東日本震災後の復興を点検する―震災3年目の課題(原発編)

2014年3月21日

2014年3月21日(金)
出演者:
澤昭裕(21世紀政策研究所研究主幹、国際環境経済研究所所長)
藤野純一(国立環境研究所主任研究員)
山本隆三(常葉大学経営学部教授)

司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)

 東日本大震災から3年余りが経ち、原発やエネルギー問題などで、私たちが考えなければいけない課題はなんなのか。議論は、主に福島原発が現段階でどのように処理され、終息し始めているのか、原発の被災者の問題がどのような課題を抱えていて、今後どう考えていけばいいのか、原発を含めたエネルギーの問題に及んだ。


工藤泰志工藤:言論NPO代表の工藤泰志です。さて、2011年3月11日の東日本大震災から3年余りが経ちました。言論NPOでは2回にわたって、この総括を色々な関係者、研究者の方に集まっていただいて議論を深めたいと思っています。東日本大震災から3年、今、私たちが考えなければならない課題、アジェンダというものをきちんと考えていきたいと思います。

 ということで、第1回目の今日は、まず原発の問題です。まだ除染も十分に進んでおらず、多くの被災者の方がいまだに避難生活を続けています。そういう意味ではまだ終わっておらず、中途半端な状況が続いています。一方で原発を含めたエネルギーという問題をどのように考えていけばいいのか。議論はなされていますが、まだ大きな展望が見えるという段階には至っていません。3年余りが経ってもそのような状況ですが、今この時点でこの問題をどう考えていけばいいのか、議論してみたいと思います。

 それではゲストの紹介です。まず、国立環境研究所主任研究員の藤野純一さん、21世紀政策研究所研究主幹の澤昭裕さん、最後に、常葉大学経営学部教授の山本隆三さんです。皆さん、よろしくお願いします。

 さて、早速議論に入ります。今回の議論のテーマにおいては、3つ議論をすべき点があると思います。専門分野も皆さんおありだと思いますので、今考えていることをお話しいただければと思います。1点目は福島原発が現段階でどのように処理され、終息し始めているのか。加えて、どのような課題があるのか、という点です。2点目は、原発の被災者の問題がどのような課題を抱えていて、今後どう考えていけばいいのか、という点。そして、原発を含めたエネルギーの問題が3点目です。

 まず、福島原発ですが、今、汚染水が流出し、それが海に流れ出るのを食い止めるために凍土を作るなど様々な動きがあります。まず、澤さんにお聞きしたいのですが、今、内部の状況が色々と明らかになり、そしてまだ汚染水問題で、必死に対策が取られていると思うのですが、今、どのような状況なのでしょうか。


震災から3年、福島原発に存在する課題とは

澤昭裕氏澤:私が最後に見学に行ったのは昨年の12月なので、その時からかなり進んでいるとは思いますが、作業現場としては非常に線量の高い部分もあり、また、デブリと呼ばれる溶け落ちた燃料を取り出すまでには何十年もかかるというように、基本的には長期的な作業が必要な状況です。したがって、今日、明日に何をするのか、という問題もありますが、それよりも中長期的に現場で作業する人をどのように確保していくのか、東京電力という組織が永続的なものになり得るのか、つまり、商業的に成り立たない廃炉自体に、民間商業会社がどれだけ長い期間、人材と資源を割くことができるのか、という問題が出てきます。今、国が前面に出るという話で、資源の供給を支援し始めましたが、中長期的に考えた場合、国と東電の役割分担、人材の確保、組織の立て直しということなどが課題になると思います。特に、作業員の方々は被曝線量の上限が労働安全衛生規則で決まっており、ある程度の線量までいくと働けなくなり、配置転換しなければなりません。そういった人事ローテーションとしてどう考えていけばいいのか。あるいは、協力会社とその本体との関係をどうやって仕切るのかなど、様々な課題が山積しているのが現状です。

工藤:藤野さんは環境面から見てどのようにご覧になっていますか。

藤野純一氏藤野:澤さんのご指摘はその通りだと思います。加えて、周辺住民の方々からすればどういう状況にあるのか、ということが見えない中で、これから更に大変なことが起こるのではないかと思っている住民の方々も多くいらっしゃいます。そのような方々にどのようなリスクが残されているのか、といったコミュニケーションの部分がまだまだ足りていない状況だと思います。また、廃炉は商業的に成り立つ話ではありませんが、日本に原発は54基あり、世界全体でも約500基の原発が稼働している中で、廃炉自体のマーケットが存在し、廃炉に関するノウハウを確立させることも必要です。ただ、今、責任を取るべきところがどこなのか、ということをはっきりさせなければなりません。

 加えて、先程、澤さんの話の中に、人材の確保についての話がありました。現在、福島の人たちが原発で継続的に作業を手伝うことが多くなっています。作業に関わった人たちが、差別ではありませんが周りからどのようにみられるのか、ということも踏まえながら、原発で働く人たちの身分をしっかりと確保、保証することが重要です。公務員にまでするかどうかは分かりませんが、作業員のモラルを高めていかないと作業に対するモチベーションが下がってしまい、いい計画を立てたとしても復興の作業が進まなくなります。そういった点を、現地の方と話をしていると感じます。

