「第8回言論NPO会員フォーラム」議事録 page1

2004年11月24日

コーディネーター:イエスパー・コール (メリルリンチ日本証券株式会社マネージングディレクター)
            工藤泰志 (言論NPO代表)

masuda_h040729.jpg増田寛也 (岩手県知事)
ますだ・ひろや

1951年生まれ。1977年東京大学法学部卒業、同年建設省入省。千葉県警察本部交通部交通指導課長、茨城県企画部鉄道交通課長、建設省河川局河川総務課企画官等を歴任し、1994年退職。1995年4月岩手県知事初当選。2003年4月岩手県知事三選。

hosak_k030423.jpg穂坂邦夫 (埼玉県志木市長)
ほさか・くにお

1941年生まれ。71年埼玉大学経済短期大学部卒業。埼玉県職員、足立町(現志木市)職員を経て、志木市議会議員、埼玉県議会議員を勤めた後、2001 年より現職。第8代志木市議会議長、第99代埼玉県議会議長を勤め、現在、志木市体育館協会会長に在任中。77年学校法人医学アカデミーを設立、理事長に就任。81年「医療法人瑞穂会城南中央病院」を設立、会長に就任。現在は、老人保健施設「瑞穂の里」や訪問看護ステーション「みずほ」を併設している。

kitagawa_m040616.jpg北川正恭 (早稲田大学大学院教授、21世紀臨調共同代表)
きたがわ・まさやす

1944年生まれ。67年早稲田大学第一商学部卒業。三重県議会議員を経て、83年衆議院議員初当選。90年に文部政務次官を務める。95年より三重県知事。ゼロベースで事業を評価し改善を進める「事務事業評価システム」の導入や、総合計画「三重のくにづくり宣言」を策定・推進。2003年4 月、知事退任。

言論NPOは、2004年10月13日、東京都内で第8回目のフォーラムとして、「ローカル・マニフェストと地方の自立」というテーマを選び、新しい政治の仕組み、とくに地方から政治を変える動きをつくりだすことをめざすにはどうしたらいいか、という点に関して、それぞれの分野で先見性をもって行動されている3人のゲストスピーカーをお招きし、議論しました。

フォーラム自体の報告は、既にホームページ上に掲載されており、ご覧いただければと思いますが、今回は、その議論の詳細を再録しました。


「第8回 言論NPOフォーラム」報告はこちら

「第8回言論NPOフォーラム」参加者からのご意見・ご質問の回答
〈 増田氏への質問&回答 〉〈 穂坂氏への質問&回答 〉〈 北川氏への質問&回答 〉


三重県知事2期目の時代にマニフェストに近いものを先取り

言論NPOは、今までは、会員フォーラムという格好で、言論NPOの会員の人たち向けにいくつかこういう格好のパネルディスカッションをやっておりましたが、今回から、我々の活動のすそ野を出来るだけ広げるために、一般の方々にもお声を掛けましたところ、たくさんの方に集まっていただきました。さっそくローカルマニフェストと地方の自立の問題について、議論を始めましょう。

コール まず、北川さんは、5年前の三重県選挙に出られた時には、マニフェストは全くなかったですよね。なぜその時にはマニフェストを書かなかったのですか?

北川 その時は、しても無駄だと思ったからです。

コール では、今は無駄ではありませんか?

北川 はい。ものすごく効果があると思います。私は知事を2期やったのですが、2期目の公約は、かなりマニフェストに近いものを作りました。私は、公共経営体も管理から経営に行かなければいけないということを盛んに主張しておりました。予算主義から決算主義へ行こうということです。決算主義ということは、アウトカムと言いますか、成果をきちんとはかっていかなければいけません。PDSやPDCAサイクルを回そうということで、私のビジョン、今の言葉で言うとマニフェストを達成するために、マニフェストやビジョン自体の理念を大いに議論することは、地方自治体にとって大切なことだということを何度も言いました。

それはなぜかというと、今までは、国が考えたことを黙々と執行するだけ、つまり地方は機関委任事務を行うだけの機関に過ぎませんでした。理念などは考えずに中央省庁にうんと頭下げなさいという、そんなことだけだったのです。ところが地方分権一括法で大きく変わりました。だから、理念こそ大切だということで、徹底的にその議論をしましょうということになったのです。

