「日本の知事に何が問われているのか」/前岩手県知事 増田寛也氏

2007年5月11日

 「日本の知事に何が問われているのか」をテーマに、全国の知事にインタビューを続行中です。
現在の発言者は増田前岩手県知事です。

camp4_iwate.jpg増田寛也 (前岩手県知事・地方分権改革推進委員会 委員長代理)
◆第1話:5/11(金) 「改革派知事とこれからの知事」
◆第2話:5/12(土) 「大切なのは自立を勝ち取る覚悟」
◆第3話:5/13(日) 「地方の構造改革をどう組み立てるのか」
◆第4話:5/14(月) 「今の地域経営に問われているのは選択と集中」
◆第5話:5/15(火) 「知事は何を有権者に訴えなければならないのか

増田寛也 (前岩手県知事・地方分権改革推進委員会 委員長代理)
ますだ・ひろや

1951年生まれ。77年東京大学法学部卒業後、建設省入省。千葉県警察本部交通部交通指導課長、茨城県企画部交通産業立地課長、建設省河川局河川総務課企画官、同省建設経済局建設業課紛争調整官等を経て、95年全国最年少の知事として現職に就く。「公共事業評価制度」の導入や、市町村への「権限、財源、人」の一括移譲による「市町村中心の行政」の推進、北東北三県の連携事業を進めての「地方の自立」、「がんばらない宣言」など、新しい視点に立った地方行政を提唱。

第1話 改革派知事とこれからの知事

今、新しく知事になってくる人を見ていると、この人は当たりさわりがない、みんなで担げる人だということで担がれた人が多いのではないでしょうか。国会議員などには、長野の田中さん(康夫前長野県知事)のような方がまたあちこちで出てきたら大変だという警戒感があるのかも知れません。地方分権が進んできて、知事に対して逆に警戒心が高まったところもあります。

それは逆に言うと、住民からの期待感も高まったということと裏腹です。住民を基点にして住民に支持され、マニフェストを出して、そこに苦い薬も入れつつ、それで当選ができたら、それを力にして物事を推し進めていこうという動きが始まりました。それは、既存の支持基盤や既得権益を享受してきた人たちから見ると、非常に脅威に感じられます。

現実にそういう住民に支えられた知事が何人かいましたが、そういう人たちが、多選であったり、選挙に落ちたり、逮捕されて失脚したりなどと、色々な理由で、いなくなりつつある。今は元に戻り始めたという感じがします。一時期、「戦う知事会」などと梶原さん(拓前全国知事会長)が言って、分権を進め、三位一体改革で本当に地方に税財源を移し、そこで自己責任でやってもらおうという話があったときは、霞が関や永田町、既得権益からの相当な抵抗はありました。そういう時代を過ぎ、逆にその時代にいろいろ発言していた知事は余り多選を好まないから、それが今、ちょうど代わっていく時期になった。そのときに、今までの反省に立って、無難な人を選ぶという動きがあるのかも知れません。

一方で、地方自治というものは、いつも逆風にさらされています。知事が3人も逮捕されたのはさすがに初めてですが、他県のことだからといって目をそらさず、真正面からみんなが受けとめなければならないと思っています。国民の皆さんにはこうした知事の不祥事は本当に申し訳ないと思いますが、10数年前にもゼネコン汚職がありましたし、それで宮城県の浅野さん(史郎前知事)のような人たちが出てきました。私が知事になった頃は、裏金や官官接待で叩かれた時期です。それを乗り越えて透明性を高くしようとして、情報公開も地方自治体の方がぐっと進みました。今は、そこに乗り遅れたところで裏金の問題などが出てきています。

ですから、地方自治は大きな波の中で翻弄されつつ、全体としては、やはり進んできたと私は思います。住民に開かれていて、マニフェストで住民と約束をするという形に向け、2合目か3合目までは登ってきたのではないでしょうか。今、知事の交代期ではありますが、最後は有権者がまた新しい人たちを見つけていくのではないかという期待感を持っています。

不祥事があれば、有権者は東国原知事のような人をちゃんと選ぶわけです。もちろん、彼の今後はこれから問われるわけですが、有権者がああいう知事を推し立てようとした、そのことを経験してしまったのですから、こういう住民のエネルギーで政党などが推した首長を代えるという流れは、そう簡単に崩れないと思います。

