被害総額20兆円強、被災地の復興をどう進めるのか

2011年4月18日

2011年3月28日(月)放送
出演者:
増田寛也(野村総合研究所顧問、元総務大臣)
宮本雄二(前駐中国大使)
武藤敏郎(大和総研理事長、前日本銀行副総裁 )

司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)

第1話 被害総額20兆円強、被災地の復興をどう進めるのか

工藤泰志 みなさん、おはようございます。今日は今度の東日本の大地震の復興という問題について考えたいと思います。多分、今回の震災の規模とか影響とか、私達が戦後初めて直面するレベルの大きな出来事だと思います。被災地を早く復旧しなければいけないということがあるのですが、これは日本の未来を作るという、それくらいの大きな試練に僕達は直面しているということだと思います。だから、やはり「復興」ということを今、どういう風に考えていけばいいのかということをまず議論して、多くの人がそれを考えるひとつのきっかけにできないか、と思っています。今日は、紹介は長くはできませんけども、まず増田寛也さん。前の岩手県知事で総務大臣も務められました。武藤敏郎さんは今、大和総研の理事長ですが、昔は日銀の副総裁をやられていました。宮本雄二さんは、僕はよくお世話になったのですが、中国の大使をやって最近帰ってきたばかりなのですが、みなさんそれぞれこの震災復興に関して知見を持っておられますので、色々と問題提起して欲しいと思っています。なお、お三方は言論NPOのアドバイザーでもありまして、言論NPOとしてまさにこの議論をする、ということのその初めになります。

 それでは、まず、震災から17日経ちました。この震災は非常に痛ましい結果が見えてきているのですが、これを皆さんはどれくらいの出来事だというように認識されているのか、この間の救済というか救助ということについて何か僕はモタモタしている、というような気がしてたまらないのですが、その辺りについて、みなさんどのようにお考えなのか、ということから始めたいと思います。では、増田さんからお願いします。


今、急務なのは「被災者の生活支援」と「行政基盤の再建」

増田 寛也氏 今おっしゃったように17日経ちました。当日の、災害対策本部の立ち上げなど初動は早かったと思います。ただ、被災者の救援とか支援という意味では非常に時間がかかっていて、現地の被災者の多くの方が仮設の風呂にさえ入っていない。今、どういうことが現地で行われているかといえば、そういったとにかく最優先にすべきは被災者のみなさんの支援、それは何とかガソリンも少しずつですが届き始めましたが、まだ医薬品が足りなかったり、ありとあらゆる物がまだ足りない状況である。こういう状況下では被災者の支援が急務になっています。ただ、もう一方では、本格的な復旧だとか今後のことを考えると、まず罹災証明などを出す。これがないと色々な生活支援金などがいただけないのですが、そういったことからご遺体の埋葬の手続きから、そういったものは行政職員でなければできないのですが、その行政の基盤を再建するというところにまだ非常に困難さがある。すなわち、非常に被害の大きなところ、大槌町は町長さんが亡くなられていて職員の4分の1の方が行方不明になっている。南三陸町も職員の方が大変少ないと聞いています。それで疲労は極限にきていますので、一つひとつ住民基本台帳のデータが流出しているもの、どうも副本はあるようですが、それを整えるだとか、1年前までの副本はあるようですが、戸籍も流れてしまった。そういう基盤を作るというところに今、非常に苦労がある。ですから、私は仕事を2つに分けて被災者の生活支援的なことは少し別のところ、今の場所よりも居住環境が良いところに移っていただいて、ボランティアの皆さん方などを中心にやっていただいて、行政支援というところは自治体の職員にいっぱい入ってもらって、とにかくそこを早く立ち上げなければいけない。阪神淡路大震災の時に比べると、そこに非常に時間がかかっているなという印象です。私自身も非常にそういう意味で何か焦燥感に駆られている、というのが今の状況ですね。