そして、それと同じぐらい重要なことは、その理念を具体的に政策に移すマネジメントがいるということです。これがないと絵に描いた餅になりますから、マネジメントシステムをつくっていきました。

今までの総合計画とマニフェストとはどう違うかというと、総合計画は、所与のものや予定調和の条件の中で、国の縦割りを全部認め、そして、県の組織にしても、農林水産部なら農林水産省と同じ課があり係があって、下からすべて政策を積み上げていき、最終的に総合計画となるわけですから、改革や革新をするということではないわけです。だから、理念に基づいたマニフェスト、ビジョンに基づいたシステムに変えなければいけないと思ったわけです。そして、それを達成するために、縦割りがまずいのならば、総合行政に変えるマネジメントがいるのです。それで私は、予算を作る財政課もなくしましたし、人事課も全く要らないということでなくしました。しばらくして、増田さんのところもなくしたのですよね。

増田 ええ、そうです。

北川 理念追求型のマネジメントでいくと、やはりそのように変えていかないといけないということが、頭の中にありました。しかし、機が熟していないから、自分の選挙では一応マニフェスト型の公約にしておいて、そして時期が来たらいつの日かと思っていました。私はビジョンという言葉を使いました。カルロス・ゴーン氏(日産自動車CEO)はコミットメントという言葉だったのですが、そのことを実現してみたいと思っていました。

知事を辞める時には知事選でマニフェスト選挙を仕掛け

実は、知事を辞める時に、増田さんにもご出席いただいたのですが、私を含めて6名の知事が参加したシンポジウムで、「マニフェスト選挙をやりませんか?」ということを仕掛けたのです。そうすると、増田さんらがそれに応えてくれて、「やはり破るべき約束より守るべき約束でいこう」ということになりました。そして、ちょうど地方分権一括法が動き始め、「あれもこれも」という時代ではなくて、「あれかこれか」の選択を地方の優れた首長はせざるを得なくなったのです。

優れた首長の皆さん方は、選挙の後でそのつど団体に言い訳をして、「あなたの予算をカットしました」などとは言いたくないのです。だから断固、選挙の前に有権者の前で、「カットします」と言うのです。増田さんは、「公共事業200億円カット」と言ったわけです。そのかわり、それに対して産業移転や労働力移転など、全力で岩手県の体質を変えるということを約束しました。それは、時代が、地方分権一括法がだんだんと効いてきて、ユビキタスな社会、IT社会が出てきて、組織外体質改善をしなければいけないというムードが高まったからです。増田さんらにも十分な根回しをしてありましたから、当然返事するに決まっていたのですが、みんなの前で返事をしていただき、ドンとやったのです。

政治家には目測もいると思います。私が2回目の時にはまだそこまで火がつかないと思ったので、去年の統一地方選挙でぜひ入れたいと思いました。なぜそれほど強く思ったかというと、統一地方選挙から1年以内に総選挙があるということを読んでいたからです。

知事の皆さんで必ず成功すると思っていましたから、このサクセスストーリーをもって総選挙にぶつけたら、各政党は必ず聞くと思ったのです。もし自民党が聞かなかったら、「そうですか、政権交代になりますよ」と一言いえば済みます。野党の民主党にお願いするときは、「本当に断固たる決意で書かなければ、権力政党に勝てるわけはないですよ」と言えば、その通りになりまして、マニフェスト選挙になったということです。5年前は時期尚早で、去年入れたからこそ、ムーブメントが起きたかなと思います。

コール 分かりました。それでは、次に、増田さんにお聞きしたい。私は日本の地方政治や経済のことはよく分からないのですが、増田さんの岩手県知事としてのローカルマニフェストを読むと、具体的には、中央役所から国のダウンサイジングを決めたわけですね、緊縮財政とか。だからこれは、地方レベルではどうやって説明するのでしょうか。増田さんのマニフェストを読むと、これはその一つの意味ではないのかなと思いますが、どうでしょうか。具体的には、地方から上がってくるのか、あるいは、中央の緊縮財政から入ってきたのか。

増田 今、国家財政も大変厳しいわけですが、国家財政のダウンサイジングではないかというようなお話で、本当に地域の自立という観点でそれが出来上がってきたものなのかどうか、というような趣旨のご質問かと受け取りましたが?

