領土紛争の解決と日中関係の今後

2012年10月17日

2012年10月3日(水)収録
出演者:
宮本雄二氏(宮本アジア研究所代表、前駐中国特命全権大使)
高原明生氏(東京大学大学院法学政治学研究科教授)
秋山昌廣氏(海洋政策研究財団会長、元防衛事務次官)

司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)

尖閣諸島の「国有化」と対立の背景


 
工藤:日中関係は9月11日の日本政府による尖閣諸島の購入により悪化し、中国ではこの日本政府の行動に反発が広がっています。日本政府の今回の対応に関してどのように評価していますか。

宮本:まず、様々な面で日本と中国の政府間で意思疎通がスムーズにできていない、ということを感じる。「国有化」という言葉の、中国側の解釈自体にも違和感があるが、日本側の意図を中国側が必ずしも正確に理解していないように思える。だから、日本側の対応について日本側が想像していた以上の反応を示すことになった。中国側にしてみれば、再三にわたって警告をしていたにもかかわらず、日本が「国有化」という措置を取ったことに強い憤りを感じている、という状況にある。これまでの日中関係が悪化した時期と比べても、さらに質的に厳しい状況になってきているので、相当慎重に対応をしていかなければならない。

工藤:これまでは民有地だったものを日本政府が借り上げていましたが、それを民間地権者の事情などもあり、購入しました。つまり、日本政府は国内における所有権の変更に過ぎない、と考えているわけですが、それがここまで大きな対立につながった背景はどこにあるのでしょうか。

宮本:簡単に「国情の違い」ということで結論づけるのは適切ではないかもしれないが、やはり国の事情が大きく異なる。日本の法体系のもとでは個人所有の土地を国有地に移行するということは、あり得ることなので、それが特殊なことであるとは日本人は認識していない。これと「主権」の問題とは全く次元を異にすることは皆わかっている。しかし、土地所有権の概念の異なる中国では、それに対して領有権という「主権」の問題で「日本が新たに大きな措置をとった」と一般的に受け止められてしまう。同じ漢字を使うが、日中ではニュアンスを異にする「国有化」という言葉でそれぞれの国で報じられたこともその原因だと思う。こうした認識のギャップはお互い早急に是正していかなければならない。

高原:中国側にも日本の事情をよく理解している人はいるが、おそらく指導層になると、頭ではそれを理解していても、「これを国民に説明できるのだろうか」と思った可能性がある。これまで国民に詳しい実状を伝えていないので、わかりやすい説明がなかなかできない。ナショナリズムが高まっている現状の下では、強力な政権であれば国民を説得できるかもしれないが、政権移行期の今の弱い中国の政権では説得できない。今回の一連の対応を見ると、現在の中国政府の脆弱性を強く感じる。

秋山:この尖閣諸島問題は結果として不幸な展開になった、と言わざるを得ない。いわゆる、国有化について2点指摘したい。一つは、日本では国が民有地を買い上げる国有財産化のように所有権の移転などは多々あるので、今回のケースも国有化という言葉を特に強調すべきものであるとは思わない。ただ、中国では国有化という言葉がかなり大きな響きを持つことは想像できるので、言葉の意味をお互いに取り違えたことによって非常に残念な結果が生じた。

 2つ目は、日本政府が民有地を買い上げた意図は、なるべく「現状を変更したくない」ということにある。日本が国有財産化したのは、むしろ大きな変化をもたらさないようにするためである。石原慎太郎都知事の東京都による購入の動きがあったので、この国有財産化という措置以外に選択肢がなくなってしまった。そうした日本の状況にもかかわらず、日中間の大きな認識のギャップが生じてしまったというのは非常に残念な結果である。

工藤:日本政府はある意味で困っていて、石原都知事の挑発的な行動を押さえなければならなかった。そこで国による購入というかたちになりましたが、それが中国に理解されないとどうしようもありません。これはコミュニケーションのギャップの問題なのか、それとも、そのような説明をしても本質的に中国側の理解を得るのは無理であったのでしょうか。


コミュニケーションギャップと先人の知恵

宮本:この点に関して、 International Crisis GroupというNGOがポリシーレポートを出している。その中で南シナ海の問題の例を取りあげているが、それによると、「外交部が政策決定機関というよりは実施機関になっている」、あるいは、「法執行機関同士が成果をあげることを競い合っている」と書いてある。つまり、中国では内部のコーディネーションがうまくいっていないということであり、それが南シナ海のケースを悪化させているということである。このかなり多くの部分が尖閣諸島問題にも符合しているのではないか、と私は思う。したがって、「果たして我々日本側の説明がどの程度中国の上層部にまで伝わっているのか」、という組織の情報伝達メカニズムが不透明な点も、現場レベルが直面している大きな課題なのではないか。