工藤:澤さん、福島原発の廃炉に向けたプロセスは、どれくらいかかるのでしょうか。


今、政治に求められているのは「決断」

澤:30年~40年の間、ずっと続いていくことになると思います。先ほど、汚染水ということをおっしゃいましたが、この問題をどこかで解決しないといけない。この場では、言いにくいことも申し上げますが、燃料の取り出しや使用済み燃料プールの対策など、より重要な、より危険性の高い部分に人を割く必要があります。ですから、セシウムを除去し終わった汚染水を、多核種除去設備であるALPS(トリチウムを除く62種の放射性物質の除去が可能)をしっかりと動かし、トリチウムだけになった汚染水については、基準以下であれば希釈して海に流す必要があると思います。そうやって取捨選択しないと、全て完全に完璧にやる、ということには現実的に無理があるのが現状なのです。そういう意味では、漁協との調整などをしっかりと行い、トリチウムだけになった汚染水については海に流す、という政治の決断が必要だと思います。世界的に見ても、トリチウムだけになった処理水は海に流しているのが現状ですが、現在の福島原発では全く流していません。その点を改め、世界の原発以上に流せということではなく、せめて世界並みにする必要があると思います。

工藤:山本さんは今の福島原発そのものの問題で残っている課題は何だと思いますか。

山本隆三氏山本:大きく分けると2つあります。一つ目は澤先生が言われる人材の問題です。これは現場の作業員という問題もありますが、もう一つは東電自体が人材の流出に悩んでいる中、東電の廃炉カンパニー(2014年4月1日発足)が優秀な人材を本当に集められるのかという問題もあります。二つ目は、福島産の食べ物に対する風評の問題です。復興支援の一環として、私の大学では、物産展を行い、福島の食べ物を売るというグループがあります。そういうことをやっていると、いまだに「売るな」と言ってくる人が必ずいます。そういう人に対して、どのような説明をしても納得してくれません。いまだに続く風評を終息させていくのはやはり、マスコミの責任なのではないかと思います。例えば、数週間前の朝日新聞の一面に、福島原発の作業員から5ミルシーベルト以上の放射線が検出された、という記事がありました。パッと見ると5ミリシーベルトというのは高い数字だと読者は感じると思います。しかし、アメリカでもっとも放射能が高いデンバーでは11や12シーベルトが通常なわけです。私はデンバーによく出張していましたが、現地の人は誰もそんなことは気にせず日光浴をしていました。また、フィンランドは国全体で放射線量が7ミリシーベルトぐらいあるのが現状です。しかし、そういった現状はほとんど報道されず、5ミリシーベルトという数字だけが大きく報道されることで、風評被害を助長しているのではないかと思います。

工藤:放射線量の安全性基準というのは、3年経って何か変化はあったのでしょうか。

藤野:当初、1ミリシーベルトいうことが強く打ち出されました。その後、一時期5ミリシーベルトという基準が出てきましたが、結局、1ミリシーベルトという雰囲気が続いています。しかし、除染作業を行っている人たちの間でも、本当に1ミリシーベルトまで除染作業ができるのか、ということが議論されていますが、政府の方でも結論は出ていないと思います。もう一つの問題はどれだけのリスクがあるのか、ということが明らかになってはいません。チェルノブイリや広島の原爆の経験など、様々な事例は出てくるのですが、結局は不確実性の中のリスクの話になってしまいます。ある人には非常にセンシティブに聞こえるかもしれませんし、ある人は先ほどのデンバーの話などが日常だとなる。日本でも都道府県別でみると、1ミリを超えている自治体も何件かあると言われています。しかし、皆さん放射線量のニュースになると過剰に反応して、そのせいでセンシティブになってしまう。ただ、人体への影響は中長期にわたって及ぼされるものですから、特にお子さんをお持ちのお母さんたちは子どもへの影響が心配で、引き続き福島から避難されている方もいらっしゃいます。以上のように、影響が見えにくく、温暖化リスクと同じように、分からないがリスクはある、という状況の中、科学では決められないのです。

 ですから、不確実性のリスクが存在するということを示し、政治のプロセスの中で、現時点では何ミリシーベルトで、最終的には何ミルシーベルトを目指す、といったように現場の状況にも応じながら、段階的に目標値を設定していく。それは、政府の決断も大事ですし、場合によっては現地の市町村などで決定できる余地を残すなど、政治決断をしていかないと、結局、誰も決めないまま最初の1ミリシーベルトが引きずられていくのではないかと思います。

工藤:今、非常に重要な指摘がありました。つまり、今の政治は結局、誰も決めないのですね。その結果、現状のような不安定さを招き、課題に直面している人の自己責任みたいな雰囲気になってしまっている気がします。政治が決めないといけないことは原発以外にもあるような気がします。そして、先程から話に上がっている人材のことも気になりました。人材について、答えを出すための方針などが設定されているのでしょうか。