コール はい。

増田 私のマニフェストは、なにしろ書いている私が中央政府の役人上がりなものですから、そういう出自というのもあります。今の地方政府自治体は中央政府から財源や権限をコントロールされており、中央集権体制の色彩が強いわけです。地方が行っている仕事のほとんどは機関委任事務なのです。つまり、国から委任された仕事が多いわけで、同じ地方政府でもアメリカの州やドイツの連邦の州は本来の仕事である自治事務の割合が高い。だから、地方政府と言った時の意味合いが全く違うわけです。

地方の自立に向けてマニフェストをつくっている

地方政府の長として、毎日、行政をしながらその合間にマニフェストを作りましたので、私は事業を実行する財源を明確に示すことが非常に重要なポイントであると考えました。

結局、財源は正確な意味では書けなかったのですが、今、北川教授がお話しになったように、「私は公共事業をこれだけ下げて、そこで生み出されたものをこういうものに使います」と、そういう言い方をしました。

マニフェスト自体、そういう現行の仕組みを前提とした上でしか書けないということはあります。それは確かに、中央がコントロールする出先機関に過ぎない地方政府」としてやれることを、岩手県の財政力ですから47分の1というよりはもっと小さな財政力の中で実現を図ることができるものを示すに止まりました。

ただ、そういう仕組みの中で出来上がったマニフェストではありますが、一応私なりに考えて、その中に「北川教授流で言えば理念というか、自立に向けての理念を書きこんでいるということです。地方政府が中央政府から独立するためには、三位一体改革が断固実現されなければならないものとして支持をし、提言活動などを行っているわけですが、自立に向けての道筋をマニフェストの中に出来るだけ書きこんでいるということです。

そして大事なことは、マニフェストを検証することです。検証して、住民にその結果を見せなければいけないわけですから、そういう独自の仕掛けが県の中である程度出来上がっていないと、マニフェストというのは作っても意味がないわけです。そうしないと、従来型の単純な「あれもやります、これもやります」の選挙公約とほとんど変わらないわけですから。

私は初当選が北川知事さんと全く同じ時期でして、北川教授のように2期では退かず、3期目に入っていますので、「まだやっているのか?」と言われていますが(笑)。私も、2期目の時は全くそういうことはやっていません。やってもうまくいかなかったと思います。それは、検証の仕組みが県庁としてまだ出来上がっていなかったということがあります。今の事務事業評価や公共事業評価などのいわゆる政策評価体系は、2期目の半ば、あるいは後半になってやっと体系として出来上がりました。それによって検証可能な形になったので、マニフェストを作っても意味があると思ったところもあります。そこで、岩手県としての実情にあって、財政的な自立や意識の上での自立に向けての筋書を、その中に書いたつもりなのです。

それから、作り方は、総合計画のように下からぜんぶ現状肯定でその枠を破らずに作ったのではなく、理念として選挙で民意を問うということで、「公共事業をこれだけ減らす」ということを先に掲げてやってきました。ですから考え方は全く違います。

ただし、財政などは今の中央がコントロールする既存体制の中で書いておりますので、その部分が、今お話しにあったように、中央からは中央政府のダウンサイジングという形で見られている部分があるかもしれません。これは三位一体改革とは別の場面で、地方政府がより独立性を高めることによって解決していかなければならない問題ではないかと思っています。

コール 次は穂坂さんにお聞きしたい。穂坂さんは多分、外国人だけではなくて日本人の

目から見ても非常に素晴らしいと思うのです。というのは、当選した後、当選してだいたい2年少ししてからマニフェストを書かれたわけですが、これについてはどうでしょうか。選挙の前に、これを約束しますというマニフェストを出して、結果主義の判断をするのではなくて、任期中に出すということはどういうことでしょうか、それを説明していただきたいのですが。