工藤: 武藤さんはどう見ていますか。


震災の被害は最低でも20兆円強 過去例のない復興の取り組みに

武藤敏郎氏 私は少しマクロの観点からお話をしてみたいと思います。今回の震災の特徴は、地震プラス津波プラス原発事故。これは今まで前例のないことであって、広範囲に被害が及んでおりますので、おそらく復興には時間がかかると思います。特に原発事故はまだ進行中ですので、先が見えていないという問題があります。それから第2には、「電力不足」という事態が非常に広い範囲で起こっているわけですね。生産活動はほとんど電力量に正比例いたしますので、生産活動は相当ダメージを受けるだろうと思います。それから第3番目にはですね、日本はサプライチェーン・システムという非常に効率的な製造業のシステムを作りました。在庫を最小限にしてJust in timeで資材を調達するというこのシステムが、一部品の製造工場が被災を受けたために九州の自動車の製造工場がストップする、ということなどが全国的に起こっているわけですね。それから4番目にはコミュニティ自身が喪失するといったような被害が起こっています。雇用問題とか、それから中には信金なんかも本店が津波で流れちゃった、というところがあって金融システム自体がおかしくなっている。そういう意味でいろいろな形で被害が広がっていると思います。それでとりあえず我々は20兆円を上回る被害がまずあるだろう、と見ています。阪神・淡路の時は10兆円でした。原子力被害は計測不能でございますので、それを除いた被害なわけであります。もしも原発事故の被害が拡大するということになると、それはもうどのくらいの金額になるのか想像もつかない、というような状態だと思います。

 そういうことですと、日本経済はリーマン・ショック後やっと立ち上がりつつあったのが、ここへ来て大きなダメージを受けますので、2011年度は相当厳しいことになるだろうと思います。ただ、仮に復興が順調に進みますと、阪神淡路大震災の例もそうだし、アメリカのカトリーナの被害の時もそうなのですが、翌年くらいからは、経済は上ぶれるというか、復興需要で加速するということがあります。ですから、私は2012年度の成長は回復していくと思います。ただそれは「成長」というマクロの指標はということです。

 しかし、現場の悲惨な状況はそう簡単ではないだろう、と思っておりまして、今回の被害からの復興をどのように行えばいいかは、今回独自にビジョンを考えていかないと、ちょっと過去に例がないことであるが故に大変なことだと思います。

工藤: 宮本さんは四川の大地震の時は大使として中国におられましたよね。
宮本: はい、おりました。

工藤: 中国との経験と比較して、今回の震災で日本が直面している困難をどう考えていますか。


有史以来の想像を絶する災害、という従来のものを越えた発想での対応が大切

宮本雄二氏 四川の大地震は山岳地帯を中心としていましたので、非常に崩壊しやすい、分散した部落、村落という、まあ、分散しているといってもそれぞれ人口は多いのですけど、非常に特殊な状況で相当大きな地震が来たということだと思います。ただ、今回の東北関東大震災はこれとは、質的に違うと思います。1つは地震であり、津波があって原発と、我々は三重苦を背負わされて、その一つひとつが、ある意味で我々の有史以来といってもいいくらいの想像を絶する巨大な災害に見舞われています。したがって、我々が直面している困難はそういうものだということをしっかりと頭に入れて、従来のものを超えた発想で対応していくということでないと対応しきれないと思います。すでにお二方がそういう趣旨のことをおっしゃいましたけども、それはもう切実に感じ取れます。したがって、四川のケースは若干参考にはなりますけども、それをはるかに超えたものであって、我々自身の英知というか努力というのが強く求められている状況だな、と思います。

工藤: 確かに、有史以来というか、かなりの凄まじい想像を絶するようなことに関して僕達は向かい合わないといけないという段階なのですが、こういうことを考える時に、よくどこかと比較して考える、ということがあるんですが、単純に言って阪神淡路大震災と比較すると、阪神淡路大震災時の対応はかなりスピードが早くて、要するに被災地の人達は1月17日の震災後、もう7月末にはほとんど避難所から仮設住宅に移っていました。ということになると、今の人達の救済する方向が見えるわけですね。ライフラインも3ヶ月間でほとんど直っていく。それから見ると今回の問題は、今はどこの位置にあってどういうスピードで動いていくのかなかなか見えにくい。これはどういう理由だと増田さんは思いますか。


阪神淡路とは異なり、今回は「救済」から「復興」はかなり長期化する

増田: 特に被害範囲が広域であるということ。阪神淡路大震災は神戸とそれから淡路島とかかなり点的であって、その後の被災者に対する生活支援などもかなりボランティアの人達が数日後には入っていって、1週間後には仮設のお風呂が立ち上がる、と。1ヵ月後くらいからはどんどん復興の話も出てきて、結局、13地区だったですかね、都市計画も2ヶ月くらいでまとまっていったんですね。実はこれが、落ち着いて都市計画を考えなかったが故に、その後のまちづくりにうまくつながらなかったのではないかということは言われています。それからあと、色々な被災者の皆さん方を個別に、いわゆる災害弱者の人達を中心に仮設住宅に入れていったことが、その後の孤独死のようなことにつながっていったということが言われています。

