「地方の再生」と地域提携 3知事座談会 / 第4話:地域の未来図をどう描いているか

2008年3月26日

080112_tottori.jpg2008年1月12日
福祉フォーラム実行委員会主催 「Japan'sea 福祉フォーラム8 in とっとり」



出席者:平井伸治鳥取県知事、古川康佐賀県知事、溝口善兵衛島根県知事
コーディネーター:言論NPO代表工藤泰志

地域の未来図をどう描いているか

工藤 重要で本質的な質問をしたいと思います。平井知事が10年後のビジョンをつくるという話をされていますが、自分たちの地域の未来が見えていますか。ないしは未来はこういう形にしたい、単なる空想とか初夢ではなく、こういう形に私はしていきたいということを伺いたい。そのために、今こういうことが一番のキーワードになっているとか、どういうふうに皆さんの頭の中で設計されているのかということを聞かせてほしい。

古川 10年後の姿を去年の4月、私の2期目の選挙のときにマニフェストに書きました。物語にして、10年後にこんな佐賀県にしたいと。それを文章にして、実際にフラッシュムービーで映像にして、こんな感じにしたいということを出しました。

 ただ、10年間、知事をやるのかというと、4年間しかやれないので、10年後のこういう佐賀県の姿を目指して、今後4年間取り組ませていただきますということで出しました。そこで出したものは、佐賀県が、教育、環境、福祉という分野において、いろいろな人が暮らしやすい県になっている、そうした地域をつくる支えとしての産業基盤ができてきている、そこは世界を相手にしているというイメージで書いています。

 さきほどの平井知事のお話に出たような中小企業が世界の何%を占めているか、結局、世界の何%かにすぎない。今、世界シェアの何割を取る企業だったら世界の中で生き残っていけるのかということですから、そういった企業をどうやって誘致できるかといったことを今、一生懸命やっています。例えば佐賀県には、去年、小糸製作所という自動車照明器の会社が来てくれました。これは世界で1位、2位を争っている会社です。それが来てくれたことによって、関連の企業が企業誘致なしに来てくれるのです。小糸製作所から来てくれと言われるものだから、静岡県の関連会社などが自動的に何社も来てくれる。前はお願いしないと来てくれなかったのがどんどん来てくれるようになってきているという事実がある。その関連の企業も世界の中のシェアが非常に高い企業です。

 シリコンウェーハの生産で世界1位、2位を争っているSUMCOと信越化学工業という会社がありますが、そのSUMCOが世界一の拠点を伊万里にということで、企業誘致を始めて、水がないからだめだと言われるのを、とにかく水を持ってくるように県と市が努力することで、誘致に成功したのです。それは、何十キロもパイプを引いて、海をせきとめたところへ水を持ってくるという話を、何とか地元の理解も得て実施することにしたら、今度はさらに研究所も来てくれるようになった。

「世界で戦える産業基盤で地域を支える」

古川 繰り返しになりますが、産業振興を頭に描くときには、世界相手の中で何とかやっていける企業が地域を引っ張り、そこで働く人たちがそこに住む、それによって、例えば小売にしても流通にしても、いろいろな人たちがお金の使える環境ができていく、そういうイメージなのではないかと思っています。

 語弊がある言い方ですが、工藤さんもいらっしゃるので、あえて問題提起ということで申し上げますと、教員の数もそうですが、公務員の数が地方で減っている。さらに言えば、米子もそうだったと思いますが、国鉄時代、国鉄の職員が米子に何百人もいた。それが今JRになって何人になったか。多分ここにも鉄道官舎などがあったのではないか。昔の電電公社もそうです。あえてそういう言い方をしますが、電電公社や国鉄、あるいは電力会社もそうですが、実はそのような人たち、いわば準公務員的な人たちがいろいろな地域にいた。

 そういった方は、地域の中では比較的高い所得水準を持ち、しかも、毎月給料が支払われるという非常に安定した業種だったわけです。それが割と地域を下支えしていた。その分がどんどん減ってきている。いろいろな改革の中で、半分は親方日の丸のようだった組織が、民間企業として立派になったのはいいことだとは思いますが、それによって、地方においては、そこにいた人たちが相当減ってきていることを如実に感じます。

 今、佐賀市内にある空きビルで一番大きいのはNTTのビルです。これは地方都市に共通している話で、どこかのまちに行ったときに、一番大きな空きビルというと、大概大きな無線の鉄塔の立っている旧電電公社、今のNTTのビルが残っているケースが多いと思います。妙に国費が入っていたりするものですから、先日も貸してくれないかと頼みに行きましたら、会計検査院が入るかもしれないからだめだと言われたことがあります。そのように、なかなか良い使い道がなくて残っているというケースもあったりするのです。