変わりつつある福島の人たちの認識

澤:方針などは走りながら考えている状況だと思います。原発作業員については作業環境の悪化という問題と並行して、核セキュリティの観点からすると、どのような身元の人が入ってくるのか、ということを管理しなければなりません。しかし、マネジメント側の人材が流出するなど、今の東京電力は組織自体があやふやな状況が続いており、作業員の身元の点も含めて、非常に危険な状況が続くと思います。ですから、人材の確保については、人数もそうですが、処遇と作業環境などそのものの改善が必須だと思います。

工藤:今、皆さんが指摘されたような課題は政府も課題として認識していますよね。

澤:もちろん、そうだと思いますが、時間がかかるということもあります。また、先程の風評被害的な話、いわゆる、放射線の話もまだまだ存在しています。先日、福島県人の方で、福島で放射線の正しいリスクの認識についてずっと説明してまわっている方と議論したのですが、福島県の人は、合理的な判断がようやくできるような状況になりつつある、とのことでした。事故直後は、藤野さんが指摘されていたように、これからどれだけ悪くなるかわからない中で、今ある放射線量なら安全ですと言っても聞く耳持たなかった。しかし、3年ぐらい経って、ようやくある程度安定化してきた状況の中で、合理的に恐れるというか、無駄に被曝をする必要はありませんが、放射線と共に生きていかざるを得ない場所ですから、どれぐらいなら安全か、どれぐらいなら危険かということについて、合理的に自分自身で判断するための情報を望んでいる人が増えてきた、ということでした。

 現に、事故直後に放射線の危険性を煽るような人たちが現地に入ってきましたし、いまだに煽っている人が新聞も含めていますが、そういう人たちに対する怒りの感情が生まれてきた、という福島の人たちがいるとのことでした。つまり、メディアも含めて福島の外にいる人たちが、誰が福島の汚染を大きくしているのか、悪影響を与えているのかという、福島の像というイメージを勝手につくり、そういう番組や紙面づくりをすることによって、福島以外の人の頭にそういったイメージが固着化していくわけです。象徴的にいわれるのは、カタカナで「フクシマ」と書いて、それを特殊な名称として定着させるというように、福島的なイメージというものを福島の外の人たちがつくってしまう。そうすると一旦、頭に刷り込まれた福島以外に住んでいる人は、「福島は危ない」、「福島のものは汚染されている」というステレオタイプから抜け出せなくなる。それに対して、福島に実際に生活している人たちは、それでは困るし、福島差別が起こるもとになるので、そういうことはやめてほしいと。最初に煽った人たちに腹立たしい、という感情にいまや変わりつつある、とその人はおっしゃっていました。


画一的な支援ではなく、被災者の状況に応じた支援の深堀りが必要

工藤:もう一つの課題は、福島の原発事故で被災した住民の方々が、福島県を離れていろいろなところで避難生活をされているということです。その人たちに、除染をベースとしてなるべく早く元の場所に戻って欲しいということは、多くの人が思っていることだと思います。ただ、除染も終了している自治体もあれば、ほとんど終わっていない自治体もあり、現実的に戻ることが非常に厳しい人たちもいる。その中には高齢の方が多く、これからの自分の人生の展望が見えない中で、除染などの作業の進捗に振り回されているという現実があります。このような「人の復興」も考えていかないといけない。昨年、移住する人たちへの支援も始まったのですが、これまでの取り組みに関していかがでしょうか。

藤野:私自身、南相馬の隣の飯館村の復興計画づくりに2011年8月から継続的に関わっていますが、当初は本当に状況が分からず、最初に掲げたのは、今までやってこられた「までいな村」づくりでした。飯館村は、高地になっていてコメ作りも難しい場所でしたが、自分たちで村をつくろうということで、厳しい条件ながらも、高原野菜や花を作ったり飯館牛を育てたりしていました。しかし、東日本大震災以降、飯館村の6000人ほとんどすべての村民が避難を続けている状況です。最初の頃は、2年で帰るという目標を掲げ、村長がかなりリーダーシップを発揮しながら、「絶対に戻るのだ」という意気込みでやっていました。しかし、除染も遅れ、3年経った今でもまだ帰れないという状況が続いています。

 飯館村は、3世帯、4世帯同居などが多くいて、当初はおじいさん、おばあさんの世代だけでも帰るのだという話をしていました。しかし、子供や孫が帰らないという決断をする中、なぜ自分たちだけが帰るのだろうか、ということで当初の意気込みもなくなってきた人たちが大勢います。また、飯館村では農作業をしている方が多く、自分の家の傍の畑で作業をすることがある意味で生きがいだったり、農作業をすることで体も丈夫だったお年寄りが多かったのですが、被災後は家の中で閉じこもり何もすることがなくなり、弱っていらっしゃる人が増えてきています。加えて、若い人たちは、福島市などの避難先で家を建て始める方が増えてきました。戻れるかどうかわからない、という先が見えない中、特に子どもがいる20代から40代の方々は、小学校、中学校など子どもの学校が決まっていくと、ずっと除染を待っているわけにもいかず、避難先で家を建てるという決断を迫られることになります。そういった方々にも、昨年末、政府は支援することを決定しました。そういう人たちにもようやく支援の手が差し伸べられたことはいいことだと思いますが、それが変な差別を助長しないように、地元に戻るために頑張る人にも支援をしつつ、移住を決めた方にも支援をする、という状況に応じた支援というものをさらに深堀りしていく必要があると思います。

