逆に気づかされました。マニフェストが数値での人気とりだけを書いている政党と、一方で苦い薬も入れて、骨太で、年金などについてものすごくドラスティックに、しっかりと書き込んだものと有権者がどう見ていくか。どう評価していくか。これが1つの大事なプロセスじゃないかなという気がします。

工藤 地方でも同じことが問われます。

北川 マニフェストというのは情報公開なんです。情報公開の最もいい手段というところは分権すること。負担と受益、負担と給付の関係が一番身近になるからなんです。要求型のそれを全部受け入れるマニフェストを書いて、それに沿ってやったら地域はつぶれますよ。でも双方向の責任ですから、有権者がそれを選んだら、それでつぶれていけばいい。そういう民主主義の緊張感がなければいけない。そうした緊張感がある社会では地方自治体のトップがいわゆる予算増殖型をやったら、見事にしっぺ返しをくらう。政策をすべて情報公開してしまったからで、負担と給付の関係が右肩上がりのときは、給付ばかり増やしてきた。ところが、それが終わってしまったら、今度は負担と給付のバランスをどのようにとるかがトップの経営に問われることになる。

工藤 増田知事がさっき200億円の公共事業を削ったというのは、政策間でのプライオリティーを判断したわけです。これはマニフェストという設計図にもとづいて提起されたわけですが、何でも約束を書いていくというサービス合戦になる危険性は常にはらんでいる。

増田 そこはマスコミの役割が非常に大きいと思います。選挙期間中という極めて短い間にマニフェストが出てきて、すぐ投票日でしょう。ですから、その間に在野のNPOの人たちがマニフェストをしっかり読み込んで、選挙前にきちんとした評価を出せるか。これはなかなか難しい。逆にマスコミが、総花的にではなくマニフェストのどこが問題なのかということを、選挙の時以外でも、的確にきちんと有権者に伝えるということが大事だと思います。マスコミの責任も問われるのではないかと思います。

北川 現行の民主主義は、市場の経済と税金の政府という二元性しかなくて、民間が政策を立案したり、既存の政策を検証したりという動きがなかった。マニフェストを出してみると、民主主義を支えていく「民」の側の働きかけが実は非常に弱く、この社会はもろかったのだということが見えてきた。そういう両面があって、結局、選ぶのは有権者ですよ、有権者の質を問いますよということがないと、それは衆愚政治です。民主政治ではなく、無責任な大衆が寄って政策を決めていく。700兆円の借金ができたのは、為政者も無責任だったし、行政官も先送り体質だったけど、国民が無責任だった。だから700兆円の借金ができたということを有権者には突きつけなければいけない。そのためには政策をすべて公開して、あれかこれかどちらを選びますかという作業から始めないと動きは始まらない。

工藤 増田知事のマニフェストを読むと、理念があり、ビジョンがあり、中心的な課題がありと、かなり形式が整っています。

増田 あまり時間がなかったのですが、あのように整えた形で書きたいという思いはありました。最初につくるマニフェストだから、やはりあのような形で示さなければマニフェストだと思われないのではないかという考えがあって、マニフェストというのはこういうものだという形でつくらなければまずいなという思いはありました。

工藤 こういう宿題があるので、次はこう変えたいという点はありますか。

増田 一つは、実は過去2期分の検証が入っていない。なぜかというと、北川先生からいつも怒られるんですが、1期目、2期目の公約がいかにもいい加減で、その検証といっても、数値目標も入れていない、検証のしようがないということがあった。

北川 2期8年間、彼はやっていなかったから(笑い)。

工藤 あと2、3期やらなきゃだめですね。

北川 だめだめ。マニフェストで絶えず問うていくというのは重要なポイントです。だから僕はロング政権には、反対。表明しておきます。

増田 それは最初から分かっていて、ちょっと検証がしようがなかった。だから、今回出したことは、次にきちんと検証を入れ込んだ形で出すというようにつなげていこう、それしかないと思っています。