 今度の東北大震災についていうと、そういった将来に向けての復興の話はまだまだ議論できる状態ではない。今の生活支援をこれからどうしていくのかという段階にずいぶん長く時間がかかっているということ。それから、この後のまちづくりを決めるについても、阪神淡路大震災の場合には基本的にその場で街をどう再建していくか、ということがある種可能であったのですが、あの地域に関しては安全性を考えると住まいを他へ移っていただく必要があるでしょう。また、コミュニティを崩すと阪神の時の経験からして、色々な問題が出てくると思います。ただし、コミュニティを維持したままで本当に救済から復興ができるのか、ということを考えると、まちづくりを議論する時間を相当長く取っておく必要がある。その関係で、その間にボコボコといろいろなものが無計画に立ち上がることを抑えるためにも、たとえば、建築制限をかけるとか、それから土地利用を規制するとか、を考えないとならない。

 阪神淡路大震災の時は現地で復旧する、元に戻すということを中心に考えられていたのですが、その反省から中越地震などからはそういった一定の建築制限を、特別法で被災地や、市街地復興の支援法(被災市街地復興特別措置法)などで設けられました。私は、今回はその期間をかなり長くとって、地元でじっくり考える時間が必要ではないかと思います。そういった中で、本当に元に戻すのではなくて、元に戻せばまったく未来の産業振興につながりませんから、これからの議論になりますが水産業にしても何にしても、たとえば、これから先の水産業でどういうことができるのか、というような視点で考えるとなると、短期の部分と中・長期の部分をはっきり分けて議論をするということが必要になると思います。

工藤: なるほど。今、増田さんがおっしゃっていることは、今までは「復旧」をまずしてそれから「復興」といプロセスだった。多分、今回は、「救済」から「復興」ということを、どういうビジョンでやっていくべきか、を考えなければいけないということですね。


「救済」から「復旧」ではなく、「復興」に向けてしっかりとした検討が必要

増田: 救済はもちろん最優先ですけども。救済と同時に復旧というよりも、最低限のものは元に戻すにしても、社会資本の無駄な投資がないように、やっぱりある時期止めてもらって、それで復興に向けての議論をきちんとする、というプロセスが必要じゃないかと思います。

工藤: 今の「復旧」とか「復興」いう言葉が出たので、これは意味が違っていまして、「復旧」というのは昔、壊れたものをそのまま戻す、ということです。

増田: 原形に戻す。

工藤: 原形に戻す。「復興」というのはそういうことではなくて、まさにそれをつくり変えていくということですよね。そういうことで2つの言葉は分けてもらっていいと思います。ただ、阪神淡路大震災の時を見ると、特に、誰が復興のプランニングをするのか、という問題があるのですが、兵庫県は1月17日に震災で、2月11日にはもうビジョン作りの議論に入っていました。それで4ヶ月か5ヵ月後くらいにはもう計画ができるという、被災地の救済をしながら、一方で復興という形をやっていくために、全体像についての議論があって、非常に安心感が出るという流れになっていったのです。武藤さんはその時、主計局次長だったというのですが、どうですか、今回との違いというのをどのように感じていますか。


緊急対応は国主導だが、復興のビジョンづくりは地元の意思が基本

武藤:相当違うのではないか、というのが第一印象ですね。阪神淡路大震災の時には、地方公共団体が兵庫県という比較的財政力のある地域であって、計画作りのノウハウもあったわけですけど、今回はいろいろな他県にまたがっていてそのために横の連携も大変ですし、それから市町村によってはまったくなくなってしまった。町長さんも犠牲者になってしまった、というようなことでありますので、おそらく計画策定者が被害者であり、やっぱり国なり何らかの広域的なものを使用しない限りできないだろうと思います。今、増田さんもおっしゃったように、緊急対応と復興とをはっきりと分けなければいけない、まさにそれは非常に大事なことです。緊急対応について、私は阪神淡路大震災の時の経験から3つくらいあると思います。その第1は、まず被災者の生活支援。これは避難所の食料不足とか衣類不足とか医薬品不足とかそういうことにまず対応しないといけないということと、それから瓦礫を処理しなければいけないということと、仮設住宅を作らなければいけないこと、この3つですね。それから、第2番目は水道、電気、ガスなどのライフラインを確保しなければいけない。第3番目には道路、橋梁、港湾といったインフラです。やっぱり、何をやるにしてもこれらが復旧されない限りできないわけですから、これが緊急対応として私は必要だと思います。それで今、政府は補正予算を編成して4月にも提出しようとしていますけども、とにかく時間との勝負でありますので、やや無駄なと言いますか、歳出の中を見直しまして、復興の方にまわしていく、という姿勢が必要だと思いますけども、最終的には時間がないから国債発行で対応していくこともやむをえない、という面はあると思います。「復興」という長期ビジョンということになると、第1は「ビジョンをどうするか」というさっきのご指摘ですよね。それを実行するためには必ず財源が必要になるので、従来型の財政赤字を拡大するような形で進めていいのか、という大きな問題があると思います。それで、ビジョンについては、これはやっぱり、地元がまず基本だと思います。