 そういった過去のことを言ってもしかたありませんが、これからはきちんとした地域を支える産業、新しい主役が生まれてくる。それは農業も漁業も同じです。例えば今度、水産基地も再生していこうと思っていますが、小さなまちの漁業施設だから、これくらいでいいだろうではなく、そこで加工したものがEUにもアメリカにも輸出できるような、HACCP(食品の衛生管理方式)対応の設備でないと意味がなくなっています。世界の一定以上の水準のものを整備しないことには、そもそもつくったことがむだになるという話になっていってしまう。そんな時代だと思っています。いずれにしても、世界をいつも目の端に置きながら、地域に暮らす豊かさが実現できるような地域社会を築いていきたい。それが私の夢です。

工藤 世界的に戦えるような産業基盤を何としてもつくってみたいということですね。それは佐賀県だけで大丈夫ですか。九州も、隣の県も、いろいろなところも同じように今動いていますね。そのあたりはどういうイメージを持っていますか。

「自立するからこそ連帯を」

古川 だからこそ連帯しなければいけないと思うのです。自立は孤独にやっていくということではなくて、自分たちでやりなさい、考えなさいと言われれば言われるほど、自分たちだけでできることと、できないことも出てきて、そういったものは連帯してやっていくしかないと思います。地理的に隣はやりやすいという部分はあります。しかし、例えば、東京でもいいし、上海でもいい、物産センターを出そうかというときに、福岡県と佐賀県だと、実は共通してしまう。ところが、鳥取県となら余り競合せずに済む。これに、例えば山形県などが入ると、お互い特産物がダブらないから、一緒にやったほうがいいものができるということはあり得るかもしれない。自立だからこそ連帯する。そういう時代ではないかと思います。

工藤 今の話は本日の大きなキーワードだと思いますが、島根と鳥取はまさに一緒に、隣なので、そこあたりはどうですか。連帯ということも含めてどんなイメージを今考えていますか。

平井 溝口知事からもお話があると思いますが、私は今、古川知事がおっしゃったことで非常に大切だなと思い、かつ、過去を振り返って思い起こすのは、佐賀も島根も鳥取も、それぞれに日本海、玄界灘から向こうの大陸へと歴史的にはつながっていた地域です。弥生時代のことを考えていただければ、吉野ヶ里遺跡があります。あるいは荒神谷、加茂の遺跡などが島根県にありますし、私どものほうですと、この近くに、同じ市内に妻木晩田という遺跡がありまして、ここは152haあって、900の家の跡があります。大変大きなところで、我々は多分、全国で最大規模の弥生時代の遺跡ではないかと言っています。なぜここにそれぞれの遺跡があったかということを思い起こすと、今の古川知事のお話はつながってくると思うのです。これは大陸とつながっていたからです。

 今までの数十年は、戦後ずっとパックス・アメリカーナ、アメリカが支配した時代でしたが、ようやくここに来て、パックス・アシアーナと申しますか、アジアが支配する、そんな時代になってきています。このときに、同じ海に面した地域で連帯していくことができれば、随分と世の中が変わってくるのではないかと思いますし、そういう視点で10年後となれば、必ず対岸のところはもっと経済成長していますから、足跡をくっつけるかどうかだと思うのです。

 先ほど伊万里に新しい企業の進出の動きがあったとおっしゃってピンときました。企業は絶対に中国・上海など、向こうのほうを見ながら考えていると思います。我々の山陰は、確かに今までどうも大陸などとの結びつきにおいて弱い面はあったかもしれません。九州のほうが、それが進んでいるので、自動車工業などが発達してきたのだと思います。我々のところも、実は同じポテンシャルを持っていると思っていまして、こうした歴史観で10年後を考えてやっていく必要があるのではないかと思います。

「山陰全体で国際リゾートをつくる」

平井 連帯ということであれば、これは、今までぶつ切り的に見ていたものを組み合わせて見ることで変わってくるものはあると思います。実は今、溝口知事に大変ご協力いただいて、お願いしているのは、この山陰のところを国際的なリゾートにできないだろうかという構想です。豊かな人が、かつてはアメリカにいたものですから、アメリカからの外国人観光客ばかり念頭にありましたが、今は大分変わってきていて、特にアジアでは、台湾、中国、韓国、ロシアのお客さんにどうやって入ってきてもらおうかということがよほど大切な時代になってきています。

 しかし、まだそうした意識が私たちには乏しかったと思います。鳥取県といって売り込みに行っても、向こうの人から見たら、もっと広いところを見ないと意味がないわけですから、山陰国際観光協議会というものをつくりました。山陰全体でこの圏域にお客さんを呼び込むことが必要だと思います。これは東京や大阪との関係でもそうだと思います。むしろ、そうした意味で、場面、場面によっては両県が一緒になってやれることはあると思うのです。