北川 9月8日に私たちがローカルマニフェストの検証大会をやるのは、まず2回予算を経験していること。それと、総合計画との整合性、議会との予算編成、そういったことを経験すれば、今が第一回の検証のタイミングだというのが9月8日なんです。4年間見ていかないとだめですが、途中経過としては、今まさに彼が言われた、検証ができる契約書ができ上がったということを、今度はそれをどの程度できたのかということも検証すべきです。その時期が今なんです。だから、2回の予算を経験し、議会も経験して、職員とのオペレーションがどこまでうまくいっているかということが検証できるのではないかということで、この9月8日を選んだということです。

工藤 ローカルマニフェストが実質的な住民との契約になるためのもう一つの質問です。いろんなマニフェストを読んでいてどうしても引っかかるのが、財政再建などと言うけれども、その目標というのは何を達成すれば実現なのかというところが全然見えてこない。目標設定も県によってはばらばらです。結局、これは国と地方の構造的な依存のシステムの問題を温存しては答えが描けないという問題のように思えます。この点についてはどう考えますか。

増田 これは三位一体改革にも共通する非常に根源的な問いかけです。一言で言うと国と地方の役割というか、それぞれが果たすべき機能をどうするかというところに行き着くのですが、それは地方だけで議論できる問題ではありません。やはりここは国の方にも議論に乗ってもらう必要がある。もちろん国に丸投げするつもりは全くありませんし、我々も考えを示していかなくてはいけないと思いますが、国もその議論に乗ってきてくれないと、一向に進まないと思います。

ただ、国はその議論を全くする気はないし、する能力もない。というと語弊がありますが、それだけの余裕がないのでしょう。国は今回の三位一体改革を単に「予算編成の中の一作業程度」にしか考えていないという感じです。来年度の予算をどう組むかという中での三位一体改革ですから、どの補助金をどうするかというだけの話になっている。例えば公立保育所の運営費は一般財源化されたのですが、一方で公立保育所の運営の基準というのは残っていて、運営は国が握っている。公立保育所については地方に任せるというのであれば、合わせて運営基準もすべてなくさなければいけないわけです。このこと一つとっても、国がこの議論をまともにしようとしていないかがわかると思います。こうしたことが不十分である以上、今言ったような歯がゆさ、全体の落ち着く先が見えないということにつながっています。

工藤 そうした国と地方との関係があるから、経営者として経営できないシステムがある、ローカルマニフェストがそうした限界を内在しています。

北川 増田さん、あなたの考えを聞きたい。ローカルマニフェストを書く場合、達成目標以前に、基本姿勢として自立度という分権度合いとか、住民に対する透明度合いとか、必要と考えますが、そういうものとの絡みをどう考えていますか。

増田 少なくとも岩手のマニフェストについて言えば、最初に申し上げた地域経営というか、経営を自治体としてできるかどうかを問うています。そういうマニフェストですから、今の北川さんの言葉で言えば自立度などが一番成果として問われる部分であり、検証の際の軸となると思います。先ほど工藤さんが言ったように、そのことを問うということは、逆にいろんなところで国が自立を阻むようなことをいっぱいやっているわけですよ。そのようなものに対しどれだけ戦い、束縛に対してどれだけ抵抗しているか、あるいは対抗案を示せているかにかかってくるのではないかと思います。

工藤 僕は基本的にそれに賛成で、ロカールマニフェストを提示する意味を最終的に自立するという社会を目指す中でのプロセスだと思えば、それだけでも意義はある。ただ、その場合、自立度を図る評価指標はどうしますか。

北川 これはそうは簡単にいかない。数値までいかなくて、その課題の立て方がいいかどうかは、これから何度も議論していかないとだめだと思う。それがはっきりしたら、さっきの保育園の設置基準がどうなっているかとか、省令がどうなっているかというところへ徐々に踏み込んでいくから、やがて検証ができていくと思う。

増田 国が地方の自立を阻むやり方というのは、金の面もそうですし、そういった基準の面もたくさんあるわけです。だから政府がやろうとしている三位一体改革というのは、本当にわずかな部分、具体的に言えば金の面だけ手をつけようとしている。知事会の三位一体改革と議論がかみ合わないのは、こちらはもっと広い分野の改革を、真の三位一体の名のもとにやろうということがあるからです。