私自身についていえば、知事になりたくてなったのではなく、知事というポストを通じて県民の幸福を実現する、さらに大上段に言えば、分権を実現して国全体をもっと良い形に切り替えようということでしたので、やれることは全部やったつもりです。やれなかったことはあと4年やってもできるというものでもなく、むしろ多選の弊害の方が多くなるのではないか。それが私が知事を辞めた最大の理由です。今の時点では、これまで分権改革ということで知事になってきた知事の多くが、そういう思いを共有しているのではないでしょうか。

当選すれば、議会や色々な既得権益と闘って、もまれて人は育っていく。それが余り長いと、またそれが硬直化していくから、やはりどこかで切り替えていくということが必要です。

知事の権限といえば、予算編成権と人事権の2つが一番大きいと私は思います。そこを握っているがゆえに、県庁の人から見れば恐怖感もあるし、長く続けば、役人ですから頭がいいので、大体知事は次にこういうふうに動くだろうと、こうやると知事は喜ぶだろうと、みんな見ていくわけです。そして、県庁全体が知事に対して物を言わなくなって、裸の王様になる。私は実際に茨城県の課長を経験して、そういう雰囲気を味わっていました。そういう意味で多選というのはよくないと思います。

また、今は、県庁あるいは地方行政を取り巻く状況は大きく変化しているわけですから、本当に大きな政策転換を図るためには、やはりトップを代える、トップが代わることが非常に大きいと思います。知事は民間企業でいえば会長と社長を兼ねているような存在です。上場企業で12年も16年もやっている人というのは、余りいないと思います。


第2話 大切なのは自立を勝ち取る覚悟

最近の知事会を見ていると、交付税をこういう配分基準でやるのは大変だから、こういうところも見てくれといったようなお願いばかりが目立ちます。これは寂しいことです。やはり、自立というものは自分で勝ち取る、その覚悟がなければなりません。当面、多少お金が減っても、それを耐え切る。その上で何か違うダイナミズムを生み出して勝ち取ろうという覚悟がなければだめです。小泉さんの郵政のときのあの覚悟は悲壮で、あれを見てしまうと、いかにも最近の動きは生っちょろい。これでは知事会が国民に見切られてしまうような感じがします。

確かに、交付税が減り、今、地方の財政はきついのですが、本当はそれを上回るだけの知恵を知事側は出すべきです。国も金がないわけですし、地方も金がないときに、やはり国民の負担をそんなに増やすわけにはいかない。ですから、お金がなければ別の知恵を出すというような方向に持っていかないと、とても自立は勝ち取れないと思います。

格差ということも言われ、大変厳しい状況はありますが、それも、本当に行き詰まったときには絶対それを打開する動きが出ると思います。中央省庁が補助金を配って何かをやるという構造は行き詰まっていると思います。ですから、地方自治体が住民にわかりやすい、もっと良いモデルを少し指し示せば、そこの壁は破れると思っています。

今やっている基準とか仕掛けというのは、どれも前の焼き直しです。今何をしているかというと、県を通すと、知事たちが補助金廃止、税源移譲ということをまたうるさく言うからというので、県を通さずに直接市町村や農業団体に補助する。国はそのようなことをやっています。頑張る自治体の応援プログラムというのも、額はそれほど大きくないですし、それほど違和感はないですが、やはり配分基準で国が配るということに対してはみんな大変な抵抗感を示しています。ですから、今はもう国は、新しい知恵というものをなかなか出せない状況だと思います。

では、地方が本当に自治のモデルとして良いものを出しているのかということになると、まだ単発で散発的ではありますが、やはりお金がないならないなりに知恵を出している。夕張で今年の1月に、地元の人たちだけでやっていた成人式のテレビ報道がありましたが、本当に行くところまで行けば、やはり自治ですから、有権者、地域の人たちがパワーなので、行政に頼らないということが出てくると思います。

それを、そこまで行かない段階で、地元で徹底的に議論し、その力を引き出していくのが、これからの行政の仕事ではないか。国に行って金を取ってくるのがこれまでは優秀な公務員でしたが、そこを切り替えることです。三位一体改革の後の、まさに次のステージの課題がきちんと合意されていませんが、例えば二重行政の元凶である国の地方出先機関をつぶしたり、二重行政をなくす、あるいは法律で規定されていることについては条例制定権を拡大する、それぞれ県で違っていいから条例で書いたらどうか。そして、やはり分権型の道州制は進めるべきだと私は思っています。

ただ、底流にあるものとして、いずれにしても、そういったものを成功させるには、本当に自治について目覚めた地域の人たちの力が必要です。その力をわき起こすように、行政が地域に勇気を与えなければならない。あるいは、職員が地域に入っていって一緒に議論して、その新しい力に自分たちで火をつけて生み出していくべきです。