 医療などもそうです。米子には、かつて米子医専がありました。いま、これは鳥取大学の医学部になっていて、山陰地方の病院には、多くの医師がここから散らばっています。田島のほうにも行きます。そういう意味で、安来の人や松江の人でもこちらの病院に来る。医療圏は、まず県で切れていて、さらにそれを医療圏に分けますが、実態としては両方にまたがったことで処理をしていかなければなりません。本来、医師不足の問題、あるいはがんに対する対策、これはこれから大切になっていきますが、がんの登録制度なども、それぞれのところの県ごとにやっていますから、こんなことも乗り入れていかなければならないでしょう。

 ですから、それぞれが自立して頑張れるところは頑張るのですが、ただ、対外的なこと、あるいは住民生活のことを本当に考えるのであれば、一緒になって連帯してやることの重要性が今は高まってきたと思います。

「鳥取、島根の連携は日常茶飯事に」

溝口 島根県は、昔は山と川で交通が分断されていて、それがいろいろな地域の交流にとって大きな障害でした。そこはかなり改善してきています。米子、境港、安来、東出雲、松江、さらに出雲に続く地域は、事実上1つの産業集積地となってきています。人口が65万ぐらいあって、日本海側では、新潟近辺、富山湾の近辺と並ぶような集積地です。そういうことから、関係市長のレベルでいろいろやっていますし、知事のレベルでも、平井さんとはしょっちゅういろいろな場でお話しすることがありまして、鳥取、島根の協力、連携がいわば日常茶飯事といってもいい。そういう時代になってきつつあるということを実感します。

 観光は1つのエリアとして、大きなエリアとして捉えて、例えば米子空港の役割を考える。アジアに開いた空路ですから、我々も一緒になって振興していかなければいけないと思っていますし、中海、宍道湖と続く、あるいは大山に続く地帯一帯が面として観光ができるようにする。さらに広くは、隣県の岡山、広島、山口とも、中国圏として進めている連携の動きを強化しよう、これは自然な流れです。その中でも、鳥取、島根両県の協力は、行政のレベルだけではなくて、企業経営者のレベル、商工会のレベル、観光協会のレベル、いろいろなレベルで進めるようになります。

 もう1つは、環境保護ということで一緒に中海、宍道湖の周辺の掃除をする。そんなことで住民の方々も共通した意識になってきています。私はそういう動きをさらに進めなければいけないと思っています。

工藤 もともと今回のこのセッションは、島根と鳥取とは知事が仲が悪いと聞いたことから引き受けたということもあるのですが、全然そんな心配はなかったですね。

溝口 少なくとも平井さんと私は(07年)4月になったばかりでして、過去にあまり引きずられてはいないと思います。


Profile

080112_shimane.jpg溝口善兵衛(島根県知事)
みぞぐち・ぜんべえ

1968年東京大学経済学部卒業、大蔵省入省。77年から80年在西独大使館書記官。80年主計局主査、大臣官房企画官、銀行局企画官、85年世界銀行理事代理。89年国際金融局開発政策課長、国際金融局総務課長、93年副財務官。94年在米国大使館公使。主計局次長、総務審議官、官房長、国際局長を経て、2003年財務官就任。04年より国際金融情報センター理事長。06年退任。

080125_tottori.jpg平井伸治(鳥取県知事)
ひらい・しんじ

1984年東京大学法学部卒業後、自治省入省。福井県財政課長、自治省選挙部政党助成室課長補佐、カリフォルニア大学バークレー校 政府制度研究所客員研究員鳥取県総務部長、副知事、総務省自治行政局選挙部政治資金課政党助成室長を歴任後、2007年 2月に総務省を退職し、4月鳥取県知事選挙初当選、鳥取県知事に就任。

camp4_saga.jpg古川 康 (佐賀県知事)
ふるかわ・やすし

1958年生まれ。82年東京大学法学部卒業後、自治省(現・総務省)入省。自治大臣秘書官、長崎県総務部長などを経て、03年無所属から佐賀県知事に当選。日本で初めてマニフェストを掲げて選挙を戦った政治家の一人であり、当時全国で最も若くして知事となった。07年に再選を果たし、現在2期目。全国知事会政権公約評価特別委員長。「がんばらんば さが!」をキーワードに、「くらしの豊かさを実感できる佐賀県」の実現を目指して県政に取り組む。

071113_kudo.jpg工藤泰志(言論NPO代表)
くどう・やすし

1958年生まれ。横浜市立大学大学院経済学修士課程卒業。東洋経済新報社で、『週刊東洋経済』記者、『金融ビジネス』編集長、『論争 東洋経済』編集長を歴任。2001年10月、特定非営利活動法人言論NPOを立ち上げ、代表に就任。