工藤: やっぱり、地元ですよね。


復興ビジョンに必要な農業畜産の再興とエコ・エネルギーの二つの視点

武藤: 国がつくるというわけにはいかないと思います。しかし、国が支援しなければ、今回は被害が広域にまたがるという色々なことを考えると無理だ、というのも事実だと思います。そのビジョンについて、市町村によって相当違うと思うのですが、しかし私は全体として、この際、日本にとってプラスとなる新たなビジョンを何らかの形で打ち出したらどうかと思っています。それで私なりに2つくらいあると思っているのですが、1つはやっぱりこの地域の人々のスキルというのは農林漁業や畜産業なのですね。ですから、そういうものを再興するということになると思います。その際、従来型の小規模な経営から、たとえば、効率的な経営にするための支援をするとか、要するにTPPに耐えられるような食料産業を再興するということをひとつの旗として打ち出したらどうかと思います。それから、第2番目には電力供給がおそらく長期的に制約がかかってくると思います。というのは、原子力は発電電力量の相当なシェアを占めているわけですけど、この拡大は非常に難しくなった。だとすると、ではどうするのだ、ということになれば、火力発電も多少増やさざるを得ないと思うけども、エコ・エネルギーを使うしかありません。電力供給システムについて、今回、ひとつの長期的な観点からエコ・エネルギーを活用したようなモデル地域みたいな発想を持ったらどうか、と私は思っています。

工藤: 宮本さん、つまり阪神淡路大震災の時もそうだったのですけど、被災者が主役になって復興計画を策定して政府が支援するという原理ですね。今の報道を見ていると、関東大震災の時に岩手出身の後藤新平さんが、やっぱり国主導で復興計画を作るという流れがありましたよね。今の政府がどっちの方で動いているのかちょっとわからないのですが、この基本的な担い手というのはどちらの方向で組み立てていったらいいと思いますか。

宮本: 個人的には、誰か1人がやればやれる状況ではないのははっきりしているので、今武藤さんがおっしゃったことは非常に適切だと思います。これに、初めから民間を入れるというのもあります。地方の末端の行政単位の復興計画を考える時に、民間のノウハウを入れていって、彼らの支援を仰ぎながら復興計画をつくる。そうすると、みんなが一緒にやるということになると思います。
そういう時に、何人かの海外の友人からメールをもらって元気づけられているので、皆さんのご参考に紹介させていただきますが、韓国の友人からは、被災者に深い哀悼と同情の気持ちをふくめ、日本の人たちがしっかり頑張っていることを期待するという賞賛があるのですが。やはりこれを契機に、国境を越えて世界を視野に入れて、そして平和な持続成長可能な、そういう世界をつくる形で再興してくれないか、そして、日本がいわば世界のモデルに、世界がどういう方向に進むべきかというモデルをつくって欲しいと。日本の人はそれができると思うと韓国の友人からメールがきました。アメリカの友人からは、日本がこのように被害を受け、みんな何かしなければいけないと世界の人は思った、と。何かあった時に常に日本が最初に来て助けてくれた、そういう日本がこれまでやってきたことがあるから、すぐにやらなければいけないと。そして、日本が戦後やってきたいわゆるソフトパワーは、我々の知らないうちに大変なものをつくりだしていた。これは、漫画から始まるそういうソフトパワーなのです。だから、こういうものを基礎に日本は更に次の発展をして欲しいということなのです。我々は、次の日本の復興・再生をいう時に、そういう視点も入れて、日本自身の問題と世界全体の新しい1つのモデルを作っていくという視点もぜひ入れて欲しいと思います。

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3月28日(月)10時15分から、岩手県知事や総務大臣を務めた増田寛也氏、駐中国大使を務めた宮本雄二氏、元日銀副総裁で大和総研理事長の武藤敏郎氏が、今回の被災地が震災を乗り越え、復旧・復興していくために何を第一に考えなければいけないのか、について語り合いました。

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