工藤 経営という場合、民間の経営者から見れば、例えばリストラというのは人を減らすことが柱ですが、公務員の場合、これは基本的に何もできない。あとは企業を誘致して税収を増やすということもあり得ますよね。こうした経営力というものも問われるが。

増田 今言われた経営力といったところは、トータルでの地力というか、地域力をどう捉えるかということがまず前提となる。リストラせずに自立させたいというのが本音なんですが、そうもいかない。しかし、それを考えるときに公務員システムという制度論にぶつかってしまう。それから産業政策というと、今まで地域はほとんど関わりがなく、企業と経済産業省あたりで決めていた話でしたが、企業誘致なども考えなくてはならなくなった。これは政策の具体的なツールがどうなのかという話にもつながってくると思います。

工藤 今の段階では、先ほどの政策のプライオリティーをはっきりさせ、有権者に対してガラス張りにした中で政策の順序づけをし、それを実行するという、ガバナンスをまず達成するというところがローカルマニフェスト運動のスタートになりますね。

増田 そこが一番分かりやすいし、やはりこれまでは政府が公共事業を自治体を通じてやらせていましたから、国との関係ではその公共事業を変えることが一番手をつけやすかったということもあります。

工藤 その次に出てくるのは、本当に自立して経営するときに、やはり制約が多すぎる。これをしないと経営できないという地方分権の本当の意味がもっと具体的になっていく。そこを変えていった場合、こういうマニフェストができるということを示せるという。

北川 そういうことになる。そのときにもう一歩進むと、そういった考え方とか立案がなされたら、今度はそれを運動として起こしてこないと、地方の自立は本当に勝ち取れない。スピードの問題もある。そういうところまで本当は行きたいと思う。

増田 これから先、非常に大きな問題になってくるのは公務員制度です。霞が関をどうするかという問題を真正面から問うていかないといけないのではないか。霞が関だけではなくて実は自民党の場合、政調という機能を通じて、霞が関イコール永田町の自民党というふうにつながってくるわけです。ここをどうするのか。敵は官僚というか中央省庁なんですが、今おっしゃったように自治論も含めて、官僚は、自民党の政策立案機能も担っている。また、民主党も同様の構造を持っている。そこを変えていかなくてはならない。一方で、公務員制度というのは60歳定年ということで、そこまではずっと守られている。国から地方へと小泉さんは簡単に言っていますけれども、では、地方に仕事がたくさん来たとき、マンパワーという面でもどうやってそれをこなすかという問題にもなってきます。

その点を、どういう方法でメスを入れていくのかというのは、ものすごく大きな問題です。実はカネよりも、ヒトの移譲の問題については最大の抵抗があるのではないかと思う。彼らは、カネが細ることに対して警戒心を示してはいるけれども、ある程度ハードルが高くなってもカネがあれば自分たちの力を示せている部分はあるわけです。だから今回、岩手県では公共事業全体の量は少し減らしましたけれども、根っこはまだ国が残してあるから、自治体にとってみるとより高いハードルで、県によっては今までよりもさらに頭を深く下げに、霞が関に行っているということも見られています。ただ、本当に人を国から移しはじめるとなると、またがらりと変わってくるでしょう。ただそれをやらないとだめです。だから、北海道庁には道州制特区についてもっと戦う姿勢を示してもらって、真剣にやってもらいたいと思う。

北川 公務員法に限れば、ポリティカルアポインティーをどこまで認めるかというような問題がある。これは民主導なんです。民主政治主導、そこに全てがつながらないとならない。だんだんとそういう問題提起がされるようにやっていかなくては。当然そこのいわゆる政策立案にかかわる審議官以上の人たちとオペレーションをやる人との公務員制度を二元制にするとか、中央の公務員と地方の公務員との流動を自由にさせるとか、そういった法律というものは当然見直していく。マニフェストはきっかけだから、これを軸に補助金体制だけが変わるのではなく、制度そのものが全部変わらないと。中央集権から地方分権にオペレーションができる体制に全部入れかわらないと、一部分だけ変えていても全体が変わらない。だからパラダイムシフトが必要なのです。