工藤:今の現実と合っているかわからないのですが、政治の決断というものが色々なところで問われているような気がしています。住民や国民はある程度、与えられた環境の中で、自分の人生をどうしようか必死に考えるしかありません。ただ、将来どうなるかわからないという不確実性の状況の中で、希望を持ちたいという思いから「故郷へ戻りたい」と思うことは人として当然だと思います。しかし、戻ることが非常に厳しい事態であれば厳しいことを隠さず、伝えていくことも政治の役割だと思います。先ほども申しましたが、決断を個人に任せてしまっているような気がしているのですが、どう考えればいいのでしょうか。


賠償の限度額とスケジュール付の復興計画が必要ではないか

澤:今、賠償などの調整を担当しているのは私の役所時代の部下だったりするのですが、彼らから話を聞くと、どういうふうにアプローチをしても、逆の立場の方がいて、全員に対してパーフェクトな回答というものはできない、と。先ほど、工藤さんがおっしゃった事と逆になるのですが、様々なオプションを与えるような制度にしないといけないのだと思います。移住支援の話が出ましたが、逆に、避難指示が解除されたところは早期に帰還するために、賠償を上乗せすることにしています。今までは、帰還ということを旗印にやってきたので、オプションのある制度づくりが難しかった。しかし、昨年末に移住を決めた人たちのも支援するという決断を下した。これは、重要な転換だと思います。

 もう一つはタイムスケジュールです。先程、不確実性という話がありましたが、計画の実現はともかく、将来、どのタイミングで何が起こるのか、というタイムスケジュールを月単位の計画で出してもらわないと決断できないわけです。10年以内に何かが可能になるのか、それとも20年かかるのか。20年かかるというと、批判されるから政治家は発言しない。その結果、余計な期待感だけが助長される。そういう意味ではタイムスケジュール付きの計画を出すということが政治の決断として必要です。

 加えて、これが一番言いにくいことなのですが、支援限度額というか、賠償限度額の上限を決める必要があるということです。結局、資源、お金というものは無限大ではありませんから、税金や電気料金など形はどうであれ、事故収束に関する費用で国民全体として払うべき額、総額がどれくらいかかり、福島の事故をどう処理していくのか、ということが目に見える必要がある。財政上も東電の企業経営という点でも、何より住民の方々が、一体いつまで賠償を得られ、限度額はいくらなのかがはっきり分からないと、悪い意味でいつまでも賠償に頼りきりになってしまいます。ですから、賠償の限度額が必要だということ自体、言いにくいことなのですが、支援総額というものを決めることは必要だと思います。実は、諸外国の原子力損害賠償制度を見てみると、アメリカでは企業は有限責任で、国全体としてもどこまでで終わる、という総額を決める案を大統領が出し、議会を巻き込んで了承を取るという制度があります。そういった制度は日本にはありません。今までの原子力損害賠償制度は、実は不法行為の延長線上にあるために、東京電力対個人の問題になってしまうのです。ですから、地域全体で除染を行ったり、あるいは、振興のための雇用の場をつくる、というようなことは予算にはなっておらず、個別に、慰謝料を含めた損害賠償を払い終われば終わりとなる。しかし、賠償が終わったからといって地域コミュニティは再生できないわけですから、政府が出てこざるを得ないわけです。その時に一体どれくらいの資源をかけて福島を再興するのか、資源の枠内で何にプライオリティを置いてやっていくのか、ということをさっきのタイムスケジュール付きの計画にして、復興計画として示す、ということが大事なのではないかと思います。

工藤:今の話は非常に分かりやすかった。続けてお伺いしたいのですが、今、おっしゃったような復興計画は、今はないのでしょうか。元々、原発というのは絶対に安全なものだから、事故を想定していなかったのだと思いますが、こういう事故があれば作らないといけないわけですよね。

澤:民主党政権から自民党政権に至るまでの過程に、そういった復興計画がなかったので、それぞれアドホックに作ってきました。今回、被災した自治体に対して使途を制限しない、地域振興用の交付金みたいな制度をつくるなど、ある意味パッチワーク的にやってきましたが、対応は遅れ、後手、後手になってきました。今、批判しても仕方がないと思いますが、そういう計画を今度は国だけではなく自治体としても作っておく、ということが今後、問われると思います。お金は貰えたけれど、計画としてどうするのか、ということをしっかりとつくっておくべきです。加えて中間貯蔵というか、がれきの中間処理施設みたいなものもどこかに建てておかないといけない。こういった政治的には触れたくないような話を全てテーブルに乗せて計画をつくり、みんなで決断するということを、この1、2年の間にやらないと、この話は永遠に続いてしまいかねない。

