【国と地方】斉藤惇氏 第8話:"偉大な田舎"と道州制への期待

2006年5月16日

saito.jpg斉藤惇 (株式会社産業再生機構代表取締役社長)
さいとう・あつし
profile
1939年生まれ。63年慶應義塾大学商学部卒業後、野村證券株式会社入社。同社副社長、スミセイ投資顧問顧問を経て、99年住友ライフ・インベストメント社長兼CEOに就任。2003年より現職。主な著書に『兜町からウォール街─汗と涙のグローバリゼーション』 『夢を託す』等。

"偉大な田舎"と道州制への期待

  国の地方への財源配分システムがもはや持続可能ではない。そうしたことは誰でも気づいていると思います。だからといって、それをどう変えるのかは難しい問題です。いろいろ議論はあっても、今の状況を変えたくはないからです。

 この問題を考えるに際しては、どこまでが国が保証すべきナショナル・ミニマムなのか、リージョナル・ミニマムという言葉もあるそうですが、どこで線を引くかという問題があります。ただ、線を引くことはいいのですが、行政において格差社会を意図的につくるのはどうかと思います。民間がフリーに競争して格差ができるということは、結果として仕方ありませんが、地方は非効率だからカットされていいという論理はどうかと思います。東京の人間といっても9割は地方から出て来ています。では、国は地方から出てきている有能な人間を地方に帰すのか。教育機関も情報も東京にあるのだから、有能な人は当然東京に集まります。その結果、地方が非効率となっているのに、地方は自分でサイズに合った生活をしろというのはおかしいと思います。

 もちろん、何もかも中央に吸い上げて、中央から逆流させるシステムは不要だという思想はあるのかもしれませんが賛成出来ません。しかし、国民が皆、同じ生活水準でなければいけないというのも暴論です。そこに格差は出てもいいのですが、田舎の豊かさというものがあります。それも潰していく格差というのは、どうかと思います。こうした中で、道州制のように区域を大きくするというのは、ひとつの解決の方法に近いかなと思います。

 その理由は、一地域を大きくすると、例えば九州でも、鹿児島や宮崎のようにかなり所得水準の低い所と、熊本のように真ん中の所、大分のように少し良くなっている所、福岡のように大変良い所とが、一緒にひとつのブロックに入り、平均化される可能性があるからです。また二重投資が避けられるということもあります。ただ、それだけですと、地方でベネフィットを受ける人と行政との距離が近いことが癒着を生みやすいということが起こってくる。

 大切なのは、魅力ある地方を創ることだと思います。「偉大なる田舎」にしてはどうでしょうか。高層建築ビルなどは一切不要です。今は旅行もみんなが「癒しの旅行」と言うし、「20世紀は男の時代で、工業化の時代だったが、21世紀はゆとりと女の時代だ」と言っている人もいます。島根県は東京の真似をする必要はなく、島根を偉大なる田舎にして、疲れた東京人を癒し、そこでしっかり金を取ることを考えるべきです。

 今のままでは全体に矛盾が出るということで、全国を7つ程度の道州にしてできるだけ地方の独立性を高め、国は外交や防衛などに従事し、地方にはできるだけ介入しないようにするというのは、方向としてはそうだと思います。ただ、そうやっても、北海道や北陸の人と、九州、関西、東海の人とでは、かなり差が出ます。それは認めざるを得ないとしても、そこはやはり、中央官庁がある程度のバランスを取ることが絶対にノーだとは思いません。西の方に100あれば90にし、こちらが80であればそれを90にする。10ずつ、こちらから10引いてそちらに10足すということは、それは行政として、間に入ってバランスをとってあげる。それがあまり大きな役割をしてはいけないとしても、その程度のことはやるべきではないでしょうか。


※第9話は5/18(木)に掲載します。

国の地方への財源配分システムがもはや持続可能ではない。そうしたことは誰でも気づいていると思います。だからといって、それをどう変えるのかは難しい問題です。いろいろ議論はあっても、今の状況を変えたくはないからです。