選挙前ではなく在任中にマニフェストつくったユニーク市長

穂坂 今、マニフェストの話が出ましたが、私の場合は選挙公約ではなく、市民との約束という意味合いでのマニフェストを作りました。それは、私は4年という任期で、もちろん無投票でしたが、3年目に入っているわけですが、無投票であるがためにマニフェストは必要がなかったといいますか、選挙の手法としては全く必要ありませんでした。相手が誰もいませんから。

ただ、私はシティーマネージャーであり、生活者の皆さんがオーナーであるというふうに位置付けしてスタートしましたから、言ってみれば、先ほどコミットメントという話が出ましたが、マネージャーとしてオーナーに「これとこれとこれは約束をする」ということをきちんと分かりやすく開示する、そのためのマニフェストだというふうに、私自身は捉えています。

市長というのはもともと中小企業の、まさに小さいところの支配人だと思っていましたし、実感もそうです。ですから、逆に言えば、知事の皆さんとは違って、市町村長には政治理念はあまり必要ないのではないかと思うのです。むしろ経営感覚さえあればいいのではないかと思っています。

日本の場合は、がんじがらめの中で三層構造の基礎的自治体は一番小さいのですが、しかし、これはマニフェストに挑戦したこととも少し関連するのですが、私は、国よりも都道府県よりも、市町村の役割はものすごく大きいと思っています。それは、市町村の力、地域力や住民力、そういうものが国の基盤になっている。しかも、民主政治の土台は市町村が作るものだと思っているからです。

ですから、マニフェストも、真似をしたわけではありませんが、まず住民の皆さんが、民主政治の学校のスタートラインとしてみんながお互いに理解をする。そのことによって、例えば増田知事が出したマニフェストの評価ができる。あるいは国の政党の皆さんが作ったマニフェスト評価することができる。その一番下の基礎的な学校である市町村がマニフェストをきちんと作ることによって、民主政治の基盤あるいは勉強ができる。こういうことも考えています。

まあ、いろいろと理屈はありますが、簡単に言えば、マネージャーだから4年で早く仕事をやる、4年という限られた中で全力を尽くす、そのためには分かりやすいようにきちんと出すということです。

もう一つあるのは、私は、地方を変えていこう、自立をしようと思っています。今の状態の中でやっていこうと思っていますから、職員は全然採らないで、市民が全部中に入ってもらおうと。市民との協働、格好良い言葉でいえば、行政体を分解して再生して変えていこうと思っています。マニフェストを出さなければ、「あの人は何をやってるんだか、何を言ってるんだか」と市民の皆さんには全く見当がつかないので、そういう反省もありまして、途中からマニフェストを作ったのです。

コール 民主主義は市民からスタートする。市民から日本を改革する、日本全体は改革する。これは非常に素晴らしいです。でも、フラストレーションは非常に大きいのではないでしょうか。と言うのは、民主主義は市民からスタートするということはそのままなのですが、本当の行政は霞ヶ関からスタートするのではないかと。

力関係で考えていくとどうでしょうか。マニフェストを書いてから、地方のパワーは、地方の政治家の中央役所あるいは中央行政との競争は、うまく改善できましたか? これは、3人の皆様に、出来れば具体的な例を出してお答えいただきたいのですが。

中央の地方縛りのもとで敢えて補助金返還運動を呼びかけ

北川 今まで私は、増田さんをはじめ、多くの知事候補の方に、「マニフェストを書いてください」とお願いしたのですが、「書けない」という真面目な候補者の方が何人かおられました。それは、国に財源を握られているから書けないということでした。知事や市町村長などのトップの方がマニフェストを書けないということは、自己決定、自己責任が取れないということの言い換えでしょう。だとすれば、それに仕える320万人の自治体の職員に達成感などあろうはずがありません。

ということから、当選後、増田さんをはじめ8人の知事に寄っていただいて、中央に縛られていて書けないと言うのであれば、この際、「その縛りのもとである補助金の返還運動をやりませんか」と言ったのです。そうすると、6人の知事が「やろう」となったのです。