 実は、スリーマイル島の原発事故は、福島ほどの大きな事故ではありませんでしたが、自治体も巻き込んでいろいろな計画を作り、お金の額を決めていきました。そういうふうにしていく時期だったのにもかかわらず、日本ではどうしても遅れてしまう。そこが問題だと思います。

工藤:そういった動きを日本でも、これからつくっていかなければならないわけですが、それはどこが主導してやっていくのですか。

澤:それは言論界がやるべきだと思います。そして、決断する人をある意味で守ってあげなければならない。みんなが「あんな決断はひどいぞ」となると、誰も決断できなくなる。

工藤:今の話は、アジアで課題解決に向けた動きをつくっていく際にも、同じ問題を感じています。世論が政策決定者を批判しすぎると、政治は世論を恐れて誰も、何も決断できなくなり、事態の解決ができなくなってしまう、というジレンマがあります。

澤:僕なんかは2011年以降、何か発言をすると、御用学者というレッテルを貼られてしまいます。しかし、最近では胸を張って御用学者になりたいと思っています。実際に決断しようとしている人を身近に知っていると、相当つらいことが分かりますから、少しは応援してくれる人がいてもいいのではないかとさえ思えてきます。


福島の雇用、産業の配置や公共インフラなど、汚染地域以外も含めた復興計画を

山本:私はエネルギー政策や環境政策が専門なのですが、福島の浜通りが被災して雇用が失われました。これから廃炉作業が行われますので、多少の雇用はあるかもしれません。ただ、人が戻ってくるためには福島で仕事がなければなりませんが、どうやってつくるのかという点がないのが現状です。今、福島県の電気を全て再生可能エネルギーで賄うとの意見が出ていますが、それでは雇用は生まれません。風車や太陽光による発電は、基本的に人はいらない。設備投資はすごいですが、設備投資のお金が福島に落ちるわけではありません。では、雇用をどうやってつくるのか、ということを本当に真剣に考えないといけないのですが、国も県も単なるきれいごとしか言っていないのが現状です。

工藤:震災直後はそういった議論がありましたよね。

藤野:今でも、例えば、産業技術研究所が郡山の方に研究センターをつくり、太陽光の最新の研究を進めてはいます。但し、雇用を増やすためにどうするのか、という青写真は描かれていません。今、山本さんがおっしゃったように、原発から再生可能エネルギーへの転換の触れ幅が大きすぎるのです。今までは原発推進でやっていたのに、原発事故が起こったら脱原発で、すぐに再生可能エネルギーで雇用だ、というようにすぐに触れるのですが、再生可能エネルギーの推進で雇用が生まれる、という波及効果は当初期待されていたほどではなかったかもしれません。

 加えて、再エネに対して誰が投資するかという時に、今、フィードインタリフ(固定価格買取)という制度があります。福島の人たちが投資をして、売り上げを福島の方が使えたり、復興に使えるような仕組みであればいいのですが、外部のお金が入ってきて、福島の人は土地だけを貸すような感じになると、全体の投資額から、ある一部分しか福島の人たちは関わらない。結局、原子力の問題と同じで、原子力で作っていた電気は東京、関東圏に使っていた、ということの再来になってしまうので、そこについてどう考えていくのか。賠償金の一部を福島の人達が再エネに投資をして、リターンを得るというような仕組みをつくるなどを考えていく。それが雇用につながるかは不透明ですが、投資も自分が収入を得る方法の一つなので、そこはもう少し考えていく必要があると思います。

工藤:澤さんが先程おっしゃった原発の本当の意味での処理、今後に向けた仕組み作りについては、損害賠償の問題と、産業や雇用の場をつくっていく、という2つの考えがありますよね。

澤:お二方がおっしゃったとおりで、再生可能エネルギーの話は、原発に対するアレルギーへの反射神経的な戦術でしかなかったわけです。元々福島というのは原発があったことに加えて、関東に近いということで工場の進出がかなり多い地域でした。私は宮城県庁に2年間出向していましたが、ある意味で福島がうらやましかった。福島の人たちは東北なのに関東を向いていた、というくらいに工業出荷額も多かったと思います。そういう意味では、実業的なものをもう一度そこに置かないと、ファンディング、金融的なことでお金だけ得るというよりは、生業と呼ばれる農業や漁業はもちろん、第二次産業的なものをもう一度復興させるためにはどうすればいいか、ということを念頭に置くべきだと思います。

工藤:安倍首相が常磐道を来年までに全線開通させると言っていました。復興を実感するという状況の中で、題材として、災害住宅、公営住宅と常磐道の話が出たのですが、これはどういうことなのですか、一つの大きなシンボルになるのでしょうか。