地域に常に根差していないと物事は動きません。私自身がどこまでやれたかということはありますが、やはり市町村を中心に、あるいは市町村からさらに地域の自治組織のようなところで、時間がかかっても物事をつくり出していく。そこの行き着く姿としてきちんと道州制のような姿を指し示せばいいと思います。本当に地域の自治組織や個々人が動いていかなければ、物事はそこに向かって進んでいきません。

私は、霞が関は1府3省か4省でいいと思っています。法務省と外務省と防衛省、あとは内閣府に全部集中させる。さすがに外交や法務や防衛は国ですが、それ以外のところは全部、それぞれの地方のブロックのところでやるべきです。例えば東北では子育てと老人が大事なので、子育て省があって、そちらの方にうんと重点を置いていいし、九州の方は、例えば産業振興をやろうというのならば、産業振興省をつくり、それで独自の何かをやればいい。行政組織を含め、もっと地域の柔軟性や特色を生かしたようなものをやればいいのではないでしょうか。まず国の役割を限定する、それから補完型で、地域でどこまでできるかから組み立てていく。

それを実現するためには政治パワーがなければなりません。今の安倍内閣でそれができるかどうか懐疑的です。


第3話 地方の構造改革をどう組み立てるのか

小泉構造改革が、競争ということを持ち込んで、今までできなかった選択と集中を図ろうとしたことについては、やはりそうしなければ経済は回復しなかったと思います。その上でセーフティーネットをどう張るのかということになります。格差から目をそらすことは決して許されませんし、本当に必要な人たちに温かい手を伸ばすことが政府の役割ではないでしょうか。セーフティーネットがあれば、あとは競争型社会で格差が生じても、それはやむを得ない。しかし、そのときに、やはり気になったのは、正規雇用と非正規雇用の問題があるということです。

中央の企業には、金融機関も含めて非常に好調なところがあるのに対し、地方の中小の経営者は必ずしもそうではないのですが、中小の経営者だけ見ていてもだめなので、やはりそこに働くワーカーの人たちが一体どうなっているかということをきちんと分析しなくてはならないと思います。気になるのは、パートの人たち、非正規雇用が非常に多くなってきたということです。企業が急激に収益を回復したことと裏腹ですが、パートの人たちでも社会保険にきちんと入れたり、最低賃金はもっと考えるということをしながら、能力のある人をぐっと伸ばしていかなければならない。そこはもっと社会政策として考えていく必要があると思います。

地方公共団体でも、生活保護を含め、自治体として最低限求められる役割だけは、どこもきちんと果たさなければならない。自治体間の格差を埋めるため、今の交付税をどのような仕組みにしていくかはもっと真剣に考えなくてはいけない。頑張る自治体をもっと応援するという発想自体はわからなくはないのですが、そのことが国の恣意性によって行われてはなりません。例えば産炭地域の生活保護の人たちにきちんとしたサービスを提供するのは自治体の最低限の役割ですから、そこを否定するような格差につながってはいけないというふうに考えるべきでしょう。自治体間での公共サービスの格差はある程度やむを得ないとしても、ここまではきちんと行政として支えるべきだというところの合意が余りなされていない。どんな地方でもこれだけは絶対守らせるということを、政治は約束すべきなのです。

右肩上がりの時代には税収が増えてきますから、色々な新しいサービスを競争し合ったわけです。そうした発想が、それがまだずっと残っています。地方もこういうことはうちの県ではやめましたということをもっと言う勇気を持たなければなりません。これはもうやめて、うちの方ではこちらの方に切り替えますと。そういうことを言い合う、自治を自治体関係者もつくっていかなければだめです。

財政問題については、地方自治の中で財政というものが今までほとんどブラックボックスでした。なぜそれでよかったかというと、国が交付税で補てんしたり、金融機関も自治体だからということで絶対倒産しないし、必ず後で金を返してくれるということで、ろくに審査をしないで貸すということでもよかったからです。財務諸表などを自治体がきちんと作成したり公開しなくても資金調達はできた。ですから都道府県レベルではさすがにそこまで悪化しているところはありませんが、夕張市のような状況は、多分ほかの市町村でもっとあると思います。夕張ほど粉飾決算的に一時借り入れでごまかしていたようなところがあるかどうかはわかりませんが。