工藤 結局、国と地方との関係について、どういうシステム設計を描くのか。これもマニフェストに問われるべきだと思います。神奈川県などは首都圏連合というのをマニフェストに入れているわけですよ。しかし、それがスローガンだけだとマニフェストとして基本的に検証できない。増田知事は東北でも連合を作るという考えをしめしています。このように、大きな枠組みの変更についての問いかけも始まっているということになると、やはり国と地方との関係という問題に対してどういったビジョン、考え方を持っているのかという問題が当然問われる。

増田 本来はマニフェストの中に、今、工藤さんが言われたことも理念として書き込むべきだと思います。ただ、それを地方選挙、あるいは後の政策実施の中で、その結果を地方のレベルだけで問うのはあまりにも酷だと思う。やはり国との関係がありますから、首長がいくら地方でそのような理念を問うたからといって、国が変わらなければどうしようもない。

ですから、大きな理念としてできるだけ書き込んで、その後の政治行動を有権者が見ていくということが必要ではないかと思います。ただ、検証の対象からは外しつつも、そういった大きな理念から出てくる個々の具体的な、例えば公共事業をどうするかなどというレベルでの検証は必要ではないか。

工藤 北川さんここはどうですか。結構重要な論点ですが。

北川 国とのかかわりが上下主従の関係で、今までは隷属することをもって地方自治と言っていたのではないかと、僕はずっと問うてきたわけです。そうではなく、自立をしようという動きが出てきたことは、マニフェストの成果だと思っています。そうすると、例えば具体的な動きとしては、来年特例債で市町村合併がかなり起こるでしょう。それが進めば今度は道州制の問題が、いわゆる規模の問題、国とのかかわり合いの問題で大きな動きが地方自治体の方から生まれてくると思います。そういう流れにならなければ、そういうビジネスプロセスがリエンジニアリングされなければ、本来の自治は確立しないと思っていますから。やはりロードマップの中で、どこから順番に行くかということがだんだんと描かれてきてやっていくべきだと思います。

工藤 ロードマップを描くということは、やっぱり評価の対象になりますよね。

北川 そうです。今、工藤さんが言われているのは一気に飛んで、帰結の姿がどうかという点から問うていますが、逆に積み上げていくと、ロードマップが要るというのがマニフェストの持つ意味であり、いわゆる理念になるわけです。本来は、マニフェストはやはり理念で問えばいい。具体的な数値は二の次ですが、ただそれを無視してしまうと、今まで荒唐無稽な数値さえ出していなかったのが公約ですから、具体的な数値を打ち出して全体の理念が見えるということにしておかないと、政治家が信用されない。

増田 例えば道州制ということについては3県でこういうものをつくりますということを打ち出し、それで、とりあえず初年度はこういうものを予算として、例えば共通のビジョンづくりのためのものを予算に入れますとか、2年目はそれにつながるものとして、3県でアンテナショップをこういうふうに出しますとか。実現に向けたロードマップは確かに必要かもしれません。実際、私たちは今年の7月に3県共同のアンテナショップを大阪にオープンしましたけれども、そういう個々の施策を毎年予算に入れ込めるわけですよね。ですから、そういう部分を政策としてきちんと数値で評価すると同時に、数値としては表せないけれども、大きな理念は理念としてやはり評価する。それからロードマップ、それにつながる布石を、毎年きちんと予算なり何なりで入れ込めているかというところは、しっかり検証していくべきだと思います。

工藤 評価を行うために知りたいことですが、財政再建の目標設定の妥当性、ここがどうしてもわからない。例えばどういう目標を設定したら正しいと判断できるのか。

増田 これは首長によって考え方が分かれる。県内の産業の状況をどう分析するかによって見方が変わってくるかもしれませんが、やはり経常収支比率などのような指標をどこまで改善するかでしょう。東京は別だと思いますけれども地方の場合、借金をある程度前提にしなくてはいけない。そこでどれだけ県内産業に頼れるのか、税収に頼れるのかの見方にかかってくるのではないでしょうか。要は今の税源移譲の議論そのものにつながってくるわけですが、税源移譲しても、やはり地域的な跛行性、格差は出てきます。例えば愛知県はトヨタが非常に好調ですし、そのほかにも地域に強い産業を抱えているところなどは、経常収支比率を徹底的に改善させようと考えて非常に高い目標を設定する。