1人の方は、「私は高速道路を抱えているから、いま国土交通省と喧嘩するのはまずい」ということで降りました。それは重要なことで、「どうぞ降りてください」と言いました。今までの知事会議などでは、みんな全会一致でやってきたのです。全会一致というのは、いちばん程度の低い、誰にでもまとまる談合をしたということです。だから、総務省の単なる下請けだったでしょう。そこで、多数決で戦う知事会議にしようということで、今度の3兆2000億円も、 40対7で彼らがまとめあげたというのは、実はマニフェストからスタートしているということが1つです。

マニフェストが書けないから補助金を返還しようという運動が起こり、現在は市長さんなども含めて40~50名で議論を重ねていく中で、3兆2000 億の問題も出てきました。小泉内閣が、知事会議という、何の法的根拠もない会議に、3兆2000億円まとめてくださいというのは、幕末に、阿部老中か井伊直弼が、諸藩の大名に「どうしましょう」と言って会議をしたことと全く似ていると思います。

ところが知事会議はそれをまとめあげた。丸投げしたものをそっくり返したら、丸受けするのが本当であるにも関らず、各省庁がてんやわんやの大騒ぎでしょう。マニフェストを書いたらそういう問題が浮き彫りにされました。6団体が結束して、丸投げされたのを丸受けしたわけですから、今度は政府が丸受けするべきだという戦いがこれから始まりますね。増田さん、頑張ってください。辞めると平気でこんなことが言えます。

増田 額として約200億円、公共事業全体の事業の30%はどうしてもカットしなければならないということをマニフェストで書いて、選挙民に受け入れられた。そういう形で県庁に出ていったわけですが、公共事業をやる部署のトップである県土整備部長が、30%カットした時のシナリオをいくつか用意してきて、これが一番実行可能な案だということを示してきたのです。

マニフェスト効果か、岩手県幹部職員が積極協力

ここがまず、私がマニフェスト作って良かったと感じたことの一つであり、良い関係が職員との間にできたと実感できました。マニフェストの中でそういうものを掲げていなかったら、そして従来のように出来るだけ票をとろうということで、痛みにかかわる部分を一切書かず、選挙を経て県庁に行って初めて苦い薬の政策を実行すると、職員はまず協力しなかっただろうと思います。怖くてそれに乗れないのではないかと。

マニフェストで私が書いたことによって、そして実行して30%カットが経済にたいへん打撃を与えてメチャクチャになったということになれば、その責めは私が一手に引き受けるわけです。それは職員と関係ないところで起きた話ですから。

それが選挙民の信任を得た以上、それに沿った一番いいシナリオを書くのはやはり職員の役割ということで、お互いの責任の範囲が明確になったのです。

それから、うちの県は公共事業依存度が高い県ですから、政策的には大転換ではありますが、もちろんその後、議会ともずいぶんいろいろとご議論はいただいておりますが、そういう方向に転換するきっかけや原動力になっていることは間違いないことです。

ひるがえって、中央政府でどういうことが行われているかと言うと、中央政府はもちろん、今の三位一体改革でも、内閣が各省ごとにバラバラで、本来いちばん国民に責任を持つべき内閣総理大臣、小泉純一郎さんが「地方の案を真摯に受け止める」とたびたび言っておりますが、それに各省が反乱をしているという状況になっているわけです。それぞれが、それぞれの省益を本当に真剣に訴えているという、皮肉な状態になっているわけです。

なおかつ内閣改造で、この間大臣が代わりましたが、前の大臣はずっとその省庁の役人と付き合ってきていたから、いわば洗脳されていたのかもしれませんが、ついこの間内閣が代わって新しい顔ぶれになっても、新大臣の言うことが全く前と変わらない。よほど大臣交替時の最初の記者レクがうまくいったのかもしれませんが、いずれにしても、これは知事会長もよく言っている話ですが、大臣というのは政治家ですから選挙の洗礼を受けているわけですが、そういう選挙の洗礼を受けた人間がしっかりとした判断をしなければならない。

選挙の洗礼を全く経ていない、国民との関係で責任が曖昧な存在になっている、いわゆる官僚や役人といわれる人たちが政策を完全にコントロールしているということは、責任の所在を曖昧にするし、無責任な体制につながるのではないか。選挙を基軸にして、はっきりと政策を出して、その上で、国民の審判を経た上で政策の効果を検証していくという形にしないと、国民と政治家の良い関係は築けないと思います。