澤:輸送道というシンボルという意味だけではなく、もっと実利的な意味があると思います。また、地域の問題だけではなくて、他の問題も出てきています。例えば、原発の南側のいわき市はまったく汚染はないため、避難してきている人が多数いて、公共インフラが足りなくなっているという問題もあります。ですから、もう少し広域的に見て、産業の配置や公共インフラの整備などを考えないといけない。ですから、汚染地域だけの問題として捉えた復興計画だけでは足りないと思います。


原発を含めたエネルギーの組み合わせについて、言論界、学術界で議論が必要

工藤:最後はまさに原発そのものについて議論したいと思います。原発、そしてエネルギーという問題ですが、原発において悲惨な事故が起き、国民の原発への信頼は地におちました。その不信を払拭した上で、次の展望をこの3年の間に描いてきたのか。その点で見ると、最近は、規制委員会が再稼働の問題に関して、川内原発を最終的に判断し、再稼働できるのではないか、という話が出てきました。しかし、現状、中長期のエネルギーのベストデザインみたいなものはまだ描かれているわけではありません。

 今後、原発の扱いをどのようにしていくのか、日本のエネルギーにおける計画をどのようにしていくのか、ということについて、どのような課題があるのでしょうか。

藤野:私は低炭素社会づくりのためのシナリオづくり、温暖化対策の側面からエネルギー問題を見ていたのですが、震災後、2012年の夏から秋くらい、まだ民主党政権の時に最初の議論がありました。そこでは、原子力の比率を0%、15%、25%とした場合に、どのようなアプローチがあるかなどの議論が行われてはいたのですが、政権が変わったということもあり、どの方向で行くのかということが分からないまま流れて、結局、有耶無耶になってしまいました。今、川内原発の再稼働の話が出始めていますが、結局はまだ全ての原発が止まったままです。温暖化の話でいうと、来年の3月、4月くらいまでに先進国は次の温室効果ガス排出量削減の目標値を国連のプロセスの中で公表することになっていますが、肝心のエネルギー政策が議論されないと、温暖化の目標も議論できません。

 現状、原子力発電で供給されていた5000万キロワット分は、火力や再エネで代替され、省エネなども行われています。では、原発の再稼働の話が進み、5000万キロワット全ての供給が可能かというと、多分、そういうわけにはいかないと思います。日本の原発54基の中で、既に福島第一原発が停まっていて、第2原発の4基もどうするのかも議論されており、再稼働しても全部で何基動かせるのかはわかりません。加えて、原発の寿命は40年とされていますから、それを守っていくと、2020年の時点で5000万キロワットのうち、3000万キロワットが最大限使えるポテンシャルとなり、2030年には2000万キロワット、2050年になると、全ての原発が40年の寿命となり、全て止まってしまいます。ですから、長期で考えると、原発の再稼働の話をしたとしても、最終的に新設がないと全部止まってしまいます。そういう状況の中で、原発を含めたエネルギーの組み合わせをどうしていくのか、もう一度数字ベースで、言論の世界や学術の世界で、本音ベースの議論をしていかなければいけないのではないでしょうか。

工藤:これは何か遅れていませんか。今、こういう原発をどうしていくのか、という基本計画の素案がこの前、出されました。何が問題でどういうことを考えないといけないのでしょうか。

山本:今、藤野さんがおっしゃった通り、環境問題が一つの側面ですが、我々がさらに考えないといけないことに、エネルギーの安全保障問題というのがあると思います。国の安全保障ということを本当に簡単に言ってしまうと、我々は十分なエネルギー、十分な電気を使うことができるのか、ということに尽きるわけです。その問題をよく考えなければいけない。

 それから、もう一つは経済性の問題で2つあります。一つは電気代が上昇することになるので、国民生活や産業界に非常に大きな影響を与えることになります。それから、もう一つは現在、原子力が稼働していないために、化石燃料、天然ガスなどを大量に輸入していますが、その支払いについてです。例えば、1998年の日本の化石燃料の輸入代金は5兆円ありませんでしたが、現在は25兆円で、その原因としては石油や天然ガスの値上がりがあります。貿易の輸出額が60兆、70兆円の国が25兆円の化石燃料代を使わないといけない、ということは、やはり大変なことです。その結果、貿易赤字、経常赤字が続いていく。国の借金が1000兆円を超えている国がそんなことを続けられるわけがありません。そういった経済性の問題も考えなければならないと思います。経済性の問題やエネルギー安全保障の問題を考えると、選択肢としてはもう原子力発電所を動かして、リプレイスまで考えないとやっていけないのではないか。ドイツがどうなるかはわかりませんが、先進国で原発を稼働しないという国は、現実にはない。工業国と呼ばれる国は、どの国も原発を使ってやっているわけです。ですからやはり、我々もそういうことを考えざるをえないのではないか、という気がしています。