工藤 この場合、例えば政府の動きを与件として考えなくてはならない。国も債務が膨らみその削減に動くことが予想されます。それを行った場合、危機管理がきちんとできるかという点を軸に入れた場合、そうした指標だけでは足りないのではないかという見方もありえます。

増田 財政の前提となる政府の要素というのは非常に大きくて、今の状況からいうと、与件として入れる以外どうしようもないわけです。財政となると、すぐ翌年の財政という話になるでしょう。数値で表すということになるから、政府の与件としてインプットするしかないので、やはり少なくとも翌年度、それから翌々年度までのところは与件として入れて、あとは少しでも数値が改善すればよしとせざるを得ないですね。要するに高い目標設定はおそらく難しい。

工藤 起債制限比率が高く、財政問題が危惧されるところではどういうマニフェストをつくるべきなのかということが出てきますよね。

増田 ここは数年というか、10年単位でそういう企業の成長力に依存できるところと、そうでないところとでは相当違ってくるのではないですか。

北川 これは既存の発想で課題設定していると答えが見つからない。要するに本当に分権を進めていこうと思ったら、東京問題が当然議論になってくる。税のあり方が根本的に変わらないと答えが出ない。だからこそ、そこへだんだんと収斂していく一里塚の一つとして、ロードマップが必要になる。

工藤 ローカルマニフェストは運動のプロセスだと思っていますが、この過程の評価というのは、そこがまた難しい。これは今の制度にいろんな意味で矛盾があるわけだから。

北川 難しいけれどもやらなければ。増田さんに最初にやってもらっても、初めてのことだから試行錯誤だと思う。自治憲章もそうでしょう。だけれども、これで地方の自立を高めていこうという運動が起こる、そういうふうにとらえた方がいい。国の政治はまさにそこへ行かなくてはならない。国と地方のザインとは何かといったら、例えば税制の問題であり、ライフスタイルの問題であり、地方と地方の関係、そういうことを議論することにならないと。

増田 そうでしょうね。マニフェストをつくる人間の能力が問われて、今度はそれを評価する側の能力が問われる。

北川 それをやっていると永遠に百年河清を待つで、まずつくられたということを僕は高く評価する。だから、民間が育ってくるということがとても重要だと思う。


工藤 最後の質問ですけれども、こうしたマニフェストの動きの結果、地方の自立の最終目標というのは、どう描いていますか。

北川 これは私が先に問題提起してみましょう。私は、地方の問題が統治の規模の問題に落ち着く可能性は非常にあると思っています。今の北欧ではいわゆる500万人から1000万人規模で、例えば負担と給付の関係を見ても、所得の75%の税を払っても大丈夫ということを投票率90%に裏打ちされているように市民が決めている。いわゆるバイ・ザ・ピープルが行き渡っているというガバナンスが実現している。そうすると、この国も道州制から連邦制という形に移行して、500万から1000万人ぐらいの自立した体制の中で連邦制が敷かれて初めて、1億数千万のガバナンスができるのではないか。負担と受益の関係があまりにも見えにくいという点について、これから議論の対象になっていくのだろうと思っています。バイ・ザ・ピープルという負担と受益の関係、私の税金はここでこのように使われているということが見えてこないと、自分も参画する意欲が薄れてしまう。

増田 今の話は統治機構をどうするかの話だと思いますが、僕は国と地方との関係ですから、北東北3県で大体 400万、東北6県で1000万。だから北東北あるいは東北でいうと、今おっしゃったような500万から1000万の中で、3県、4県、あるいは6県の集合体の規模であれば、ちょうどそういう議論ができる単位と思っています。