私は、地方自治体の中でマニフェストに取り組んだところから、そういう良い循環が起こりはじめていると。そこが中央政府との違いではないかと思います。

穂坂 マニフェストを作った効果は、一つは、中央集権という言葉がありましたが、地方はなかなか実感として「そうだ」というのがよく分からない。基本計画は10年と決めてローリングするということになっていますので、私はまだ3年ですから、私のところの基本構想は、前の市長が作ったものが残っているわけです。しかし、そこに私のマニフェストを作っても、誰も文句を言わない。

住民説明会で事例比較しながらマニフェストの説明

なぜかと言うと、いい加減に作ってあるから。何にでも収まるように出来ているのです。要するに、どこを切っても金太郎飴みたいな基本構想を市町村は作っている。それはそうでしょう。国にがっちり抑え込まれた中で作りますからという言い訳もあると思いますが、そういういい加減さが、マニフェストのお陰で職員にも議員にもやっと分かってきました。

「穂坂さん、新しくマニフェスト作ってどうするのですか?」という声が、出来る前はずいぶんありました。出来て「どうですか?」と言ったら、「うーん、これは、基本構想にも合うね」と言っていました。そういういい加減といいますか、形だけ作ればいいという、そういうものがマニフェストによってはっきり分かってきた。そういう良さがあったと思っています。

それからもう一つは、今、三位一体の改革の話がいろいろと出ていますが、私はいつも住民の皆さんに、「三位一体と言っても、入り口はあるけれども出口はないよ。中に入ったら真っ暗闇でどこが出口だか分からない。だから、まあ、そんなに期待もできないでしょうね」という話をしていました。

今、住民説明会をやっているのですが、マニフェストと、理念があってもプログラムは全くない三位一体改革、その違いはこういうことですよという事例を比較しながら説明ができる。そういう点で、ある意味では教科書みたいにも使える。具体的には、住民との間で議論できる良さもあります。その2点が一番大きいです。

北川 増田さんは3期目ですよね。マニフェストを書いたとたんに県道整備部長が、「これで出来ます」と持ってきたのですよね。では今までの2期は何をしていたのですか。増田さんが急に賢くなったわけではなくて、増田さんがマニフェストを掲げ、断固たる責任をトップがとったからこそ、役人はそれをやるという良い循環が起きたのです。これがマニフェスト効果なのです。増田さんが立派でも何でもないわけで、マニフェストとかを入れないと変わらないということが一つあると思います。その次に、初登庁した日に県道整備部長がもってきたという、そのスピードがものすごく上がったということが言えると思います。

もう1つは、今まで物品税とか消費税とか売上税とかいろいろと名前は変わったけれども、志の高い内閣がそれを掲げて選挙した時に大惨敗をした。したがって、やっぱり国民はダメだということで、政党は堕落して、既存の勢力を対象にした公約、いわゆるスローガンの公約をしてしまった。本来、政党は、新しい価値をどうやって創造していくかというたくましさがなければならないのに、既存の体制擁護に回ってしまったから、無党派の知事とか市長が増えてきたのです。その点は、政党は大反省をしなければいけない。

そこで、増田さんは200億円公共事業カットを掲げた。日本でもかなり遅れている、公共事業型のあの東北地方でも、200億円公共事業カットということに対して誠実に説明をしたら、やはり有権者は賢かったという、日本の民主政治選挙史上初めてのことだったと思います。200億円カットしたら倒産が起きる可能性がある。あるいは建設従事者に失業者が出るということに対して、その200億円を産業の移転費に使うとか、緊急雇用対策で使うとか、そういうことを誠実に訴えて、90%の得票率を得て圧勝した。有権者は信頼すべきものだというのは、ここで初めて民主という民主主義が作動したと評価してもいいと思います。

もう1つは、日常の努力というのは、公務員の方は真面目ですからトップリーダーの方と一緒に懸命に頑張っていらっしゃいます。しかし、今までの公共事業依存型を大転換して産業転換をやるという、非日常の成果を挙げるためには、やはりトップリーダーの強い決意がいると思います。ただ、トップリーダーの単独の決意ではだめですから、選挙の前に有権者が選んでその政策を選択したからこそ、増田さんは県民の信任を得て断固やったからこそ、県職員の方が一緒にやるという良循環が起こったのです。