原子力発電への信頼を、日本でも取り戻すことができるのか

工藤:澤さん、基本計画が遅れているというのは再稼働の問題の他に、どのような問題があるのでしょうか。この前の都知事選挙で小泉さんと細川さんが出てきて、今、皆さんが言われたような安全保障と経済性の問題、それから最終処分場の問題をかなり強調していました。先ほどの中間貯蔵施設もそうですが、最終的にどうするのか、というところでみんながしり込みしてしまう。そうなってくると、今後もきちんとしたプランとして体系化できないのではないかとも思うのですが、そのあたりはどうでしょうか。

澤:非常に本質的な問題なのですが、今、エネルギー基本計画でもめている理由は、いろいろな論点があるのですが、原子力をめぐる不透明性の中の一つだと思います。

 まず、政治的な不透明性があります。安倍政権は自民党の政権ですが、原子力に対して非常に慎重な取り扱いをしていると思います。再稼働はやるけれど、中長期的にリプレイスしていくのか、ということについては白紙の状態にしている。2番目に政策的不透明性があります。それは自由化との問題です。電力を自由化すると、ファイナンスは非常に難しくなってくる。つまり、競争状態になってくると、今の料金規制の中で、貸した金が戻ってくるという確実な仕組みがなくなってしまう。原子力を新設しようとすると何千億円もかかりますが、そのお金を果たしてファイナンスできるのか、という問題が世界中で起こり、結論的にいえば、非常に難しくなる。3番目に規制的不透明性があります。今の規制委員会もそうですが、いわゆるバックフィットという、将来新しい知見が出てくると、それに合わせて過去に遡り踏襲させられてしまうリスクがあります。

 以上の理由から、原子力の事業、ビジネスとしての原子力発電のリスクは非常に大きくなってくるわけです。そういう中で、基本計画でもしっかりと位置づけられない、あるいは、議論する中でどんどんと前向きな表現が削られていくことになると、では、原子力発電を誰が担うのか、という問題が出てくる。マクロ的に見ていくと、リプレイスや更新ということが必要なのですが、具体的にどの電力会社がどれくらいのサイズで、どこに建てるのかというところまで議論しなければ本当は実際の解決にはつながりません。そういった点が今、不透明なままで、バックエンドの問題も表面化してきている。

 最終処分の話は、やはりずっと先なのですが、それに至るまでにいろいろな問題があるわけです。例えば、高速増殖炉のもんじゅを止めよう、という話になるとすれば、増殖させて、燃料の心配をなくす、という核燃料サイクルの政策の一つの大きなピースが欠けてしまう。では、その一つ前にある再処理ということは本当に必要なのかとなるわけです。また、再処理しないのであれば、中間貯蔵施設は必要になってくるのかという問題にもつながる。つまり、核燃料サイクルというのは、全てが相互依存関係にあるので、一つを止めるといった瞬間にいろいろなことを解決しないといけなくなる。最終処分場だけを取り上げてもあまり解決にはならない。そういった取り組みの解決に向けた議論は数カ月でできる話でもなければ、都知事選だけで解決すべき問題でもありません。 

 エネルギー基本計画ができた後、藤野さんがおっしゃっていたように、パーセンテージとして、原発をどれくらい、いつまで動かすのか、さらに新設するのかしないのか。そのサイズと合わせて、最終処分までのサイクル政策を後2年くらいかけて考える。原子力については、全体としては5年くらいの検討期間と、解決策への道が必要になってくると思います。今、自由化のために電気事業法の改正を3回に分けて行っていますが、同じように原子力も、来年から始まり3回ぐらいかけて必要な措置をとるという形で、プログラム化し、何をいつまでに検討するのか、ということをはっきりさせる。その時、一番重要なポイントの一つとして、日米の原子力協定が挙げられます。日米の原子力協定は2018年に満期を迎えますが、放っておけば自動延長となります。要するに、余剰のプルトニウムが発生したら、それを軍事利用しないようにしようというものですが、それに関して日米間で協議をしないといけなくなります。先ほども申しましたが、核燃料サイクルの政策は日米間の協議までにはきちんと仕上げておかないといけないわけです。そういう意味で、待ったなしのスケジュールがどんどん押し寄せてきます。その上に、原発の寿命である40年の話も出てくる。だから、炉規制法自体もどのようにするかを考えていかなければならない。そうすると、一筋縄ではいかないわけです。今からそういった検討項目とスケジュールを立てて、3回くらいに分けた法案を出すことが必要だと思います。

 個人的に言っているのは廃炉を促進するということです。再稼働の申請をしているのは割と新しく、出力も大きい原発で、これらは経済性もあります。しかし、40年近く経っている古い原発については出力も小さいし、安全対策により投資が必要となります。しかも、稼働を延長してもらっても数年しか使えない。そうすると、投資効果がないわけです。どうせ廃炉にするのであれば、むしろ早めに廃炉にしていく、ということを政治的な姿勢として示して、リプレイスもするけれど廃炉も進める、ということをセットで進めていく必要がある。

 アメリカがスリーマイル島の原発事故以降、原子力に信頼性を取り戻した理由は、安全な稼働を長く続けることができたから、ようやくパブリックな信頼が戻ってきたわけです。つまり、稼働させずに止めておいたから信頼が戻ってきたわけではありません。実際に事業者がスリーマイルの事故の反省に立ち、規制側も被規制側も切磋琢磨して安全運転を長く続けることができるようになった。この道を目指さないと、日本でも原子力が信頼回復することはあり得ないと思います。