都道府県ではほとんどの知事は、連結も含めて実態を大体把握しているとは思います。人口が減少していく状況の中で自治体をどう経営できるかというところに来ているのですから、そのときに、現状の財務状況がどうなっているかというのがわかるような公会計システムへ変えていかなければならない。共通の、民間と同じような財務諸表が必要です。金融機関なども金を貸すときにそこをきちんと評価して、判断して金を貸す。総務省とか県の規律だけではなく、民間同士の規律を入れる。投資家の株式市場での厳しい規律の中での格付のようなものが必要です。


第4話 今の地域経営に問われているのは選択と集中

都道府県というものは、やはり中間団体です。国でもなく、一番身近な、自治が一番ワークする市町村でもない。では、中間団体はなくてもいいかというと、やはり市町村でできないことを応援していくという立場がある。また、今は国で一律でやってはいけないようなものまで国が無理やり一律で行っていますが、その点については、道州ということが必要になると考えています。東北では青森も秋田も岩手も同じような気候風土を持っていて、宮城、山形、福島あたりまでは6県で1つの行動をとれるのではないか。ですから、広域自治体としての県の機能をもっと高めていく必要があると思います。それは最終的には分権型の道州制に答えを求めればいいのではないかと思います。

次に、都道府県の意味についてですが、自治の中で知事がどう振る舞うかを市町村も見ていますし、国からも47人の知事の行動は注目されていて、政治的に、知事の振る舞いで日本の政治をよくできるところもあります。例えば、地方自治体の知事が中心になったマニフェスト運動が始まり、それがやがては国政に行くように、地方から国を変える、政治を変えるということまでつながっていく。知事が何人かで動きをすれば、色々な政治的メッセージを発することができる、そういう存在で今後もあってほしいと思います。

では、都道府県に今問われている課題は何か。一つは、少子高齢化の中での地域の持続可能性の問題があります。人口減少を地域地域で受けとめても、なかなか流れは変えられず、現実は高齢化で減っていく。50%以上高齢者ばかりという限界集落がどんどん増えています。岩手県では、がけ崩れ防止事業をやめました。お金も時間もかかりますし、それよりも、もう家屋を移転してもらった方が早いのです。例えば釜石市の6世帯に全部移転してもらいました。その移転費用を税金で出す、そういうふうに切りかえたわけです。災害で危ないとなったときに、それは即移転していただきましょう、そこを補助しましょうということです。釜石市の中心部には空いている所がたくさんあります。そして、だんだん集落をまとめていくようなことにしていく。

雪があれば、冬場は山合いの山間地域にいる高齢者の人たちに下の病院に方に入ってきてもらって、二、三カ月、そこで医療の体制を整えて過ごす。奥羽山系の沢内村は、それでずっとやってきたわけです。もっとそういうことをやって、それで少しでもいいからその町や集落を長もちさせるようなことを考えなければいけないと思います。

皆さんから、強制移転など中国じゃあるまいし、我が国ではなじまないなどと言われています。抵抗感は強いのですが、がけ地の下の急傾斜地崩壊対策事業の対象区域などはいつ崩れてくるかわかりません。移転の方に補助すると言えば、災害危険性が迫っているので納得してくれますが、これから10年以内に、いずれ各地で、限界集落のような集落崩壊の話が現実に出てきます。この集落について、自治体はもうとても医療サービスを提供できないということになれば、皆さん、考えていただけると思います。限界集落というのは、地域の目ぼしい産業はなく、あってもかつての主たる産業は公共事業だけというようなところです。そこに何ができるかというと、労働力があれば、特色ある農業など、ある程度まとめることで何かできるということが、やがては理解される時期になっていくのではないか。

こうした地域経営の経営者としての首長の能力が今問われているわけです。それは大変な仕事です。これもやはり、一言で言えば選択と集中なのです。これはというところはもう徹底的に守り抜く、そこにできるだけ移転してもらう。多くの地域が経済が成り立たない地域へと追い込まれていく。日本全体でみても、2050年で人口は1億を切り、あと40年で急激な人口減少になっています。


第5話 知事は何を有権者に訴えなければならないのか

こうした課題が地方に問われている中では、既存の過去の歴史の中から出てきた様々な利益集団や業界のそれぞれに準拠して、そこの意見を聞いて仕事をするような知事では、うまくいきません。最初の選挙のときはそれでもいいとしても、どこか途中で切りかえなければだめだと思います。ですから、これまでとは違う力を違うところに求めて、それで力を出せる知事でなければならない。

そこで、やはり手段としてマニフェストのようなものが必要になります。それで有権者と合意形成をする。そのためには、有権者に訴える力を圧倒的に持っていなければならない。そこには、個々の枝葉ではなく、大きなビジョン、それも例えば2050年までに地域が多分こういう方向に行くだろうから、今のうちからここにこういうふうに集落の中心を持ってこなければいけないといった見通しが必要です。