ローカル・マニフェスト・サイクルをつくることが重要

この良循環を作る、あるいはマニフェストサイクルを起こしていくことこそが私どもの仕事なのです。国は議員がたくさんいて、誠実に反対するような官僚がたくさんいるという状況です。だから、先に地域から日本を変えようということで、ローカル・マニフェストの意味はそこにあります。良い面からいくとそういう点は多いのだと思います。

コール 前向きのことについて考えると、例えば、うちの地方で税制をそのように改革したら新しい地域開発が出るのではないかとか、そういう前向きで建設的なことをマニフェストに入れると、それは絶対にできないでしょう?日本の行政制度では。どうでしょうか。フラストレーションはありませんか?

増田 そういう意味での限界というか、制度的な意味での壁や障害というのは、日本の場合には大変厚くて高いものがあります。「フラストレーションはありませんか?」と問われて、「全くありません」と答える首長はいないのではないかと思います。

「今の方が楽でいい」と思っている人もいるかもしれませんが、それは志が低いと言わざるを得ません。今お話しした、例えば税制の話がありましたが、そういった枠組みの問題というのは、常に我々が真正面から向き合っていかなければならない話ではないかと思います。

今までそういうことをあまり議論してこなかったのは、税収がある時期まで増加傾向にあったからです。職員数も増やして、官民の役割を吟味せずとも、官の方が色々と仕事をこなしていくことが出来るだけの余裕がありました。これはおそらく高度成長時代の、成長軌道に乗っていたからです。このような右肩上がりの時代には、フラストレーションを感じることもなく、制度のことをあまり議論しなくても、常に新しい行政ニーズに対して、税収の増加分で新たなニーズを満たすような政策を実行することができました。それで、「仕事をした」ということになっていたのだと思います。

ただ、そういう時期もあれば、全く逆方向の時期も常にあるわけで、現在は、それに対して機能不全を起こしているのは間違いありません。制度の枠組みだとか税の問題や財政の問題にとっても、単年度主義で決算等も明確な形で明らかにはならないような仕組みの中で、自治体がそれでいいのかどうかという根源的な問題というのは常にあると思いますし、そういうものを財政の面だけではなく、いろいろな面から明らかにしていく時期にきているのではないかと思っています。

穂坂 税も同じですが、財政改革や行政改革などと日本ではよく言われますが、どこかを切り詰めて無駄を省いていくというのはいいのですが、住民のほうは、それをやってもらっても全然変わらない。私も県会議員が長かったのですが、国がやろうと都道府県がやろうと、うまく節約して行財政改革を行って成果を挙げましたといっても、受け取る住民のほうは、それで何か変わったのかと言うと、何も変わらない。  

ですから、聞いている間にくたびれてきて、まぁ、絵に描いたぼた餅でもいいのではないかという錯覚に陥りやすい。そういう意味では、マニフェストとそういうものを結びつけることによって、これだけの行財政改革をやることによって、これだけの事業ができるという、入り口と出口をきちんと説明することができるマニフェストは、ものすごい効果があると思っています。

うちは、地方自立計画、先ほど少し触れましたが、とにかく職員は採らない。最終的には1割で良いと。500~600人いる職員は50人でいいと言っていますから。そういう面では、職員を住民の皆さんにどんどん替わってもらうことによって、これだけの財源を作ってこれだけの事業をやりたいと。

例えば25人学級とかホームスタディー制度などをやりました。これは志木市が全国で初めてやったことです。最初のうちは公用車を廃止したりしてやったのですが、それでも間に合わない。しかも国がこんな状況で、地方交付税もほとんどあてにならない。ということで、市民の皆さんに中に入って仕事をやってもらおうと。

「第8回言論NPOフォーラム」議事録 page2 に続く

 言論NPOは、2004年10月13日、東京都内で第8回目のフォーラムとして、「ローカル・マニフェストと地方の自立」というテーマを選び、新しい政治の仕組み、とくに地方から政治を変える動きをつくりだすことをめざすにはどうしたらいいか、という点に関して、それぞれの分野で先見性を