 そう考えると、これからかなり膨大な作業が必要になってきますし、私は事あるごとにそう言っています。原子力が必要だと言っているだけの輩と思われていますが、そのために必要なことも言っています。ただ、それを説明するには長時間が必要で、短時間ではなかなか話せません。

工藤:今、政府ではどういうかたちの枠組みで進めようとしているのでしょうか。

澤:基本的には基本計画をまず第一歩として、そこから温暖化との関係や原発をどれくらい動かすのか、という定量的な目標を考える。次に、自由化との関係で、自由化した時にリプレイスするのかしないのか、するのであれば政府の支援はどうするのか、ということが第2段階。第3段階で最終処分も見越した形で核燃料サイクルをどうするのか。2018年の日米原子力協定満了があり、おしりは決まっているわけで、今から4年しかない。多分、今年の後半にはいろいろな論点がすべてテーブルの上に出るくらいの状況にしないといけないと思います。

 現状、これらを進めるために、経産省の総合資源エネルギー調査会で議論されていますが、この調査会だけでできるのか。今、原子力委員会という、本来なら原子力の総本山が役割が小さくなっており、内閣全体に検討する場が広がる形ではなくなっているに等しい状況があります。規制、安全と言いすぎたので、いわゆる振興、プロモートする側の方の組織がバラバラになってしまっているのが現状です。


他国からも学び、日本のエネルギーミックスをどのようにつくっていくのか

工藤:震災直後には、スマートグリットや固定買取りなど様々な明るい話が出ました。しかし、後者においては、最近は高く買いすぎていて国民負担増の問題など、色々な問題が出てきました。そういったことを整理して、どのように取り組んでいくのか、ということが見えにくくなっているような気がするのですが、いかがでしょうか。

藤野:固定価格買取制度には賛否両論があって、買い取り価格が高すぎて、我々の電気代に跳ね返ってきているということがマイナスの点として挙げられます。一方で、プラスの面を挙げるとするならば、今までエネルギー事業に入ってこなかったような企業が入ってきて、買取制度をきっかけに結構手堅いビジネスになってきている。その良し悪しはありますが、今後やらないといけないのは、地域に本当に役に立つ再エネへの取り組みにはきちんと支援を行い、ビジネスベースでやっていけるものについては買い取り価格を下げていくなど、区別をして対応していく必要があると思います。原子力の代わりに、大型の資金を持っている企業だけができる再エネ事業になってしまうと問題だと思います。

 ただ、原子力の話と並行して、買取制度の方はこの値段で買い取りますよ、というのは先が見えているので、ビジネスとしては投資しやすい。先ほど山本さんにエネルギー安全保障や経済性の問題を含めて全体を示していただきましたが、エネルギー対策を考えるうえで、2030年、2050年の原子力あり方を考える必要もありますが、化石燃料をどう効率的に使っていくか、省エネルギーをどう進めていくのか、スマートグリットやスマートハウスで更にどこまでやるのか、再生可能エネルギーの分野をどこまで増やしていくのか、という4本の矢をどうバランスさせていくのか、ということがあります。

 先ほど、化石燃料の買い取り価格が20兆円を超えるという話がありました。実はリーマンショック後も25兆円くらいに達していましたが、再び、原発の影響もあり増えています。では、どのように化石燃料の買い取り価格を下げていくのかと考えた時に、原発の再稼働という話がある一方、省エネ、再エネを本当にどこまでやっていくのかも重要になってくる。実際、2011年以降、省エネ、再エネは確実に進んでおり、国民の意識は変わったし、産業界の努力も相当なものだということもあります。ですから、省エネ、再エネがここまでできるから原発はここまで、といった組み合わせを考えていかないと、いつまでたっても原発を推進したい人は推進させる、止めたい人は止めたいと言うけれど、その着地点がないと、結局止めたまま、再エネ、省エネが進まなくなり、化石燃料を買い続けて、国の借金が増えてしまう、という暗い未来しか見えてきません。そういう風に、全体的にどのように考えていくかが重要になってくると思います。

山本:再エネについてはヨーロッパの国がいろいろな形で政策を行いましたが、ほとんどが失敗してきました。日本は他の国が何をやり、どういう結果だったのか、ということを良く見ていかないと、あまりに再エネ、再エネということをいっていると電気代の高騰など、日本自身も非常に痛い目を見ることになるのではないかと思います。

工藤:今日はこの議論をしてよかったと思います。原発、エネルギーの問題については、課題だらけだということがわかりました。このテーマは、これからずっとやっていく必要があるし、今、集中的に取り組まないと、日本のエネルギーの未来も含めて答えを出せないという感じがしました。今後も本音レベルで議論をして、政策形成の環境作りに貢献していきたいと思います。皆さん、今日はどうもありがとうございました。