工藤:逆に日本政府も、中国の上層部に説明をしていくためのチャネルが非常に弱くなってきているということは言えないのですか。

宮本:確かに、かつては竹下登元首相、橋本龍太郎元首相などは高いレベルでコミュニケーションができていたので、その意味では弱くなったと思う。

工藤:この問題に関してはコミュニケーションの問題だけではなく、尖閣諸島の問題の「棚上げ」に関して解釈の食い違いも感じます。この尖閣諸島問題を国交正常化に伴って棚上げすることは、当時の日中両国政府の指導部の一つの知恵であったと思います。外交上で合意されたかは解釈が日中間で異なりますが、この知恵があったことで日本の実効支配という現状は事実上認められていました。そうした状況を大事に考えると、今回の日本政府の対応には丁寧な説明が必要になります。ただ、日本側にはこの段階で「棚上げは合意していない」と主張する人間がいます。そうなると、この現状維持という状況そのものが、両国間においてどのような正当性を持つものだったのか、と疑問になります。

高原:問題は何が棚上げされたのか、である。細かな話になるかもしれないが、日本側の、領有権問題はない、という立場は1972年から一貫している。どうも中国側には、民主党政権が日本の立場を変えたのではないか、という誤解があるようだ。しかし、かつての日本はそのようなことを言う必要がなかった。なぜなら、周恩来や鄧小平が「この問題には触れない、語らないようにしよう」ということで、中国側も日本の実効支配を尊重、容認し、自制してきた。したがって、日本はあえて領土問題、領有権の有無について言う必要もなかった。

 しかし、90年代以降にその状況が変化した。まず、92年の領海法の制定の際、尖閣諸島の中国名である釣魚島の名前をそこに書き込んだ。また、最近は船を頻繁に送り込むようになった。そこが2010年や今年の問題の一つの基本的なポイントだと思っている。

工藤:今年7月に開催された「東京-北京フォーラム」が終わった後の朝日新聞主催の宮本前大使と趙啓正政治協商会議外事部主任との対談では、趙氏は「鄧小平など昔の中国人の遺訓は通用しているし、軽くは扱えない」と言っていました。皆さんは、実際は中国の指導層の中でそのような過去の合意はすでに壊れている、という判断ですか、それともまだ棚上げは守られている、という理解ですか。

宮本:今、新しい論調として「日本がそういう前提を認めないのであれば、すべてご破算にしよう」という意見が出てきている。それがどの程度中国の新しい正式な外交政策につながっていくのか、というのはまったくわからない。ただ、現時点における中国では、今のところ新しい決定がなされておらず、まだ前の方針が生きているということなので趙氏の言う通りということになる。しかし、それに対抗する論調が出始めてきている。

秋山:棚上げや約束の有無について様々な議論があるが、現状を見れば確かに棚上げをしていたことになる。高原氏も指摘したように中国側も日本の実効支配をある意味で尊重して、あまり現状変更をしない、という方針だった。そこで、少なくともこの1か月は「日本がアクションを起こして現状変更をした」という意識が中国側で非常に強いのだろう。しかし、今回の問題は、日本が実効支配をしている中、民間所有の土地を日本政府がやむを得ず買い上げた、というただそれだけのことで、最近、現状変更をしようとしてきたのは間違いなく中国の方だと思う。

 日本の実効支配、あるいは国際法的にいえば執行管轄権に対して中国が様々なかたちで挑戦をしてきている。中国が現状変更を目指して様々な挑戦をしてきている、という問題点を日本はタイミングよく国際社会へ説明しなければならなかった。

高原:例えば、2008年12月に中国の2隻の船が9時間も領海内で徘徊していた。これを見ると中国側が「手を出さない」という政策を変え、現状を変更しようとしてきたことが明らかである。それに対して、日本側は強い抗議をしている。

 経済成長によって中国の国力がついてきて、海上法執行機関の予算も増え、監視船も自然と増えている。2006年には、ある海上法執行機関は東シナ海におけるパトロールを制度化した。中国の台頭に伴って実態の変化が起きている。それが今回の問題の背景にある。

工藤:そうした背景の中で、国が購入する事態になった。その理解を中国に得ることが十分でなかった。その2つが重なって今回の対立につながった、ということですか。

宮本:まさにその通りで、日本国内でこれだけ多くの国民が今回の日本政府の行動に対して支持をして、それに対する中国側の対抗措置にも強い反発を感じている。

 それは、これまでの流れがあって、「日本はこれまでずっと押し込まれてきた、それに対して日本政府は適切な措置をとってこなかった」という強い不満が国民の中にあることもその背景にある。他方、中国は「今回は日本の方が現状変更をし、従来の約束に反することをしてきたのだ」ということで、規模、内容ともにこれまで見たことのない、デモを含めた一連の日本への対抗措置をとって圧力を強めているという状況だ。

 何度も強調しているようにその中には相互の理解不足ということがある。しかし、我々が注意しなければならないのは、中国国内でこの状況を自分たちの利益のために利用しようという人間が全くいなかったのか、ということである。私はそうは言いきれないと思う。やはり、そのような中国国内の状況も今回の対立に関係していると思う。

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議論に先立ち行ったアンケート結果を公表します。ご協力ありがとうございました。
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