北川 それが工藤さんの言うデザインですね。

増田 ただそれを、例えば四国はどうですか、いや四国は規模が少し足りないから中・四国を一つの単位にしましょうとか、そういうのはそれぞれの地域でいろんな考え方があると思うので、それは地域が決めていくことだと思います。私が統治機構の概念というときに、一国多制度のような考え方をそこに入れ込むかどうか、国の中枢の統治機構、たとえば防衛などは別にしても、それ以外については一国多制度のような形、例えばアメリカのように州が変われば税制も違うという形を日本でも導入するかどうか、そこがまた大きな分かれ道だと思います。今までと違うやり方を地域、地域によってつくり出していくというところにまで踏み込まないと、次に変わっていけないのではないか。

工藤 これは経営側から見れば、それぐらいだったらマネジメントできるという形という意味もありますか。

北川 経営側だけではなくて、主権者が見える範囲というか、判断できる範囲というのは、理論とは別にして、考えていかなければいけない。例えば今度の市町村合併でもそうですけれども、分権自立すべきだということで突き放しておいて、100人の役場で企画性が持てるかといったら持てない。だから、規模の問題は当然あわせ持っていかないとダメだということが、県レベルにおいても起こってくる。それは財源的にももはやそういうことをしないといけない。市町村合併も結局そこがかなりの理由となっていますが、県レベルでもそういうことが起こってくるというのは必然だと思います。

増田 そのときに、あともう1つ、特に国民、あるいは県民に申し上げておきたいのは、今のEUの動向をよく見ておいていただきたい。あれだけ規模が大きくなると、各国、各地方の文化が消滅するとか、そういうことをご心配される方が非常に多い。今まで全然経験したことがありませんから、非常に抵抗を示される方もいますけれども、EUがどういう動きをしているかというと、確かに通貨とか出入国管理などは25カ国全体でやろうということになり、さらに共通の憲法をつくろうとか、そうしたところまで踏み込んでいます。それはやはりアメリカに対する対抗軸をつくらなければいけないという強い危機意識の中でやっているわけです。

ところが一方で、文化や生活様式などに関していえば、EU内でも徹底的に地域にこだわっている。外部の文化や生活様式が自分の地域に浸透してしまうことまで受容すれば、一極集中が始まって強い者が勝つということになる。だからこそEUは、他地域の文化だけは徹底して混ぜないようにしている。だから私は、経済合理性からいえば、これから中国との大変な競争が始まる中で、競争に勝てるだけの武器を備えなくてはいけないと思いますし、国内的に見ても、東京一極集中をこれ以上進めるかどうかが大きなポイントになると思います。私は、その流れをこれ以上進めたくないわけです。むしろそうした流れを人口減の中で止めてほしいと思っているので、東京の対抗軸ということになれば、相当強い連合を各地域につくっていかなければいけない。ただ東北の中で大きな固まりをつくったとき、文化や生活様式だけはそれぞれの地域で徹底的にこだわりを持ってほしい。食文化などは残念ながら非常に薄れてしまっていますが、そうしたら強い者が勝つに決まっている。だから、やはり地域の文化とか、生活様式にもっと誇りを持ってほしい。その思いが「がんばらない宣言」につながっているわけです。そこだけは絶対に地域のものにこだわりつつ、500万人とか1000万人規模の固まりのようなことを、これからそれぞれの地域でやっぱり考えてもらいたいし、県民の皆さん方にもいろんな意見を出してほしいと考えているわけです。

北川 一つはヨーロッパでいう自治憲章、これは地方自治の憲法ですね。その点で先進的な例が日本でも数県出ていますが、これは自治体が今後大いに考えていかないとならない問題で、まさに地方自治を進めていく上での重要なことだと思います。補完性の原理、サブシディアリティーというのも実はマストリヒト条約の前文に書かれていて、地域のアイデンティティーをどう残すか、もう一つは文化のアイデンティティー、グローバルになればなるほど、ローカリティーをどう残していくかということが問われます。

自治憲章を地域でつくるだけの能力がないとだめであり、そういう政策立案能力もまた、我々に問われているということです。

工藤 こうした議論をこれからも継続していきたいと考えています。今日はどうもありがとうございました。

(聞き手は工藤泰志・言論NPO代表)

次に、このローカルマニフェストが実質的な県民との契約となるための問題として、何点か聞きたいことがあります。増田知事も最初におっしゃっていましたが、サービス合戦になってしまう恐れがある。つまり政策というのは...