私は道州制になることを期待していますが、やはり道州を治めるだけの力を獲得した人は、それなりの能力を持っているでしょう。アメリカの大統領は、皆さん、州知事から出ています。ブッシュもクリントンもそうでしょう。あれだけの厳しい世界の中で州を治めた者というのは、大統領としては大変有力な有資格者です。日本の今の47都道府県知事ではだめでも、さすがに道州の知事でしたら、国全体を治め切るような力を持った人が出てくると思います。

憲法改正につながりますが、本当に道州制をやるときには、連邦制まで覚悟を決めるべきです。現行憲法の枠の中でということだと、やはり狭いのではないでしょうか。そのときは無党派ということは許されないでしょう。やはり政治性がなければ動かしていけない。アメリカでは民主党系、共和党系と知事は完全に分かれていますが、日本では今の自民党と民主党ということになるかというと、やはりローカルな政党といった政治パワーも必要になる。ですから、まさにミニ国家なのです。

今度の統一地方選挙では私は議会選挙も注目していました。例えば宮崎でいえば、東国原知事の与党に立つのか野党に立つのか。やはり議員も会派としてマニフェストをつくるべきだというのが私の主張です。それで有権者がきちんと、首長の唯一のチェック役である議会議員を選ぶべきです。知事がマニフェストを書いて、政策を明確に打ち出し、その政策に対して議会がどういうスタンスをとるのかを明確にすべきです。

統一地方選では争点が今一つはっきりしなかったという論調があります。それは、その地域の課題について有権者に分かりやすい約束が提起できなかったからです。特に東京以外の地方では、その地域に働いている生活者、ワーカーに向けて、その生活の中で何を県として行政として保障していくのかということだと思います。例えば、労働政策で、県内企業に正規雇用者として雇用の拡大を働きかけるのか、あるいは国に働きかけて社会的な保険制度などをそういう人たちにもきちんと適用するように働きかけるのかということがあります。今、そこに対しての地方の不安感や不満が大きく、そこから目をそらして選挙戦を戦うことはできません。政府では格差ということを嫌がって、新しい貧困などと言っていますが、目をそらさずに、そこに新しい政策を出さなければならない。それはどこの地域でも同じです。

分権や自立の大きな枠組みに対する姿勢の提示も必要です。そして、その中でどういう順序でやるかということです。やはり出先の二重行政を解消する条例制定や、規律密度を緩和して条例制定権を拡大する。税源移譲は、確かに余りうまくいかずに、地方に回るお金が減ったところもありますが、それで怯えて、もうこれ以上やめてくれと言っていては自治体の分権の覚悟を問われます。長い目で見て、20兆円の補助金のうち、たった3兆円、4兆円だけの改革にとどまらず、これからもっと8兆円、9兆円まで進めていくという形を主張すべきです。

私はこれからの国と地方を考える場合、東京のあり方は大きな課題になっていると考えます。東京は自治権を奪って国の直轄地にすべきだということです。東京は、他の地方自治体と同列の47分の1、同じ仲間と見るわけにはいかない。道州制の際に、1都3県(埼玉、千葉、神奈川)で東京と一緒に関東州にすることになれば、またさらに格差が広がってしまいます。

東京はワシントンD.C.にすべきでしょう。1都3県をまとめた首都圏連合を首都圏の知事たちが言っていますが、それは東京ひとり勝ちの構造をつくるための装置のようなものになります。神奈川、千葉、埼玉の三県で一緒になるのならいいですが、今でさえ、東京とそれ以外との格差は大変大きいものですが、さらにそこに、1都3県では経済力がカナダぐらいあるものができる。日本の中でそういう存在を認めてはいけないと私は思います。

camp4_iwate.jpg増田寛也 (前岩手県知事・地方分権改革推進委員会 委員長代理)
◆第1話:5/11(金) 「改革派知事とこれからの知事」
◆第2話:5/12(土) 「大切なのは自立を勝ち取る覚悟」
◆第3話:5/13(日) 「地方の構造改革をどう組み立てるのか」
◆第4話:5/14(月) 「今の地域経営に問われているのは選択と集中」
◆第5話:5/15(火) 「知事は何を有権者に訴えなければならないのか

 「日本の知事に何が問われているのか」をテーマに、全国の知事にインタビューを続行中です。
現在の発言者は増田前岩手県知事です。